新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

なんじゃもんじゃ

2018年04月29日 | 日記

「なんじゃ、これは?」「そんなもんじゃ」という珍問答があったかどうかは知らないが、「なんじゃもんじゃ」の木という。上野原にある。

 上野原駅南口が変貌を遂げている。長らく空き地だった場所にすでに観光案内所とバスターミナルが営業を開始している。もうしばらくするとスーパーマーケットとホームセンターがオープンする。ホームセンターができると便利になる。この地域に唯一なかったものがホームセンターだった。生活上の必需品がここへ行けば揃うことになる。
 いっぽう私が住む藤野地域は、小さなスーパーが一軒あるのみだ。日常生活のほとんどすべてを上野原に依存している。何もないことがメリットになって、多くの移住者を迎えている。藤野駅前で聞いた噂では、「この地域には芸術家が300人いるんだって」。陶芸家、人形作家、音楽家などは知っていたが、300人もいるのかな。
「ふるさと芸術村」構想が実現したのはもう35年ほどまえだった。名倉を一周する道路が「芸術の道」に指定され、道路沿いにおおくの芸術作品が配置された。山肌に「山の目」と「グリーンラブレター」が設置されたのもこのときだった。それらはいまもある。
 15,6年まえ教育特区に認定されて、自然と芸術に親しむ教育をするシュタイナー学園が開校した。検定教科書を使わないし、10歳ぐらいまで子どもにテレビを見せない、という教育方針をとる。おかげで、若い人たちが移住してきた。自家製の野菜、山菜を使う料理店ができ、最近では馬を飼っている。
 地域通貨「よろづ」がテレビで紹介された。通帳を使ってモノやサービスを売り買いする。地元の畑で野菜を買い、通帳にいくら使ったかを記入してもらう。子どもをしばらく預かるサービスをしたら、通帳にプラスの代金を記入する。プラスとマイナスがバランスをとればよいが、負債ばかりが増えることもある。そのような通帳をもつ人を「この人はみんなに可愛がられている人なんだなあ」という目で見るという。地域通貨は便利というより、人と人を結びつける役目をするから「つながってる」感がここちよいらしい。
 山と川しかない地域、文明に取り残された地域だった藤野を、高い文化を誇る地域といいかえたい。
 東隣には、イルミリオンで多くの人を惹きつける相模湖プレジャーフォレストを擁する相模湖がある。西隣がスーパーとホームセンター、必需品がなんでもそろう上野原、その谷間でむかしながらの生活を営む藤野地域という認識だった。しかし便利さを求めてすぐ両隣へ行ける地の利のよさが藤野をいっそう引き立てている。両隣があっての藤野だという認識が必要だろう。








ドナルド・キーン氏の講演から

2018年04月25日 | 日記

 眠れない夜、ユーチューブに公開されているドナルド・キーン氏の講演を聴きました。4,5年まえにした日本語での講演でした。むかしラジオで聞いた同氏の講演の、ユーモアを交えた率直な物言いはいまも変わっていません。つい引きずり込まれます。
 こんなくだりがありました。「1953年、京都の家に下宿することになりました。しばらくして隣にアメリカ留学を終えたばかりの京大助教授が入ることになりました。私は日本人の生活をしたくてここへ来たのだし、英会話の練習相手をさせられるのは嫌でしたから、その人とはなるべく顔を合わさないようにしようと、外出するときは空を見上げたり、あるいは足元に目をやりながらその人の部屋のまえを通りすぎていました。あるとき下宿屋にお客さんが来て、私もその人も招かれて夕飯を一緒にすることになりました。その人と話をしているうち、その人がとってもいい人であることを知り、それ以来おつきあいし、その人は私の生涯の親友になりました。その人はのちに文部大臣になる永井道雄さんでした。」ざっとこんなような話でした。
 永井道雄。昭和50年代、三木武夫内閣で文部大臣を務めた人です。けっして政治家ではありませんでした。当時の三木総理は政治家ではない民間人を文部大臣に抜擢したのです。政治家でない人を大臣に登用できるのか、と正直びっくりしたものでした。その後、中曽根康弘氏が三浦朱門をたしか文化庁長官に迎えたことがありました。そして小泉内閣が竹中平蔵氏を経済財政担当大臣に登用したことは記憶に新しいところです。
 三浦朱門は中曽根氏との対談で、中曽根氏の認識違いをそれとなく諭していました。「フランスにあれほどすばらしい文化がみられるのに、どうして日本には文化がないのでしょうね」という中曽根氏に「日本の文化はフランスの文化と質が違うだけです。日本にも文化はあります」と応じていました。テレビに映し出された場面でしたから、記憶している人がいるはずです。
 総理に意見できる人、政治家とは違った角度からものをいえる人を大臣に登用する。これは大事なことです。いまの総理には思いもつかないことかもしれません。学識、見識がある人を高い地位につけるには、トップに立つ人にそれ相当の高い見識と度量の広さがなくてはいけません。民間人を大臣に据えた三木、中曽根、小泉という歴代総理の懐の深さを見直すべきときです。





高校生は忙しい

2018年04月21日 | 日記

 昨年の10月中旬、衆議院選挙の投票がおこなわれた。高校3年生の誕生日がくれば投票権がもらえるので、この時点では全国の高校3年生の約半数が投票権を得ていたはず。その高校生たちの投票率は実際どれくらいだったのか。調査がおこなわれたかどうかさえ知らないが、高校生の投票率は他の年代の人たちの投票率をはるかに下回っていたことは容易に推測できる。たいていの高校では10月中旬から下旬に2学期の中間テストを実施している。大学受験を控えた高校生たちは、眼前に迫ったテストのことで頭がいっぱいだ。
 いっぽう7月におこなわれた都議会議員の選挙はどうだっただろう。日々、高校生に接している私の感触では、この選挙の方が高校生の投票率はよかった。1学期の期末テストが終わり、一段落してから投票日を迎えたからだ。
 部活動に精を出し、勉強に励み、アルバイトをし、彼氏、彼女のことも気になる。まじめな生徒ほど忙しい。
 そこで、大学受験の話になる。いまの高校1年生が大学受験するときに、共通テストが導入される。英語の能力を民間の検定試験などで証明して、共通テストの不備を補おうとしている。高校生は民間の検定試験を受験することを強いられる。9種類の民間試験が候補にあげられているが、現状では英検の受験者が群を抜いておおい。生徒が自分の学校で受験できるのは英検のみだ(GTECHを採用している学校はまだ少ない)。
 ネット上の数字を調べてみたところ、2016年に英検を受験した高校生の数は130万人と推定される。ひとりで何度も受験していることを考えると、100万人程度とみられる。高校3年生だけなら40万から50万人か。いっぽう同年度のセンター試験の受験者数は56万人だ(2016年の英検受験者は2017年以後のセンター試験を受験した。データの年度がずれていることにはご寛容を・・)。おおざっぱな推計では、センター試験受験者は英検受験者よりやや多い程度で、センター試験を受けるほどの高校生は英検を一度は受けている、と考えられる。しかし英検準2級なり2級なりに合格しなければ、大学入試の資格にならないとなれば、合格するまでくり返し受験しなければならない。不合格のままではすまされない。おそらく英検受験者数は大幅に増える。
 年3回おこなわれる検定試験、しかも一次と二次に分かれるので、年6回になる。3年間、年6回をめざす級に合格するまで受験しつづける。忙しい高校生をさらに忙しくする。なんとかならないものか。






ついに花粉症デビュー

2018年04月15日 | 日記

 ついに花粉症になった。医者にいって確認したわけではないが、これは花粉症だと自分で決めつけた。
 2月はじめから咳き込むようになった。とつぜん咳き込み、咳が止まらなくなる。市販の風邪薬を飲めばおさまる。のどに痰がからみ、咳ばらいすることが増える。はじめは風邪だと思い、症状がひどくなりそうなときには市販の風邪薬を服用していた。1か月ほどで治るはずだった。3年まえにも同じような症状で、1か月間苦しんだ。ところが今回は3月になっても4月になっても治らない。花粉症を疑ってマスクをつけてみた。ぴたりと咳がおさまった。マスクは特効薬だ。バイクの車体が花粉で黄色くなっていたので、ぞうきんではたくと、またまたゴホンゴホン。医者に行くまでもない。まさしく花粉症だ。
 例年以上に花粉が飛散しているらしい。私の体にも原因があるだろう。花粉に対する免疫力が衰えたようだ。花粉症は年齢にかかわらずある日とつぜん発症する。花粉だらけの地域に住んでいてこの年齢まで発症しなかったのが不思議なくらいだ。職場の同僚女性によれば「花粉は洗濯物を干したときにもつくし、布団を干してもつくんですよ」とのこと。いやあ、身のまわり花粉だらけなのだ。
とはいえ花粉の季節がすぎれば治る。あとしばらくの辛抱か。




私立高校の融通性

2018年04月06日 | 日記

「都立高校、定員割れ」のニュースは、意外に多くの人に知られているようだ。高校入学者のなかの一定数が都立高校から私立高校へ流れた。
 私立高校といっても都内には392校もある。全体の6割を超える高校が私立高校になっている。一部の有名進学校についてはさておく。一般の人にはその名をあまり知られていない一般の私立校について述べる。
たいていの学校が特進クラスというコースを設けて、学力の高い生徒を少数あつめ、英才教育を施している。有名大学に合格させて学校の名声を上げるためだ。あとは一般クラスということになるが、一般クラスと特進クラスとの間にもう一つ、選別された生徒を集めるクラスを設けている学校がある。選抜クラスと呼んでおこう。特進クラスほどの英才教育ではないが、一般クラスよりは学力レベルの高い生徒を集め、選抜された生徒だという意識をもたせ、教育していく。結果としてうまくいけばMARCHクラスの大学に進学する生徒をふやし、学校全体のレベルアップに貢献することをねらう。MARCHとは明治、青山、立教、中央、法政の頭文字をつないだもので、国立大、早慶上智などのトップクラスにつぐ二番手の大学群をいう。関西では関関同立ということばがあるようだ。関西学院、関西、同志社、立命館を意味する。
 一般の私立高校のなかでも、いま人気なのはその選抜クラスのようだ。がちがちと勉強ばかりする生活はいやだが、一般クラスでなんとなく締まりのない生活に堕するのもいやだ、という子どもたちを惹きつけている。あるいは親が自分の子どもに押しつけるのか。都立高校がこうした学力別の募集をすることができないので、募集のしかたに融通性がある私立高校に受験生が流れることになる。
 今回、私立高校の授業料無償化への波が、それを後押しする形になった。これまで授業料の格差が大きかった。授業料での差がなくなることは、私立高校にとっては飛躍するチャンスがめぐってきたことを意味する。親たち、子どもたちがしっかりと教育の質を見極めて、進路を決めることができる絶好の時機になった。