新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

暑中お見舞い・・

2019年07月29日 | 日記


 日影原農園のブルーベリーは順調に生育しています。うっとうしい梅雨がすぎ、夏本番になったいま、その生育が加速されることでしょう。毎年、ジャム用に大量に摘ませてもらっています。

 今年おもしろく読んだ本を3冊、紹介しておきます。電車のなかで読んだ本ばかりですが・・。
 大崎茂芳「糸を出すすごい虫たち」。
 芥川「蜘蛛の糸」には、人間が蜘蛛の糸を伝って天国へ昇ろうとするようすが描かれています。実際に蜘蛛の糸に人間がぶら下がれるものかどうか、実験して成功した人がいました。蜘蛛の糸でブランコを作ってぶら下がったのです。このたび「糸を出すすごい虫たち」を書いたのもたぶんその人だと思います。
 蜘蛛の巣をつくっている何種類かの糸にはそれぞれ特徴があります。縦糸は粘着力がなく、巣を張るためだけに使われます。横糸は粘着力を持ち、獲物を捕まえるために使います。蜘蛛が高いところから伝い降りるときに出す牽引糸がもっとも牽引力に優れ、しかも安全のため2本一組になっています。1本が切れても蜘蛛が容易に落ちないようにできています。1匹の蜘蛛が用途に応じて何種類もの糸を出すのです。これは驚異です。
バイオリンの弦、手術用の縫合糸などにも蜘蛛の糸を使う研究が進んでいるようです。ただしどのようにすれば蜘蛛の糸を大量に採取できるかが今後の課題です。
 二宮敦人「最後の秘境/東京藝大」。
 音校と美校を合わせて東京藝大ができあがっていますが、音校と美校ではまるで文化が異なります。なにかにつけ時間厳守で身なりもきちんとした人たちの集団である音校、いっぽうで時間にはルーズで身なりはヒッピーふうだが、創造力たくましくなんでも自分で製作してしまう美校という具合です。これまで学校に勤務する美術の先生と音楽の先生の身なりや行動の違いを見ていてなんとなく気づいていたことが裏づけられた、腑に落ちた1冊です。
 在学の4年間を燃焼させつづけ、卒業後の行方がしれない卒業生を多く抱えるのも美校のほうでしょう。この天才たちのカオスを実体験しに、今年9月の文化祭にはぜひ藝大を訪れたいと思っています。
 3冊目は先にも書いたチェホフ「サハリン島」です。
 チェホフは北海道から渡来したらしいアイヌについても記しています。どうやらアイヌは、日本本州の東半分から北海道に居を移し、さらに千島列島やサハリンにも生活の糧を求めて移動していったようです。国や国境の概念などもたず、生活のために移動する一種の遊牧民だったのではないかと思われます。アイヌは北海道のことを「マツマイ(松前)」と呼んでいたようです。
 サハリンはロシアが囚人を送り込んだ島でした。囚人にはパンや日常生活に必要なものが政府から支給されますが、パンといってもおいしく食べられる代物ではありませんでした。それでもパンは大事ですから、それを少しずつ残しておいて、他のものを買うための「貨幣」として使用していたようです。物々交換から貨幣経済への移行が、1890年代のこのような素朴な生活のなかでも見られることに感慨をおぼえました。





サハリンはどんな島?

2019年07月17日 | 日記

 ポール・セルーが「鉄道大バザール」のなかで、サハリンを囚人の島だと書いている。アントン・チェホフの「サハリン」を読んでいたらしい。
 19世紀後半、サハリンはロシアの流刑地だった。ロシアではシベリアに罪人が集められ、さまざまな作業をさせられていたことは知られていたが、サハリンも同様だったことは、じつは作家のチェホフによってはじめて広く知られることになった。チェホフは30歳のとき、みずからサハリンに赴き、実地調査をしている。あの「桜の園」を書いた作家チェホフが、1980年、極寒の地サハリンへ単身で赴き、一軒一軒を訪ね歩きながら、じつに細かな膨大な記録をまとめ上げた。「サハリン島」(邦訳、岩波文庫)は上下2巻本になっている。
 日本では樺太と呼び、一時期占領していたことがあった。島の北半分は永久凍土ツンドラで耕作できず、住人は多くない。
 そこへ囚人が送られてくる。徒刑囚、その妻や子どもは罪人ではないが一緒についてくる。徒刑囚の刑期が終わると内地へ返される場合が多いが、内地へ帰っても仕事のあてがなく、そのままサハリンに留まる人もいる。しかし畑の実りは少なく、暮らしは楽ではない。官憲と同じく囚人たちにも相当な額の生活補助金がロシア政府から支払われている。町はきれいに保たれているが、衛生面はというと疑問符がつく。年間の平均気温は摂氏0度というから、生活のようすは察しがつく。
 このような土地まで日本軍が進出していたとは、いったいどうするつもりだったのだろうと考えてしまう。




ミニ政党をふたたび

2019年07月16日 | 日記

 日曜の夜だったか、ウィンブルドンでジョコビッチとフェデラーが対戦した。頂上決戦ともいわれ、最高に興奮させる試合だったようだ。NHK総合で生中継されたが、わが家では電波の入りが悪く、観れなかった。Eテレは映っていた。NHK以外の民放も問題なく入っていた。NHK総合だけが入らないことがたびたびある。以前、楽しみに観ていた朝ドラの時間になると決まって映らなくなると、妻がこぼしていたことがあった。これでは受信料を払っているのになんだ、という気持ちになる。
 上野原市内の参院選ポスターに「NHKから国民を守る党」のものがあった。候補者の顔写真は小さく、NHKへの不信感、受信料制度への不満を持つ人への語りかけが書いてあった。選挙ポスターとしては異例のものだ。残念だが、私は山梨県民ではないので、この候補者に投票する権利がない。
 いろんな党があるものだ。そういえばもう過去の人だと思っていた野末陳平氏が参院選に立候補している。やたら税金にくわしく、むかしは税金党を名乗っていたが、いまはどうか。立川の駅前を歩いていてポスターで顔を見かけた。
 参議院は良識の府、自民党の独裁になることだけは避けたいものだ。





うすくち醤油のふるさと

2019年07月06日 | 日記

 幼少のころ、醤油といえば「うすくち」だった。「こいくち」にはめったにお目にかからなかった。しかも醤油は東丸と決まっていた。いまはヒガシマルとカタカナ表記している。刺身につける醤油はうすくちにかぎる。脂ののったブリの刺身をこいくち醤油にひたすとその透き通るほど白いブリの色が台無しになりそうな気がする。うすくち醤油には気品がある。どす黒いこいくちにはない透明感がある。もちろん、うどん、そばのおつゆにもうすくち醤油を使うことで、色合いのよさと同時に、なんともいえない風味を醸し出す。関東地方に多いうどん、そばのおつゆのどす黒さはどうもいただけない。
 うすくち醤油の国内シェアの80パーセントを占めるのが兵庫県龍野にあるヒガシマルだ。龍野旧市街のどまんなかに誕生したヒガシマルの工場はいま揖保川の東へ移転し、発祥の地にはうすくち龍野醤油資料館が建っている。明治2年浅井家が官から払い下げを受け、醤油醸造を代々受け継いできた。展示された資料によれば、うすくち醤油はこいくち醤油をつくる過程の最後に甘酒を加えることによって造られるという。醤油醸造のおもな原料は、小麦、大豆、塩だが、うすくち醤油の醸造にはさらに米が必要だ。小麦、大豆、米はみな播州平野で豊かに獲れるし、塩は近隣の町、赤穂の特産品だ。加えて千種高原から流れてくる揖保川が龍野の町を潤している。
 うまいものを食いたいと飽くなき美食探求をする人が、醤油の種類に無頓着なのは解せないところだ。うすくち醤油の気になる塩分濃度は18から19パーセントで、こいくち醤油の16パーセントから18パーセントに比べると若干高い。もうすこし減塩できないものだろうか。






ツイッター万歳

2019年07月01日 | 日記

 トランプ大統領のツイッターより抜粋。
 ----- While there, if Chairman Kim of North Korea sees this, I would meet him at the Border/DMZ just to shake his hand and say Hello(?)!
 下線部分のこの「軽さ」が今回は功を奏した。もちろん互いに親書を交換しあうなどの下地はできていたが、会談の提案がツイッターでおこなわれたことに金委員長も驚いたようだった。そしてわずか1日後に実現するとは・・。トランプ氏のツイッターは1日に十数回も投稿されている。問題発言や卑劣な言葉遣いもある。ツイッターを政治の道具にすること自体の是非が問われているが、今回だけは快哉を叫びたい。
 数年前、私がまだ都立高校に勤めていたとき、東京都教育委員会が各校の校長にツイッターを使うことを勧めた(いまもそうかどうかは知らない)。大雨や台風でやむなく休校にするときの連絡を生徒へ大至急伝えなければならないときなど、ツイッターがもっとも便利で有効な手段だと都教委は判断した。私が勤めていた学校の校長は、わざわざそのためにスマホを買い、まずは使い方に慣れなくてはと努力していた。都教委が非常時の連絡手段としてツイッター使用を勧める背景にはもちろん高校生の大多数が日常、使用しているという事実があった。
 時代は変わる。老体にとって、ついていくのはたいへんだ。ちなみに私はスマホを所持しないので、家のパソコンでさまざまな人のツィッターを見るだけだ。