新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

投票日

2017年10月22日 | 日記

 衆議院選挙の投票日です。私は期日前に済ませました。もう10年以上、投票日に投票したことがありません。せまい町に住んでいますから、投票に行くと立会人のなかにかならず顔見知りの人がいます。どうも投票行動を見張られているようで気持ちよくありません。期日前投票でも立会人がいて、そのなかに知人がいることがありますが、投票所がかぎられるので、より広範な地域から立会人が選ばれ、それだけ知人に会う確率は下がります。

 ところで投票用紙のこと。日本の選挙では白紙に長方形の枠だけが印刷されていています。この枠のなかへ自分で候補者名や政党名を書き込むことになっています。これって、投票する人がみな文字を読み書きできることが前提になっています。日本では幸いにして99パーセント以上の人が文字の読み書きができますから、この方法が成り立つのでしょう。難しい漢字を書けない場合はよくあります。難しい漢字の名前をもつ人はひらがなに直して立候補することができるようです。
 投票所のブースのなかに候補者の名前や政党名が貼りつけられています。それがすべて縦書きなので、投票用紙も必然的に縦に使うものと思っていますが、そのように指示を受けたことは一度もありません。投票用紙を横長に置いて、横書きで候補者名や政党名を書いても有効なんでしょうね。
 よその国での投票用紙はどのようになっているのでしょう。くわしく調べたことはありません。
 2000年のアメリカ大統領選挙で、フロリダ州だったか開票作業上で不正があったのではないかと疑われ、公式結果の発表がずいぶん遅れたことがありました。結果的にはブッシュが当選しましたが、あのときたぶん選挙管理委員のような立場の人だったのでしょうが投票用紙を光にあて、穴がどこにあいているかを確認しているようすがテレビに映し出されました。アメリカの投票用紙は日本とはまるで異なるのだな、と思ったものでした。
 考えてみるとアメリカは人種のるつぼといわれる国であり、選挙になると多種多様な人が投票します。すべての人が文字を正確に書けるわけではないのでしょう。候補者名を投票用紙に印刷し、そのなかから選ばせる方式をとっているようです。投票する候補者名に○をつけるなりチェックを入れるなりすればよいのですが、それではかってに書き換えられるという不正が横行する危険があります。そこで候補者名に穴を開ける方式が採用されたものと思われます。パンチのようなもので直径1.5ミリほどの穴を開ければ見やすいはずですが、2000年の選挙では錐のようなとがったもので突っついただけのようでした。だから点検に際しては投票用紙を光にかざして確かめていたのでしょう。いまのフロリダ州ではどのような方式を採用しているのでしょうか。
 識字率が低い国では、動物の絵柄を候補者に割り当て、その絵柄に印をつける方式をとっている国があると聞いたことがあります。ほんとうでしょうか。また本名以外の名前で立候補しても許される国で、Jesus Christを名乗ってでた候補者がいたとか。そうそう日本でも羽柴秀吉さんがよく出ていましたね。あれは本名だったのでしょうか。
 識字率がきわめて高い日本にいて幸いですが、他国のようすに想像力を働かせることは楽しいことです。





オードリー・ヘップバーンの暗い過去

2017年10月15日 | 日記

 オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」を久しぶりにテレビで観た。先週は観なかったが「ローマの休日」を上映していたようだし、来週はやはりオードリー主演の別の映画を上映するらしい。これから毎週土曜日はオードリーの映画を楽しめるようだ。
 サブリナはたしかオードリー主演の2作目で、アメリカでは「Sabrina」、イギリスでは「Sabrina Fair」という題名で公開された(逆だったかもしれない)、とあとからオードリーの伝記で知った。オードリーの伝記を数冊、読むうちに得た知識と記憶をたどりながら書いているので、事実誤認があるかもしれない。
 オードリーは1929年にオランダで生まれ、アムステルダム近郊で家族とともに暮らしていた。他に比べれば裕福な家庭だったようで、幼いころからバレエのレッスンに通っていた。
 おなじ1929年にドイツのユダヤ人家庭に生まれ、ナチスの迫害を逃れようと家族もろともアムステルダム近郊で潜伏して暮らしていたアンネ・フランクについては、のちに日記が発見され、有名になっている。
「アンネの日記」がアメリカで映画化されることになったとき、アンネ役をオードリーにしようという話が持ちあがった。オードリーは悩んだあげく、そのオファーを断ったという。それには深い事情があった。
 じつはオードリーもまた第二次大戦から深い傷を負った被害者だった。アムステルダムの街に住んでいたころ、仲間どうしがナチスの目を逃れて互いに連絡を取りあうのに、幼い子どもならばれる心配がないだろうと家族はオードリーに手紙を運ばせていたのだった。オードリーがバレエのレッスンに通うついでなどに靴底に手紙を偲ばせ、仲間にそれを届けさせた。はじめはうまくいったが、くり返すうちに幼い子どもの怪しい動きはドイツ軍に察知された。ドイツ軍はオードリーを追いかける。オードリーはすばやく廃墟に忍びこみ、ドイツ軍の動きがなくなるまで何日もの間、そこにたった一人で潜んでいなければならなかった。その恐怖の体験がのちのオードリーから消え去ることはなかった。大女優に成長してからもそれはついて回っていたはずだ。晩年ユニセフ親善大使として活躍していたことは記憶に新しいが、そのうらにこのような暗い過去があったことは、ほとんど語られることがなかった。
 ナチスドイツに迫害されたユダヤ人家庭に育ったアンネ・フランク、おなじくドイツ軍に追い回された経験があるオードリー・ヘップバーン、この2人には年齢以外にも共通項があった。だからこそアンネの日記の映画化に際し、アンネ役がオードリーにオファーされたのだろう。オードリーにとって、この役を演じることは自らの恐怖の体験を追体験するようなものであり、とうてい受け入れられるものではなかった。
 戦争は思わぬところにも傷を残している。
 蛇足ながら、この映画はミリー・パーキンス主演で映画化されている。その英語音声のわかりやすさ、聞き取りやすさから、私は英語の練習にずいぶん利用させてもらった。







Post Office Stone

2017年10月08日 | 日記

 地図によればケープタウンはアフリカ南端の街ではないようです。すこし西へ寄っています。それでもここは際立つテーブルマウンテンがあり、気候的には地中海性気候に属するきわめて温暖な地域とされています。
 ここの海辺に目立った石があります。古くはpost office stoneとして使われていました。1600年代半ばごろの話です。オランダの東インド会社が東方の香料貿易を牛耳っていたころのことです。
 ヨーロッパからインドへいたるのにケープタウンを経由する航路を切り開いたのはポルトガルでした。ポルトガルはインドのゴアに拠点を置き、さらに東へと進みました。マラッカ海峡は重要な交通の要衝でしたから、のちに東方貿易に乗りだしたオランダ東インド会社にとって、ポルトガルのマラッカ占領は目障りな障害でした。1640年を境にしてオランダはマラッカを解放します。日本でもポルトガル人がこの時期以後、姿を消し、代わりにオランダが通商に来ていたことは歴史の事実です。
 それでもポルトガルはインド、マカオ、東チモールなどにまだ拠点を構えていましたから、相変わらずケープタウン経由の航路を使っていました。そしてケープタウンにpost office treeというmilkwoodの木の下に本国や家族へあてた手紙類を置き、あとからケープタウンを通過する帆船に、宛先まで届けてくれることを託したのでした。本国の家族へあてた手紙があれば、インドのゴアに残してきた家族への手紙もありました。
 その方式をオランダがまねたのでしょうか。オランダの場合は大きな石に文字を刻み、それがpost office stoneであることを明示しました。石の下に、ビンに入れたり頑丈な革袋に入れた手紙を置きました。通りかかった船が国籍に関わりなくその手紙を拾い上げ、行き先を確かめて運搬しました。マドリッドあての手紙ならリスボンまで運び、だれかにあとを託すというリレー方式でした。インドにしろジャワにしろ、そこからヨーロッパの自国の街へ手紙を送ることは容易ではありませんでしたし、時間がかかりました。それに比べると、ケープタウンに手紙を残しておけば、イギリスなども帆船を送っていましたから通りかかる船は3倍以上の多さになるし、宛先まで届くのにかかる時間は半分ですみます。故国に残してきた恋人や妻にあてた手紙が多かったことでしょう。逆にヨーロッパの故国へ帰る人がジャワに残してきた現地妻にあてた手紙もあったことでしょう。なんとロマンを感じさせる制度でしょうか。
 インターネット上にはその石が1906年に発見されたことが記されています。ジェームズ・ミッチェナーは「The Covenant」のなかで、post office stoneの制度を叙情豊かに描写しています。




ヤマガラを撮った

2017年10月07日 | 日記


 今朝、NPO理事長のKHさんから電話があった。日連の薪ストーブ屋さんから炭15キロの注文が入ったとのこと。さっそく炭焼き場へ出向いて15キロ分を箱詰めしてきた。この薪スト-ブ屋さん、去年の11月に開店したときにも薪と炭の注文をいただいており、炭についてはこれが2回目(か3回目?)、つまりリピーターになる。わが家から近いので、ときどき店のまえを通るのだが、週末などによくイベントを開催して人集めに余念がないようだ。こうした地道な努力がゆくゆくは実を結ぶはず。

 一昨日の夕方、パソコンに向かっていたとき、外でごそごそという物音がした。ヤマガラが餌を探しているのか、ガラス戸越しに見える位置にいた。カメラを向けても逃げない。おかげでめずらしい写真が撮れた。多少ぼやけているのはガラス戸越しに撮ったせいだ。
 私は鳥の名前をほとんど知らない。スズメ、ツバメ、カラス、トンビを別にして、ムクドリ、ヒヨドリ、シジュウカラなどがこの周辺にはめずらしくないといわれるが、どの鳥がどれやらさっぱり分からない。今回は写真と図鑑とを照らし合わせてヤマガラに間違いないと判断した。胸から腹の部分が茶色いし、頭部の色も特徴的だ。
 鳴き声から判断できる鳥はいる。ホーホケキョはウグイスだし、トッキョキョカキョクと聞こえるのはホトトギス、日影原でピッポホイ、ピッポホイとよく鳴いているのはコジュケイといったかな。姿を見せることがほとんどないので、ホトトギスもコジュケイもどのような鳥かは知らないのだが、鳴き声だけは知っている。いつも朝、目ざめるころにキーキーキューキュー、まるでメチャクチャな鳴き方をするあの鳥はいったい何の鳥だろう。鳥の鳴き声を聞かせると名前が出てくるようなアプリは、どこかにないものかな。








赤そばの花

2017年10月05日 | 日記

 赤そばの花を見てきました。長野県箕輪町に咲いていました。そばの花はふつうは白いものですが、ここのそばは赤い。ヒマラヤ原産のものを日本で改良したものだそうです。
 この花からできるそばはどのような味なのか、食べてみたかったのですが、たまたま入った店では、「赤そばは売り切れました」との貼り紙が出ていました。
 赤そばの里に立てられた掲示物によれば、赤そばはふつうのそばの3分の1程度しか収穫できず、おもに観賞用として栽培されているとのことです。