新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

20回目の連凧あげ

2015年04月25日 | 日記


 1996年5月5日にはじめて陣馬山の山頂で連凧をあげてからことしでまる19年、つまり20回目になります。気象条件が悪くてあがらなかったことが何度かありましたが、それより青空へ向かって垂直にまっすぐにあがっていった姿が強烈な印象になって残ってます。その連凧の魅力にさそわれて毎年5月5日に陣馬山頂へきてくださるリピーターがかなりいらっしゃいます。残念ですがことしは道路が通行止めのままになっていますから、上野原の河川敷であげることにしました。ご了承ください。
 凧づくりマイスターのISさんは83歳、工夫に工夫を重ねて作成した凧200枚を糸で結びます。風による抵抗をすこしでも和らげるためになかをハート型にくりぬき、糸はほそい糸から順に太くしていきます。先端から100枚目あたりの糸にかかる力は20枚目あたりの糸にかかる力よりはるかに強いからです。まだまだ目に見えない部分にさまざまな工夫が凝らされているでしょう。
 では当日、上野原の河原でお会いしましょう。

  5月6日(水)午前11時ごろから
  上野原市、桂川橋付近


連凧をあげます

2015年04月22日 | 日記


 5月6日(水)午前11時ごろから
 上野原市内 桂川の河川敷にて
  JR上野原駅近く、桂川橋付近

 例年、陣馬山頂で5月5日にあげていましたが、陣馬山へむかう道路が通行止めになっているため、場所を変更します。
 大型連休の最終日、おおいに楽しみましょう。





窯をあけました

2015年04月19日 | 日記
  
 みんながそろったところで窯をあけました。どきどきする瞬間です。
 密閉するために倒してあった煙突をふたたび立てて空気の通りをすこしでもよくします。そして焚き口の外壁を壊し、灰をとります。灰は畑に撒くのに使います。焚き口の内壁を壊すと窯のなかが見えます。灰ばかりが見えて全体的に白い。そして焚き口近くはなにも残らず、窯内の奥半分しか炭が残っていないように見えます。Yさんがつくってくださった温度の上昇曲線を見るかぎり、理想的な焼け具合になったようでした。
 炭を出しはじめます。窯の中央部には燃やしてしまうつもりで入れた杉材の炭が少しあります。軽いのですぐに分かります。その他の雑木もまじっていました。そしていよいよお目当てのクヌギとコナラの炭が出てきます。ずっしりと重いのがそれです。窯の奥にすすむにしたがって堅くて重い炭になっていくようです。窯のいちばん奥には80センチのクヌギの枝を入れてありました。だいじな炭材ほど窯の奥へ入れるのがコツです。

 きょうの活動の最後に、TMさんがサンダーと使い方とエアーコンプレッサーの使い方の講習をしてくれました。サンダーでコンクリート板を切ってもらったので、次回から焚き口の壁をくむのが格段にらくになります。エアーコンプレッサーがあればチェーンソーや各種の道具の塵おとしがらくになります。道具はだいじです。 




神々の世界と人間界

2015年04月18日 | 日記

 カモンイス作「ウズ・ルジーアダス」では、バッコス(バッカス)がポルトガル人たちの大航海の成功を妨げようとさまざまな妨害工作をする。それにたいしてウェヌス(ヴィーナス)はたえずポルトガル人たちの味方で、危機に瀕したポルトガル人を助けようと努力する。
 神々の世界で議論し、決められたとおりに人間界が動いていくという構図になる。さながら人形劇を見ているかのようだ。糸で人間たちの動きをあやつっているのが神々だ。その神々の世界にも人間界と同様の力関係があり、派閥があり、お互いを嫉妬する。喜怒哀楽を表しながら議論をかわし、さまざまな策を練ることも人間界と変わらない。
 バッコスはヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするポルトガル人たちの船がアフリカ東海岸からいよいよインドへ向かおうという段階になって、どうしてもそれを阻止しようと海底のオケアノスの宮廷に自分に味方してくれそうな神々を招集する。そしてこのまま放置するとポルトガル人たちが偉大な功績を成し遂げ、自分がかつて成し遂げた名声がかすれてしまうことを訴え、神々の同情をさそう。バッコスがポルトガル人たちにたえず意地悪をしつづける理由は、一にも二にも自分のかつての名声がしぼんでしまうことにある。ではバッコスのかつての名声とはなにか、となるとあまりはっきりしない。東洋、とくにインドを征服したことになっているようだが、具体的な記述は各種の注釈書にもギリシャ・ローマ神話辞典にも見あたらない。
「ウズ・ルジーアダス」第6歌29連では、ポルトガル人たちがインドに達するというこの傲慢な行為を放置すれば、ポルトガル人たちが神になり、自分たち神々がぎゃくにかよわい人間になってしまうということになりかねない、とまでバッコスは海底に集まった神々にむかっていっている。
 神々の世界で終始一貫してポルトガル人たちを味方するのは美と愛と豊穣の女神ウェヌスだ。ポルトガル人たちが苦境に陥ったときには、一糸まとわぬ姿で神々の集会に現れて全能の神ユピテル(ジュピター)にポルトガル人を救ってくれるように懇願する。ほかの神々が目のやり場に困るほどのなまめかしさを武器にして訴えつづける姿は圧巻だ。ウェヌスがポルトガル人たちを支持するのは、ポルトガル人たちがいにしえのローマ人の美点を承けついでいることを気に入っているからだ。この理由はバッコスがポルトガル人を憎む理由以上にあいまいで、わかりにくいのだが、それにはくわしく触れないまま叙事詩はつづいていく。




めずらしい仮綴じ・アンカット本

2015年04月12日 | 日記

 私が所有する「ウズ・ルジアダス」の原語版3冊のうちの1冊がめずらしい合本であることに気がついた。
 第5歌まで読み終えたとき、写真中のようなページが挿入され、第6歌がふたたび1ページから始まっている。2巻本として出版する準備をしたものをなぜか仮綴じ本として1冊にまとめてしまったらしい。本を買う側にとって1巻にまとまっているほうが便利だし、2巻に分けて本格製本するかどうかは購入者の懐ぐあいによるだろう。
 私が所有するこの本は仮綴じのお粗末さからすでに綴じ糸がほつれ、瓦解し始めている。ページをペーパーナイフで切り開きながら読むタイプの本ではないが、きちんと本格製本するさいに切り落とすための余白を十分にとってある。アンカット本とは本来「小口が袋とじされている本」を意味するのでなく、本格製本するときに「化粧裁ちするための余白が天地と綴じの反対側に残っている本」を意味する、となにかで読んだことがある。
 この1冊は碩学エピファネオ・ディアスの校注による貴重な本であり、製本しなおしてだいじに使用するべきだろうが費用がかかる。瓦解寸前の本をいたわるように扱いながら読みすすめている。

 イギリス、ロンドン17世紀の話になるが「サミュエル・ピープスの日記」には、ピープスが製本屋にかなりひんぱんに通っているようすが記されている。ひいきの製本屋があり、愛読書を本格製本して所蔵することが当時のイギリス文化人の常識だったことがうかがえる。ピープスは中級官吏だったが晩年には海軍省の実力者にまでのしあがっている。