新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ついに来た! 怪しいはがき

2019年02月27日 | 日記

 日本郵便のはがきで、「総合消費料金未納分訴訟最終通知書」が届いた。テレビで注意喚起の番組を観たことがあったので、ハハハ来たか、という程度に反応した。
 そもそも総合消費料金ってなんだ? 消費税ならことばの意味は分かるけど、消費税なら買いものするたびに強制的に徴収されている。意味不明な用語がまず怪しい。最終通知書とはなに? これまでに通知書が何通か届いていれば、最終通知も分からないではない。しかしこれまで同種の通知書は届いていない。
 発信元は「民事訴訟管理センター」、住所は「霞ヶ関3-1-7」となっている。テレビ番組では、この住所に該当する同種の機関は存在しない、といっていた。ネット情報ではこれまでにも同住所をつかった詐欺まがいのはがき、封書が各地に送りつけられているが、そのたびに「消費者相談窓口」の電話番号が異なっている。だいたいにして、このようなプライバシーを含む内容のはがきを、なんの防御シールもなしに送りつけてくる公的機関が今どきあるはずがない。
 はがき表面の宛名、住所はパソコンで書かれているが、料金別納郵便にもなっていない。
 取り下げ最終期日は2月28日とある。つまりあすだ。無視、無視、無視。あれ、自民党のだれかのことばになってしまった!




ダフィられる

2019年02月26日 | 日記

 ポール・セルー著「鉄道大バザール」を読んでいる。
 ロンドン、ヴィクトリア駅で、自分の前に並んでいる男がじつに奇妙な格好をしていた。小柄で歳をとっている。見るからに田舎もの。服装が身体に合わずダブダブで、ズボンの裾は床につき、自分の靴で踏んづけるものだからボロボロ。強度の近眼らしく度の強い眼鏡をかけている。茶色い包装紙にくるんだ荷物をいくつか抱えている。要領の悪そうな、あまりお近づきになりたくないタイプの男だが、大きなボストンバッグにはイスタンブールという行き先を書いたタグが結びつけてある。名前はダフィルであることも読みとれた。これからアジア方面へ向かう自分とイスタンブールまでは同じ汽車に乗ることになる、と直感したポール・セルーは、ひそかにこの男を観察し始める。乗り込んでみるとなんと同じコンパートメントだった。
 コンパートメントを見かけなくなった昨今だが、むかしの長距離列車はたいていコンパートメントタイプだった。4人ぐらいで一部屋になり、夜は寝台がセットされる。隣のコンパートメントとは完全に仕切られているので、隣の人と話をするにはいったん廊下へ出て、廊下から隣室をのぞき込む。列車内の片側は廊下、廊下には窓がある。コンパートメント内はベッドを出さなければ4人から6人が座れる部屋になっており、廊下の反対側にも窓がある。同じコンパートメントが割り当てられれば、必然的に同室の人と一定時間一緒になり、ことばを交わすことになる。
 コンパートメント内でダフィルは、紙包みを開く。フランスパンのバゲット、チーズ、サラミ、ピクルスなどを広げ、フランスパンをナイフで切り、サラミを切り、パンにはさんでチーズとともに一口食べる。つぎにピクルスを口に入れる。それのくり返しをじっと見ているのがいやになり、セルーは食堂車へ逃げる。
 パリでオリエント急行に乗り換えたときにもダフィルは一緒だった。フランスからイタリアへ入った最初の駅で、ワインや食料を仕入れようとみないったん下車した。急行列車の停車時間は日本のそれに比べて長い。買い物をすませて汽車に乗りこむとき、ダフィルは鷹揚にも「先にどうぞ」とセルーを先に乗せてくれた。ところがダフィルが乗る直前、汽車が動き始めた。ヨーロッパの汽車は発車ベルを合図に動き出すわけではない。もともと身体をスムーズに動かせないダフィル、あわてふためくダフィルとすでに汽車に乗り込んでいるセルー、「汽車を停めろ」とだれもが大声を出したところで効果なく、ダフィルはイタリア国境駅に残されてしまった。荷物は汽車に積んだまま。ここから汽車において行かれることを「ダフィられる」と名づけることになる。
 セルーはインドでもカンボジアでも、汽車にダフィられないようにと用心していた。日本でもシベリア鉄道でも用心したおかげでダフィられることはなかった。ところがソ連からポーランドへ入るとき、ポーランドの通過ビザをもっていなかった。イミグレーション管理官とプラットフォームで押し問答しているうち、乗る予定だった汽車が発車してしまった。ついにセルー自身がダフィられた。




天下一品の名訳

2019年02月25日 | 日記

 2年半にわたってジェームズ・ミッチェナーの歴史小説を読んできて、いまポール・セルーの旅行記に移っている。英語国以外の読者を念頭において、かゆいところに手が届くほど親切な、分かりやすい表現を駆使したミッチェナーに比べると、セルーが書いたものは諧謔に満ちており、英語によほど堪能な人たちにはおもしろい読みものではあるけれど、外国語として英語を勉強している人が読むにはかなり骨が折れる代物になっている。つまり読者に親切な文章を書いたミッチェナー、読者には不親切だが、読める人にはとてつもなくおもしろいセルーという好対照をなしている。
 そこで阿川弘之が訳した「鉄道大バザール」を買い求め、原書と対照させながら読みすすめている。阿川弘之はじつにうまく訳している。感心するほどの名訳になっている。原文が読みにくいからと訳書を求め、うまくいけば誤訳の一つや二つ見つかるかもしれない、そうなれば楽しさも倍増すると考えたが、読み始めるとその訳のうまさに感心することだらけになった。
 阿川はまず第一に汽車ぽっぽ大好き人間だ。第二に作家という職業を合わせもつ。鉄道による旅行記を翻訳するのに、著者と同年代の鉄道愛好家であることが名訳のための必須条件であることはいうまでもない。
そこで次のような訳が可能になる。最初の2段落のなかから抜粋した。
 Those whistles sing bewitchment: railways are irresistible bazaars, ----
「私にとって汽車の汽笛はなつかしの歌声である。大体鉄道なるもの自体に、バザールというか夜店の賑わいというか、何か人を惹きつける不思議な魅力があるらしい。」
 Anything is possible on a train: a great meal, a binge, a visit from card players, an intrigue, a good night’s sleep, and strangers’ monologues framed like Russian short stories.(下線部をどう訳すか)
「そもそも汽車の中ではどんなことでも起こり得る。豪華な食事、酒宴、カードを手に一と勝負やりませんかと入って来る人もいようし、密かなラヴ・アフェアも始まるかも知れない。安らかに眠れる夜もあろうが、見知らぬ客がロシアの短編小説に出て来そうな長い長い独り言を呟くのを聞く夜もあろう。」
 I sought trains; I found passengers.
「汽車を探し求めて、結局見つけ出すのは人間――汽車のお客さんたちということになるのだけれど。」
 25年ほどまえだったか、夜、電車のなかで原書を読んでいた。じつはあまり理解できていなかったのだが、前に座っていた外国人が降りぎわ、私の本を指さし、にっこりしながら「That book!」といった。当時はそれほど知る人ぞ知る、有名な本だったようだ。




愛犬の死

2019年02月24日 | 日記


 日曜日、朝から炭焼き場の環境整備に出向いた。近くで伐採した檜の葉の部分を燃やす作業をした。檜の葉は油を含み、火にくべるとバリバリバリとこぎみよい音を立てながら燃えていく。歯がついている細い枝部分が燃え始めるには少々時間がかかるが、多くの人がいうように火を見ていると飽きない。いまもまたKHさんとYさん親子とで檜の伐採作業をつづけている。燃やしているところへ新たな檜の葉が運ばれてきている。
 KHさんご夫妻が悲嘆に暮れている。愛犬ジョナが11日、死去した。享年8歳。犬の寿命が16年程度であることを考えると早い。腎臓病だった。少し前から元気をなくしていた。農園へ来ても、軽トラックの座席にしゃがみ込んだまま出てこようとしない日があった。いま思うと腎臓病で身体がだるくなっていたようだ。
 人間の場合、尿にタンパクがまじる、足がむくむ、疲れやすい、血液検査でクレアチニン値が10を超えるなどの症状で、腎臓病と診断され、治療に入る。犬の場合も、元気がないなどの症状があるときには、早めに検査をし、必要なら治療に入るべきだ。まずは定期的に血液検査などの健診を受けるようにすることか。
 写真は日影原梅林の白梅。咲き始めが青空とマッチし、シャッターチャンスをつくってくれた。





車内販売がなくなる?

2019年02月20日 | 日記

 先日、姫路駅で停まっていた新幹線に飛び乗った。下車する新横浜駅に着くのは昼過ぎになる。乗車した姫路駅で弁当を調達する暇がなかったため、車内販売を利用した。「弁当ありますか」「2種類あります」とカードを手渡される。折り詰め弁当の写真が2種類載っており、値段はいずれも1280円。選択肢が少ない、駅売りより割高、通路側に座っていないと車内販売に声をかけにくいことなどがあり、たいていの人は乗車駅で駅弁を買って乗るのが常識になっている。車内販売は消えゆく運命にある。
 むかしの駅弁販売はこうだった。汽車のボックス席には乗客が自由に開閉できる窓があり、汽車が駅に停車するたびに駅弁売りがプラットフォームを「弁当いかがですか」といいながら歩きまわる。弁当を買いたい人が「ひとつください」などという。フォーム側の駅弁売りは弁当をたくさん積み上げた入れ物を肩から紐でさげ、両手が空くようにしてある。客に弁当をわたし、お金を受け取り、釣り銭が必要な客には釣り銭を渡す。それを何件かくり返すうちに発車ベルが鳴り、汽車が動き始める。釣り銭を渡すのと汽車がプラットフォームを離れるのとどちらが速いか、やきもきしたものだが、不思議に駅弁売りが釣り銭を渡しそこねるところを見たことがない。プロのなせる技だった。いまの電車車両のような自動開閉ドアがなかったので、汽車が発車しはじめてからでも飛び乗ることができた時代のことだった。
 これらプラットフォームの駅弁売りがいたうえに、車内販売もいたように記憶する。古きよき時代のことを、ポール・セルー著「鉄道大バザール」でいま読んでいる。