ポール・セルー著「鉄道大バザール」を読んでいる。
ロンドン、ヴィクトリア駅で、自分の前に並んでいる男がじつに奇妙な格好をしていた。小柄で歳をとっている。見るからに田舎もの。服装が身体に合わずダブダブで、ズボンの裾は床につき、自分の靴で踏んづけるものだからボロボロ。強度の近眼らしく度の強い眼鏡をかけている。茶色い包装紙にくるんだ荷物をいくつか抱えている。要領の悪そうな、あまりお近づきになりたくないタイプの男だが、大きなボストンバッグにはイスタンブールという行き先を書いたタグが結びつけてある。名前はダフィルであることも読みとれた。これからアジア方面へ向かう自分とイスタンブールまでは同じ汽車に乗ることになる、と直感したポール・セルーは、ひそかにこの男を観察し始める。乗り込んでみるとなんと同じコンパートメントだった。
コンパートメントを見かけなくなった昨今だが、むかしの長距離列車はたいていコンパートメントタイプだった。4人ぐらいで一部屋になり、夜は寝台がセットされる。隣のコンパートメントとは完全に仕切られているので、隣の人と話をするにはいったん廊下へ出て、廊下から隣室をのぞき込む。列車内の片側は廊下、廊下には窓がある。コンパートメント内はベッドを出さなければ4人から6人が座れる部屋になっており、廊下の反対側にも窓がある。同じコンパートメントが割り当てられれば、必然的に同室の人と一定時間一緒になり、ことばを交わすことになる。
コンパートメント内でダフィルは、紙包みを開く。フランスパンのバゲット、チーズ、サラミ、ピクルスなどを広げ、フランスパンをナイフで切り、サラミを切り、パンにはさんでチーズとともに一口食べる。つぎにピクルスを口に入れる。それのくり返しをじっと見ているのがいやになり、セルーは食堂車へ逃げる。
パリでオリエント急行に乗り換えたときにもダフィルは一緒だった。フランスからイタリアへ入った最初の駅で、ワインや食料を仕入れようとみないったん下車した。急行列車の停車時間は日本のそれに比べて長い。買い物をすませて汽車に乗りこむとき、ダフィルは鷹揚にも「先にどうぞ」とセルーを先に乗せてくれた。ところがダフィルが乗る直前、汽車が動き始めた。ヨーロッパの汽車は発車ベルを合図に動き出すわけではない。もともと身体をスムーズに動かせないダフィル、あわてふためくダフィルとすでに汽車に乗り込んでいるセルー、「汽車を停めろ」とだれもが大声を出したところで効果なく、ダフィルはイタリア国境駅に残されてしまった。荷物は汽車に積んだまま。ここから汽車において行かれることを「ダフィられる」と名づけることになる。
セルーはインドでもカンボジアでも、汽車にダフィられないようにと用心していた。日本でもシベリア鉄道でも用心したおかげでダフィられることはなかった。ところがソ連からポーランドへ入るとき、ポーランドの通過ビザをもっていなかった。イミグレーション管理官とプラットフォームで押し問答しているうち、乗る予定だった汽車が発車してしまった。ついにセルー自身がダフィられた。