新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ミッチェナーからセルーへ

2019年06月29日 | 日記

 家で時間があるときは英語の本を開くことが多い。この数年ミッチェナーの歴史小説がおもしろくて、そればかりを読んできたが、今年はポール・セルーの旅行記に移った。中身はおもしろいが、英語自体が難解、というより読者に不親切な文章がつづく。文学趣味が横溢し、諧謔に満ちているからなおさら読みにくい。それを阿川弘之訳と照らしあわせながら読んでいると、阿川訳がいかに優れた訳であるかが分かる。と同時に、阿川の世界に引きずり込まれてしまっている自分に気づき、純粋なセルーの世界を味わいたいものだとつくづく思う。
 翻訳者が原著者の世界を忠実に再現することはきわめて難しく、意図するか否かにかかわらず原著者の世界を翻訳者の世界に置き換えることになる。むかしからTradutore, traditoreといわれる。「翻訳者は反逆者」とはこのことをいう。
 さて、セルー著「鉄道大バザール」が終わりに近づいた。いまシベリア鉄道でイルクーツクまで到達した。モスクワへ出てポーランドを通過し、ロンドンの自宅へ帰り着くのにあと1週間ぐらいか。長距離列車の旅は道連れしだいで、楽しくもなり憂鬱な気分にもなる。同じコンパートメントに乗り合わせた人が話し相手として不愉快な人物だった場合などは列車内の廊下をうろついたり、食堂車で酒を飲んで時間をつぶすことになる。食堂車の食べものでうまいものに出会うことはまずない。筋だらけの肉、すえた臭いのスープ、気の抜けたビールを飲み食いしながら応対の悪い給仕とことばを交わす。他の客の素性を聞き出すなどして時間を過ごす。窓の外は一面の雪景色、どこまでも平地がつづくシベリアの原野。それでもオリエント急行から東へ東へと旅をつづけ、ベトナムではユエからダナンへかけてすばらしい景色にめぐり会った。ベトナム戦争が終結し、米軍が撤退してからもベトコンの銃撃がまだ散発的につづいていたが、その憂鬱を吹き払うような景色に遭遇した。
 日本では、「おおぞら」「はつかり」を乗り継いで北海道へ、さらに東海道新幹線で京都、大阪へ行っているがただ速いだけ、何も起こらない長距離列車の旅にうんざりしていた。京都から大阪まで「こだま」に乗ったりするなど、庶民感覚とずれた側面も見せた。1974年当時、新幹線に食堂車がついていたかな。セルーにしては珍しく食堂車のことを書いていないので、おそらくこの時期には本格的食堂車はすでに廃止されていたのだろう。
 私自身は新幹線の食堂車でビーフシチューを食べた記憶がある。がたごと揺れる車内でナイフとフォークを操作するのは容易でない。ビーフシチューはまだもの珍しい料理だった。ビーフのかたまりを受け皿に出し、ナイフで切ろうとしていたらウェイトレスにいやな顔をされた。新幹線の創業まもないころだった。東京と大阪を3時間10分で結んでいた。
 Paul Theroux「The Great Railway Bazaar」阿川弘之訳「鉄道大バザール」これは楽しめる本です。




すべては酒のため

2019年06月21日 | 日記

 最近、腹回りに脂肪がついてベルトがきつくなっています。体重が去年に比べて3キロほど増えています。これはまずい。
 考えてみると、4月から仕事時間ががらりと変わり、水木金は帰宅するのが午後8時過ぎです。それから入浴して夕飯になります。他の日は6時ごろには夕飯がとれますから寝るまでに十分な時間があるのですが、水木金の生活はこれまでになかった経験です。
 さらに職場での運動量がぐんと減りました。かつては50分の授業が終わるごとに階段の上り下りをしたものでしたが、いまは一つの部屋でずっと座っています。大きな声を出して授業することもありませんから、声帯、肺活量にも悪影響が出そうです。さらにこのところ暑く、さもなければ雨で、外でウォーキングというわけにもいきません。
 そんなこんなで健康状態を気にしています。先日、病院で受けた血液検査では、幸いにして異常がありませんでした。コレステロール値を下げる薬を服用してコレステロール値は正常、肝臓、腎臓の状態をみる数値も正常でした。尿酸値、血糖値も基準値内です。  
 病院でその結果を知ったとき、まず思ったことは「これで心おきなく毎日、晩酌を楽しめる」でした。考えてみれば、私の毎日は晩酌のためにあるといっても過言ではありません。いかにしておいしい酒を飲むかがいちばんの課題です。おいしい晩酌のために昼間、満足のいく仕事をし、運動して適度の筋肉疲労を感じるようにするわけです。一日の締めがお酒、というより一日の目標がお酒です。酒がなければ一日が終わりません。
 父の日、息子夫婦がお酒を送ってきてくれました。爺はお酒さえあればご機嫌と心得ているらしく、なにかというとお酒をくれます。ありがたいことです。
 さて、夏本番です。この暑さをどう乗り切るか。暑さで食欲が落ちるほうが
体重を減らすにはかえってよいのかもしれません。



春って曙よ!

2019年06月10日 | 日記


 写真は北条氏の菩提寺、称名寺の庭園。この隣に称名寺が守ってきた古文書を収めた金沢文庫があります。

 春って曙よ! だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!
 ご存知でしょうが「春はあけぼの」で始まる平安朝の随筆「枕草子」冒頭の橋本治訳です。「桃尻語訳 枕草子」といいます。30年あまりまえに初版が出たとき、ずいぶん話題になりました。あのときは読んでみようという気にまったくならなかったのですが、いまはとてもおもしろく読んでいます。訳者の橋本さんが先日亡くなり、書店で橋本さんの特設コーナーが設けられていて、むかし話題になっていたことを思い出し、つい手にとったのです。たちまち引き込まれてしまいました。
 冒頭の訳で分かるように、直訳です。原文にほとんど手を加えていません。春は曙が「よい」とも、「趣がある」とも、なんにもつけ加えていません。ただ筆者、清少納言は当時かなりナウい女性だったこと、いくらかミーハーな娘だったことを感じとった橋本さんがこのような文体で現代語訳したようです。これはあたりました。直訳ですからやはり分かりにくい文章がつづきます。その分かりにくい部分を、訳者が清少納言の口を借りて、つまりミーハーことばで註釈の形で解説してくれています。現代人に分かりやすくおもしろく書いてくれたその註釈が、原文理解と当時の宮中のようすを理解するのにとても役立ちます。
 清少納言が仕えていたのは当時の帝、一条天皇の后である中宮定子でした。宮中のなかでもほとんど中心にいました。中宮定子は藤原家の長男、道隆の娘です。藤原家の4男があの有名な藤原道長でした。4男、道長は長男、道隆を追い落としにかかります。権力欲にみちた道長が用いた権謀術数を2点だけ書きます。
 藤原道長の長女を彰子といい、紫式部が仕えた女性でした。彰子(しょうし)と定子(ていし)はお互いいとこになります。長男、道隆の娘、定子が中宮になっていることに道長は嫉妬します。道長は自分の娘、彰子を一条天皇の后にする方法を考えます。中宮は皇后だった、つまり中宮と皇后はイコールだったはずなのに、道長は定子を皇后であって中宮ではないと言い始めます。もちろん学者といわれる人たちの具申をつけて、自説を正当化しています。道長お抱えの学者たちだったはずです。定子を皇后にしておいて自分の娘、彰子を中宮職につけます。中宮のほうが位が上という意識を作りあげたのでしょう。中宮、彰子に男児が生まれれば、帝の正妻の子として皇太子、次期天皇となり、道長自身は天皇の後見役としてわが世の春を謳歌できます。
 もう一つ道長の陰謀が書かれています。藤原家の長男、定子の父である道隆は早世します。中宮定子の長兄、伊周(これちか)が藤原家の正当な跡取りでした。この伊周が道長の目のうえの瘤でした。長兄の息子にあたる伊周を遠ざけようとたくらんだ道長は、伊周のほんのちょっとした失敗を理由に甥の伊周を島流しにしてしまいます。
 いやはや藤原道長の権力欲は凄まじいものです。歴史の秘話がこのように現代っ娘のミーハーことばでわかりやすく書かれていて、読んでいて飽きることがありません。河出文庫で読んでいます。
 ちなみに紫式部と清少納言は同時代のライバルでした。紫式部は藤原道長の娘、一条天皇の中宮になった彰子に仕える女房でした。いっぽう清少納言は藤原道隆の娘で中宮から皇后へ追いやられた定子に仕える女房でした。彰子と定子はいとこ同士、ともに一条天皇の寵愛を受けることを競い合っていました。清少納言が紫式部に言及している部分が何か所かあります。これにも女同士のライバル心が垣間見え、興味深いものがあります。





興ざめするもの

2019年06月01日 | 日記

 ゆうべはテレビのATPテニス、錦織圭の試合に釘づけになった。テレビ東京が夜9時に放送開始したが、じつはその1時間ほどまえから試合は始まっていた。テレビ東京は録画であることを視聴者に知らせず、いかにも実況中継しているかのように放映している。その状況は4時間あまりの熱闘が終了する夜半までつづいた。
 ネットの時代、試合の進行状況はリアルタイムで知れる。ただしネットで知れるのはスコアの進行状況だけであり、動画映像はない。夜8時まえからネットでは1分おきぐらいに進行状況が更新されていた。1時間あまり遅れてテレビでの放映が始まる。ただし第1セット第1ゲームからすべてを放映する。アナウンサーと解説者はリアルタイムで試合を解説しているので、それが録画だということは、テレビだけを観ている視聴者には分からない。
 わが家では、やはり試合結果が気になるのでネットでスコアを観ながらのテレビ観戦になった。これが興ざめというか、なんとも歯がゆい状況を醸し出した。試合のスコアはテレビ録画の1時間後の分まで分かっている。しかしその先が分からない。夜11時ごろ、第4セットの熱闘がつづいている。一進一退をくりかえしているが、ネット情報から、錦織がこのセットを失うことは分かっている。5セットマッチの試合だ。2-2で最終セットを迎えることは分かっていながら、最終セットの結果までは分からない。試合自体がまだ終わっていないのだから・・。
 この時差放送には、なんともいえない歯がゆさがあった。