家で時間があるときは英語の本を開くことが多い。この数年ミッチェナーの歴史小説がおもしろくて、そればかりを読んできたが、今年はポール・セルーの旅行記に移った。中身はおもしろいが、英語自体が難解、というより読者に不親切な文章がつづく。文学趣味が横溢し、諧謔に満ちているからなおさら読みにくい。それを阿川弘之訳と照らしあわせながら読んでいると、阿川訳がいかに優れた訳であるかが分かる。と同時に、阿川の世界に引きずり込まれてしまっている自分に気づき、純粋なセルーの世界を味わいたいものだとつくづく思う。
翻訳者が原著者の世界を忠実に再現することはきわめて難しく、意図するか否かにかかわらず原著者の世界を翻訳者の世界に置き換えることになる。むかしからTradutore, traditoreといわれる。「翻訳者は反逆者」とはこのことをいう。
さて、セルー著「鉄道大バザール」が終わりに近づいた。いまシベリア鉄道でイルクーツクまで到達した。モスクワへ出てポーランドを通過し、ロンドンの自宅へ帰り着くのにあと1週間ぐらいか。長距離列車の旅は道連れしだいで、楽しくもなり憂鬱な気分にもなる。同じコンパートメントに乗り合わせた人が話し相手として不愉快な人物だった場合などは列車内の廊下をうろついたり、食堂車で酒を飲んで時間をつぶすことになる。食堂車の食べものでうまいものに出会うことはまずない。筋だらけの肉、すえた臭いのスープ、気の抜けたビールを飲み食いしながら応対の悪い給仕とことばを交わす。他の客の素性を聞き出すなどして時間を過ごす。窓の外は一面の雪景色、どこまでも平地がつづくシベリアの原野。それでもオリエント急行から東へ東へと旅をつづけ、ベトナムではユエからダナンへかけてすばらしい景色にめぐり会った。ベトナム戦争が終結し、米軍が撤退してからもベトコンの銃撃がまだ散発的につづいていたが、その憂鬱を吹き払うような景色に遭遇した。
日本では、「おおぞら」「はつかり」を乗り継いで北海道へ、さらに東海道新幹線で京都、大阪へ行っているがただ速いだけ、何も起こらない長距離列車の旅にうんざりしていた。京都から大阪まで「こだま」に乗ったりするなど、庶民感覚とずれた側面も見せた。1974年当時、新幹線に食堂車がついていたかな。セルーにしては珍しく食堂車のことを書いていないので、おそらくこの時期には本格的食堂車はすでに廃止されていたのだろう。
私自身は新幹線の食堂車でビーフシチューを食べた記憶がある。がたごと揺れる車内でナイフとフォークを操作するのは容易でない。ビーフシチューはまだもの珍しい料理だった。ビーフのかたまりを受け皿に出し、ナイフで切ろうとしていたらウェイトレスにいやな顔をされた。新幹線の創業まもないころだった。東京と大阪を3時間10分で結んでいた。
Paul Theroux「The Great Railway Bazaar」阿川弘之訳「鉄道大バザール」これは楽しめる本です。