ぐっすりと眠れて目覚めた今朝は気持ちよい。そのまえ二晩が眠れなかった。11日、肘のボルトを抜く手術を受けるため、前後を含めて3日間入院した。10日の昼すぎに入院。翌日の手術までヒマかと思っていたが、心エコーの検査が入っていた。小1時間かかった。異常なし。
6人部屋で他のベッドも埋まっている。コロナ感染対策のせいで、畳2畳ほどの空間をカーテンで仕切ってあり、同室にどのような患者がいるのか、目では見えない。しかしときおり看護師が用事でやってきて各患者と話をしている声が漏れ聞こえてくる。年齢的には私とほぼ同年代か少し上の人たちのようだ。そのていねいな言葉遣いからして、とても紳士的な人たちばかりだ。歩行訓練を受けている人、糖尿病を患っている人が多い。健康でスタスタと歩ける私がそのようななかに混じるのは、なんだか後ろめたい気分になる。頻尿に悩まされる私は、夜間、頻繁にトイレに行きたくなる。夜の水分摂取を減らしてできるだけ回数を減らそうとしても、病院でのトイレ回数は減らない。自分だけが自由にトイレに行けることに申し訳なく思いながら眠れぬ夜をすごした。
11日9時から手術。1時間ほどで終え、ベッドのまま病室へ。午後4時までは「ベッド上で安静」。トイレには行けるが、この際と思って尿瓶の使用を体験させてもらった。寝たままで用が足せる。これは便利だ。実際にはベッドを少し起こして用を足したが、尿瓶初体験は上々で、今後家でも利用できるかもしれない。点滴が夕方7時ごろまで続いたが、その後はまた病棟内をフリーに歩き回れる許可が出た。周りの人たちは歩行器がなければ、または看護師の補助がなければ自由に移動できない。私だけが自由に歩き回れる。夜中ピーピーとヘンな音が続く。どこから聞こえてくるのか分からない。周りの人たちも気になっていたはずだし、だれでも簡単にナースコルで看護師を呼ぶことができたはずだが、眠っているのか動きがない。私が直接ナースステーションまで出向いて看護師を呼んできた。やはり隣の人のベッドにつけてある機器が鳴っていたのだった。同室の他の患者たちもひそかに、自由に行動できる私に善処を期待していたのかもしれない。自由に歩ける便利さを実感できた瞬間だった。
翌朝10時退院。この入院体験を入院経験豊富な友人に書き送ったところ、「日本の病院は体の壊れたところを物理的に、あるいは化学的に最速で治してくれるところで利用させてもらってありがとうという感じの付き合いで良いのでは」との返信があった。海外での滞在経験が長い友人であるだけに、「日本の病院は」に日本の病院のホスピタリティーのすばらしさを含意したようだ。
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