新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

景観を損ねるもの

2016年04月29日 | 日記


 連休中につかう新幹線の指定席券をとりました。難しいかと心配していたところ、希望どおりの時間の券がとれました。意外にすいているようです。

熱海での同窓会に出席したおり、起雲閣を見学した。大正時代に内田信也という実業家が別荘として建築した贅を尽くした建物と庭で、昭和に入ってからは旅館として使われ、太宰治、山本有三、志賀直哉らが定宿にして原稿執筆に使ったという。広い庭を取り囲むように建物が建っている。和室あり洋館あり、ローマ風の風呂まである。熱海は坂の町であり、起雲閣は山と海のちょうど中間あたりに建てられている。なかでの見学は十分に楽しめたが、ひとつ残念だったのは周辺に3階建て以上の高いビルが起雲閣を取り囲むように聳えていたことだ。これは初代の建設者にとっては想定外のことだっただろう。熱海の北の広大な山々を借景として取り込んでいないことから、当時すでに建物に囲まれていたとも考えられるが、はたしてどうか。建築当時の写真を見るかぎり、あたりはまだ広々していたように見える。
 あとから周辺に建てられた高層ビルによって景観を台なしにされた例はめずらしくない。ロサンゼルス郊外にあるディズニーランドがそうだった。数々のアニメ映画を制作し、すべてを大ヒット作品にしたウォルト・ディズニーが、究極の夢の国を実現させようと選んだのがアナハイムの広大なオレンジ畑だった。ウォルト・ディズニーのこだわりはみずからが中心になって制作したアニメ作品を見てもうかがい知れるが、ディズニーランド建設に関してはひとつだけぬかったことがあった。多くの人が訪れるようになったために、その人たちを当て込んだホテルが周辺に立ち並び始めたことだった。おとぎの国、夢の国を現実的な高層ビル郡が見下ろすという、想定外の状況にディズニーは頭を悩ませることになる。そしてフロリダ州オーランドには周りになにも建てさせない、ホテル建設とそこへいたる鉄道敷設までをみずからの構想でするウォルト・ディズニー・ワールドの建設に取りかかる。1983年春に開園した東京ディズニーランドはウォルト死後の計画だったが、やはり周辺にビルを建てさせない配慮はなされていたようだ。
 




必要経費の父

2016年04月28日 | 日記

 ジョージ・ワシントンといえば「必要経費の父」ということばが浮かんでくる。ジェームズ・ミッチェナーも「チェサピーク」のなかでそれを裏づける描写をしている。独立戦争のとき、給与をとらず、その代わりとして自分がつかった費用をみな必要経費として請求した。
 彼に付き従った少佐のことば。
「ワシントンは給料をとることを拒否し、自分の経費を請求しただけでした。息子さんの生活費、宴会のワイン代、自分の馬車代のみならず友人たちがつかった4台分の馬車代、出張時の食費、銃、上着につける勲章類の費用、木を切る斧。それらを合計すれば莫大な金額でした」
 無類のカードゲーム好きで、徹夜してゲームに興じ、たいていは負けていた。彼が優れた指揮官だったことはいうまでもないが、ミッチェナーはこう描いている。ボストン解放を話し合う会合で、さまざまな弁士が勇ましい演説をしたあと、ワシントンが立って、こういったときにはみなが黙って賛意を表した。
「諸君、私が自費で千人を集め、装備をそろえさせ、陣頭指揮してボストン解放のために闘おう」
 
「チェサピーク」を読んでいると、キリスト教間の宗派の違いとともに、もう一つ大きなテーマとして取りあげられているのが奴隷制度であることに気づく。
 舞台が突然、アフリカのルアンダ奥地へと移る。川の上流で静かに暮らしている部族のなかにも反骨心のある若造、トラブルメーカーがいる。そこに目をつけた奴隷商人が部族の首長に近づき、話をつけ、何人かを鎖につなぐ。屈強な男と子を産める若い女を10数人鎖につなぐ。奴隷船にはまだ載せられる余裕があることがわかると、「若くて労働力になりそうなのを3人選べ」と部下に命じる。3人のなかに首長の息子が混じっている。首長が泣きわめいて抗議する。「ええい、全員引っぱっていけ」。結局、集落の老若男女みんなが引きずられていく。ミッチェナーは奴隷船の構造も事細かに描いている。甲板の下に3層の構造をつくり、下へ行くほど環境はひどくなる。
 1500年代末からはじまったチェサピーク湾岸に住む人たちの物語は、1800年代半ばの南北戦争へと向かっていく。主たる争点は奴隷制存続の可否にある。北部では工業化が進み、貧しい自由労働者が溢れている。働く以外に生活の糧を得る手段がない労働者が大多数を占める。メリーランド、ヴァージニア、サウスカロライナなど南部では、奴隷制を保っている。奴隷たちは所有者の所有物であり移動の自由はないが、衣食住が保証され、病気になれば治療も受けられる。全体としては南部奴隷諸州のほうがはるかに安定した経済活動を営んでいる。ヨーロッパのほとんどの国も戦争になれば南部が勝つものとみて、南部を支援している。
 1900年代半ばまでつづくミッチェナーの描く世界には、読者を飽きさせないダイナミズムがある。





藤野の避難所はどこ?

2016年04月18日 | 日記


 熊本地震は断層帯に沿って局地的に大きな被害を出しているようだ。1階部分がぺしゃんこになった東海大学の学生アパートは比較的新しい建築物で耐震基準を満たしていたはずだ。こういう局地的な激震には耐震基準が役立たないということか。
 南阿蘇村の山崩れをみて思い出すのは、1982年に藤野で起きた山崩れだ。わが家から秋山側をはさんで東側でその事故が起きた。1982年7月下旬、数日激しい雨が降りつづいたあと、夜明けごろドドーンという鈍い音がした。朝になり久しぶりに晴れ渡った空をヘリコプターが舞い始めた。日連地区の人たちには悪夢だった。日連金剛山西側の一部が崩れて民家数棟が押しつぶされ、何人かが犠牲になった。
 地震による山崩れと大雨による山崩れの違いはある。藤野で心配なのはどちらかといえば大雨による土砂崩れの被害だろう。
 昨年度、地域の避難所運営会議に出席した。藤野小学校がその周辺の人たちの避難所になるのだが、大雨が降り、警戒宣言が発令されたり、避難指示、避難勧告が出された場合の一時避難場所は藤野公民館になる。藤野小学校ではない。なぜか。藤野小学校が危険地域に含まれるからだ。

 一時避難場所(藤野公民館)・・避難指示、避難勧告により一時的に身を寄せる場所
 避難所(藤野小学校)・・・・・災害が発生し、安全に住める家をなくした人が身を寄せる場所 支援物資が届く場所

 日連金剛山が崩れることを想定しているらしいが、藤野小学校の校庭から山を眺めてみても、山崩れが藤野小学校にまでおよぶことは考えにくい。なによりも一時避難場所と避難所が別であるということ自体がわかりにくい。災害が起こるかもしれないときには公民館へ避難する。災害が起こり、家に住めなくなった人が藤野小学校へ身を寄せる、ということになる。もっと単純明快にできないものか。
 今回の熊本地震のように立てつづけに災害が発生したらどう対処するのか。まだまだ考えなければならないことがありそうだ。





炭焼きが終わりました

2016年04月15日 | 日記

      

 9日には満開だった日影原の桜が14日にはすっかり散って葉桜になっています。目の前にそびえる名倉金剛山の新緑が日一日と色を増しています。14日午後はさわやかに晴れました。2年まえまで炭焼き場のそばでビニールハウスを建てて畑作業をしていた上九沢のSさんが、東尾垂の湯にきたついでだといってやって来ました。これはなつかしい。炭焼きの相談役でもある城山のSTさんは毎日のように畑作業に来ています。これまで毎日来ては私が不在のあいだの温度測定をしてくれていた相模原中央のYさんは、この日はお休みでした。いつも農園のどこかで整備作業をしているKHさんは、この日はめずらしくメセナにこもって事務仕事をしています。キジが鳴き声だけでなくその姿を現しました。ブルーベリー畑へ入っていきました(写真)。

 炭焼きが完了しました。経過をまとめると
9日 9時火入れ
   17時まで焚き口で薪を燃やしたが温度変化なし
10日 8時 73度(これにはびっくり。いつの間にか火が入っていた)
    以後72時間あまり70度台を保つ
13日 10時 90度 温度が上がり始める
14日 17時20分 274度 窯止め
 今回ははじめからゆっくりと時間をかけて焼こうという方針でのぞみましたから、ほぼ思い描いていたとおりの展開になりました。70度台をキープした72時間は空気口も煙突口も思いきり絞り、空気の流入を最低限にしました。もちろん温度が下がればすこし開く、上がれば絞るという微調整をしながらです。温度が80度以上に上がりはじめても空気の流入を最低限に抑え、最後の仕上げのときにはじめて空気口と煙突口を徐々に広げていきました。
 写真は炭焼きの記録、前カバーのようすなどです。




炭を焼いています

2016年04月11日 | 日記


 きょうは朝から77度をキープしています。きのうに比べて4度あがりましたが、これがいつもの温度です。この温度がいつまでつづくでしょうか。写真のように煙突口に生木を4本のせ、また空気口には煉瓦を近づけておいてあります。空気の供給を減らし、煙の排出を極力、抑えることにより、時間をかけて炭化させます。焚き口は空気口をのぞいて耐火煉瓦をならべて塞いでありますが、煉瓦の隙間から空気が漏れ入るのを防ぐために、全面にベニヤ板製のカバーを掛け、その奥に土を詰めました。これにより空気口以外から空気が漏れ入る心配がなくなります。今のところ順調に進んでいます。

炭を販売しています。バーベキューに、各種の料理に最適です。
クヌギとコナラの炭・・・・・3キロで500円
ほかに雑木(クヌギ、コナラ、カシ以外)の炭を安く販売しています。
くわしくは「NPOふじの森のがるでんセンター」にお問い合わせください。