連休中につかう新幹線の指定席券をとりました。難しいかと心配していたところ、希望どおりの時間の券がとれました。意外にすいているようです。
熱海での同窓会に出席したおり、起雲閣を見学した。大正時代に内田信也という実業家が別荘として建築した贅を尽くした建物と庭で、昭和に入ってからは旅館として使われ、太宰治、山本有三、志賀直哉らが定宿にして原稿執筆に使ったという。広い庭を取り囲むように建物が建っている。和室あり洋館あり、ローマ風の風呂まである。熱海は坂の町であり、起雲閣は山と海のちょうど中間あたりに建てられている。なかでの見学は十分に楽しめたが、ひとつ残念だったのは周辺に3階建て以上の高いビルが起雲閣を取り囲むように聳えていたことだ。これは初代の建設者にとっては想定外のことだっただろう。熱海の北の広大な山々を借景として取り込んでいないことから、当時すでに建物に囲まれていたとも考えられるが、はたしてどうか。建築当時の写真を見るかぎり、あたりはまだ広々していたように見える。
あとから周辺に建てられた高層ビルによって景観を台なしにされた例はめずらしくない。ロサンゼルス郊外にあるディズニーランドがそうだった。数々のアニメ映画を制作し、すべてを大ヒット作品にしたウォルト・ディズニーが、究極の夢の国を実現させようと選んだのがアナハイムの広大なオレンジ畑だった。ウォルト・ディズニーのこだわりはみずからが中心になって制作したアニメ作品を見てもうかがい知れるが、ディズニーランド建設に関してはひとつだけぬかったことがあった。多くの人が訪れるようになったために、その人たちを当て込んだホテルが周辺に立ち並び始めたことだった。おとぎの国、夢の国を現実的な高層ビル郡が見下ろすという、想定外の状況にディズニーは頭を悩ませることになる。そしてフロリダ州オーランドには周りになにも建てさせない、ホテル建設とそこへいたる鉄道敷設までをみずからの構想でするウォルト・ディズニー・ワールドの建設に取りかかる。1983年春に開園した東京ディズニーランドはウォルト死後の計画だったが、やはり周辺にビルを建てさせない配慮はなされていたようだ。