新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

熊が出没?

2015年08月29日 | 日記

  
 あす見学者が来るので、炭焼き場を整備しました。
 ひとつはずっと気になっていた窯にかぶせているトタン屋根の波板を切ることです。窯の正面にかぶせてある波板が低すぎてときどき頭を打つことがありました。頭が当たらない高さまで切れば、安全に炭焼き作業をすることができます。トタンの波板を切るにはふつうの金きりばさみを使えばよいのかとくわしい人に尋ねたところ、波板用の金きりばさみ(写真)を貸してくれました。はさみの刃が波板のヤマに合うようにギザギザになっています。なかなかのアイデア商品ですが、ひとつ難点をいえば、波板の切りすすんだところへハサミの刃をあてるのがうまくいきません。波板の切り込み部分にハサミを入れるための隙間ができないからです。1,2センチほどのスリップを切り抜きながらすすめばよいのかもしれません。
 もうひとつは草刈りです。草を刈っても1か月たつとずいぶん伸びてきます。涼しくなっても雑草との闘いは当分の間つづきそうです。

 日向地区の電柱数本に写真のような張り紙がしてありました。熊が目撃されたようです。張り紙の位置からして、熊は渓谷を伝って上がってきたのではないかと思われます。2年前に熊が目撃されたのは日影原地区の路上でした。4月下旬、朝早くの出来事でした。身の安全のためにもバイクで日影原へ行くのをやめようか、とまたまた思ってしまいました。






避暑のつもりで那須へ行きました

2015年08月24日 | 日記

 暑い藤野から逃れるようにして栃木県那須にある藤城清治美術館へ行ってきました。那須はさすがに涼しく、午後のいちばん暑い時間帯でも23度前後でした。車を運転しているときはエアコンを効かせていますから車内はやはり23度ぐらいで快適です。那須についてからの道路が車で渋滞していたのは予想外でした。私と同じように避暑のつもりでドライブしているのか、サファリパークやどうぶつ王国へ遊びに来た人が多いのか、それともあの辺に別荘をもっている人が来ているのでしょうか。そういえば中古別荘の仲介をする不動産屋の看板がずいぶん目につきました。那須には牧場がありますから、そこで生産されるチーズを売る店があります。さまざまな種類のチーズを売っていました。夜ホテルで飲むワインのつまみに適当なものを買いました。
 2年前に開館した藤城清治美術館は、森のなかにひっそりとたたずんでいました。ほどよい広さの敷地に、所狭しと作品が展示されています。藤城氏がみずから筆をとった説明書きが随所に掲示され、カラフルで繊細な切り絵と相まって藤城氏の世界へ誘ってくれます。90歳を過ぎてなお製作意欲が衰えない藤城氏の近作、震災後の福島を描いた切り絵は圧巻でした。
 那須で驚いたことが一つあります。町がこげ茶色で統一されていることです。店の看板や家の色、電柱までもがこげ茶色に塗ってあります。なんとセブン・イレブンのシンボルマークも店のファサードもこげ茶色です。緑とオレンジではありません。ブルーの文字や線が特徴のファミリー・マートもすべてこげ茶色です。郵便局のマークも赤でなくこげ茶色だったような気がします。町が方針を打ち出せばみながそれに従うものなのでしょうか。それとも御用邸をかかえる町は、それなりの権威があるからでしょうか。




語学屋のくりごと

2015年08月16日 | 日記

 藤野に日連という地区があります。「ひづれ」のカナをふるのがふつうで、「ひずれ」とはふりません。日連入り口の道路に掲げたこの地区名のローマ字表記がなぜだかHizureになっています。私がパソコンで使っているワープロソフトではhizureと入力しても日連に漢字変換されません。hidureと入力すれば正確な漢字に変換されます。これが私には腑に落ちません。訓令式ローマ字表でもヘボン式ローマ字表でも「づ」はzuと表記することになっていますから、日連をHizureとローマ字表記するのは間違いではないようです。
 ローマ字表とワープロのローマ字変換とは必ずしも一致しないのでしょうか。そういえば「トゥモロー」などとワープロで打つときにみなさんはどうしていますか。私はトゥを出すとき、トを先に打ち、l(エル)ウ (littleウの意か) と打ってトゥを出しています。もっと簡単にトゥを出す方法があるのでしょうか。
 炭遊舎をtanyushaとして使いつづけてきましたが、これではタニューシャと読めてしまいます。やはりtan’yushaとするのが正しい書き方なのでしょうが、めんどうだからアポストロフィなしの書き方を通してきました。

 ローマ字には訓令式ローマ字と、ヘボン式ローマ字がありますね。訓令式というのは昭和28年に内閣が定めたもので、それ以来ずっと小学校4年で教えています。ヘボン式というのは明治のはじめにアメリカから来た宣教師ヘボン(Hepburnヘップバーンとも)がつくり出したもので、出版物などで明治以来使われつづけてきています。道路標識や駅名などすべてが一貫して明治以来のヘボン式を使いつづけるなかで、小学生に訓令式を教えるものだから混乱してしまいます。昭和28年というのは1953年です。それ以来62年にわたって学校では訓令式を教え、社会ではヘボン式を使っているという事態はちょっと異常ではないでしょうか。
 ヘボン式ローマ字は発音に忠実だという人がいます。まさか、それはないでしょう。英語を中心に考える人がそういう誤謬に陥る傾向があります。考えてみてください。chiはほんとうにチと読めますか。China(チャイナ)でチャイと読んでおいてChicago(シカーゴウ)ではシと読み、orchid(オーキッド)ではキと読んでいます。英語以外の外国語をもち出すまでもなく、chiの読みかたがチだけではないことが分かります。
 今度は逆に考えましょう。チの表記はchiがよいのでしょうか、それともtiがよいのでしょうか。タチツテトはタ・ティ・トゥ・テ・トではないのですから、ta・chi・tsu・te・toと表記する方が発音に忠実だという理屈が分からないわけではありません。たしかに
ツァ行 ツァ・チ(ツィ)・ツ・ツェ・ツォ
タ行  タ・ティ・トゥ・テ・ト
の2行が相補い合ってタチツテトができあがっているようです。それでもそれが日本語の音韻体型です。それをもっとも簡潔な表記にしたタチツテトがタ行を形作っているのですから、これをta・ti・tu・te・toと表記するのがもっとも簡略で、十分に意味がある表記法だといえます。
 言語学者たちが議論をつくして出した結論が訓令式ローマ字であり、だからこそ日本語正書法の一環として学校で教えられてきました。ところがその訓令式ローマ字が少しも日本の社会に定着しないのはなぜでしょうか。私は英語一辺倒の外国語教育をしてきたためだと思っていますが、これについてはまたの機会にします。
 八王子をローマ字で表記するとしたらHachiojiがよいか、それともHatioziがよいかといわれれば、ふだん見慣れているHachiojiに軍配を上げたくなります。藤野はFujinoであってHuzinoとは書きたくありません。慣れというのは恐ろしいものですね。






ウェストミンスター寺院の鐘

2015年08月12日 | 日記

 「♪♪キーンコーンカーンコーン・・♪♪」と学校から聞こえてくる始業、終業の合図、あれがウェストミンスター寺院の鐘のメロディーだ。ほとんどの学校がチャイムにあのメロディーを採用している。ほかのメロディーを使ったチャイムを聞いたことがない。道路を歩いていてもあのメロディーが聞こえると「近くに学校があるな」と思う。それほどポピュラーになっていると同時に学校のシンボルにもなっている。
 いつごろから使われているのだろうか。私が幼かったころはまだ「ジジジー」というベルが鳴っていた。当時の呼び名でいう小使いさんが鐘を持って学校の廊下をジャランジャランとならして回った時代があったはずだが、私にはその記憶がない。ベルが鳴っていたのはよく憶えている。そしていつごろからか、それがチャイムに変わった。チャイムははじめから今のメロディーだった。昭和40年ごろが境目ではなかったかと思う。私はチャイムに当初、文化の香りを感じていた。新しい世界へいざなう文化的響きがあった。
 ここでいう文化とは、当時ずいぶんはやった目新しいもの、めずらしいもの、すこし高級感があるもの、ハイカラなものにつけたあの文化だ。文化アパート、文化生活、文化包丁など。そしてしばらくすると安っぽいもの、見かけ倒しのものにつく形容詞になりさがってしまったあの文化だ。文化人類学などで文化の正確な定義、意味を学び直したのはそれから数年たってからだった。
 ウェストミンスター寺院に話を移そう。ジョセフ・アディスンが書いた「ウェストミンスター寺院の墓」という秀逸なエッセーが遺っている。アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、トマス・ハーディらそうそうたる人物も眠っているウェストミンスター寺院墓地の墓石には、ただ生年と没年しか書かれていない墓が大部分だという。「一個人の生涯とはだれにも共通にあるこの2つの日付が表す状況のなかで理解されるものだ」。すべての骨片は混ざり合い、土になっている。「男も女も、敵も味方も、僧侶も兵隊も、修道僧も聖堂受禄聖職者も、お互い混じり合って一つの土塊となっている」。ウェストミンスター寺院の鐘の音は、それらすべてを包み込んでしまうほどの荘厳さを備えているはずだ。ウェストミンスター寺院の鐘の音を聞いて、こうした厳かな気分に浸れることができれば幸いだ。
 



免許証の写真が教えてくれること

2015年08月11日 | 日記

 炭焼き窯のまえに転がしてあった煉瓦やコンクリートブロックを片づけました。先日TMさんが平たいコンクリート板を、焚き口にぴったりとはまる大きさに切断してくださいました。焚き口の内壁と外壁の下半分にそのコンクリート板をあてますから、上半分だけ煉瓦などでふさげばすむようになります。余分な煉瓦や石、ブロック類は整理して業者に持ち去ってもらう予定です。窯のまえが広くなりました。

 運転免許証の更新手続きをした。免許証用に撮影してもらった顔写真を見て、むかし読んだアーマ・ボンベックの著書のタイトル「When You Look Like Your Passport Photo, It’s Time To Go Home(パスポート写真のような顔になったら、バカンスを終えよ)」を思い出した。証明写真はいかにも疲れた顔で写っていることがおおい。女性ユーモア作家アーマ・ボンベックのパスポート写真も例外ではなかったようだ。私の新しい運転免許証用の写真をこの流儀でいうと「免許証写真のような顔になったときは、運転を控えよ」というところだろうか。
 5年ごとに免許証の更新があり、更新のたびにいやでも5年前の自分の顔と今の顔を比べさせられる。5年たって人間としての円熟味を増したと思えるような写真を撮ってくれる写真屋などいない。いや自分が円熟味を増していないのだろう。老いを感じさせるばかりだ。 
  職場のIDカードでも、素人カメラマンがコンパクトカメラで廊下の壁を背景に撮影したその場しのぎの写真を使っている。出勤するたびにそのIDカードをタイムレコーダーに通すのだから、写真を見る機会は運転免許証のそれよりはるかにおおい。証明写真は他人が見るより自分が見る機会のほうが圧倒的におおいのだから、自分が満足する写真を使いたいものだ。
 今回の写真は老いた顔、というより認知症に近づいた顔というべきか。それならこれからは「免許証写真のような顔になったときは、運転を控えよ」を肝に銘じて実践することにしよう。