新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

politically correct

2014年07月18日 | 日記
 ポルトガルのスポーツ紙が、ワールドカップでガーナ戦に敗れた直後のロナウド選手の言葉を載せている。
 ・・ポルトガルの代表チームがワールドカップのチャンピオンになると「イメージしたことはない」。・・私たちは謙虚に自分たちの実力を見つめなければならない。今回も、私たちより優れた代表チームやプレーヤーがいる。たぶん、私たちは中堅クラスのチームなんだ・・(日本のポルトガル語学習者のブログから引用。訳はブロガーご自身のもの)。
 直後に米国戦を控えていたにもかかわらず、謙虚に自分のチームの実力不足を述べている。日本のサッカー選手がこのようなことを口にするだろうか。試合前には「自分たちは必ず勝つ。期待して欲しい」という趣旨のことをいい、敗戦後は潔く負けを認め、言い訳をしない。監督は責任をとって辞職する。これが「政治的に正しい」やり方であり、この線に沿った行動をしないと社会やマスコミにこっぴどくたたかれる。これでいいのだろうか。いっぽうポルトガルには「政治的に正しい」行為を期待する風潮はないのだろうか。有名選手であっても自分が思うことを正直にいえるほど社会的環境が熟成されているのだろうか。
politically correctということばは1980年代後半に使われていた。「政治的に正しい」いいかたをしなければ世間にたたかれる。日本で近年いわれたKY(空気読めない)はそれを裏返していう表現にすぎない。
最近、石原環境相が「最後は金目でしょ」といって一斉にバッシングを浴びた。ご本人は反省して自らの発言を撤回したようだが、発言の内容に一面の真実がひそんでいることは疑いない。過去の政府または地方自治体と地域住民の間で起こったトラブルの解決事例をあれこれと並べ上げて、自分の発言の真実性をアピールすることだってできたはずだ。
 社会的風潮に逆らって真実を述べるには、それ相当のエネルギーがいる。「負けるが勝ち」を選ぶほうが楽なのだ。



キャンプ、畑作業・・・日影原農園のいま

2014年07月13日 | 日記

 きのう、TRさんをはじめとする5人が首都圏のあちこちから集まってきた。うだる暑さをものともせず下の川へおりていった。調布のMTさんはダンプでやってきてダンプの荷台で寝る準備をしている。いずれも遊びの達人たちだ。
 夜は沢井川上流でホタル見物。盛りの時期を過ぎていたようで、まばらにしか飛んでいなかった。
 炭焼き場の庭でキャンプファイア。テント2張りで就寝。ハクビシンの出現を観察したとか。
 
 きょうは朝から涼しい。市民農園は収穫時期を迎え、多くの人が作業に来ている。
 週末になるときまって泊まりがけで農作業に来られる世田谷のKさんには教わることが多い。ジャガイモは茎や葉が枯れてしまってから収穫するほうが芋の保ちがよいのだそうだ。水分をたっぷり含んだ芋よりある程度水分を抜いた芋のほうが長持ちするということらしい。また畑の畝は50ミリぐらい(?)が適切で、たいていの人は土を高く盛りすぎる。高い畝は水をかけても容易に流れてしまう。私の記憶にあいまいな部分があるので、Kさんから直接教わってほしい。
 畑を耕さない私だが、この時期に行けばジャガイモ、春菊、大根などいろいろなものをいただいて帰ることになる。旬のもの、新鮮なものはみんな美味だ。

他人の日記を読む秘かなたのしみ

2014年07月08日 | 日記
「サミュエル・ピープスの日記」は他人に読まれないようにと速記号を使って書かれている。さらにどうしても読まれたくない部分は独自に考案した記号を使っている。そのため長い間、解読不能とされてきた。
 海軍省の中級官吏だったピープスは、身のまわりの細々したことをよくもまあこれほどくわしく書き残したものだ。毎日、書いている。日本語訳で40行以上にもわたって書いている日がおおい。1660年代、イギリス政府内、王の側近で起こっている官僚どうしの足の引っ張り合い、収賄の告発、それをいかに乗り切るかに腐心する毎日だ。娯楽といえば演劇鑑賞と友人、知人を招いて頻繁にもよおす家での食事会だ。そしてまわりの女性にちょっかいを出すこと。
 女性との交渉を記した部分に特別の暗号が使われた。日本語訳者はそれを楽しんで訳に工夫をこらしている。
「ハリッジからきたらしい。彼女とは一年以上も会っていない。加乃志於止安留古止於仕多加津多。だが彼女はすでに去ったあとである。」(1668年1月6日)
 このような暗号文が10ページごとに出てくるのだから、おもしろくてやめられない。