新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

お経のようなもの

2014年10月25日 | 日記

「ウズ・ルジアダス」を読み始めて3年半になる。すでに通読の3巡目に入っている。百パーセント理解しながら読み進めることが不可能なので、池上岑夫先生の邦訳と注釈書は手放せない。ポルトガル人がもっとも頻繁に口にしながらもっとも読んでいない文学作品だといわれる。そういえば、リスボンのサ・ダ・コスタ書店でもポルトのレロ兄弟書店でも「ルジアダス」の刊本はついぞ見かけなかった。
 お経のことをお寺の住職に語りかけたことを思い出す。お経というのは、分かるようで分からない。ありがたいことがを書いてあるようでも難しすぎて百パーセント理解することができないので、何度も読み返せば理解が深まるだろうと思って繰り返し唱える。お経がすぐに理解できるような簡単な内容なら、ありがたみがなくなり、何度も繰り返し唱えようとしなくなるだろう。というのが私の持論だった。それを、法事のあとの食事の席で隣り合わせたお寺の住職に投げかけたところ、住職は苦笑いされていた。読書家で頭がやわらかい住職だと見込んで問いかけたのだった。
 お経に比べれば「ルジアダス」ははるかによく分かる。だが、ギリシャ・ローマ神話や歴史の知識がなければ読み解けない部分に満ちみちている。それを補うのが注釈で、「ルジアダス」の場合、ページ数にすれば注釈が訳書全体の3分の1をしめる。活字数にすればおそらく半分以上になるだろう。これだけの膨大な注釈を必要とする作品を書いたカモンイスとはどのような作家だったのか。



八王子の古本屋

2014年10月19日 | 日記

 先週末は八王子の西放射線道路で開かれた古本まつりを見てきた。食指を動かすほどの本がなかったので、文字どおり見てきただけになった。 
 八王子駅前に2軒の古本屋ががんばっている。「がんばっている」という表現が適切かどうかは分からないが、駅前の一等地にありながら、他の業種に場所をあけわたすことなく、昔からずっと営業を続けていることに敬意を表したい。それにはそれだけの理由がある。店主、経営者の本を見る目が肥えている。せまい間口から奥にはいると、奥も広くはないが、見応えのある古書がずらりと並んでいる。コミック、アダルト本にあまりのスペース(すこしはあるが)をとらせることなく、堂々と各種の専門書をそろえている。せまい店ながら一度入店すると、背表紙をブラウズするだけでもゆうに30分ぐらいを費やしてしまう。
 先日はそのうちの1軒で金星堂版の単行本「ポルトガル文」を見つけた。これはめずらしい。筑摩の文学全集の眼が痛くなるほど小さな活字をおう必要がなくなった。

 きょうは自宅の濡れ縁の補修がすすんだ。インパクト・ドライバーの使い方をMさんに教えていただいたおかげで、先日とはうってかわってあっという間に作業を終えることができた。やはりインパクト・ドライバーは便利だ。



インパクト・ドライバーを買った

2014年10月18日 | 日記

 インパクト・ドライバーを買った。これさえあれば大工仕事がはかどる。ねじ釘をしめる、はずす、穴を開ける、あわよくば車のタイヤ履きかえのときにナットをゆるめ、しめることもできる。ビットを付けかえることにより、なんでもできる。ほとんど万能の機械のように思える。
 これを使って濡れ縁の補修をしはじめた。わが家の濡れ縁は、築30年で一度も取りかえていない。木製で木が腐ってきている。土台の木は腐りかけてはいるがまだねじ釘の使用に耐えそうなので、腐った部分から順に新しい棒に取りかえることにした。
 ところがねじ釘が思うように入っていかない。途中で停まってしまう。ドライバーが空回りして、その摩擦で火をふきはじめる。だめだ。これでは使いものにならない。仕方がないので、ビットを付けかえて穴を開け、そこへねじ釘を入れてみた。穴が短かすぎて途中で停まってしまった。反対に回しても空回りするだけだった。これでは日曜大工の端くれにもならない。
 思いあまって大工仕事がお得意な城山のMさんに助言を仰いだ。Mさんがインパクト・ドライバーの使い方についてレクチャーしてくださった。私の悪かったところは、直角にまっすぐにインパクトドラバーを構えていなかった点、ビットの先がすでに欠けていて力がねじ釘にそのまま伝わっていなかった点であることが分かった。それが分かれば、それに気をつければなんとかなりそうだ。これから濡れ縁の補修にふたたび挑戦する。




古代ギリシャにも男色があった

2014年10月12日 | 日記

 齢をとるにつれて興味、関心の幅が狭まるのか、新聞の書評欄を見ても食指をそそられる本がきわめて少なくなった。そんななか今日の書評欄で目を引いたのが男色という言葉がタイトルに入っている本だった。日本の男色をくわしく書き記した研究書らしい。
 古代ギリシャにも男色はあった。
 古代ギリシャの叙事詩「イリアス」はアキレウスの怒りを謡っている。アキレウスは念友パトロクロスをトロイア方に殺されたことに怒ったのだった。念友とはなにか。男色の相手のことだ。
 ギリシャ、アカイアは小アジア沿岸の都市トロイアの繁栄をねたみ、攻撃した。文化ではトロイアが上、軍事力ではアカイアが上だったとみられる。トロイアは陥落した。アカイアが軍事力に任せてトロイアを落としたのだが、それを脚色して後世に語り伝えようと劇仕立てにしたのが叙事詩「イリアス」だったと高橋睦郎氏は書いている。
 アカイア方を代表する勇敢な騎士アキレウスは、自らが仕える将軍アガメムノンのやり方を快く思わないために、トロイア征伐に腰を上げようとしない。そこへパトロクロスがアキレウスの鎧甲を借りて出陣する。トロイア方はアキレウスが攻めてきたと思いこみ、応戦する。パトロクロスは戦死した。念友を失い、怒りに燃えるアキレウスは、ついにトロイア方を攻める。なかでも勇猛果敢さにおいてはトロイアで一番であり、人格の高潔さにおいてもアキレウスに引けをとらないヘクトルを退治する。
 話を念友に戻そう。古代ギリシャでは戦場に女性を連れて行けないために念友をもつことが奨励された、ということに高橋睦郎氏はさながらついでのように触れている。もうすこしくわしく知りたいものだ。

アラル海が干上がった原因は?

2014年10月04日 | 日記

 アラル海が干上がったというニュースを読んで、石弘之「地球環境報告Ⅱ」(岩波新書)を読み直してみた。1998年にすでにアラル海は少なくとも5割は縮んでいた。著者は2020年までにアラル海は干上がるだろうとすでに予言している。干上がるのが意外に早かった。歯止めをかけるすべが見つからなかった、というべきか。
 原因は旧ソ連の国家プロジェクトにある。アラル海に水を注ぎ込む2つの大河の流域は1960年代まで完全な砂漠地帯だった。そこに灌漑設備をほどこして農地に変えた。2つの大河から大量に取水したおかげで綿花、コメ、トウモロコシなどが豊富にとれ、多くの人の胃袋をみたした。旧ソ連のプロジェクトは成功した。アラル海沿岸の漁業者たちは転職を余儀なくされたが、その程度の構造改革はやむをえないものと国家上層部は考えたことだろう。旧ソ連が崩壊したあとに、そのくびきをはずされた周辺国は話し合ったが、自国の農業生産が最優先され、アラル海問題は後回しにされた。
 かくして「中央アジアの真珠」はほとんど姿を消した。いまは塩分濃度がきわめて高い水がわずかに残った湖面を覆い、その周辺は塩をふくんだ砂漠になっている。今度はこの地域をどう開発するかを考えなければいけないが、かつて強力なリーダーシップをとった国はもはや存在しない。
 そういえば中国の黄河の水が激減したのも上流地域で農業生産のために大量の取水をしたからだった。農業は水なしではできないものか。