新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

年の瀬、あわただしい!

2021年12月30日 | 日記

 もう何十年もまえ、樋口一葉の「大つごもり」を読んだことがある。ある家の女中さんの話。大晦日、どうしてもお金が要る。どうにかならないか。えいい、ままよ、と奉公先のお金に手をつけてしまう。盗みをしてしまった良心の呵責に耐えられず、正直に白状しようとしたとき、その家の極道息子が「金を拝借する」と書き置きして家を出たことが分かる。なんと、ほんのちょっと盗んだお金の残り全部を息子が無断で持ちだし、女中さんの罪がばれないですんでしまいそうだ、ということでストーリーが終わっていた。
 おおみそか、このようなエピソードも今は昔。お金の工面であたふたするというより、安楽に正月を過ごしたい一心で、さまざまな準備に走り回る家が多いようだ。
 さて私は、きのう兵庫から戻ってきた。京都駅北側にひろがる市街(写真)を一望しながら月桂冠で一献、夜は家で京都の酒「城陽」で一献、とまるで正月が3日早く来た気分だ。きょうは朝から車の燃料補給、灯油購入に走る。行きつけのガソリンスタンドが1日から3日まで休業するメールが入ったからだ。その後、電車に飛び乗り、コーヒー豆を買いに八王子へ行く。帰ってくると城山のSさんから電話が入る。STさんの死因について情報を求めてきたのだった。昼食後、上野原へ買いものに行く。息子たちがあす来るので、食材準備に妻が忙しい。通販で取り寄せたおせち料理が重箱詰めでなくひとつひとつ別々の包装になっている。重箱に詰める作業をしなくてはいけなくなった。アルミホイルがいるから買ってこいといわれる。日連のFさんがそばと山芋、野菜などをもってきてくれた。これはもはや年末の恒例になっている。ありがたい。そしてコロナのせいで今年もまた会えない孫にお年玉を送る準備をする。ああ、あわただしい。やはり年の瀬らしい。
 ミステリー「The Pelican Brief」を半分読んで歳を越す。ゆっくり読みたい。百田尚樹「日本国紀」下を新幹線内で読み終えた。保守系の論客が書いた分かりやすい日本史になっている。上巻も買おう。

STさんのこと(その2)

2021年12月19日 | 日記

 STさんの死因が虚血性心筋梗塞だったことが分かった。直前まではお元気に過ごされていたようだ。先日の衆院選前にはいつものように選挙事務所が作成したはがきに、「今回はこの候補を応援するのでよろしく」と一筆書き添えたものが届いていた。政治姿勢は反権力という点で一貫していた。夏前にはかなり長い直筆の便りをいただいた。若いころの苦労話や福祉作業所の建て替え工事のために莫大な借金を負うことになったことなどがつづられていた。さらに遡ると、アフガニスタンで命を落とした中村哲さんの日本での講演記録、月刊アゴラに掲載された自らの寄稿のコピー、原発反対運動の資料、福祉作業所が発行している広報誌などが折にふれて送られてきた。なかでも2014年秋に自費出版したと思われる「2011年から3年/東京電力と木川田」は圧巻だった。電力公害を追求する運動を進めてきた者として、一区切りつけるために過去の運動をまとめた冊子だった。外部の者が書く著作と異なり、東電内部から見た生々しさがうかがえる貴重な文献になっているはずだ。
 虚血性心筋梗塞というSTさんの死因を教えてくれたのは炭焼き仲間だった城山のMGさんだった。現在80歳のMGさんもじつは去年、心筋梗塞に倒れ、リハビリを続けているという。やっと車の運転ができるようになり、軽い運動ならしてもよいと医師からいわれたとのことだった。5、6年お会いしていないが、以前は週に何度かバドミントンに汗を流し、近所の大工仕事を引き受けてするなど、お元気そのものだった。2014年の大雪で炭焼き作業場のテント支柱が折れ曲がったときには、あと片づけに奮闘してくださった。大工仕事に関してはプロ並みの技術をお持ちで、これからも教わりたいことが多い。お元気でいてほしい。


STさんのこと

2021年12月17日 | 日記

 きのう訃報を書いたSTさんについて、思い出すままに書いておく。
 炭遊舎としてグループを起ちあげ、活動をはじめたが、かかる費用はすべてSTさんが負担していた。なんとかSTさんの負担分を軽減できないかと炭と木酢液を通信販売することにした。メールで注文を受けて、私が荷造りし、発送した。代金は発注者から直接STさんの口座に振り込んでもらった。未経験のことで拙い方法の通信販売が15年間つづいたが、代金を払ってくれなかった人は一人もいなかった。一度だけこういうことがあった。
 米沢の養護学校からなんどか炭の注文があった。炭を粉に砕いて畑にまく活動を生徒たちと一緒にしている。炭を使った活動をしていると生徒たちがとてもいい表情を浮かべるという。何度目だったか、代金が振り込まれてこないことがあった。STさんに「まだ振り込まれていませんか」とたずね、「いや、まだだなあ」という返事。「催促しましょうか」「いや、いいよ」。数週間ごとにこんなやりとりを交わしていた。数か月後「督促しましょうか」との私の問いに、STさんは「いやあ、養護学校なら無料(ただ)でもいいんだよ」と応えた。それっきりにしていたところ、年度末になって養護学校の先生が、炭の代金を支払っていなかったことに気づいたらしく、メールで問い合わせをしてきた。その返事にSTさんの「養護学校なら無料でもいいんだよ」ということばをそのまま引用して送信したところ、先生がえらく感激され、直接、お詫びとお礼の電話をしてきた。おそらくSTさんにも同じ電話を入れたことだろう。すぐに代金が振り込まれ、その後もういちど炭の注文をいただいて、養護学校との取引は終了した。
 その後の手紙のやりとりのなかで、STさんは幼いころ母を亡くし、貧しくて苦労した。いま恵まれない子、人を見ると放っておけない旨を書いておられた。地元の福祉作業所の理事長を長年務めてこられたことはいうまでもない。


訃報

2021年12月16日 | 日記

 炭焼きグループ「炭遊舎」を起ちあげ、15年間にわたって率いてくださったSTさんが亡くなったことを、奥さまからの喪中はがきで知りました。12月4日、82歳でした。残念です。私財を投じて日影原の地に炭焼き窯をつくり、おおぜいの仲間を集めて炭焼き作業にいそしみました。グループ代表としてのご苦労は計り知れないものがあったと推測しています。城山から車で40分、週に何回か通ってくるだけでもたいへんだったことでしょう。そのお人柄を慕い、全幅の信頼を寄せていたのは私だけではなかったはずです。謹んでお悔やみ申しあげます。

渋谷スクランブル・スクエア屋上から

2021年12月14日 | 日記

 渋谷スクランブル・スクエア屋上展望台から360度の眺望を満喫した。15階までふつうのエレベーターで上り、そこから45階までは超高速エレベーターでいっきに上がった。30秒ぐらいだったか。
 天気のよい日、展望台から眺めると世界有数の高層ビル群が見えることはいうまでもない。むかし住んでいた場所、足繁く通った場所はどこかが気になる。またそれらがどのような位置関係にあるか。北を見るとまず目につく森のような茂み、これは間違いなく代々木公園だろう。その右には新宿御苑がある。代々木公園の手前にNHK放送センターがあるはずだが、はたしてその前庭や建物をにわかに特定することができない。むかしアルバイトで通っていた場所だし、しかも渋谷スクランブル・スクエアとは目と鼻の先なのに・・。新宿御苑の右にひときわ目立つ円形の建物が新国立競技場に違いない。代々木公園から新国立競技場までほんのわずかな距離に見える。実際に電車で移動するのと上から見下ろすのとでは感覚が異なるようだ。その先、御茶ノ水にあるかかりつけの病院は? 高い建物でも目立つ建物でもないので周辺のビル群に埋没している。ひときわ高いのがスカイツリーで、東京タワーもはっきりと見分けられる。その少し手前にあるはずの、むかし住んでいた久が原地区は? まったく見当がつかない。ちょっと南にはずれてパラパラと高層ビルが見えるのが横浜駅前だろう。ビルの数で横浜を東京と比べればまるで大人と赤子の違いのようだ。
 山手線は足下を南北に走っている。中央線は?と目をやるが、判別できない。中央線が突き止められないのだから、その沿線にある立川も日野、八王子も視界には入っているはずでも闇の中でしかない。八王子のサザンタワーは識別不可能だ。富士山はきれいに見えているし、浅間山、筑波山らしい山も見える。
 自分が知りたい場所がどのへんかを詳しく解説してくれる案内人がほしい。