もう何十年もまえ、樋口一葉の「大つごもり」を読んだことがある。ある家の女中さんの話。大晦日、どうしてもお金が要る。どうにかならないか。えいい、ままよ、と奉公先のお金に手をつけてしまう。盗みをしてしまった良心の呵責に耐えられず、正直に白状しようとしたとき、その家の極道息子が「金を拝借する」と書き置きして家を出たことが分かる。なんと、ほんのちょっと盗んだお金の残り全部を息子が無断で持ちだし、女中さんの罪がばれないですんでしまいそうだ、ということでストーリーが終わっていた。
おおみそか、このようなエピソードも今は昔。お金の工面であたふたするというより、安楽に正月を過ごしたい一心で、さまざまな準備に走り回る家が多いようだ。
さて私は、きのう兵庫から戻ってきた。京都駅北側にひろがる市街(写真)を一望しながら月桂冠で一献、夜は家で京都の酒「城陽」で一献、とまるで正月が3日早く来た気分だ。きょうは朝から車の燃料補給、灯油購入に走る。行きつけのガソリンスタンドが1日から3日まで休業するメールが入ったからだ。その後、電車に飛び乗り、コーヒー豆を買いに八王子へ行く。帰ってくると城山のSさんから電話が入る。STさんの死因について情報を求めてきたのだった。昼食後、上野原へ買いものに行く。息子たちがあす来るので、食材準備に妻が忙しい。通販で取り寄せたおせち料理が重箱詰めでなくひとつひとつ別々の包装になっている。重箱に詰める作業をしなくてはいけなくなった。アルミホイルがいるから買ってこいといわれる。日連のFさんがそばと山芋、野菜などをもってきてくれた。これはもはや年末の恒例になっている。ありがたい。そしてコロナのせいで今年もまた会えない孫にお年玉を送る準備をする。ああ、あわただしい。やはり年の瀬らしい。
ミステリー「The Pelican Brief」を半分読んで歳を越す。ゆっくり読みたい。百田尚樹「日本国紀」下を新幹線内で読み終えた。保守系の論客が書いた分かりやすい日本史になっている。上巻も買おう。