新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ジェフリー・アーチャー

2021年10月11日 | 日記

 ジェフリー・アーチャーの伝記を読んでいる。ベストセラー作家として知っているが、英国下院議員を務めた政治家でもあった。本人があちこちに提出した履歴には詐称が多く虚飾に満ちた人生を送ってきたようだ。優等生の伝記は読んでもつまらないが、こういう人物の伝記には興味を惹かれる。以下、波瀾万丈の人生の、はなはだおおざっぱな紹介文になる。
 オックスフォード大学に在籍したとはいえ、卒業はしていない。ただ目立つ存在だったので当時の指導教官や学生仲間からの評判を聞くことはできる。やり手だが、つき合いにくい男だった。高校生のころ、貧弱な体格をボディービルディングで鍛え上げる。ボディービルディングに注ぐエネルギーはたいへんなものだったようで、おかげでりっぱな体を作りあげ、スポーツの競技会でも目立った成績を収めることができた。米国カリフォルニア州の大学で単位を取得したと本人が主張するが、それを証明できるものはどの大学からも見つからない。米国のボディービルディング団体をあたかも教育機関だったかのように本人は各種書類に書いている。
 オックスフォードではスポーツ団体の資金集めに奔走する。いわゆるfund-raiserとして頭角を現す。大勢の人から少額ずつを集める、いまでいうクラウドファンディング(crowd-funding)だろう。アーチャーの資金集めのしかたは派手だった。有名人に猛烈にアタックし、少額の寄付をもらう。写真を撮り、宣伝材料に使うことが目的だった。1960年代半ば人気絶頂にあったビートルズの4人と写真を撮る。当時の英国マクミラン首相とも会う。また米国ジョンソン大統領に直接電話し、アポをとってすぐさまホワイトハウスへ飛行機で飛ぶ。これらビッグネームを利用して、みごとに目標額を集めることができた。その功績を利用し、アーチャーはファンドレイジングを一種の職業として、さまざまな資金集め団体を率いることになる。だがその後の団体での資金集めは必ずしも成功したとはいえない。モナコ王妃になった英国の元女優グレース・ケリーを資金集めパーティーに担ぎ出したときも、お飾り的な存在に終わらせてしまった。
 ファンドレイジングである程度の財を築いて英国下院議員選挙に出馬し、みごとにそのポストを得た。ただそこに人生の落とし穴が待ち構えていた。アクアブラスト事件だった。環境汚染を引き起こす自動車の排気ガスを浄化する小さな装置アクアブラストを作る会社に多額の投資をする。この装置自体がまやかしのものだった。インサイダー取引は当時、違法ではなかったようだが、装置自体がまやかしものだし、その投資を持ちかけた人物がたいへんな詐欺師だった。株価はみるみるうちに底をつき、破産したアーチャーは議員辞職を余儀なくされ、無一文になる。
 起死回生に打って出たのが小説を執筆することだった。まともな文章など書いたことがないアーチャーが、はたしてベストセラー小説を自分で書いたのか。私の大きな疑問はこの点にあった。彼の友人たちの言によれば、スペルも正確に書けない、文章は文法ミスばかりというありさまだった。それでもアーチャーはストーリーテラーを自認していた。友人の結婚式に招かれた電車のなか、到着駅で白い紙に一心不乱に何やら書き付けていた。みずからの破産劇を小説にし、のちには映画にしようと文字化していたのだった。救いはアーチャー夫人メアリーだった。メアリーはオックスフォード大学のれっきとした研究者であり、文章執筆には手慣れていた。夫人の協力を得て処女作「Not a Penny More, Not a Penny Less」ができあがる。アーチャーは作家、小説家というより、ストーリーテラーだった。


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