新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

スマホを買いました

2019年09月26日 | 日記

 遅まきながらスマホを使い始めました。1997年に1機目をかって以来、携帯電話はこれで4機目になります。携帯元年と私がかってに名づけたのは1995年でした。高校生が携帯電話をもつようになった歳です。スマホ元年はおそらく2012年あたりだったと思います。これも高校生が猫も杓子も使い始めた歳を想定しています。スマホに関しては世間から7年遅れてやっともつことになりました。遅くなったのには理由があります。
 携帯1機目をなぜ買い換えたか。妻が携帯をもつ必要に迫られたからです。いっしょに2機買いました。2001年でした。9.11事件の直後、それをもって沖縄へ行ったので、よく憶えています。その2機目は充電池が効かなくなり、やむなく3機目を買いました。つい先日まで使っていた3機目は、妻の端末が突然、機能しなくなりました。わが家の2機のうち1機が壊れたらスマホに変えようと決めていましたから、ドコモショップへ駆け込みました。3機目はなんと10年以上、持ち歩きました。時計代わりになりましたし、歩数計の機能は健康のバロメーターでした。
 そしてドコモショップの店員さんにいわれたことは、スマホは4年ぐらいで機能しなくなるとのこと。4年ごとに買い換えることになるのか。経済面ではガラケーのほうがよかった。でもうまく利用できればスマホは十分に価値を発揮するはず。そう、うまく利用できればね。年寄りにとっては、そこがいちばんの問題でしょう。






秋の味覚サンマに思う

2019年09月16日 | 日記

 ゆうべサンマを食べました。今期5回目かな。ゆうべ食べたサンマは今年とれたばかりの新もので、大きくて脂がのっており、とても美味でした。ただ値段が高い。そう度々は食べられません。
 サンマを食べていてふと気になったことがあります。遺伝子組み換えではないだろうな、ということです。今後も不漁がつづき、高値がつづくと、安いサンマを求める人が増えます。海温上昇や悪環境に耐性をもつ強いサンマを養殖して供給しようという業者が現れないとも限りません。これが遺伝子組み換えによって可能なら、と思わないでしょうか。
 遺伝子組み換えについて、新しい情報です。モンサント社が消えました。ドイツのバイエルに買収されたようです。アメリカ発の多国籍企業モンサントは、大豆の遺伝子組み換え商品を開発し、ラウンドアップという除草剤とセットで農家に販売することにより急成長を遂げました。遺伝子組み換え大豆は気候異変に左右されず、干ばつに強いため、つねに豊作を望めます。いっぽう除草剤ラウンドアップは遺伝子組み換え大豆だけをまもり、その他の雑草すべてを枯らしてしまいます。この2つをセットにして農家に売りつけることで大きな利益を上げたのがモンサントでした。ところが地元のアメリカで訴訟が起こされました。除草剤ラウンドアップに含まれるグリホサートが発がん性物質だったのです。敗訴したモンサントは、他の国でも同様の訴訟に直面し、たちまち会社存亡の危機を迎えます。ドイツのバイエルがモンサントを買収しました。同じ商法がいつまで続けられるかが見物です。
 モンサント訴訟で明らかになったのは、グリホサートが発がん性物質であることだけです。遺伝子組み換え作物が人体にどのような影響を及ぼすかがまだ明らかにされていません。日本では遺伝子組み換え作物は安全だとして、とくに問題視していないようです。今後を注視していく必要があります。
 海の資源にまで遺伝子組み換えが進まないことを願いつつ、秋の味覚サンマを楽しみましょう。



エディソンレコードと蓄音機

2019年09月08日 | 日記
    
 エディソンレコードを蓄音機で聴きました。柔らかで品のある音色には往時を偲ばせるものがありました。昭和28年、当時間借りして住んでいた家の隣でお兄さんが毎日かけていたのが私にとってレコードの聴き始めでした。当時の流行歌「お富さん」を何度も何度もかけていました。耳にたこができるとはこのことかと後になって思い出していました。今回、東京藝術大学の文化祭で聞いたのはクラシック音楽でした。美校、音校をひとまわりして最後に入った図書館で、たまたま蓄音機コンサートをしていました。めったに聴けない蓄音機の音色でした。蓄音機もレコードも1920年代のもの、まだエディソンが存命だったころのものでしょう。
 藝祭に行ったのは、「最後の秘境 東京藝大」を読んだ影響からです。藝大生の生態を自分の目で見たいと思ったのでした。かつて多摩美大を見学させてもらったことがあります。淡々と絵を描く学生たちを想像していたのですが、実態はまるで異なっていました。まるで町工場が隣り合わせに並んでいるかのようでした。板金工場があるかと思えば墓石屋がある。ペンキ屋があり印刷屋があるという具合です。校舎のなかに入れば、万華鏡のようなものをつくっていたり桜木町駅前の再開発モデルをつくっていたりする。美大から連想させるものを超えたバリエーションを創作していました。それに比べ、藝祭ではそこまでは観察できませんでした。藝大は藝大で独自のスタンスがあるのだろうと思います。
 入場門近くに設置してあった巨大オブジェを写真に収めました。撤去作業を始めたところでしたが、「最後の秘境・・」から、藝大生の一挙手一投足が芸術を匂わせるような気がして、作業風景を写真に撮りました。