新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アリューシャン小唄

2016年07月30日 | 日記

「♪♪明日は逢えなくなる人に、せめて笑顔でつぐお酒・・♪♪」
 アリューシャン小唄は三沢あけみが歌っていたのを憶えています。かしまし娘やこまどり姉妹も歌っていたようですが、それぞれ歌詞が微妙に違います。いずれも北海道ノサップ岬あたりに住む女性が、ニシン漁船で択捉島や色丹島に帰っていく漁師を慕う恋心を歌っています。女性の両親はその北方の島に眠っているという想定のようです。昭和30年代、もう行き来がかなわなくなった北方の島を懐かしむ気持ちを歌にしたのかもしれません。
 しかしここでかなり意図的なすり替えがおこなわれています。歌の題名と歌詞とが地理的にずれているのです。アリューシャンという地名は、北方4島を指すものでも千島列島を指すのでもありません。アリューシャン列島とは、アラスカ半島の先端からカムチャッカ半島先端に向けて伸びる島々を指すことばです。政治的な意図があったのか、それともアリューシャンという地名がよりいっそう異国情緒をかき立てると考えたのかは分かりません。
 ジェームズ・ミッチェナー作「アラスカ」を読んでいて、ふとこのことを思い出しました。
 南北アメリカ大陸の先住民はアジアからアラスカを経て渡っていった人びとだとされています。かつてアラスカとロシアは、すなわちアメリカ大陸とユーラシア大陸とは北極圏でつながっていました。アラスカのシャーマニズムを滅ぼし、キリスト教化したのはロシアでした。ロシアというのは不思議な国です。地理的によくわからない、どんな資源が眠っているのかもはっきりとは知らないながらもシベリアやアラスカ地方の領有権だけはむかしから主張しています。そしてロシアのツァーはなんども探検隊を派遣し、その土地のようすを把握しようとしています。
 よくよく考えてみるとサンクト・ペテルブルグからシベリアを通ってカムチャッカ半島まで、またはアラスカ地方までそれほど遠くないのではないでしょうか。平面地図で見るとアジアとヨーロッパでずいぶん離れているようでも、地球儀で見ると北極圏をひとまたぎすればソリで簡単に行けそうです。シベリアを空から眺めたことがありましたが、とりたてて高い山がなく延々と凍てついた大地が広がっています。利用できない土地をこんなに抱えているのはもったいないなあと思ったものでした。
 地球温暖化が進んで北極圏の氷がとけ、シベリアに人が住めるようになればロシアはその活動範囲をぐんと広げられることでしょう。北極海を船で航行できれば世界経済の地図はずいぶん変わるでしょう。とまあ、不謹慎なことまで考えてしまいました。






3円の買いものをした

2016年07月26日 | 日記

 ドアのノブがぐらぐらしていた。見るとビスが2本とも外れている。そのうち1本は見つかったが、もう1本がない。おなじビスを買い求めるしかない。上野原の「富田」へ行った。
 持参していたビスを見せて「これとおなじネジ釘ありますか」と尋ねると、店の人がネジ釘の棚へいっしょに行って探してくれた。ほぼ同じものが見つかった。ビスの長さと直径がおなじなら自宅のドアノブに合うはずだ。バラで売ってくれるようだ。2本買った。「いくらですか」と訊くと、釘が入った箱に書いてある値段を見て「1円50銭です」という。50銭といういい方が気に入った。0.5円ではない。もちろん私は50銭硬貨も10銭硬貨も見たことがないし使ったことがないのだが・・。1本だけ買うといくら払うのだろう。消費税は?「2本で3円ですか」「はい」。カウンターで3円を払った。店側は小さなビスをなくさないように小さな袋に入れ、レシートをくれた。
 3円の買いものをしたことは、ここ数十年なかったと思う。生まれて初めての経験だったかもしれない。Jマートやカインズホームへ行けば、おそらく10本単位ぐらいで小袋に入れて販売しているはずだ。大型ホームセンターではバラ売りしない。だから必要以上の本数を買ってしまう。上野原の「富田」は昔ながらの商法でばら売りしてくれる。これはいまどきめずらしい。大切にしたい店だ。






夏のボーナス

2016年07月19日 | 日記

 思わぬボーナスをもらえることになった。デイズ・ルークスを愛用している人に三菱自動車が補償金を出してくれる。
 そもそも公称している燃費(ガソリン1リットルで走れる距離)というものを信じて自動車を購入する人がどれほどいるだろうか。デイズ・ルークスの燃費を事件が明るみに出てからディーラーに尋ねたところ、たしか27キロ(?)といっていた。いま私が乗っているルークスの燃費は14キロ程度になることが多い。競合他社種のタントに乗っている人に尋ねるとおなじ14キロ、Nボックスの燃費もあるユーザーが測定し、ネット上に記した数値は14キロだった。
 公称の半分程度しか実際には走らない。私のルークスの場合、まず4輪駆動車に改造してもらった段階で燃費はおそらく20キロ程度にまで落ちているはずだ。そのうえわが家の周辺は坂道だらけで、この坂が多い区間で乗り続けるかぎり燃費はぐんと下がる。そして夏の期間はエアコンをかけっぱなしで走り、燃費はさらに下がる。公称の燃費にあるような理想的な道路で理想的な走り方などできるはずがない。私は燃費について不満を述べる気はない。
 それより問題なのは、日産が「デイズのエンジンは三菱自動車と共同開発」と書いていた点だ。これはたしかネット上で調べたときに見つけた文句で、日産自動車がオーソライズした資料かどうかを確認してないが、私はそれを信用していた。「エンジンはスズキとダイハツが他社に提供している」というのが一般の常識だ。しかし日産はエンジンの開発にも参加しているのだろうと好意的に解釈していた。それが三菱の不正が発覚してからというもの、日産は掌を返したようにほぼすべての責任を三菱にかぶせてしまった。この変わり身の早さはみごとだった。今回メーカーの日産自動車が送ってきた補償についての書類を見ても、「三菱自動車が払います」「税金の不足分も三菱自動車が・・」と書いてある。日産にはまだ軽自動車のエンジンを生産する技術がないことを完全に露呈してしまった。日産のディーラーには販売力があるが、日産自動車自体に軽自動車エンジンの生産技術がないのだから、今後デイズをまた売り始めても限界が来るだろう。
 
 農園のブルーベリーが色づき始めました。8月2週目あたりが摘みごろでしょう。











機械は人間を疎外する

2016年07月17日 | 日記

 炭焼き場に草が生えるので草を刈っている。刈払い機を使わず手作業で・・。するとどこからか声がした。「こんにちは」と言ったのか、よく聞きとれなかったが、遠くのほうで呼んでいる声だった。2度目の声に、どうやら私を呼んでいるらしいことに気づいて「はい」と返事をしてみた。窯のかげから小柄な人が現れた。こざっぱりした装いで布教のビラを配っている人だった。この御仁、布教の話を二言三言で切り上げ、作業場のようすを見て炭焼き窯があることに気づき、「やあ、これは懐かしい」と炭焼きについての自分の見聞をしゃべり始めた。「実際に炭を焼いているところを見たい」とも・・。10分ほど話に花を咲かせて去っていった。
 KHさんが刈払い機を使って草刈りをしていた。朝、遠くから「よう」と手を振ってあいさつを交わしているので、お互いの存在を認識してはいるのだが、大きな音を出し、神経を集中して作業している人には声をかけづらい。「機械は人間を疎外する」ということばが浮かんだのはこのときだった。
 草刈り作業を終えて帰りぎわ、日影原に別荘を構えるOさんが道端で「よう」と手をあげている。Oさんもどちらかといえば手作業を好むタイプのようだ。別荘前の小さな庭にせっせと花や野菜を育てている。原付バイクのエンジンを切ってしばし立ち話をする。イノシシが暴れ回っている話や熊出没の話、それにブルーベリーの発育状況などを話されていた。私からは以前よく木酢液をあげていたので、いまではもう木酢液を採取していないし、在庫はブルーベリー農家が大量に買い取ってくれてもうすっかりなくなったことを伝えておいた。
 車よりバイクのほうが手作業に近く、話しかけやすいのだろう。通りすがりのハイカーに呼び止められることがしばしばある。バイクであちこち眺めながらぶらぶらするのは最高の贅沢だと思っている。





リビアのカダフィについての真実

2016年07月08日 | 日記

 そうだったのか、とあとになって思うことがときどきある。5年まえにリビアのカダフィ大佐がNATO連合軍による空爆によって殺害されたとき、違和感を抱いた。あのときのメディアの論調は、独裁者カダフィを倒し、リビアにも「アラブの春」が来たというものだった。メディアは「独裁者vs民主化を求める市民」という構図をはっきりと描いて見せていた。遠い国のことだし、ほかの立場からの情報が入ってこないので、それを読んだり見たりした人たちはそんなものかと思ったことだろう。
 私は必要があってカダフィ大佐についてくわしく調べたことがあった。1990年ごろのことだった。すでにリビアの政権の座に長くついていたにもかかわらず、大佐は本来の遊牧民族と変わらないテント生活をしていた。長い間ひとりの人物が権力の中枢に留まっているという意味では独裁者かもしれないが、イラクのサダム・フセインのような、またアフリカの多くの国に見られるような私腹を肥やすことばかりに腐心している独裁者とはまったく異なっていた。じっと静かに国民のことを考える独裁者のイメージだった。大佐以外に称号が浮かんでこないことでも権力を求めず実質的政治をしようという姿勢をうかがい知れる。
 ところがいつごろからだったか、アメリカ軍が、あるいはNATO連合軍がカダフィ大佐の命を狙っているという報道が出るようになった。そして6年まえにカダフィ大佐の血まみれの姿が映し出されたとき、世界情勢にくわしい職場の同僚とも「リビアはうまく行っていると思っていたのに・・」と言い合ったものだった。ひとりの人物による長期政権がつづくと腐敗していくものなのか、と思わないでもなかったので、そのままにしてしまった。
 このたび堤未果「政府は必ず嘘をつく 増補版」(角川新書)を読み、あのときの私の違和感が間違っていなかったことを確信した。堤未果氏は、一群のグローバル企業が力をもちすぎ、アメリカ政府を動かし、世界経済を自分たちの都合がよい方向へとけん引していると厳しい批判を展開している。
 以下、上記の本を引用しながら書いていく。まず「カダフィ大佐の反政府軍に対する容赦なき弾圧から人民を救うために、あらゆる措置を容認する」という国連安保理決議があった。しかし下線部が真実かどうかがあやしい。日本でも繰り返し流されていた「カダフィによる一般市民への無差別攻撃」の映像はすでにユーチューブから削除されているらしい。リビアは高学歴、高福祉の国であり、アフリカ大陸でもっとも生活水準が高かった。教育、医療はタダで受けられる。カダフィはすべての国民にとって家を持つことは人権だと考え、新婚夫婦には5万米ドルの補助金を与え、失業者には無料住宅を提供した。カダフィが政権につくまえは10パーセントだった識字率がいまは90パーセントを超えている。42年間、政権が維持されてきた理由がこのへんにあった。そしてさまざまな政策を可能にしてきたのがアフリカ最大の埋蔵量を誇る石油資源だった。
 2011年7月NATO軍の爆撃がひどくなったとき、その爆撃に抗議して全リビア国民の3分の1がトリポリの緑の広場に集まった。反政府軍として流された映像はじつは反NATO 軍だったかもしれない。そのようなニュースの捏造を西側メディアがするようになってしまった。一部のグローバル企業、コーポラティズムに政治が左右され、メディアまでが買収される。そのグローバル企業群の利益にならない報道はゆがめられてしまう。
 グローバル企業郡がいちばん問題にしたのは、以下の点だったようだ。「リビアは144トンもの金を保有していました。カダフィはその金を原資に、ドルやユーロに対抗するアフリカとアラブの統一通貨・ディナの発行を計画していたのです。そこにはIMFや世界銀行の介入から自由になる〈アフリカ通貨基金〉と〈アフリカ中央銀行〉の創設も含まれていました」。これはアフリカが経済的に自立していくためのすばらしいプロセスであり、卓越した識見でもある。カダフィはこのようなことを念頭に置いてリビアを率いてきた。
 ところが、自分たちの利益を最大限に追求しようとする西側のグローバル企業にとって、カダフィ大佐の識見は目の上のこぶだった。西側にとってアフリカの国々は搾取する対象でしかない。石油取引の決済がドルからディナに変われば、現在の基軸通貨であるドルやユーロの大暴落は避けられない。アフリカ、アラブの統一通貨の実現などもってのほかだった。
 さて、あとは原書を読んでいただきたい。恐ろしいことがたくさん書いてある。
 堤未果「政府は必ず嘘をつく 増補版」角川新書