新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

いま、ベトナムがアツい

2017年01月29日 | 日記

 八丁堀のふぐ料理屋にむかしの仲間が集まった。みな私と同年齢で、いわゆる准高齢者であることを自覚しているものの、隠居生活に甘んじている人はいない。ひれ酒を飲みながら話が弾む。
 ベトナムに関係する人が増えている。元高級官僚のFくんは、ベトナムに大学を作る運動をすすめ、すでにハノイで開校し、生徒募集をはじめている。大手ゼネコンを退職したMくんは、ハノイに居を定め、観光ビザで往復しながら友人、知人のネットワークづくりをしている。中堅メーカーの副社長を務めるKくんはときどきハノイに出張する。
 ベトナムは北のハノイと南のホーチミンの2大都市に人口が集中する。ホーチミンはむかしサイゴンと呼ばれていた町だ。中部にダナンという歴史観光都市があるのだが、ハノイ、ホーチミンからダナンへ移動するには飛行機に乗るしかない。またハノイとホーチミンは車とバイクの排気ガス問題が深刻だし、歩行者が道路を横切るのに苦労するほど車、バイクの通行マナーが悪い。病気やけがの際に利用できる医療保険はまったく整備されていない。社会主義政権が続いており、ロシアとは仲がよいが、中国とは対立しがちだ。むしろ政権はアメリカの援助に頼っている。キューバ、旧ソ連から続くロシア、北朝鮮、中国のように社会主義政権によく見られる独裁者はいない。だから社会主義の臭いがまったくしない社会主義国を実現している。ここ10年の発展ぶりには目を見張るものがあり、日本企業が続々と進出しているし、ベトナム人はとても親日的だ。
 2年まえにホーチミンに滞在するUくんから聞いたところでは、その時点でのベトナムの平均年齢は28歳だったという。ベトナム戦争終了から40年が経過した時点での平均年齢がこれほど若いとは一瞬耳を疑ったものだが、彼はコンビニのレジがひそかに入力する客層の年齢を把握しているし、ベトナム全般について確かな知識をもっているので、間違いはないはずだ。日本の戦後40年といえば1985年時点になるが、国民の平均年齢ははたしてそれほど若かっただろうか。
 飛行機の乗り方を指南してもらった。大韓航空に乗ってソウル経由で行くのがもっとも安い。高くてもビジネスクラスを利用するのがよい。エコノミークラスだと隣に座る人のマナーが悪い場合に5、6時間、不快な思いをすることになる。成田からならダナンへ直行する便も出ている。
 それにしてもふぐ刺しを食べながらのひれ酒はうまかった。鯨のトロもいただいた。




パスワードには困った!

2017年01月23日 | 日記

 朝からe-TAXに取り組んだ。自宅のパソコンを利用して確定申告の書類を作成し、税務署に送信するアレだ。
 去年のうちからマイナンバーカードを作成して、この日に備えてきた。3年前に住基カードを使ってe-TAXをして以来だ。まずICカードリーダーにマイナンバーカードをどのように装着するのか、忘れてしまっている。つぎにパスワードの入力が求められた。さて、マイナンバーカードを作ったときにパスワードを作った記憶はあるが、そのパスワードをどこに控えておいたか。探し回ったあげく、前回の確定申告書類ファイルに挟んであることに気づいた。
 つぎは税務署がe-TAX利用者に対して設定させているパスワードを入力せよと出た。マイナンバーカードのパスワードではありません、とも。5回入力に失敗するとすべてがロックされてしまって、それ以上すすめないとの脅し文句が書いてある。これにはびびる。
 過去2年は職場が年末調整をしてくれたので、やっかいなパソコン操作をせずにすんだ。今年は完全な非常勤職になったために、ふたたび何もかもを自分でしなければならない。毎月、多額の所得税を引かれているので、取り戻せるものは取り戻したい。
 パソコン操作が苦手な私は、まず取りかかるのに相当な覚悟がいる。還付申告は1月4日から受けつけているはずだが、いままで先延ばしにしていた。
 パソコン操作の苦手なものにとって困るのは、くどくどと書いてある説明のどの部分が自分にとって必要かを判定しなければならない点だ。説明にはありとあらゆる場合に対応できるようにという配慮からだろうが、自分にとって必要でないものが多く含まれている。90パーセント以上が必要ない部分だともいえる。全部読んでいたらそれだけで日が暮れてしまう。さらに、パソコンに詳しい人にしか分からない隠語が多く、読んでも意味が分からない。
 しかたがないから適当にクリックしていくと、いつの間にかエラー表示が出て、それ以上先へ進めなくなる。何度かそれをくり返し、個人認証の再登録がうまくできず、めげていた。もう一度、もう一度とやり直すうちにうまくつながった。まぐれだった。
 いたるところで暗証番号なりパスワードの入力を求められる。マイナンバーカードにパスワードを貼りつけておこう。
 悪戦苦闘の2時間がすぎ、税務署への送信が完了した。結果的にはウン万円が戻ってくることが分かったのだから、まあいいか。




騒々しい時代

2017年01月21日 | 日記

 トランプ大統領就任に際して「騒々しい4年の始まり」と評した人がいる。まったく騒々しい時代になったものだ。グローバリゼーションの行きつく先がこの結果なのか、民主主義、資本主義が破綻を来した結果なのかはこれから議論になるだろう。
 さっそくTPPからの離脱を正式に表明したようだ。TPPの農業分野については、日本農業の構造変革のよい機会になると期待していただけに、多少残念な気がする。これまでTPPを実質的に推し進めてきたグローバル企業がトランプ政権にどうとり入るのか、目が離せない。
 オバマケアとも呼ばれる医療保険制度は見直すという。これも日本なみの国民皆保険制度をめざして計画されたはずだったが、製薬会社など大手企業に乗っ取られてしまった感じがあることは否めなかった。
 メキシコとの国境に壁を作る話はどうだろう。地図を開いてみた。なんと西半分は直線定規をあてて引いたような国境だ。東半分は川の流れがそのまま国境になっているようだ。直線定規でいつ国境が決められたのか。人が住んでいない地域だから、どうでもよかった。しかし政治的自由はこの際ともかく、経済的な豊かさを求めて人びとが陸路でどんどん入ってくるようになることを想定しなかっただろう。カリフォルニア州がアメリカ合衆国から独立したがっている、自治領プエルト・リコが合衆国の正式な州に昇格したがっている。さまざまな動きをトランプ大統領がどう裁くかは見ものだ。
 グッドタイミングでミッチェナー作の歴史小説「メキシコ」を読み始めた。





検定教科書の問題点

2017年01月09日 | 日記

 スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式でしたスピーチが、高校の英語教科書に取りあげられている。

 ジョブズはまず自分が大学を出ていないことから話し始める。そしていきなりみずからの出生の秘密を明かす。生みの母は未婚の大学院生だった。妊娠した段階ですでに、生まれてくる子の養育者を探し始める。弁護士夫妻が引き取ってくれる予定だったが、女の子でないと分かったとたんにおりてしまった。別の夫婦が見つかったが、女は高卒、男は中卒だとわかり、生みの母は逡巡する。生まれてくる子にはかならず大学へ行かせたい。やむなく「子どもはかならず大学へ行かせる」という念書を書かせて引き取らせる。18年後、ジョブズはなんとかリード大学へ入ったが、数か月でドロップアウトする。ドロップアウトしながら、そのままずるずると1年半ほど大学に残り、気が赴くまま卒業に必要な単位とは関係なく授業に出席する。その大学には書道の授業があった。手書き文字の美しさに心を奪われる。美しい字を書くにはどうすればよいか、字と字の間隔は等間隔でなくてもよいことを知る。マッキントッシュ・コンピューターの美しい文字がここから誕生する。
 お金がないジョブズは友人の部屋に居候し、コーラ瓶を拾い集めて売り、毎日曜夕方には、ハーレクリシュナ寺院が貧しい人たちに配給している食事をもらいに何時間も歩く。
 20歳のとき親友と2人で、会社を立ち上げる。マッキントッシュはその後の10年で従業員4000人を抱える大企業に成長する。優秀な社員を多く抱える会社に成長したが、自分が作った会社から追い出されてしまう。将来のビジョンについて他の経営者と意見が合わなかったからだった。ひとりになっても自分がしたいことをするべきだと考えたジョブズは、コンピューターでアニメを作る映画会社ネクスト、ピクサーを立ち上げる。「トイ・ストーリー」はピクサーが作った最高傑作だった。ところがネクストがアップルに買収され、ジョブズがアップル社へ返り咲く。
 その後、膵臓ガンに襲われ、手術によって一命をとりとめたこと、1960年代の出版物「全地球カタログ」にめぐり合い、その最終号の表紙の美しさとそこに記されたStay Hungry, Stay Foolishのことばにめぐり合ったことを語ってスピーチを終える。
 
 高校の教科書では、このスピーチのほぼ全体を取りあげてあるが、出生の秘密はそっくりそのままカットされている。未婚の母を教科書に登場させるのはまずいようだ。しかしスタンフォード大学の学生たちは、この部分に心をわしづかみされ、その後のジョブズの話にのめり込んでいったことは疑いない。インターネット上に公開されているスピーチのようすを見ても、食い入るように見つめる学生たちの姿が映し出されている。
 さらにスピーチには友人たちの名前、奥さまの名前も出るが、教科書では削除されている。基本的に固有名詞は教科書に載せてはいけないらしい。コーラ、ハーレクリシュナ寺院、映画製作会社ネクストとピクサー、映画「トイ・ストーリー」などはすべて削除されるか、それが出てくるエピソード全体がカットされている。なじみがある固有名詞は、聞いている人、読んでいる人の想像力をかき立てる。それを削除してしまうのは、民間企業の宣伝になってはいけないなどの配慮が優先され、それを教材にして学ぶ人のイマジネーションを萎ませてしまう結果になる。
 教材としてリライトされたスピーチを読むより、生のスピーチを聴きたい。






最澄と空海

2017年01月08日 | 日記

 年末、比叡山延暦寺を訪れた。東側の坂本からケーブルカーでのぼった。前日に降った雪が上に行くほど深くなる。
 最澄が最初に築いたとされる一条止観院、のちの根本中堂は改修工事中で、ご本尊をまつる建物がコンクリートの床面に置かれ、参拝者が上からご本尊を見下ろすという異常な配置になっていた。
 最澄がここに庵を結んだ理由を知りたい。なんだか司馬遼太郎になった気分だ。
のぼってみて分かった。東を見渡せば、琵琶湖とその周辺に広がる広大な地域が広がる。ここはむかし穀倉地帯だったに違いない。そして今回は行けなかったが西側へ回れば京都の町が一望できるはずだ。まさに日本の2大中心地を睥睨する位置にある。いうまでもなく京都は政治の中心地だし、琵琶湖は水瓶であり、水産物の宝庫だ。琵琶湖周辺は豊かな穀物地帯とあって、だれにとっても比叡山以上のロケーションは望めない。信長がこの地をやっかんで焼き討ちにしたのも、将来はここに自分の城を建てようとしたのではないかと勘ぐりたくなるほどの好位置だ。さらに比叡山麓に位置する坂本は、琵琶湖とその周辺でとれる穀物や漁獲物が集まる一大マーケットの様相を呈していたはずだ。

 いっぽうの空海は奈良、高野山に金剛峰寺を開いたにもかかわらず、そこに留まることをせず、全国を行脚したとされている。この違いはどこから来るのか。
 かつて司馬遼太郎「空海の風景」を読んだ。その書き出しがいまも脳裏に鮮明に焼きついている。四国、讃岐平野を一望するとそこかしこにため池がある、という書き出しだった。ため池は雨水をため、必要に応じてそこから水を供給するために人工的に作られた池だ。どうやらこのため池を雨の少ない地域に作らせたのが空海だったらしい。水が安定的に供給されれば農業生産は増大し、人びとの暮らしは安定する。私が生まれ育った播州平野にもため池は珍しくなかった。幼いころ農業用水とはつゆ知らず、泳いで遊んだものだった。
 また空海が発見したといわれる温泉が全国に散らばっている。温泉は第一義的には湯治を目的にしたものであり、いまのように娯楽、癒しのためだけのものではなかった。つまり病気の人が快癒することを願って温泉療法をしていた。  
 全国を行脚しながらため池を作る指導をし、温泉を発見していったことに典型的に見られるように、空海のおもな目的は人びとの生活の質(QOL)を向上させることにあったといえる。精神的支柱を確立することだけに留まらず、人びとの生活全般に強い関心を抱いていたのが空海だった。