新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アメリカ人は羊を嫌う

2017年05月29日 | 日記

 写真は津久井湖畔、水の苑地に咲くルピナス。

 アメリカ先住民たちを撲滅したり、居留地に追い込めたりしたヨーロッパ系移民たちは、コロラドで大規模に牛を放牧しはじめる。いまのコロラド州全体を放牧場のようにして、放し飼い状態で雄牛と雌牛を育てている。どこで何頭の仔牛が生まれているか、冬の荒天で何頭の牛が凍死したかなど知るよしもない。フェンスを張り巡らせてそこへ牛を閉じこめようという発想もその必要性も1800年代半ばにはなかった。
 そこへある牧場主が、できたばかりのユニオンパシフィック鉄道に乗せて羊を大量に運びこんできた。羊はくさい。羊は牛と違って草を根元まで食いちぎってしまい、次年度に牧草が育たなくなる。羊は足で草の根を踏みつけてしまう。数々のデメリットを挙げて、他の牧場主たちは羊の放牧に反対した。
 イギリスのカントリークラブをまねた大資本家たちの集団は、ひそかに殺し屋を雇い、羊の放牧に携わる人たちを殺していく。銃はアメリカ中西部では身を守るための必需品だった。
 あるとき町に牧師さんを呼んで定住させ、教会で説教をしてもらうことになった。ところがその牧師さんが「ペテロの福音書」からイエスのことば「わが子羊を育てよ」「わが羊を大事にせよ」とくり返したために教区民の賛同を得られず、町を去ることになってしまった。
 あるレストランでの会食では、羊肉の料理がふるまわれることを知るや、客が一人ふたりと去り、残っていた客たちも羊肉には手をつけずにすましたことがあった。
 以上はジェームズ・ミッチェナー「センテニアル」の一部を要約したもの。センテニアルはヨーロッパ系移民がコロラドに移入しはじめてから百周年を迎える節目の年に、中心の町につけられた町名だ。
 どうやらアメリカ中西部に羊はなじまないらしい。キリスト教の聖書が書かれた地中海東部、小アジア地域ではいわば羊は人間生活と深いつながりがあった。だからこそ自然にその肉が人びとの口に入ったし、仔羊は神に捧げる生け贄にもされた。
 その血を受けついでいるはずのアメリカのヨーロッパ系移民たちが羊を毛嫌いした理由はなんだろうか。南部諸州で綿花産業が盛んで羊毛を必要としなかったという社会的な理由があったかもしれない。
 羊がくさい、衛生上汚い動物だという印象はすくなくとも私たちにはない。もう何年も羊肉を食べていない。合宿所で食べて以来か。たまにはラムかマトンを食べてみたいなあ。

 下の写真はわが家のカルミヤ。




勘違い

2017年05月20日 | 日記


 けさ5時半、車で出かけようとしていた。ウィンドウォッシャー液のタンクが空になっているので水道水を補給するためエンジンルームを開けようとした。ロックを外してフードを持ち上げようとしたが、どうしても上がらない。まえにも何度か開けたことがある。同じようにすればよいはずだ。だがきょうは開かない。トリセツを取りだすと「真ん中へんにあるレバーを左へ押しながら持ち上げる」と書いてある。レバーらしいものを左へ押そうとしてもびくともしない。これには困った。談合坂サービスエリアでガソリンを入れるついでにみてもらうことにした。ガソリンスタンドの人に説明するとフードを簡単に持ち上げた。なんのことはない、私はレバーでないものをレバーだと思いこんで一生懸命に左へ動かそうとしていたのだった。
 以前にも同じような思いこみをしたことがあった。バイクのガソリンを入れてもらおうと、ガソリンスタンドへ行き、給油キャップを開こうとしたときだった。キーを給油キャップにつっこみ、右へ回せばすむものを、「開けるときは左へ回すもの」となぜかそのときだけは思いこんで疑わなかった。スタンドの人も私が回らないキーを回そうとするのをみていて「ヘンだなあ」という顔をしていただけで、まさか反対に回そうとしているとは思わなかったようだった。しかたなくガソリン補給をあきらめ、残っているガソリンでそのまま帰宅した。家であらためてよく見てみると、給油キャップはなぜか右へ回して開けるようになっていた。それまで何百回もなんの問題もなくしてきた動作を、そのときだけはできなかったのだった。反対方向に回そうとしていただけなのに、なぜその間違いにすぐ気づかなかったのか。
 認知症のあらわれだろうか、と不安になる。

 写真は富士芝桜祭りと新倉浅間公園からの富士山。
  




ミズキが輝いている

2017年05月15日 | 日記


 ハナミズキのことではない。ミズキは、炭を焼いたり薪づくりをするときの材としては「しようもない木」という認識だが、白い花を咲かせるこの時期だけはその存在感をいかんなく示す。花の時期を過ぎるとまた「しようもない木」に戻る。成長が早く、水分の多い幹をもつのだから、それを知っての使いようもあることだろう。

 この年齢になって初体験することがある。先日はクルミ割りの初体験、きょうはバイクのオイル交換を初体験した。2サイクルエンジンのバイクではエンジンオイルが減ったときに継ぎ足すだけですんだが、4サイクルエンジン車になってからはオイルの汚れがひどく、一定期間ごとにオイル交換をするように指示されている。バイクを購入したSモータースに指南を仰いだところ、まずは工具が必要だとのこと。ラチェットが要る。ソケットは19ミリのもの。さっそく高尾のホームセンターへ。一定方向にのみ回るように設定できるラチェットがよい。さらにオイルを缶から注入口へ移すのに漏斗が要る。バイクの底部で廃油を受けるための受け皿は0.8リットル分の容量がなければならないうえに、周辺が10センチ以下の高さでなければならない。廃油の処理方法も考えなくてはならない。すべての算段がついてからラチェットを取り出し口にあて、首尾よく廃油を取りだした。ずいぶん黒く汚れている。その後ラチェットを反対方向へのみ回るように設定し直して取りだし口を閉め、新しいオイルを注入して完了した。取り出し口を外したときにフィルターが一緒にどっと落ちることをSモータースからアドバイスされていた。このアドバイスは役だった。一度すれば、二度目からはしやすくなる。工具は二度目以降もそのまま使えるので、はじめに投資することは無駄にならない。やはり自分でできることは自分でするにかぎる。
 





懺悔録

2017年05月14日 | 日記

 1600年前後のキリシタン宣教師たちが書いた日本語文書はだいたい知っているつもりだったが、ひとつ穴があった。コリャードというスペインから来た宣教師が書いた「懺悔録」だ。上野和子氏が岩波文庫3冊を推薦したなかの1冊だった。
 宣教師たちの活動により、キリスト教に転ずるものが増え、また幕府の禁令により、おおくの隠れキリシタンが出てきたころの話だ。近所づきあいの手前、神社仏閣への義理を欠かせないし、キリシタンとしての義務も果たさなければならない信者たちの苦悩を読みとることができる。信者たちは年に一回、自らの行いを振り返り、神に告解することを義務づけられていた。その告解を記録し、宣教師たちの日本語学習に資することをねらったのが本書だ。告解の一例を挙げてみる。

 例1 ミサに行くとオスティアという小麦粉でできた餅とワインを神父さんが持ち出してくる。そして神父さんがそれらにことばをかけると、オスティアがキリストの体に、ワインがキリストの血になるというのだ。ほんとかなあ、と疑った。
 例2 祝日には働いてはいけないといわれるが、忙しい仕事があり、自分も働き、使用人をも働かせた。いちどは2時間ほどだったが、別の日には1日中働かせた。働かなければ大損をするところだったから、後悔していない。

 六番の御掟「邪淫を犯すべからず」には、ここに書くことをはばかる下世話な事柄がゴマンと書かれている。石川啄木「ローマ字日記」、ジャン・ジャック・ルソー「告白」、「ピープス氏の秘められた日記」などを彷彿させる内容だ。夜這いされる女性の側からの告白が入っている点がコリャード「懺悔録」の特異な点だろう。
 
 コリャード「懺悔録」は、日本語をローマ字で書いてある。私が読んだのは、それを日本字に翻字した岩波文庫版だ。1620年ごろの日本語のようすが知れる。「そのほか、我は大悪人でござるによって、定めて見知らぬ、身に覚えぬとが多うござろうずれども、覚えた分は申しあらわいたまででござる」という調子だ。ポルトガルの宣教師たちが著した天草版「平家物語」「伊曽保物語」はもっと関西弁臭さが出ているが、コリャードは熊本あたりで信者たちの告解を採取したようで、関西弁があまり感じられない。



バベルの塔

2017年05月07日 | 日記

 ブリューゲル「バベルの塔」を観てきた。上野、東京都美術館で展示されている。
 わずか1メートル四方ぐらいのキャンバスに大きな円錐形の塔を建設しようとして働く人たちとすでに住み着いているらしい人たち1400人ほどを描きこんでいる、との説明書きを読んでから観たが、実際の絵はあまりに細密で肉眼ではよく見えなかった。そばに展覧された拡大複製版や映像での説明で、なるほど微細に描きこんであることを確認した。1568年ごろオランダで使われていた重機や船が描きこまれている。
 いうまでもなくバベルの塔建設は聖書、創世記に登場する架空の話であり、紀元前の人びとの生活のようすを描き出すべきだったかもしれない。だがブリューゲルは自分が生きていた16世紀オランダのそれに置き換えて表現した。したがってバベルの塔のモチーフ以外、その風景も作業機材も、窓の装飾も人間の働きかたもすべて16世紀オランダのものになっている。
 人間たちが神を恐れず、神に近づこうと天まで届くほどの高い塔をつくろうとした。それがバベルの塔だった。それに対し、神が怒りをあらわにした。人間の言語が一つで互いに意思疎通ができるからこそそのように傲慢な考えをもつようになったのだと神は決めつた。そして塔をぶち壊すと同時に人間たちの言語をバラバラにしてしまった。それ以来、人間は何百、何千という異なる言語で生活し、互いに意思疎通するためには通訳がいる状態になっている。そうだ、日本にはバベルという名前を冠した翻訳学校があった。
 ところで世界の言語が多種多様であることについての説明はこれでできたとして、人種が同じように多種多様であることの説明は聖書ではどうなっているのだろうか。言語の多種多様は人種の多種多様に起源するのではないのか。すべての人間はアダムとイブから派生しているとする説にはちょっと無理がありそうだが・・。