新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

炭遊舎の始まり

2014年04月29日 | 日記



 1999年5月5日は4回目の陣馬山凧あげでした。10人以上の人がいたように思いますが記録がありません。10時半ごろに登頂し、連凧をあげました。
 昼すぎ、和田峠から八王子側の夕焼け小焼けの里へ降り、炭焼き塾の窯を見学しました。数種類の窯をガイドの案内でまわり、説明を聞き、炭焼き教本を数冊買って帰りました。
 旗振り役のKHさん、のちの炭遊舎代表STさん、師匠として窯づくりから炭焼きまでのいっさいを指導してくださったTNさんも一緒でした。もちろんふじの凧の会のISさん、Wさん、Hさんらもいました。ジョイフルという名前で活動していた遊びグループの一団でもありました。
 そして5月下旬の日曜日、奥牧野の強力な助っ人たちのご協力をえて、日影原の地に穴を掘り始めました。
 陣馬山凧あげは炭遊舎の始まりでもあります。
 ことしも陣馬山頂で連凧をあげます。和田峠駐車場へ10時半ごろ、11時すぎに山頂着の予定です。
 上下の写真は去年のものです。 

 5月5日(月)11時半から13時ごろの適度に風が吹く時間帯
 陣馬山山頂にて
 主催:ふじの凧の会



和田峠へ行ってきました

2014年04月26日 | 日記

 和田峠までどうにか通れるようになりました。峠に下左のような看板がでており、注意して通行することを促しています。坂の途中には下右のように道路の外側半分が崩落しかけた部分があり、片側通行になっています。何か所かにまだ雪が残り、金網のフェンスが倒れたまま放置されていたり、上から落石があるのではないかと心配な箇所もあります。大雪の爪痕は容易に消せないものの、行楽シーズンをまえに開通に踏みきったようです。
 峠の茶店の人に、山頂までの歩道に危険はないかと尋ねたところ、問題はないとのことでした。
 連凧あげはできそうです。山の中腹のあちらこちらでピンクの桜が満開です。山頂でお会いしましょう。
  5月5日 11時から13時ごろの適度な風がある時間帯
  陣馬山山頂にて
  主催:ふじの凧の会

 吉野地区の隠れた名所で芝桜がいま満開です。あす春祭りがおこなわれる佐野川地区、銀の館の芝桜は7分咲きといったところで、あと1週間ほど待ちたいですね。
 

和田峠への道路が通行止め

2014年04月24日 | 日記

 5月5日、陣馬山頂での連凧上げがことし実現するかどうかが微妙になっている。
 和田峠までの藤野側道路が大雪が降って以来、通行止めになっている。県庁に問い合わせると今月末に工事が終わるが、その後すぐに道路が開通するかどうか分からないという。和田峠まで車で行けなければ、重い荷物をもって他の登山道を徒歩で登ることは体力的に不可能だ。和田峠からなら40分ほどで登れる。
 毎年「連凧を見るのを楽しみにしている」とファンの人たちが声をかけてくれる。その人たちのためにも連凧をあげたい。道路さえ開通すれば連凧上げは実現する。道路開通を祈るばかりだ。

炭遊舎近況

2014年04月21日 | 日記

 炭保管庫の屋根下にあいていた隙間をMGさんが波板を打ちつけて塞いでくださいました。15年近く未完成のままで使っていた炭保管庫がこれでようやく完成したことになります。建築関係以外にも豊富な技術と道具をおもちのMGさんは、炭遊舎のためになにかと力になってくださっています。炭焼き活動に終止符をうとうという時期になって新たな人材をえ、建物の不備が補修されていくというのは皮肉なものです。
 13日みんなで作業していたときにシュタイナー学園の先生が訪ねてこられ、秋ごろ子どもたちに炭焼きを見学させたいとの意向を示されました。私たちとしては秋まで炭遊舎として活動している見込みがないので、炭窯の所有権、使用権を移管することになっているNPO理事長に連絡をとるように勧めるしかありませんでした。
 活動が終焉を迎えるというのは寂しいものですね。窯と建物を取り壊さず、そのままNPOに引き継げるのがせめてもの救いといえるかもしれません。

 窯のなかには47時間という異例の速さで焼きあがった炭が入っています。窯をあけて炭を取りだします。また軽トラック3台分のクヌギの枝を運び込みました。80センチに切りそろえ、窯につめます。連休中にすこしずつ処理しましょう。


主人なき掲示板

2014年04月15日 | 日記

 徳之島万華鏡というときどき覗いていたウェブサイトが3月11日を最後にとつぜん更新をやめてしまった。ほぼ毎日のように徳之島のきれいな風景や人びとの写真を掲載していた。事情が分からないまま1か月が過ぎた。つい最近、そのサイトに設けられた掲示板をみてことの真相を知った。ウェブサイトの主人(あるじ)が心筋梗塞で3月11日夜この世を去ったのだった。それから1か月、当の掲示板にはホームページの愛読者から追悼の写真やら文章やらが陸続と投稿されている。もはや管理し、更新する主人がいなくなった掲示板へ当人と親交があった人からもなかった人からもさまざまな記事が投稿されている。掲示板の新しい使いかたを見せつけられた思いだ。