新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

歯磨きの木

2019年05月24日 | 日記


 いまインドを旅しています。もちろんアームチェアー・トラベラーとしてです。窓の外にはカルミアが咲きかけています。満開になった花より咲きかけの状態(写真)が好きです。若々しく豊かな将来を予測させてくれるのは人間も花も同じです。
 1970年代のインド、なにを食べても汚くて、旅に下痢はつきものとはいえ、ここでの下痢はだれも逃れることはできません。貧民街がそのまま駅構内にできあがっていたり、沿線ではおおぜいの人が1列になって汽車がとおるのを眺めながらウンコをしていたりする。とても実際に行ってみようとは思わせない光景を作家ポール・セルーはみごとに描き出してくれています。
 なかで一つ気になっていることがあります。歯磨きの木の存在です。インド南東部、ウッタル・プラデシュ地方にそう呼ばれる木がかたまって生えている森があり、その木の枝が歯磨きの木(tooth-brush twig)として販売されています。twigとあるように小枝で、長さ20センチくらいにカットされ、何本か束にして道端などで売っています。この辺の人たちはこの小枝の先端を歯で噛みます。すると木の繊維がむき出しになり、ちょうど歯ブラシのようになります。この辺の人たちはこの歯磨きの木を持ち歩き、歯をこすりながら街を歩いています。
 おなじ歯磨きの木を、アフリカへバッタを捕まえに行った前野ウルド浩太郎さんがその著書「バッタを倒しにアフリカへ」(光文社新書)のなかで報告しています。この人が行ったのは西サハラのモーリタニアでした。黒人がそのつやつやした白い歯を覗かせているのは見慣れた光景ですが、この歯磨きの木が一役買っているのかもしれません。西サハラとインド南東部に同じ木が生えている。偶然の一致でしょうか。地理的には相当離れていますが、アフリカ西部とインド東南部とのあいだで人びとの行き来があったのかもしれません。
 この枝、いくつかほしいですね。小枝を歯にあてながら街を歩く。なかなかおしゃれに見えませんか。しかも歯が真っ白になるなら申し分ありません。





雑草との闘い

2019年05月23日 | 日記

 雑草との闘いの季節になりました。炭焼き場でも除草しないで放っておけば、手がつけられない状態になります。これからの季節は、2週間ごとぐらいに除草作業をすることになります。雨後の筍ではないけど、雨が降れば雑草も勢いを増します。そばに市民農園がありますから、除草剤を撒くのも気が引けます。手作業で草を刈る以外に方法がありません。
 兵庫県に住む母は、中腰にかがみこんで庭の草むしりをするのが億劫になり、除草剤をせっせと散布しています。効き目は抜群で、芝生以外の雑草は枯れます。除草剤が切れてくるとまた撒きます。繰り返しているうちに庭木が枯れてきました。松、柘植、ウバメガシなどが、いかにも半身不随になったように片側だけが枯れてきました。母はまさか自分が散布している除草剤のせいだとは思わなかったようです。剪定を依頼した植木屋さんに指摘されてはじめて除草剤の副作用に気づきました。除草剤は庭木の根をも枯らすことがあります。
 写真は埼玉、鴻巣市のムギナデシコ。荒川河川敷に広がりる広大な麦畑の一部をポピー園、ムギナデシコ園に変えたようです。赤い花は同ポピー園の虞美人草。
  






薪づくりに励む

2019年05月19日 | 日記

 きょうは薪炭クラブ久しぶりの活動日でした。10人が集まりました。最年長は今年の誕生日で86歳になるISさん、それに84歳を迎えるOさんがつづきます。いずれも女性です。Oさんは東京、府中のご自宅を7時に出発しての参加でした。NPO理事長も会員Wさんも私も、お二人とはもはや30年以上のおつきあいになり、気心知れた仲間です。これらのメンバーを中心に活動してきたNPOがるでんは、会員高齢化によりあと2年で解散します。寂しいかぎりですが年齢には勝てません。
 メセナの名前で呼んできた日影原のシンボル、黄色い建物にはさつき学園が周辺の畑とともに使用することになっています。若い指導者を中心に活動するでしょうから、日影原地区全体が活気づくことでしょう。
 いま藤野では「ぐるっと陶器展」というイベントを開催しています。旧藤野町内のあちこちに散らばって居住している陶器作者たちをシャトルバスで案内してくれます。地元のことをもっと知らなくては・・と思うこのごろです。




ツバメの巣づくり

2019年05月05日 | 日記

 駅前の駐輪場にツバメが巣を作っている。去年まであった巣を駐輪場のオーナーか、あるいは管理する不動産屋が撤去していた。秋冬はそれで何も動きがなかったが、4月中旬になってツバメが戻ってきた。1羽のツバメが、以前に巣があった監視カメラのうえにとまったり、駐輪場内を飛び回ったりしていた。
 駐輪場は民家の一室を改造してつくられたもので、常時6,7台のバイクと自転車が置かれている。以前からいちばん奥の壁に監視カメラが取りつけられている。そのカメラのうえに、つまり監視カメラにはぜったいに映らない位置にツバメが巣をつくり、毎年雛が生まれ、そこから巣立っていく。私たちがバイクを置いたり持ち出したりするために駐輪場内にいるとき、雛たちは息を潜めてじっとこちらを見ていた。まるで気づかれて自分たちが危害を加えられるのを恐れるかのように・・。しかしさすがに親鳥が餌をくわえて戻ってくると、ピーピー鳴き始める。去年は6月と8月末だったか、2度もこの巣から雛が巣立っていった。
 問題は、巣の下に糞が落ちることだ。新聞紙を敷いたりしているが、その下にバイクを置くことは敬遠される。巣の下だけでなく駐輪場内全体に糞がまき散らされることがある。それを見ると、ツバメの巣をそっとしておいてやろうという気は失せる。ツバメが巣をつくって以来、管理者側が巣撤去の行動に出たのはたぶん今回がはじめてだと思う。
 ツバメ側はどうするか、とそれとなく観察していた。また巣づくりをはじめた。しかも同じ場所に。根気よく巣の材料を運んでくるようだ。半分できたところを写真に収めておいた。監視カメラに向かってシャッターをきる。なんということだ!




トーベ・ヤンソン

2019年05月02日 | 日記

 ムーミン展を見ました。連休中のこの時期、都心が空いていると思って六本木ヒルズまで出かけましたが、やはり人でいっぱいでした。ムーミンの人気もあるでしょうし、飯能だかにムーミン村がオープンしたことも拍車をかけてこの人出になったのでしょう。美術館ですから子どもはほとんどいませんでした。
 私の興味は原作者のトーベ・ヤンソンにあります。ヤンソンはフィンランド生まれのスウェーデン語話者でした。フィンランドの首都ヘルシンキで生まれ育ちました。フィンランドの一部がスウェーデン領だった時代があります。そのころ統治のためにスウェーデン王の官吏たちがヘルシンキに移住しました。その人たちの子孫がいまのスウェーデン語系フィンランド人です。いまでは全体の5,6パーセントしかいません。ヤンソンもムーミンたちのライフスタイルもいかにもスウェーデン語系だ、ブルジョワ家庭的だとフィンランド人はいいます。トーベ・ヤンソンは、いまスウェーデンの首都ストックホルムで暮らしています。
 ムーミンをアニメで知っている人が多いことでしょう。アニメは日本産です。これは確かなようです。日本でアニメ化されたとき、原作者のトーベ・ヤンソンも日本へあいさつに来て、日本のあちこちを訪れています。すっかり日本びいきになったようです。
 ムーミンの翻訳も手がけている冨原眞弓氏が、ストックホルムではじめてムーミンの単行本に出会ったときのこと、その後スウェーデン語を勉強したうえでムーミン本を翻訳しはじめたこと、原作者トーベ・ヤンソンに会ったときのこと、その背景を岩波書店の月刊広報誌「図書」にくわしく書いてくれています。