新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

暑い日をどう過ごすか

2022年05月30日 | 日記

 30分ほど自転車をこいだ。太ももにほどよい疲労感がある。
 最近、毎日フィットネスバイクをこいでいる。室内での自転車こぎ運動だ。太ももに軽い負荷をかけながら、30分ほどこぐ。1日に数回繰り返せば、ほどよい疲労感が残る。
 暑い夏、運動不足を解消するために始めた。
 夏場だけジムに通うことを考えたことがある。ジムでなら1日のもっとも暑い時間帯を涼しい場所で運動しながら過ごすことができる。しかし短期間だけジムに加入することは、コストパフォーマンスがよくない。
 フィットネスバイクがあれば自宅にいながら運動できる。初期投資はジム会費2か月分ほどですんだ。半永久的に使える。経済的だ。
 炭を焼いていたころ、運動といえばひとえに炭焼き準備作業だった。なかでも薪割りが多かった。長さ80センチ、直径20センチから30センチの薪を地面に寝かせ、先端の角をめがけてまさかりを振り下ろす。ある程度、自然乾燥させた堅い木ならひび割れた部分に斧をあてればスパッと気持ちよく割れる。まさかりを頭上からいっきに振り下ろすのは背中を中心にした全身運動だ。2時間ほど作業をすると、全身にほどよい疲労感が残る。
 日曜に薪割り作業をすると、月曜はかなりの、火曜は少々の筋肉疲労を感じながら仕事をすることになる。水曜にはほぼ筋肉疲労が解消した。毎週これを繰り返していた。炭焼き準備が整っていくと同時に自分の運動にもなる一石二鳥の作業だった。
 ひとりで黙々と薪割り作業をしていると、さまざまな人たちが訪ねてきた。通りがかりの人がいれば、炭焼き作業に参加している人も近くまで来たからと立ち寄ってくれたりもした。そばの市民農園で畑作業をしている人たちとも交流があった。数々の思い出をいまも楽しんでいる。


保守化する日本

2022年05月28日 | 日記

 YouTube配信の「虎ノ門ニュース」は保守派の論客が集う番組だ。ロシアのウクライナへの侵攻を受けて、日本の防衛力強化を声高に主張する。ここに出演する人たちが、BS-TBS「報道特集1930」、BS-FUJI「プライムニュース」に、さらには地上波のニュース番組やワイドショーにもコメンテーターとして顔を出す機会が増えている。すなわち、メディアが国民の関心の動向を敏感に察知して、あるいは国民世論をその方向に導こうとして、かなり大きく方向転換しているようだ。
 保守派の人たちが主張することは、日本が中国、北朝鮮、ロシアという3つの核保有独裁国に接していること、この3国のどこか1国、または2国以上が共謀して日本に侵略してくる恐れがあることだ。それを抑止するために国の防衛力を強化せよ、防衛予算を増やせ、核武装するか核シェアリングをせよという。さらにそのためには、憲法9条を改正せよ、平和憲法は周辺諸国の善意を信頼して成り立つもので、「ならず者国家」が隣りにある現状では現実的でない、という。
 防衛研究所の人や元統合幕僚長をはじめとする自衛隊経験者、軍事専門家らもメディアで見かけるようになった。この人たちは、ロシア軍の作戦のまずさ、戦闘車両や兵器の古さなどを具体的に分かりやすく説明してくれる。
 結果として、ウクライナ戦争が極度に「見える化」されている。いうまでもなく北方領土は知床半島と目と鼻の先だ。石垣島と台湾もきわめて近い。尖閣諸島には中国船が毎日のように侵入している。
 保守派の人たちは核で抑止するのが最上の方法だと主張する。はたしてそうだろうか。それなら日本にかぎらず世界の国々が核をもとうと切磋琢磨することになりはしないか。核不拡散条約はいったい何のためにあるのか。憲法9条を死守しようという人たちは、ほんとうに「お花畑」に生きている人たちだろうか。こんどの参院選で共産党、立憲民主党の大敗北が予測されている。
 日本の核保有を議論すること自体が悪ではない。問題意識を高める必要がある。ただ、なにか問題が起こると、または起こりそうになると、それを回避しようとして国民一丸となってとんでもない方向へ進んでしまう恐れが日本の場合は往々にしてある。
 参院選をまえにして自民党は核シェアリングの議論を封じ込めてしまった。繰り返すが、議論すること自体が悪ではない。国民の一人ひとりが問題意識をもって行動し、最終的に多数の意志に従うことが必要だ。


4日間、入院

2022年05月26日 | 日記

 4日間、入院した。入院はいやだなあと思っていたのに、ふたたびケガをしてしまった。整形外科の病室に入った。右肘骨折だった。
 入院の翌日に手術。それから丸一日ベッドに縛り付けられる。実際にロープで縛られるわけではないが、点滴が続くのでベッドから降りることができない。仰向け状態で24時間過ごすのはつらい。手術の翌日、ラクになった。点滴は断続的に続くが、食事もとれる。トイレにも行ける。点滴を受けている時間以外なら、院内を歩き回る程度の運動ができる。
 整形外科だから、入院患者はなんらかの骨の異常がある。気の毒だったのは腰の骨を折ってベッドから起き上がることさえできない同室の若者だった。腰以外は元気だし、精神的に落ち込む性格ではないらしく、しょっちゅう友人と連絡をとって退屈を紛らしていた。トイレが困る。ベッドの上で、おまるのようなものに排泄する。
 私の場合、右腕をギプスを当てて固められている以外、体の他の部分はピンピンしている。手術の翌日にはもう院内を歩き回っていた。
 7年まえにも入院した病院だったが、コロナ禍で一転していた。患者同士のふれあいがほとんどない。ベッドごとにカーテンで仕切られ、隣のベッドにどのような人がいるのか分からない。病院側が患者同士の接触をさせない方針をとっている。7年まえは、朝になると看護師さんが「おはようございます」といいながら、ベッドごとの仕切りカーテンを開いていたが、いまカーテンを開くのは看護師さんがその患者に用事があるときのみだ。用事が終わればカーテンをピタッと閉じていく。6人部屋なのに他の5人の顔を見るのは、なにかのきっかけで顔を合わすわずかな瞬間だけだった。看護師さんと会話する声だけは聞こえるので、その人がどのような人かを想像して楽しめた。
 入院当日はのんびり。翌日朝から手術。3日目の朝までベッドに縛られる。3日目午後はのんびり。4日目朝、退院。右腕のギプスを外せるのは2週間後か。



不規則脈波

2022年05月21日 | 日記

 肘の手術を受けることになり、さまざまな手術前検査を受けている。
 もっとも心配していたのは心臓のことだった。この1週間ほどの間、家で血圧を測るたびに不規則脈波のマークが出る。不整脈か。自分で手首に手を当て、脈のようすを診ても脈がときどきとぶ。そういえば、ときどき意識がぼんやりする。夕方テレビを観ていて画面が一部はっきり見えないことがある。本を読んでいて焦点がぼやけることがある。循環器科を受診するべきか、と思い始めていた。
 整形外科の医師にこの心配事を伝えると、循環器内科へ対診依頼し、心電図をとってくれた。やはり脈がとぶ。手術に耐えられる心臓かどうかを診るために、エコー検査を受けた。検査技師に「だいぶ異常がありますか」と探りを入れると、「こちらではなにも言えないんですよ」とのこと。「やはり問題があるんだな」と邪推する。2日後、循環器内科をあらためて受診し、医師から「心臓にとくに問題はありません」と告げられた。「エコー検査で心臓のようすを隅々まで診ましたが、どこにも異常がありません。心臓弁膜症などの徴候はありません。ストレスなどで脈がとぶことがあります」とのことだった。ホッとした。
 その他、肺活量検査、尿検査、血液検査などを受けた。血液が固まる時間を測定したり、PCR検査まで受けた。脂質異常症のため、半年にいちど血液検査を受けているが、心機能の検査を受けるのは4年ぶりだ。市から特定健康診断の案内が毎年、届くが、受ける項目ごとに追加費用がかかるので、つい億劫になり、いちども健診を受けていない。職場の定期健診が受けられなくなって4年目になる。このたびの手術前検査は、体の一斉点検をするよい機会になった。


テレビを大音量で、メールを拡大して

2022年05月14日 | 日記

 故郷では92歳の母がテレビを大音量にして観ている。けっして耳が遠いわけではない。話はふつうの大きさの声でできる。テレビを観るときだけは大音量にする習慣が身についている。10年まえはそれほどではなかった。気になり始めたのは7、8年まえからだ。テレビの音量が年々少しずつ大きくなっている。一軒家だから大音量が隣近所に迷惑をかける心配はない。耳が遠いわけではないのに、テレビを観るときにかぎって大音量にするのはなぜなのか。
 わが家ではストーブやエアコンをつけているとき、テレビの音声が聞こえにくくなるので多少音量を上げる。ふだんはごくふつうの音量でテレビを観ている(と思っている)。しかしこの先、年齢を重ねるにつれ、音量が上がっていくのだろうか。
 私の場合、メールが来ると200パーセントに拡大して読む習慣がついた。メールの文章の文字は小さい。拡大すればラクに読める。原寸のままで読めないわけではないが、拡大したほうが読みやすい。同年代の友人にメールを送るときにも、ポイントを大きめにして書くようにしている。本を読むときは原寸のままで読む。ときどきめがねをかけるが、電車内などではめがねをかけず、原寸大で読む。原寸のまま読めるのに、メールにかぎって拡大して読む,書く習慣がここ数年できあがってしまった。故郷の母がテレビを大音量にして聞くのと同工異曲かもしれない。
 なお、このブログの原稿もワードの画面を218パーセントに拡大して書いている。