新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

七つ道具

2021年01月31日 | 日記

 先日の朝、電車の座席に腰を下ろして、ふと気づいた。リュックを背負っていない。電車で出かけるときにはいつも背負っているリュックを家に忘れてきたのだった。はじめての経験だ。仕事に行く。リュックがなくてもだいじょうぶか。頭のなかでシミュレーションする。
 定期券、財布、マスクの予備はポケットに入れてある。除菌液も。携帯電話がないので、電車が遅れそうなときに職場に連絡する手段が公衆電話になる。それ以外、とくに支障はなさそうだと知ってホッとした。
 考えてみると、ふだん持ち歩いている七つ道具はほとんどがいざというときのためのものだ。まずはクレジットカード、高額の買いものをするときに使う。携帯電話、電車の遅延や突発事故の際の連絡手段になる。運転免許証、バイクに乗るときに必要だ。折りたたみ傘、雨が降り出すと使う。曇り空の日には必需品だ。ペットボトルのお茶。各種のポイントカード。文庫、新書などの軽い本、暇つぶしに読む。老眼鏡、本を読むときに使うことがあるが、最近はめがねなしで読むことができる。チョコレート、疲労を感じたときに栄養補給する。マスクの予備、混雑した場所を通過したあとに取りかえることがある。
 クレジットカードを持ち歩くと、紛失しないかと心配だ。必要な日だけ持ち歩けばすむ。折りたたみ傘はたびたび使う必需品だ。歩いている途中で雨が降り始めることがよくある。運転免許証は携行が義務づけられているが、バイクに入れておけば、それで十分だ。ペットボトルのお茶、チョコレートは必要なときに買えばよい。
 いざというときのために、不要なものを持ち歩くと重量1キロほどになる。いっそリュックを背負うならと、次々に持ちものを増やしてきた。この辺で整理するのがよいかもしれない。リュックを忘れたおかげで、携行品の整理ができるのなら、ケガの功名だ。

花粉の季節

2021年01月28日 | 日記

 書斎のハイビスカスがまた一輪咲いた。下のほうに大きなつぼみとごく小さなつぼみがある。順番に咲いていくのだろう。夏の花ではなかったか。ハイビスカスといえば、昔の歌手、日野てる子を思い出す。耳に一輪のハイビスカスを刺して(はさんで)歌う姿がまぶしかった。「♬ふゆのはまべーは さびしくて よせるなみだけが さわーいでた♬」。昭和40年、もう少しまえかな。のどかな時代だった。

 ミステリー「POST-MORTEM(検屍官)」を読み終えた。最終章である16章ではじめて登場する人物が犯人だった。検屍官であるドクター・スカーペッタの身近にいる人を、犯人はこの人かあの人かと思い巡らしながら読み進めていたが、あてが外れた。作家パトリシア・コーンウェルがはじめて書いた1992年の作だ。この後、ドクター・スカーペッタを主人公にするシリーズを次々に発表する。
 筋は追っていけるものの、会話表現をはじめ、細かな部分に読みとれない表現が多い。語学力不足を感じた。講談社文庫の相原真理子訳を入手して読み比べてみたい。

 咳が出るようになった。花粉が飛び始めたためだ。花粉症になって4年目。コロナ禍の今年は咳に要注意だ。周囲の人から白い目で見られる恐れがある。対策を考えよう。

共通テストの英語問題に思う

2021年01月17日 | 日記

 共通テストが実施された。大学受験生の多くが受験した。
 英語リーディングの問題に目を通した。「筆記」をリーディングと改称し、まさにその名のとおり英文を読みとる力を試す問題だけに特化されている。
 おおむね読みやすい文章がつづき、問題としては良問がそろっている。問題は量の多さだ。A4判の用紙で正味31ページ分の量がある。80分の時間制限があるので、解答用紙に解答をマークする時間を除外すると1ページを約2分で読んでいかなければならない。英文を読み慣れている人にとってはなんでもないかもしれないが、英語の勉強をはじめて6年しか経たない多くの受験生にとって、かなりハードな作業だ。
 文章を読んで設問に答える。だが設問を目にしてふたたび文章を読み直すだけの時間的余裕を与えられていない。くり返し読む時間を与えないのは、どういう了見だろう。文章を読んだ後に提示されるたいていの問題は、文章のなかのそれについて書いた部分を探し出し、もういちど読み返すことを要求しているように思える。
 速く正確に読解することを受験生に要求するなら、文章を読ませるより先に、何を読みとればよいかを示唆するべきではないか。つまりおもな問題を先に提示しておいて文章を読ませれば、受験生はその点を読みとることに重点を置きながら文章を読み進められる。
 英文を再読するための時間的余裕を受験生に与えないのであれば、再読する必要がないように問題を先に提示すればよいだけだ。もちろん設問によっては全文を読んだ後で答えるものがあってよい。その場合は文章の後に設問をおけばよい。
 多くの大学の個別入試についても同じことがいえる。多くの受験生が受験する難関大学といわれる大学は、英語の問題ではきそってその出題量を増やしているようにみえる。それならそれで受験生が答えやすいように、作問する人は設問と文章の順序を再考してほしい。
 それでも不満は残るなあ。文章をじっくりと考えながら批判的に読める人材育成を目指すべき大学が、なんでこんな入試問題をつくっているのだろう。これも政治に見られるポピュリズムと同じではないか。

幻のコラム「A November Farewell」

2021年01月14日 | 日記

 探していたマイク・ロイコのコラムがインターネット上に公開されていた。1997年5月4日付けになっており、ロイコが4月29日に死去した直後、追悼のために掲載されたらしい。1979年9月に44歳で早世した最初の妻を、ロイコ自身が「長年2人が使ってきた別荘をたたむ」形で追悼している。ロイコにしては珍しく感傷的な文章であり、長く記憶に残っていた。

 2人は約25年まえ、ウィスコンシンの湖から約1.5キロ離れたところに親戚が所有する小さなバンガローで週末を過ごしていた。新聞社勤めの彼は勤務時間が不規則で、金曜日の夜半をすぎてからバンガローに着くことがあった。それでも蚊がいない時期は、月明かりのもとで湖に入り、木にもたれてワインを飲みながら将来を語り合った。
 労働者階級の家で生まれ育った2人は若く、お金がなかった。家のポーチに座り、彼がギターを弾き、彼女が澄んだ声で歌うと、ちょっと離れたところに住む独り暮らしの老人からアンコールがあったりした。ある夏、彼はなけなしの金をはたいてモーターボートを購入した。安物だったせいかエンジンのかかりが悪い。かかれば湖岸の風景をゆっくり見て回った。
 時がすぎ、2人の子どもに恵まれ、なんやかやと用事ができて、バンガローへ出かける機会が激減した。そのうち親戚がバンガローを売り払ってしまった。2人は湖畔のバンガローでの日々が忘れられなかった。
 彼に少しお金ができたとき、何かよい物件がないかと探し始めた。以前のバンガロー周辺は雰囲気が変わらず静かだった。気に入る物件に運よく巡り会った。こんどはまさに湖畔の別荘だった。
 夏は最高だった。夜が明けないうちから彼は釣りに出た。彼女は鳥の囀りに目覚めると、リスやキツツキに朝のあいさつをした。近所に住む八百屋、ドイツ人の肉屋、完熟トマトとスイートコーンを売る農夫と知り合いになった。
 自己中心と思われるかもしれないが、友人を招くことはしなかった。2人だけの静かな住処だった。一日のうちでは夕暮れどきが最高だった。陽が沈む時刻になると何をしていても手を休め、沈みゆくオレンジの日輪を眺めた。湖面は青から紫へ、そして銀と黒へと移っていった。
 彼女は10月を嫌った。夏の人だった。寒風を嫌った。11月を敵視した。11月になると桟橋をたたみ、ボートを係留し、デッキチェアを片づけ、ハンモックを下ろし、下水管に凍結防止剤を入れ、街へ戻った。別荘を引き上げるとき彼女はいつもため息をついた。
 雪が融けて春が来た。湖面の氷が融けると彼女は別荘のドアと窓を開け放ち、新鮮な空気を入れた。花を植え、夏には多くの花が咲いた。年々花は増えていった。日暮れはますます映えていった。
 この週末、彼は一人で冬支度に出かけた。さっさと片づけたかった。グズグズしているとつい彼女のことを思い出してしまう。彼女のお気に入りの椅子。ハンモックは彼女のクリスマス・プレゼントだった。湖畔の別荘は彼から彼女へのプレゼントだった。
 彼女がもっとも愛した夕陽を彼はまともに見ることができなかった。涙があふれてきた。夕陽に背を向け、そそくさと絨毯をたたみ、ドアにカギをかけて車で別荘をあとにした。振りかえることはなかった。
 来春には「For Sale」の看板がかかり、たぶん夕陽の好きなカップルが気に入って買ってくれるだろう。彼はそれを望んでいる。

 ちなみに彼と彼女は同じ地区に育ち、同じグラマースクールに通った。彼が22歳、彼女が19歳で結婚していた。

緊急事態宣言下で

2021年01月09日 | 日記

透き通るような青い空に映える庭のロウバイ(1月1日撮影)

 緊急事態宣言が出された翌日になるきのう、八王子の床屋へ行った。午前11時、ふだんなら数人が椅子に腰掛けて順番待ちしている時間帯なのに店主がひとり暇そうにしていた。1100円でカットだけしてくれる床屋は、私が住む相模原市にない。そのような床屋を開業することを条例で禁止しているようだ。だからいつも八王子の床屋を利用する。
 その後、高尾駅近くのスーパーバリューへ寄った。年末に行ったときは、10台以上あるどのレジにも5、6人が並んでいたが、きのうは待ち人の列がなく、待たずに会計できた。道路も空いていて、車でスイスイ走れた。いやあ、緊急事態宣言というのはすごい効果を生むものだ。
 いっぽうで過剰反応ではないかと思われる反応が出ている。大学の一般入試の形態を変え、共通テストのみで合否判定をしようという動きがあることだ。まだ噂の域を出ないかもしれないが、これはやめてほしい。某国立大学が入試開始時刻を午後にして遠方から受験しに来る受験生が宿泊なしで受験できるようにするという。これはよい配慮だ。だが一般入試を目指して勉強してきた受験生がおおぜいいるのに、共通テストのみで勝負させる方針にいま変えられては困る。英語の共通テストはリスニングの比重が半分を占める。英語の長い文章をじっくり読み込む練習を重ねてきた受験生にきわめて不利だし、英文読解力を必要とする大学教育にとってもマイナスになるだろうと思われる。
 昨年から数人の大学受験生を指導してきた。みな熱心に入試の過去問を解いてきた。A4判の用紙で3ページから4ページにわたる英文を90分で3つも読みこなす。難関大学になると英文の中身も学者が読むようなハイレベルのものになる。まだ若い高校生が理解するにはちょっとムリではないかと思われるハイレベルな文章がある。だがそれを読めるようになろうと高校生たちはみな一生懸命に勉強してきた。高校生たちのその努力を無にすることがないよう大学に配慮を望みたい。