新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

3つの川

2016年06月22日 | 日記

        
 スペインで川を見ながら思いをはせた。
 コルドバを流れるグアダルキビル川(写真1枚目)はセビーリャを通過してカディスの北で大西洋に流れ出る。カディスの港を大西洋側にもち、コルドバとセビーリャという2大都市を結ぶこの川は鉄道がなかった時代にあっては水上交通におおいに利用されたに違いない。1480年代末だったかコロンはカスティーリャのイサベラ女王に謁見するべくセビーリャに赴く。ところが女王はすでにカスティーリャを去っていた。当時のカスティーリャ王国は首都を定めず、王室が定期的に移動し、王室が滞在している街が首都だということになっていた。イサベラ女王がコルドバにいることを聞き及んだコロンはさっそくコルドバへと向かう。このとき王室もコロンもグアダルキビル川に船を浮かべて移動したのではなかったか。コルドバのアルカセル(写真2枚目)はコロンがイサベル女王に謁見した場所だといわれている(写真3枚目)。
 コロンはコロンブスのこと。イタリア、ジェノヴァの生まれとされ、名前はColomboになるはず。だが当時ラテン語で文章を書いてサインしたので、そのサインはラテン語名のColumbusかColombus。しかし実際にはカスティーリャ女王の援助を得てアメリカへと航海したので女王に送った手紙にはカスティーリャ語(スペイン語)名のColon(うしろのoのうえにアクセント記号が必要)を使っている。

 トレドを流れるタホ(Tajo)川(写真4枚目)は、そのまま西へ西へと流れ、ポルトガルのリスボンへと流れ着く。ポルトガルではテージョ(Tejo)川と呼ばれる。トレドはこのタホ川に取り囲まれるように成立した自然の要塞といった風情を呈している。タホ川があれば城壁は要らないと思われるほどだがヨーロッパの主要都市に見られるものとおなじタイプの城壁が周囲に張りめぐらされている。

 セゴビアを流れるエレスマ川(写真5枚目)、カスティーリャの王宮が置かれていたバリャドリッドを流れるピスエルガ川はともにドゥエロ川の支流になる。そしてドゥエロ川こそがポルトガルに入るとドウロ川と名前を変え、ポルトで大西洋へと注ぐ。ドゥエロ川の流域もドウロ川の流域もともにワインの名産地になっている。水の質がよい証拠だろう。ことにドウロ川流域でつくるドウロ産のワイン、なかでもブランデーを加えたポートワインはいまでは世界的に有名だ。

 川の流れを見てさまざまなことに思いをはせるのは楽しいものだ。