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ロシア軍の攻撃によりウクライナ軍壊滅

2014-09-03 00:50:29 | ウクライナ

 

ロシア正規軍が越境し、国境付近の町を攻撃し、占領した、と8月28日ウクライナの外交官が述べた。新しい展開なので、このことについてブログの下書きを書いていたら、本日91日新しいニュースを知ったので、書き加えなければならなくなった。

 

   <3地点でロシア軍がウクライナ軍を撃破>

 

 

(説明)                  BBCより

①ロシア軍が攻勢に出たのは、北から順にあげると、まずルハンスク市の南方に位置する空港。地図の北東部。空港は地図に示されていないが、ルハンスク市に近いところにある。

②次にドネツク市の東方20kmのところに位置するイロヴァイスクという町。地図の中央にドネツク市がある。イロヴァイスクは地図に示されていないが、Makiyivkaの南東。

 

③3つめはアゾフ海に面するノボアゾフスク。地図の南端にアゾフ海がある。アゾフ海に面して大貿易港マリウポリがある。マリウポリの東方にノボアゾフスクがある。

 

④これら3地点は、地図を見てわかるように、ロシア領と連絡をとりやすく、ロシア軍が支援し易い。3拠点は南北に連なっており、防衛戦になっている。

 

これまで戦闘がなかった東部国境の最南端にロシア軍が侵入し、町と周辺の村々を占領した。新たな戦線が開かれたことに、ウクライナ政府はショックをうけた。これだけでも注目すべき展開だが、同時に北方のドネツク市周辺とルハンスクの空港でもロシア軍による反撃が行われ、政府軍は多くの死者を出し、敗走した。つまり北のルハンスクと中央のドネツク市付近そして同じくドネツク州の最南端の3か所で、ロシア軍による攻撃が行われたということである。イギリス政府関係者がCNNに語ったところによれば、政府軍を攻撃したロシア軍は40005000人という。

 

      <プーチンの決意>

     

プーチンはこれまで、親露派武装勢力が敗退するがままに放置しているので、私は少し不審に思っていたが、これほど決然とした反攻に出たことに驚いた。同時に、やはりそうかと納得する思いもある。

 

4月の時と同じように、再び戦争前夜を思わせる緊迫した状況となった。プーチンは第二次大戦の時の「レニングラード包囲」について語り、国民に覚悟を呼びかけた。

 

EUにガスと石油を売ることでロシアの経済は成り立っている。したがってロシアにとって、EUとの友好は基本であるが、軍事的・戦略的観点からすれば、ウクライナ問題は、悪い方にかたむけば、ロシアという国家の存立を危うくする。

 

プーチンはBBCに語った。「第二次大戦後、今ほど戦争の瀬戸際に近づいたことはない。」

またウクラナの国防相は語った。「われわれはロシアと大戦争をしている。数万人が死ぬだろう。」

 

これまで優勢だったウクライナ政府軍は、3か所で突然敗北し、逃走した。いずれも重要な拠点なので、ロシア軍の反攻が本格的なものであることをうかがわせる。

 

軍事情勢に加え、プーチンは「ウクライナ東部を国家として認めるようにと、ポロシェンコ大統領に要求するつもりだ」と語っており、以前の「東部住民の自治の保障」という控え目な要求から、一変している。プーチンは「ウクライナ分割」に向かって突き進んでいるように見える。

 

大きな戦争の発端となるかもしれない、今回の3地点攻略について、まずイロヴァイスクについて書くことにする。

 

ドネツツク市内で抗戦する親露派は「陥落寸前」と、810日前後に報道されていた。しかし親露派は28日になっても抵抗を続けている。戦闘は激しく、市内は2週間連続して砲撃を受けた。28日だけで15人の市民が死亡した。「状況は切迫している」と市当局は報じた。水と電気は止まり、食糧も不足している。戦闘地域なので、ロシアの援助物資が届いていないかもしれない。

 

市民の多くは戦闘の終了を望んでいたが、敗北を目前にしている親露派は必死に持ちこたえようとていた。そして親露派が待ち望んでいた朗報がやっと届いた。20キロ東方に援軍が来たのである。

 

  <イロヴァイスクの政府軍 が壊滅>                                               

(説明)

中央に大きな紫色の矢印があり、ロシア軍の侵攻を示している。矢印の先端の少し先にイロヴァイスク(Ilovais'k)がある。Ilovais'kの左側にやや大きな文字でDonetzk(ドネツク)と書かれている。

 

ドネツク市の東方約20㎞に位置するイロヴァイスクという町は激戦地となっており、ドンバス大隊の司令官も負傷していた。政府軍は攻めあぐんでいた。守る側の親ロシア派は必死だった。

この日、急にに戦況が逆転した。突然政府軍は集中的な砲撃を受けた。これまでになかったことである。100人近くの兵士が死んだ、とキエフの新聞は伝えた。「われわれの部隊で生き残ったのは、20人だけだ。他の部隊も同様だろう。」と兵のひとりが語った。この兵の言葉が正しいとすれば、死者は数百人という噂は本当かもしれない。

 

シリアと同じで、政府軍は砲撃と空爆によって親露派を攻撃し、自軍の損失を極力少なくしてきた。しかし、この日は逆転してしまった。

 

CNNは政府軍の医療部隊にインタビューしたが、かれらは「昨日70人の遺体を運んだ」と語り、非常に落ち込んでいたという。またリポーターは、多くの政府軍兵士が捕虜となり、連れて行かれたと語った。親露派はイロヴァイスクから南へ向かって支配地を確保しようとしているようだという。

 

     (戦死した約100名の所属)

ロシア軍から圧倒的な砲撃を受け、イロヴァイスクで戦死した兵士の所属は、第40, 39、第 28大隊と第51志願兵旅団である。

 

 <イロヴァイスクの攻防に参加した非正規軍>

この2週間、イロヴァイスクは激戦地のひとつであり、正規軍の他にいくつかの民兵部隊が政府軍と共に戦っていた。ドンバス大隊・アゾフ大隊・シャフタルスク大隊・ドニプル大隊である。これらの民兵部隊は2週間の戦闘で、多くの戦死者・負傷者を出していた。敵である親露派は、追い詰められながらも粘り強く戦っていたようである。

ドンバス大隊・アゾフ大隊等はそれぞれ、財閥の私兵であり、性格としては、ミニ軍閥である。現在は政府軍と共に戦っているが、明日は政府軍の敵になる可能性もある。

 

ロシア軍がルハンスクの空港を確保した経緯と、ノボアゾフスクの政府軍が敗走したことについては、次回書きます。

 

 

 

 

 


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