たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

ドゥーマ:正体不明のスナイパー 2011年4月1日

2018-04-19 22:06:30 | シリア内戦

2011年以来シリアで起きたことを客観的に叙述することは難しい。しばしば同一の出来事について2種類の相反する説明があり、どちらを信じればよいのかわからない。シリア内戦について政権側と反対派はそれぞれ自分たちの説明を続ける。彼らは真実を語るより、宣伝を重視している。 両者の話を聞く者にとって、どちらが真実を語っているか、見極めるのは難しい。

政権と反対派はシリアで戦っていながら、互いに別世界に住んでいるかのようであり、彼らの話は互いに別世界で起きたことを語っているかのようである。

できれば真実に突き当たればよいと思うが、ともかく2種類の違いを浮き彫りにするという姿勢で、2011年4月のシリアについて書いてみたい。2011年3月のシリアについては、2016年7月ー2017年4月に連続シリーズで書いた。

 

======《シリア:少なくとも10名死亡》=======

      At least 10 killed in Syria

<http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4050879,00.html

             Ynet news          2011年4月1日

4月1日シリア各地でデモがあり、治安部隊の発砲により10名死亡した。

ダマスカスの北東に位置するドゥーマだけで8名死んだ。南部の都市ダラアの近くで1名死んだ。

これ以外にもいくつかの都市で、アサド政権に反対する抗議集会があった。どの都市でもデモの参加者は数千人に達した。治安部隊の規制により数十人が負傷したが、秩序はおおむね保たれた。

政府関係者の話によると、ドゥーマとホムスにおいて武装グループが市民と治安部隊に向けて銃撃した。ホムス市内のバイヤーダ地区では、武装グループが市民に発砲し、少女が死亡した。(シリア国営放送)

活動家の話によると、金曜礼拝の後、国民が街頭に集まり、11年続いているバシャール・アサド大統領の統治に抗議した。デモがあったのは5か所である。

①ドゥーマ(ダマスカス郊外)

②ホムス

③バニアス(海岸部)

④ラタキア港

⑤ダラア(南部)

ドゥーマのデモを目撃した人の話によれば、2000人が市役所前の広場に集まり、「自由!シリア国民は一つ!」と斉唱した。警察は発砲しながら、デモを解散させた。

シリア国営放送は次のように述べた。

「改革を求めるデモがあったが、他方で『国民の団結と国家の安定』を推進する政府を支持する集会もあった。国内は平穏である」。

=========================(Ynet終了)

 

シリアの3大都市の中で、2011年の3月ー4月にデモが起きたのはホムスだけである。2012年にはホムス市の大半が反乱軍の占領地となった。ホムスはシリア革命の聖地と呼ばれたが、2013年7月政府軍がホムス市の奪回に成功し、この地の反乱軍はほぼ消滅した。ホムスの反乱はシリア革命の先駆けとなったが、短命だった。

北のトルコと南のヨルダンからの補給は充実しており、この2国に隣接する地域の反乱軍は強力だった。ホムスはレバノンから補給を得ており、レバノンからの補給は弱かった。レバノンは分裂しており、反乱軍の支援が不十分だった。レバノンの有力な勢力であるヒズボラはアサド政権を支援していた。

 

               《発砲したのは誰か》

4月1日、シリアの5カ所でデモがあったが、最も多くの死者が出たドゥーマについて、アル・ジャジーラは次のように書いている。

「4月1日、ダマスカスの郊外のドゥーマで、金曜礼拝の後、数千人の市民が街頭に集まり、政府に抗議した。2日前(3月30日)アサド大統領が改革を約束したが、ドゥーマの人々はこれを信じなかった。

治安部隊は催涙弾と警棒でデモを解散させようとしたが、効果なく、次に実弾を発射した。目撃者によれば、少なくとも4名の市民が死亡した。

しかしシリア国営テレビによれば、市民の死は治安部隊の発砲が原因ではない。建物の屋上に武装グループがおり、彼らは市民と治安部隊の双方を銃撃した。数人の市民が死亡したが、正確な人数は不明である。数十人が負傷した。負傷者には、数人の警察官が含まれる。

国営テレビは、海外メディア向けの偽の宣伝を批判した。

『デモの中に海外メディアを意識して行動した者がいる。衣服を赤く染めて、負傷したと偽る者がいた』。」

誰が発砲したのかについて、反対派の報告と国営テレビの放送が異なっている。

CNNが負傷したデモ参加者の証言を書いている。

「ドゥーマの中心に位置するモスクに数千人の市民が集まった。治安部隊は電気警棒・催涙弾・実弾で彼らを攻撃した。『私はこのように恐ろしい場面を見たことがない。治安部隊は少しのためらいもなく、群衆に向けて発砲した』と目撃者の一人が語った。彼自身も電気警棒で頭を殴られ、6人の死者と一緒に病院に運ばれた。病院には数十人の負傷者がおり、多くが重症者だった。

『6名が病院の死体安置所に運ばれるのを見た』と住民が語っている。ある市民は、頭をゴム弾で直撃された。数十人が負傷した。

一方シリア国営放送は次のように伝えた。『武装グループが治安部隊と市民の双方を銃撃した。デモ隊と治安部隊との衝突はなかった』。」

治安部隊が警棒と催涙弾・ゴム弾でデモを取り締まったのは確かである。最初から発砲したのではない。その後銃撃があり、死者が出るが、誰が銃撃したかについて、意見が分かれる。

4月1日ドゥーマ出起きたことについて、ガーディアンが興味深い情報を書いている。記事は事件の3日後に書かれており、情報収集に努めたようだ。

 

======《政権側のスナイパーが市民を射殺》=====

Syrian mourners say government snipers carried out massacre

https://www.theguardian.com/world/2011/apr/03/syria-demonstrations-douma-funerals

 

   by Katherine Marsh             Guardian    2011年4月3日

ダマスカスの北東13kmに位置するドゥーマでは、一週間前虐殺された市民を追悼するため、数千人が集まり政府に抗議した。

その後デモ隊は治安部隊と衝突し、銃撃により15人の市民が死亡した。最終的に死者の数は22人に達するかもしれない。100人が負傷し、そのうち20人はひん死の状態にある。スナイパーによって殺害された人々を埋葬しながら、追悼者たちは「アサド政権を倒せ!」と叫んだ。

ダマスカスの人権センターの所長ラドワン・ジアデは次のように言った。「治安部隊は平和なデモをする市民を意図的に殺害した」。

地元の目撃者たちがガーディアン紙に語った。「治安部隊が武装グループをバスに乗せて連れてきた。この武装グループが市民を攻撃した」。

ジャーナリストや外交官は現地に行くことを禁止されており、ダマスカスとの電話は切断されており、多方面から情報を得ることは困難である。

4月1日ドゥーマで市民が死亡したことについて、シリア国営放送はガーディアンに寄せられた情報と異なる見解を示している。

「市民が死傷したのは、治安部隊の責任ではない。建物の屋上にいた武装グループが市民と警官隊を銃撃したのである」。

ダマスカスの南方の町アル・テル(Al Tel)の住民はバース党員に威嚇された。「デモを繰り返すなら、スナイパーを配置するから、覚悟しろ」。

 国民の不満に直面したアサド大統領は3日前(3月29日)首相を解任したばかりである。元農業大臣のアデル・サファルが新首相に任命されたが、悪化する国内情勢は好転する兆しがない。4月1日シリア各地でデモが起き、ホムス、ダラア、ドゥーマでは市民が銃撃された。

シリア人権監視団は市民に対する発砲を非難した。「3月30日アサド大統領は市民が銃殺された事件を調査すると約束したが、その後も治安部隊は市民を殺害し続けている。大統領の約束は無意味だ」。

国連のバン・キムン事務総長は述べた。「シリアでは、これまで100人以上の市民が死亡しており、憂慮すべき事態だ」。

=====================(ガーディアン終了)

シリアのデモの最初期から、正体不明の銃撃グループが暗躍している。彼らが政権側なのか、反対派なのかを突き止めるのは難しい。しかしドゥーマ市民の証言は重要である。「治安部隊が武装グループをバスに乗せて連れてきた」。

またアル・テル住民がバース党員に威嚇されたという話も重要な証言である。「デモを繰り返すなら、スナイパーを配置するから、覚悟しろ」。

ダラアの場合も、「武装グループは治安部隊と連携している」と証言する兵士もいる。ただしシリアの混乱を深める目的で活動している武装グループが存在することも、ほぼ間違いない。4月1日のドゥーマの場合、市民を銃撃したのは政権側のスナイパーという印象が強いが、疑いの余地はある。

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