国際政治に関心のある人はごく少数派であり、新聞・テレビで海外のニュースが取り上げられるのは、わずかである。驚いたことに、インターネットではワシントンポストやニューヨークタイムズが読めるし、ABCやPBSやNBCのニュース番組を見れる。新しい時代の到来を実感します。
若い時ルーマニア語に興味を持って、マスターしようというのではなく、ただどんな言語か知りたくて少し勉強しました。同じ東欧の言語でもポーランド語は明らかにロシア語と兄弟の言語です。ルーマニア語はスラブ語ではない。ドイツ語ととは全然違う。ゲルマン語ともスラブ語とも異なる独自の言語である。柔らかくて素朴な響きのする言語。 後でわかったのですが、ルーマニア語は、実はラテン系の言語。ただしすぐには気づかないほど独自なのがルーマニア語の魅力。イタリア語はラテン語とゲルマン語の混血であり、ルーマニア語はラテン語と古代ダキア人の言語との混血である。後の時代にスラブ語が少し混入した。ラテン語にダキア語が少し混ざり、さらにわずかなスラブ語が混ざり、ルーマニア語の独自性が生まれた。
バルカンはローマ帝国の属州となった。。古代ローマ帝国の名残りとして、ラテン系の言語を話す民族が現在も生きている。それがルーマニア人である。ドナウの南のトラキアが先にローマの属州となり、遅れて、ドナウの北のダキアがローマの属州になった。紀元1世紀、ゲルマニアとダキアはローマ帝国の不安定要因だった。ゲルマン人とダキア人は帝国の国境を脅かした。ローマの将軍トラヤヌスはダキア征服の功績によって、皇帝の座に近づいた。
ダキアがローマの属州になるのが遅れたのは、バルカンの山間部にあり、辺境の地だったからである。そしてそのことが、ダキア人とローマ人の混合言語を現在に伝える原因となった。
平地にあるトラキアは、トラキア人の言語も、ローマ人の言語も失った。トラキアは現在のブルガリアである。ブルガリア人はスラブ語の影響を受けすぎて、古代の先祖の言葉を失った。ただし、文明地域なので、古代と中世初期の繁栄を物語る遺跡が残っている。ブルガリアはコンスタンチノープルの後背地である。
バルカンは山国なので、近代になっておくれをとってしまったが、中世においては、東ローマ帝国の影響を受けて発展した。 中世において暗黒時代だったのは西ヨーロッパで、コンスタンチノープルとバグダットは栄えていた。文明に切れ目はなかった。古代ローマ帝国に続いて東ローマとイスラムが繁栄し、両者の文化を受け継いでイタリアにルネサンスの文化が花開いたのです。イタリアルネサンスを勉強した者は必ず、東ローマとイスラム帝国の歴史に興味を持ちます。文化的な流れは途切れずにあるのです。
文化的な流れが途切れ、全世界的な暗黒時代になったのは、まぎれもなく二十世紀の百年間です。文化の一部である科学技術は異常に発達しましたが、美術と音楽は滅びました。建築も技術的な側面は発達しましたが、美的な側面が失われました。芸術というものが存在しない百年となりました。 それはともかく、ルーマニア語は響きのよい言語なので勉強してみたいという気はあったのですが、ルーマニア語の書物は簡単に手に入らないので、苦労してマスターしても無意味に思え、勉強はしませんでした。ところが30年後の今になってルーマニアのテレビがパソコンで見れるのです。心底驚きました。年を取ってこんなに感動することがあるとは思っていませんでした。