会員のカネコです。
5月31日は会合の前に長谷寺、青山霊園、立山墓地の調査をしました。
長谷寺には著名人や政治家等名墓が数多くあります。墓地へ入り真っ直ぐ行くと目に付くのが石柵に囲われた会津藩家老西郷近光の墓があります。近光の孫は幕末の家老西郷頼母です。周りには頼母の近親の墓もあります。
西郷家の墓を左に行くと井上馨の墓があります。
井上家の墓域の左奥には三草藩主丹羽家の合祀墓があります。元々は西郷家の背後周辺に散在していましたが、平成17年に整理され、旧石は廃棄されました。
この墓域の手前には実業家立川勇次郎の墓があり、さらに進み右へ曲がると橋本左内の弟で子爵になった橋本綱常の墓があります。
さらに奥へ進むと海軍大将山屋他人、波多野敬直、最奥に画家の黒田清輝の墓があります。
墓地の左奥の墓域には会津藩士の墓が密集した墓域があります。樋口家や井深家といった会津藩士の名家の墓が集石されています。
雨のため、かけ足の調査となりましたが、他には昭和の名優エノケン、ソニーの盛田昭夫、歌手坂本九など著名人の墓が数多くあります。
立山墓地は青山霊園の飛び地で、会津藩出身の桐生氏が開いた墓地で、現在の青山霊園の原型となった墓地です。
海軍大将山下源太郎、陸軍大将立見尚文、松平正直、九條家の子女墓、出羽長瀞藩主米津家、鶴殿家、元田永孚の子女墓、赤報隊の相良総三等の墓があります。
青山霊園は短時間でしたが、「青山墓地録」「東京青山共葬墓地明細案内図」の記述の確認をしましたが、道路拡張等により改葬されている墓が多かったです。それから1種ロ28側3番4にあった豊後岡藩主中川家の墓(写真)が改葬されていました。
今後も青山霊園の最新状況を把握すべく鋭意調査をします。
私は会津藩士の墓碑をもとめて、
東京の寺院や霊園を訪ねているものですが、
立山墓地は会津藩出身の桐生氏が開いた墓地でとありますが、その出典を教えていただければ
ありがたいのですが。
コメントありがとうございました。
立山墓地の由来につきましては、ネット上での情報を基にしました。ネット上の情報はその殆どがウィキペディアを基にしているようで、出典が不確かな情報を記載してしまい、失礼致しました。これにつきましては今後、大元となる史料を調査・確認したく存じます。
大佗坊様は「会津いん東京」を運営されている方と拝察致します。会津藩関係者の掃苔の際は大変参考にさせて頂いてます。この場を借りて御礼申し上げます。大佗坊様の調査にはただただ敬服するばかりです。尚、当方、二本松藩関係者の調査をしております。今後ともご指摘やご教示など頂ければ幸いに存じます。今後とも宜しくお願い申し上げます。
お忙しいところ、ありがとうございました。
立山墓地を管理していた桐生氏に、立退きの前に、お話を聞きにお伺いしたことがあります。古い資料は無いという事で気になっていました。
こちらこそ、いろいろご教示、頂ければとおもいます。今後とも宜しくお願いいたします。