探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

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6月6日 水戸市 妙雲寺

2009-06-08 20:50:01 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。歴史における敗者を中心に趣味で歴史研究をしています。得意分野は土佐関係、今後は幕臣に力を注ぎます。

また、殉難者よりも取り上げられることが少ない、天寿を全うした人物にも光を当てていきたいと思っています(その意味では、土佐の古勤王党や反自由民権派をライフワークとしています)

さて、今回、水戸市まで足を伸ばして訪ねたのは、初日が天狗党首魁 武田耕雲斎の墓がある妙雲寺です。

同寺は日蓮宗 大慧山 妙雲寺といい、住所は水戸市見川2-103-1 場所は千波湖の西側、偕楽園公園(偕楽園ではない)に接する徳川博物館から常磐線赤塚駅方面を目指して1kmかかりません。

寺に入ると正面に本堂があり、その左手に日蓮像を背にして墓域があります。奥行100m位、幅は奥行ほどありません。

武田家の墓は、墓域の左手奥に立派な石柱が門のように立っていて、ややこんもりと木に覆われた中にあります。武田家の墓域のみ仕切られ、他の墓とは別格扱いです。

同家の墓域内右手奥に「故伊賀守従五位下武田府君墓」と記された武田耕雲斎の墓があります。右面には「元治二年乙丑二月四日没」と刻まれています。「没」の字は「列」のヘンを使っていました。ちなみにこの日を新暦に直すと「1865.3.1」になります。

耕雲斎の墓の周りには、向かって右手に「武田氏夫人人見氏墓」をはじめ6基あり、大きな木を挟んで入口正面から左側には前後2列に墓碑が整然と並べられ、墓域内には合計およそ50基の墓がありました。

中には墓の原型をとどめていないようなものが1基、記念碑のようなものが1基確認でき、前列右から8番目に耕雲斎の嫡男彦右衛門の墓、9番目にその妻で藤田幽谷の娘「武田氏婦人藤田氏墓」もあり、縁戚関係がわかります。

境内には、武田家以外にも徳川光圀が敬慕した水戸城老女 高尾、桜田事変襲撃者の一人 広木松之介などいくつか見るべき墓があり、いずれも傍らに案内となる水戸市建立の白い木柱が立っているため、見つけやすいです。

また、境内に入ってすぐ左手を行くと「大老井伊掃部頭直弼台霊塔」があります。前出広木が井伊大老の首級を持ち帰ったと言われていることによるものです。

所要20分もあればすべて見られるでしょう。武田家の墓をじっくり調べるなら1時間は釘づけになりますが…

お寺の場所が見つけにくく、駅も遠く、バス停も離れているため、訪ねる際は地図を用意したほうが無難です。

それでも、水戸市は駅北から西側にある常磐共有墓地(松本町)、駅南から東側にある酒門共有墓地(酒門町)に見るべき墓のほとんどがあり、残りは千波湖の南に位置し、会沢正志斎の墓がある本法寺(千波町)と、いま紹介した妙雲寺を見ればほぼ制覇です。

ただし、もう一ヶ所、天狗党と覇を争った諸生党の墓がある、常磐共有墓地の東側に位置する祇園寺を加えたいと思います。翌日に向かったその寺はというと--つづく

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