鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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新玉名駅の活性化への提案【熊本の話題】

2015-08-31 | 熊本の話題
 九州新幹線新玉名駅のホームが10月1日から無人化されるようだ。新玉名駅は乗降客数1日約1200人と少ない。これまでは上下線のホームに駅員がいて、安全確認やホームドアの開閉などをしてきたが、10月からは車掌がホームドアの開閉をすることで、現在16人の駅員を6人ほど減らせる見通しだという。新幹線のホームが無人化されるのは全国で初めてだと思う。
 無人化の報道の前、玉名市ではJR九州に新玉名駅の発着数を増やしてほしいとの要望を出すとか、出したとかの報道もあっていた。
 九州新幹線で在来線と接続していないのは、新大牟田駅と新玉名駅の2つしかない。在来線と接続していないと利用者しにくい。
 利用するには、博多への通勤と観光になる。
 観光は玉名市だけで取り組むにはインパクトが弱い。
 一つには、山鹿温泉、菊池温泉、玉名温泉の三湯めぐりを目玉とするのを提案したい。菊池川沿いの三つの温泉は良質でそれぞれ泉質が違う。それぞれが単独で売り出す時代ではないと思う。三つの温泉を楽しんでもらうために手を携えてキャンペーンに取り組めばいいと思う。周辺には全国にも稀な装飾古墳群もたくさんある。
 新玉名駅でレンターカーを借りての三湯めぐり。熊本駅でレンターカーを借り、阿蘇を巡って、菊池、山鹿、玉名を観光して湯に浸かり、新玉名駅から帰るというルートもあると思う。そのようなレンターカー使用に割引をつけることもできるだろう。
 玉名市だけでなく、県、周辺の市町村も含めて知恵を出し合い、協力し合い、競争し合い、新玉名駅の活性化を図るのが、発着枠の拡大に繋がると思う。
 今年の3月「九州新幹線全線開業4周年記念きっぷ」で九州新幹線各駅に降りる旅をしたときに一番感じたのは、新玉名駅と筑後船小屋駅の違いだった。
 筑後船小屋駅では周辺の市町(筑後市・八女市・大川市・柳川市・みやま市・大木町・広川町)が集まって、筑後七国としてイベントや観光の活動していた。新幹線駅の構内にもキャンペーンがされている。新玉名駅にはそのようなのは見当たらい。
 

(2015.3.14 筑後船小屋駅広場)


(2015.3.14 筑後船小屋駅新幹線構内)

 JR九州を動かすには、新玉名駅の利用増を図るソフト面での取り組みと情熱だと思う。それも玉名市だけでなく、広域で。

「旅」の始まり【「旅」-(2)】

2015-08-19 | 読書
 縄文時代の土器の製作・使用は人々が定住するムラの出現へと発展する。そして日常的な生活圏ハラで食料や日常生活に必要なもの得て安定した生活が始まる。そして時には、ハラで入手困難な物を求め、ハラの外へ出ていく。ヤマを越えていくこともあるだろう。
 「そうした旅は、定住的なムラ生活の開始とともに始まる。つまり、旅とは人類史上の第二段階になって定住的な生活が軌道に乗って初めて浮上してきた全く新しい行動様式なのである。・・・(中略)・・・旅はムラを離れ、ハラ(日常的生活圏)を離れ、ヤマを越えて移動し、その果てに、馴染みの風土とは異なる風土に入ることであって、単に距離を稼いで遠征することではない。」小林達雄著「縄文の思考」ちくま新書、76P、2012年(2008年第1刷)

お世辞だったかなぁ?

2015-08-16 | 日記
先日、居酒屋でこの写真を見せたら、
ママさんが「え、絵葉書でないの。撮ったの。」と。

「鼻の下がながーく」でなく、
「鼻が少したかーく」なった。


お世辞で言っているようではなかったけど、今月の22日でお店を閉めるらしいので、最後のお世辞だったかも。

馴染みの飲み屋さんは殆ど閉店してしまった。
寂しくなっていく。

この他の礼文島の花と景観の写真はこちらを見てください。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/FyUPjpFFcL3








佐賀の橋、青森の橋

2015-08-13 | 旅で思う
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 今年の6月13日、JR九州ウォーキングで相知駅へ行きました。
 相知駅は、佐賀県唐津市相知町にあります。日本の滝百選に選ばれている「見帰りの滝」があります。6月には、ブルー、ピンク、紫など40種約40,000株にものぼるアジサイが咲き、あじさい祭りが行われます。ウォーキングは祭りに合せて開催されます。
 相知の「地名の由来は、河川が交通手段であった遠い昔に、松浦川と厳木川が入り組むこの地が交通の要地となり、宿場とされてきたところから、人々が出逢い、親しく語らうところとして、「逢う地(あうち)」と呼ばれ、いつしか「相知(おうち)」になったといわれています。」(唐津市ホームページ『地域紹介:「新市のルーツ探訪」相知」より』)
 相知では、松浦川と厳木川が合流しているだけでなく、松浦川や厳木川にも小さい川が合流しています。ウォーキングではその何カ所かに出会います。ゴール間近で厳木川に他の川が合流している地点に橋がありました。その橋の名前は「出逢橋」という名前でした。それぞれの川の上流に住んでいる人が、川沿いに歩いてくると、そこで出逢うことができます。


(奥が厳木川、手前の川が合流している)


(出逢橋)

 8月1日は、縄文の杜あおもりツーデーマーチ2日目の三内丸山コースに参加しました。八甲田丸広場をスタートし、しばらく歩いて沖舘川の川沿いを歩きました。その時に橋が2つ並んでいるのが目に入ったので写真を撮りました。3枚目の写真、手前の橋の名前を見ると「相野橋」という名前でした。その後に、写真奥の橋を渡りました。ここは、2つの川の合流地点かもしれないと思い確認しょうとしましたが、その位置からは判りませんでした。橋の写真を撮るときも、橋が2つ並んでいることだけに注目し、川の流れはよく見ていませんでした。後で写真を見ると2つの川の合流地点でした。「相野橋」も「逢の」橋だろうと思います。


(右が沖舘川、左から川が合流している)


(相野橋)

 九州の佐賀県と東北の青森県のウォーキングで出逢った2つの橋、2つの川が合流している地点の橋に「逢う」が由来している名前が付けられていました。こんな発見もウォーキングの楽しさかな、と思います。

縄文の杜あおもりツーデーマーチ2日目三内丸山コースへ(青森の旅-5日目)

2015-08-10 | JWAウォーキング
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8月1日(土)

 青森も最終日になった。帰る日だが、私のメーンイベントの日。
 朝食は青森駅舎隣りラビナ内「VIE DE FRANCE」が7時半に開くのを待って、サンドイッチのモーニングに野菜サラダを付けて食べる。朝から身体が野菜を欲している。

 朝食後は、三度目の椅子テーブルで海を眺める。早朝から鳩さんたちは仲睦まじい。





 ここで発見。この港湾は釣り禁止の表示。昨日の釣り人が返事しなかったはずだ。釣り禁止のところで「釣れます。」などと返事できないよなぁ。青森人の無愛想ではなかった。



 海を眺めていたら、スターとの時間に遅れそうになったので、急いでメーン会場へ。そしたら、スタートが始まっていました。



 えぇ、9時スタートではなかったの。慌てて後ろについて行ったら、スタートのスタンプを押して貰ってませんでした。引き返していたら、後部からついてこられていた係りの方が、「貰ってきますので行ってください。」と親切に対応してくれました。急いで列の後方に追い付いてからは、沖舘川沿いを歩きます。しばらく行くと、川沿いから外れるところに橋がありました。「相野橋」です。名前から二つの川の合流地点と思ったら、そのとおりでした。佐賀県の相知町には「であい橋」という橋があり、そこも二つの川が合流しています。


(相野橋)

 川沿いから外れて、津軽線、奥羽本線の線路を跨ぐ橋を渡ります。



 その後は、また、沖舘川沿いを鳥や花を撮りながら歩きます。












 沖舘川多目的遊水地で青森のウォーカーの方に声をかけていただき、ねぶたや八代のウォーキングのお話しなどしながら歩きます。遊水地を出るころに失礼して先を急ぐことにしました。間もなく「三内丸山遺跡」の給水とチェックポイントに着きました。


(給水とチェックポイント)

 ウォーキングの係りの方に「見学してきていいですか?」と聞いたら「帰りは自己責任でお願いします。」と言われました。右も左も分からないところで自己責任なんて殺生な、今日は飛行機で帰る日で迷子になるわけにもいけない、と思いましたが、三内丸山遺跡が目的でこのツーデーマーチに参加したのだから、とにかく入ることにしました。中に入って、直ぐのところでボランティアガイドの方の説明が始まっていました。十数名が聞き入っていましたが、半分ほどはウォーカーの方々です。安心して、そのガイドの方について行くことにしました。ラッキーです。


(ボランティアガイドの案内が始まっていた)



 世界史的には農耕の始まりが定住の始まりとされています。しかし、日本では農耕なしに定住が始まりました。可能にしたのは土器の発明です。大地に育った草花や木の実を土器で煮炊きすることで定住が始まりました。日本列島では世界史でも特有の文化が花開きました。世界文化遺産に登録する運動には、そのような背景があります。
 縄文時代については文献がまったくありません。ガイドの方が言われていました、「土から上はすべて想像です。」と。再現されている竪穴住居もいろんな作りがあります。想像されるものをあれもこれもと作られているようです。住まいと住まいの間隔は当時のものと同じにしてあるということです。









 大人や子供の墓も発掘されています。子どもの墓が多いのは、縄文時代は子供が育つのが大変だったことを物語っています。









 三内丸山遺跡は、1,500年程継続して定住生活が営まれていました。この間に廃棄されたものが「盛土」として残っており、石器や土器などさまざまなものが出土しています。





 低湿地帯はゴミ捨て場になっていました。海の方に流れていくのも計算されていたと思います。



 海に向かった道路もあります。富山県の糸魚川周辺のヒスイも発掘されています。北海道、長野県など各地の黒曜石も発掘されています。舟で交流していたと思われます。



 まだまだ発掘調査が続けられています。






 三内丸山遺跡で特徴的な建造物が、大型掘立柱建物と大型竪穴住居です。
 大型掘立柱建物の柱穴は直径約2m、深さ約2m、間隔が4.2mあり、中に直径約1mのクリの木柱が入っていました。残っていた木柱にかかっていた重さを測定し、約15mの柱が6本建っていたのではないかと想像されて復元されています。


(大型掘立柱建物)


(発見された柱穴)

 大型竪穴住居は、何十人もの人が一堂に集まれる広さです。
 大型掘立柱建物も大型竪穴住居も何のための建造物化は、諸説ありますが、想像するしかないので確定的なものはありません。


(大型竪穴住居)


(大型竪穴住居内部)


(大型竪穴住居別角度から)

 青森に行く前に本を読んだり、1日目に青森県立郷土館で縄文時代の展示をみたり、三内丸山遺跡に立って、私は、縄文時代に私たちの祖先は定住生活を始めました。定住生活ではさまざまな協働作業が始まりました。その過程で意思を通じ合うための言葉も生まれたと思います。共働作業も最初は小さなものから、段々と大きなものを創れるようになっていきます。生活の便利さも向上していきます。皆で一致協力しあうことに自信を深めていったと思います。他のムラとの競争もあったかも知れません。大きいものを創れば、他のムラから尊敬されたと思います。縄文時代は、共同そして共働生活することに人々が大きな喜びを見いだした時代だと思います。大型掘立柱建物や大型竪穴住が完成した時の喜びは凄かったと思います。皆で協力してどのムラにもない大きいものを造ろう、そういう“情熱”が造ったと思います。
 縄文時代は大陸からの文化に影響された時代でなく、日本列島に住む先祖が一から自分たちで協力しあって生活を創っていった時代です。ガイドさんの説明が終った後も、そんな時代の雰囲気に、も少し浸っていたかったのですが、自己責任の言葉が頭から離れず、一緒にガイドさんの説明を聞いていた人たちの流れに乗って、ゴールを目指すことにしました。
 三内丸山遺跡は野球場の建設地でした。建設工事が始まって、さまざまな遺跡が出てきて保存運動が起こり、建設は中止され、保存されることになりました。佐賀県の吉野ケ里遺跡は、工業団地として整備される予定が中止になって保存されることになりました。大きな開発があり、そこに遺跡があれば広く保存されますが、そうでない場合もあります。三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡のような大きな集落はまだまだ埋もれている可能性はあると思います。
 新たに建てられた野球場は、三内丸山遺跡の直ぐ近くにありました。


(野球場)


(交番)

 自衛隊の前を過ぎると、ほぼ直進でした。途中JRの踏切がありましたが、そのすぐ先にも踏切がありました。行くときに陸橋の上からも見えましたが、青森は線路が集中しているようです。


(1つ目の踏切)


(2つ目の踏切)

 お昼過ぎにゴールし、頼んでいたお弁当を食べ、ツーデーマーチを終えました。



 日本ウォーキング協会が主催する催しには、八代、久留米、北九州しか参加したことはなく、地元以外は初めてでした。お世話になりありがとうございました。
 「オール・ジャパン ウォーキングカップパスポート」をいただきました。これから各地でお会いする機会がありましたら、よろしくお願いします。

 1つだけ提案があります。それは、三内丸山遺跡コースは、見学して遅れるのは自己責任ということではなく、遺跡内を巡るコース設定にして欲しいということです。
三内丸山遺跡は世界遺産登録へ向けた運動がなされています。そこに遺跡があるという事だけでなく、内容を多くの人に知ってもらうことも運動の一つとして重要かと思います。世界遺産登録運動中の三内丸山遺跡内を巡ります、ということで全国の皆さんの関心も深まると思います。
 昨年春、JR九州ウォーキングでは吉野ヶ里遺跡内がコースに設定され、自由散策でなく、矢印と旗で歩くコース決めてありました。ほぼ全域を歩きました。吉野ヶ里遺跡は有料ですが、ウォーキング参加者は無料でした。三内丸山遺跡は無料ですので、入場料の問題は起きないと思います。
 その時の写真集はこちらを見てください。
2014.04.06 JR九州ウォーキング吉野ヶ里公園駅
当日の地図です。

 昼食後、八甲田丸の見学がまだだったので行くこと。ウォーキング参加者は入場料が半額だった。入って驚いた。当時を再現させるのに使われていた人形が本物そっくりなのだ。何度も、人がいる、とびっくりした。写真は列車が収納されているところを多く撮った。



















 見学後、預けていたスーツケースを受けとり、ワ・ラッセの方へ行くと、出店があり、ビールも販売していた。キリン一番搾り400円であった。4泊5日青森旅行の打ち上げで飲む。



 その後、ねぶた祭り前夜祭が行われているあおい海公園へ行く。明日からの出番を待っている山車が展示してあった。写真を撮ってまわる。









 ここにも多くの出店がある。サッポロ黒ラベルがあったので、買って海を見ながら飲むことにした。500円。



 空港行のバスの時間までは、まだあるのでさらにぶらぶらしていると、アサヒスーパードライの文字が目に留まる。よし、もう一杯と買って、また海岸へ出て飲む。450円。





各店値段がバラバラなのが面白い。こういうお祭りの出店では値段は一致していることの方が多いのだが。後一杯サントリーもと思ったが、飲みすぎるといけないので我慢した。酔っぱらって爆買いしても困る。前夜祭会場を引き上げて青森駅で買い物し、空港行のバスに乗った。


(青森駅へ向う途中)


(青森駅前で)


(青森駅前からバスで空港へ)

暑かったけど、いろんな“情熱”に出会った北国青森の旅だった。

縄文の杜あおもりツーデーマーチ1日目八甲田山コースへ(青森の旅-4日目)

2015-08-09 | JWAウォーキング
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7月31日(金)

 ようやく「第13回縄文の杜あおもりツーデーマーチ」開催の日となった。



 朝食はコンビニでパンと缶コーヒーを買って、メーン会場八甲田丸前広場近くの公園で海を見ながら食べる。ここの椅子とテーブルには、その後もお世話になることになる。



 1日目は「八甲田山ロープウェー高原コース19㎞」に参加です。メーン会場八甲田丸前広場スタート時間は7時30分です。


(八甲田丸)


(威勢の良い太鼓に送られて)

 バス3台で八甲田ロープウェー山麓駅へ向かいます。私は3台目のバスに乗りました。隣の席はせっかくウォークで一緒の方です。80歳になられるとの事でビックリです。お若い。バスは10時前に山麓駅に到着。



 ロープウェーで山頂駅まで10分程です。10分も乗るなんて嫌な時間です。視界は良くありません。


(怖いです)

 山頂駅についてからは数名ずつ、ガイドの方の案内で山頂公園を1時間少々かけて廻りました。写真撮りながら歩くとどうしても集団の最後になります。下界は全く見えませんが、珍しい草花にたくさん出会いました。


(山頂公園を1周)
















(湿原公園)


(湿原公園)




(高山植物展望台)




































(このような光景が広がっているはずですが・・)

 ロープウェーで山麓駅へ下りて、次の便が下りてくるまで待ちました。





 先導する方に従って、これから16.5km程を歩きます。11時15分頃、カメラはイチデジをリュックに入れ、コンデジをリュックからポケットに入れ、ゴールするのは2時過ぎぐらいかな、と思いつつ歩きだします。イチデジを持っているとどうしても写真撮るのが優先して、歩くのが疎かになりがちなのでコンデジに替えましたが、やつぱし写真を撮りたくなります。撮る度に先頭から遅れていきます。山から下りて行くのですが、結構アップダウンがありました。





 木々の中を抜けると、大草原に出ました。ここで雷に会ったら怖い、と思っているとポツリポツリと落ちてきます。えぇ、となりましたが、次のポツリが無く一安心しました。


(広々とした所へ出る)





 最初の頃はクニャクニャ曲がりながら歩きました。最後の方は木々のなかの真っ直ぐな一本道でした。風がなく、きつかったです。


(直線はきつかった)



 給水ポイントでは先に着かれていた80歳の方にご挨拶し先に進みました。この日も風がなく蒸し暑い中でのウォーキングです。途中、お会いしたウォーカーの方に、「せつかく、このようなところを歩くので風があればいいのに」と、お話した後に、スーッと風が来ました。これも一瞬だけでした。途中、後何キロの表示は無かったので、2時を目途に、後何分歩かないといけない、と思いながら歩きました。そして、ようやく後1Kの表示がありました。知っているところの1Kは短いですが、知らないところの1Kは長いです。なんとかゴールの憩いの広場に着きました。2時10分前でした。お昼はお弁当を頼んでいたので、憩いの広場でいただきました。お弁当ではなくカレーライスでした。お冷がありがたかったです。


(まきばレストラン)

 ここにバスが3台待っています。帰れる人から先にバスに乗って、満席になったらバスが出ます。私が食べ終わったころ1台目のバスが出ました。2台目のバスに乗って満員になるのを待ち、バスは出ました。3時ごろメーン会場に着きました。1日目のウォーキングが終わりました。ホッと一安心です。この後の予定があります。

 メーン会場から青森駅へ移動し、青森駅前15時28分発棟方志功記念館行「ねぶたん号(あおもりシャトルdeルートバス)」を待つ。少し遅れてねぶたん号は来た。信号、信号で止まりながらも棟方志功記念館前バス停に着く。開館時間に間に合った。棟方志功の作品は初めてではないが、多くの作品に出合うと圧倒される。対象に向かう、作品を創る。その“情熱”は凄い。どこから出るんだろう。技術的な事は判らない。“情熱”の凄さだけを感じる。


(棟方志功記念館)


(ねぶたん号)

 感動を後に、再び、ねぶたん号に乗る。郷土館前で降りる。そこから歩いて1日目に通っただけの善知鳥神社(うとうじんじゃ)へ行く。善知鳥神社前には奥州街道終点の碑がある。ここから日本橋までが奥州街道である。表現がおかしいかな。日本橋からここまでが奥州街道である。かな。街道の起点、終点は厳密に決まっていたのだろうか。棟方志功生誕の地もすぐ近くにある。神社にお参りし、歩いてホテルへ。


(神社にある案内板)


(奥州街道終点の碑)


(棟方志功生誕の地)


(善知鳥神社)


(善知鳥神社)


(善知鳥神社)

 ホテルで小休憩した後、歩いて2、3分の「青森県観光物産館アスパム」へ行く。途中には1日目に寄ったラーメン屋もある。アスパム1階は観光物産館になっている。12階が360度の展望台。遠くは霞んで見えない。行ってきた八甲田山も見えない。空気が澄んでいれば岩木山も見れるのだろうか。


(アスパム)


(八甲田丸)


(青い海公園)


(八甲田山の方角ですが)


(湾に入る船)


 10階に、青森で二番目においしい店「みちのく料理西むら」という店があったので、そこで夕食にした。一番人気という「縄文定食」を頼んだ。じゃっぱ汁が美味しかった。一番目も、三番目もしらないので、二番目かどうかは判らない。今日はお酒ではなくビールにした。お酒のメニューを見たら一日目に飲んだお酒「田酒」が「フルーティ」なお酒として紹介してあった。最近テレビの食レポで「フルーティ」とよく聞くが、私が感じたことと同じ意味だとしたら、使いたい言葉ではない。このブログを書くため、お店のホームページを覗いたら、10%OFFのクーポンがあった。しまった、事前に確認しておけばよかった。


(縄文定食)

 食事後は、アスパムの裏の「青い海公園」を散歩した。風があって、ぶらりぶらり心地良い。熊本ではこういう経験ができない。釣りをしている人がいたので「こんばんは。釣れますか。」と聞いたが返事がない。熊本人も無愛想だけど、青森人も手強いぞ、と思ったら、翌日その原因がわかった。


(青い海公園)


(海上保安庁の船が出動)

今朝、パンを食べたところの近くにある「A-FACTORY」へ行って、地ビール「奥入瀬ビール」を買う。パンを食べたのと同じ椅子テーブルに座って飲もうとしたら、まん丸いお月さんが出ていた。


(奥入瀬ビール)


(青森で見た月)

 熊本でも、同じまん丸の同じ大きさのお月さんが見れるんだろう。ん、人が旅に出てお月さんを見て、自分が住んでいるところでも同じ月が見れる、家族もみている、と判ったのはいつの頃なんだろう。その昔は、今と違って、置いてきた家族は必ず月を見ていただろうから、旅先で月を見るときの感情は今とは随分違うだろう。月が見えない時は悲しかっただろう。ビールを飲みながらそんな事を考えてしまった。もう4日目だ。

本州最北端大間崎へ歩く。マグロを食べる。(青森の旅-3日目)

2015-08-07 | JWAウォーキング
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7月30日(木)

 朝4時ごろ目が覚めてしまった。2度寝しようかと思ったけど、朝風呂に入ることにした。露天風呂は夜間から早朝は閉鎖中なので内湯へ一番乗りで、後から2人入ってきた。源泉たれ流しの湯が流れる出る温泉にゆっくりと浸かる。湯から上がると、昨日は急いでいて気付かなかったが、脱衣室には150Kまで量れる古い大きな秤があった。体重計というよりは荷物の秤のような大きさだ。しかし、ここに置いてあるからには体重を量るものだろう。乗ってみる。体重はそんなに変動していなかった。

 温まった体を冷やそうと、浴衣姿にホテルの下駄を履き、ホテルの外へ出て、ホテル横の河原へ。朝は爽やかで空気もすがすがしい。川の水の音も心地よい。カメラをとりに部屋へ戻る。同室の4名はまだ就寝中。音をたてないよう気をつけながら着替えて、カメラを肩に、再び河原へ。昨日ホテルへ歩いてきた遊歩道を逆に歩くことにする。早朝散歩している人もチラホラ。まだ、朝の5時半ぐらい。風はない。今日も暑くなりそうだ、と思いつつ、ひと時の爽やかさを感じながら、渓流沿いの風景や花を撮ってまわる。







































 朝食は7時から。最近、食事のときは生野菜を先に食べることにしている。野菜を口に入れ噛んだらシャキッ、シャキッ、新鮮さが口いっぱいに広がる。また、野菜を口に運ぶ。シャキッ、シャキッ、また、新鮮さが口いっぱいに広がる。次も、次も。こんなにシャキシャキして新鮮な味のする野菜は初めて食べます。美味い。大満足。



 さて、「第13回縄文の杜あおもりツーデーマーチ せっかくウォーク 秘境下北 本州最北端と津軽海峡大パノラマウォーク」2日目大間町のウォーキングです。2本持っているペットボトルの空の1本にホテル水道の水を入れ、ウォーキングのスタート地点蛇浦へバスで向かいます。今日は津軽海峡を歩きます。蛇浦へ着いたら、サプライズが。大間町の町長がお出迎えです。そして、今日のコースは地元の方がご案内してくれることになりました。










 津軽海峡を右手に歩き始めます。ワカメを干しているところが多いです。いろんな花にも出会います。海からの風も少しあります。









































 1時間ほど歩いて、左手に曲がり、木々の中を歩きます。牛がいますが、暑いので木陰に集まっています、時おり木の中を通ってきた風があたります。













 しばらく歩いたら大間町観光牧場「シーサイドキャトルパーク」に着きました。展望台からは360度の眺めです。空気が澄んでいたら北海道も見れるようですが、残念ながら見えません。しばらく眺望を堪能します。
















 パークの畜産資料展示館にある水道の水が冷たく美味しい。すでに空き瓶になっているもう一本のペットボトルに水を入れ、薬研温泉のホテルの水と、交互に飲みながら歩きます。パークを出たところにはアジサイロードがあります。昨日、下北半島にバスで入ってから、道路沿いにはずーっとアジサイの花が見れました。



 大間温泉養老センターの横を通って、海岸へ向かいます。温泉に入りたいところですが叶わず、写真を撮ることもほとんど無く、30分程ひたすら歩きます。写真を撮らないで蒸し暑いなかを歩いていると、罰ゲームを受けている感じです。







 ようやく海岸へ。そこからゴール大間崎はすぐです。大間崎にも町長が待っててくれました。


















 本州最北端大間崎は観光客の姿もありました。大間のマグロは某寿司チェーン店が築地で高い値段で落札し話題になりましたが、大間町はお金をかける事無く日本全国に話題を提供できたのではないでしょうか。大間のまぐろはほとんどが築地に行くので地元ではなかなか食べられないということです。
 昼食は「まぐろ長宝丸」で、その大間のまぐろが乗っかっています。ウニ、イカも乗っています。まぐろを食べることはあまりありませんが、たまに食べるのに比べ味が濃い感じです。うーん、やっぱし違うなぁ。大間の牛もたくさん見たので、牛肉も食べてみたかったですね。食事中に店のご主人がマグロ漁について説明していただきましたが、耳が悪いので、内容はよく判りませんでした。すみません。



 昼食後は横浜町のドライブインに寄って、「菜花(なばな)ソフト」を食べて、青森市内向かいます。
明日からの「縄文の杜あおもりツーデーマーチ」の会場、八甲田丸広場へ17時前に到着。前日受付を済ませて今日の宿泊先「ホテルJALシティ青森」へ。





 夕食は、ネツトで調べて安くて美味しいと評判の「三九鮨」を探して行くことに。ホテルからはさほど遠くなく、県庁近く大きな通りに並行した路地を入ったところにひっそりとあった。大きなお店ではない。カウンターに座って驚いた。目の前には「黒霧島」のキープされた瓶がいっぱい並んでいる。青森で芋焼酎がこんなに飲まれているなんて。先ずはお刺身。「千円で量が多いと思われたら五百円のでもいいですよ。」と言われたので、五百円のを頼んだ。5点盛の刺身が出てきた。白身が中心で、ご主人が魚の本でひとつひとつ説明された。魚は青魚が好きでよく食べるので、あじ、いわし、さばの違いは判るが、白身の魚は味の区別はよく判らない。タイとヒラメぐらいしか刺身では食べないし、ガラカブは味噌汁か煮つけで食べる。白身魚の刺身も食べなれると判るようになるのだろう。五百円の刺身をもう一皿頼んだ。別のお刺身が5点盛。三九鮨のラベルが貼られた冷酒とともにいただく。冷酒の銘柄は忘れてしまった。お店のメニューにイワシとサバはあったけどアジがなかったのでご主人に聞くと、脂ののりがいまひとつないようなお話だった。
 カウンターの横では「白波」の一升瓶で焼酎の水割りを飲んでいるお客さんがおられたので話を聞くと、もう40年近く白波を飲んでおられた。最初に飲んだ時にその美味しさに魅せられ、それ以来飲まれているとのことだった。青森の酒店にはないと思うので特注だと思う。青春時代の九州旅行のお話など楽しく聞かせてもらった。三九鮨のご夫妻とは登山仲間で、岩木山に登られた時の写真を見せてもらった。5月でもまだ残雪があるのだ。青森滞在中に岩木山を見ることがなかったのは残念だった。お客さんに「どうしてこの店に?」と聞かれたので、「ネツトで見て来ました。高くて美味しい店は当たり前ですからね。」とお返事した。「青森で一番安くて、一番美味しい店です。」と誇らしげに語られた。
 お寿司を握ってもらった。このボリュームでこの値段とびっくりした。もちろん美味しかった。お腹いっぱいになって帰ることにした。もっと飲んで楽しくお話ししたかったけど、明日から2日間のウォーキングが待っている。
 静かなご主人だったけど、お魚への愛情とそれを安く提供しようとする“情熱”をいっぱい感じることができるお店だった。良かった。

 カメラは持っていかなかったので、写真はこちらを見てください。
 食べログ|青森「三九鮨」
 

本州最東端を歩く。薬研温泉で湯に浸かる。(青森の旅-2日目)

2015-08-05 | JWAウォーキング
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7月29日(水)

 早朝、目が覚める。喉のカラカラ感はそれほどありません。
 朝刊には、昨日は青森空襲70年の記事がありました。



 先ずは、朝食です。
 昨日の夜に手に入れた「青森市観光ガイドマップ」を見ると、ホテルの直ぐそばに「のっけ丼」があります。ここだ、と7時前に向かいます。歩いて1、2分です。
 のっけ丼は青森魚菜センターで、1080円のクーポン(クーポンは10枚付いています)を買って、それで市場に並んでいるものをちょっとずつ買って食べる丼です。最初にクーポン1枚でどんぶり飯を買います。その丼の上に、各お店で少しずつ買い物します。たこ、まぐろ中落ち、エンガワ、ホタテ、鯛、サザエ、数の子、卵焼きをのっけていきます。オリジナルの海鮮丼が出来上がりです。それをかっ込みます。朝食終り。


(青森魚菜センター)


(オリジナル海鮮丼)

 ホテルに戻って小休憩後チェックアウトし、9時から開いている「ねぶたの家ワ・ラッセ」へ。ワ・ラッセは、ねぶた祭の歴史や魅力を紹介する施設です。ねぶたは、「ねぶた」とも「ねぷた」ともいうみたいですが、青森市では「ねぶた」と統一しています。昨年の受賞ねぶたが展示されていました。すごい迫力です。今年のねぶたでは、スターウォーズが話題になっているようですが、その製作もされていました。山車を造ってきた代々の「名人」がいます。名人の作品もビデオ紹介されています。山車は祭りの3か月前くらいから製作され、祭りが終わると廃棄されるそうです。受賞作品はここに1年間展示されます。廃棄されるのを前提にあれだけの物を造る、その“情熱“は凄いです。














 さて、今日から1泊2日の日程で「第13回縄文の杜あおもりツーデーマーチ せっかくウォーク 秘境下北 本州最北端と津軽海峡大パノラマウォーク」に参加です。駅前に24名ほどが集合し、10時半前にバスで下北半島に向かいました。



 最初の休憩地は横浜町です。下北にも横浜がありました。ここには「なまこ愛スクリーム」があり、食べることに。バニラアイスにナマコの粒々が入ってその食感を楽しみます。誰が考えるんですかね、こんな商品を。そういえば最近ナマコを食べませんね。消費拡大の一環でしょうかね。


(なまこ愛スクリーム)


(休憩地から下北半島の出っ張った方を望む)

 また、しばらくバスに揺れ、むつ市に入り「下北名産センター」で昼食。陳列棚にはビールも並んでいましたが、この後ウォーキングが待っています。我慢我慢です。しかし、この陳列棚にあったビールに、この後お目にかかることはありませんでした。飲んでみたかったですね「にんにく黒ビール」。


(昼食)


(ビールいろいろありそうですが・・・)

 14時20分頃、ようやく本州最東端尻屋崎に着きました。途中休憩をしながら4時間かかりました。出迎えてくれたのは、「寒立馬」です。寒立馬は、極寒の地で育つように改良された馬です。一時は9頭まで減り絶滅が心配されましたが、有志の手によって保護が行われ、現在では30頭ほどまでに回復しているようです。青森県天然記念物指定にされています。


(バスの中から)


(本州最北端)


(尻屋埼灯台)








(寒立馬)


(寒立馬)

 下北半島は、長靴を逆さにしたような形です。その踵のあたりの東端から下へ、つまり南へ、左手に太平洋を望みながら、海岸線を約7キロのウォーキングです。例によって写真を撮りながら歩いていると、最後尾からも離されます。急いで追いつくの繰り返しです。それはいつもの事なのでいいのですが、とにかく蒸し暑いです。風が吹きません。熊本の蒸し暑さから逃れ、寒流の涼しい風に当たりながらウォーキングが出来ると期待してやってきたのですが、外れてしまいました。叫びたくなります「おーい、寒流に会いに来たんだぞー。暖流に会いに来たんではないからなぁ」と。(暖流と寒流の事はよくわかりませんが、気分の話です)それでも、雄大な景色に変わりはありません。水平線は空気が澄んでいないのか、はっきりとは見えません。なおさら遠く遠くに感じます。そんな景色、草花を撮りながら、遅れまいと必死に歩きます。




























(海岸に沿って歩きます)






(サーファーの姿も)








(柵をして馬を保護しています)





 尻屋漁港のところに来て、ようやく生活感のある場所へ着きました。鳥たちも生活感のあるところにたくさんいます。ここから海岸線を外れて歩きます。そしてようやくバスが待っていているところへ。ほっと一息つきました。


(すぐ漁港です)


(尻屋漁港)




(尻屋埼灯台から現在地の方に歩きました)

 16時頃尻屋地区を後にし、1時間少々かかって薬研温泉へ。薬研温泉は下北半島の突き出たところの真ん中にあります。恐山は近くにあります。


(ホテルニュー薬研)

 これから4K程の渓流ウォークが待っています。今日宿泊する「ホテルニュー薬研」の支配人が案内されてました。清流と森林の中を歩きます。マイナスイオンたっぷり浴びて気持ち良く、と書きたいところですが、まだまだ蒸し暑く、風がありません。これまでの疲れが吹っ飛ぶ、というところまでは・・・残念でした。それでも、1日のうちに海の景色、渓流の景色と堪能できました。お腹も空いてきました。


(乙女橋)










(ずい道)


(トロツコの線路跡)






(カッパの湯があります)






 ホテルに着いて、慌ただしく温泉に浸かり、汗を流して夕食です。お品書きの裏に下北の方言が書いてありました。「沸騰する」は「にだる」というそうです。縄文時代、私たちの祖先は土器で「煮る」ことを始めました。そのころから「にる」に近い言葉は使われていたのかも知れないなぁ、と思いながら、地元のお酒「のまさまい」で美味しく夕食をいただきました。「のまさまい」本州最北端の造り酒屋である関乃井酒造のお酒です。今日は蒸し暑かったですが、この地のように、爽やかでスッキリした飲み心地です。「のまさまい」とはどういう意味でしょうかね。美味しいので人には勧めずこっそり飲もう、という意味かな、なんて勝手に想像して飲みました。何本でもいけそうですが、一本で我慢です。


(冷酒「のまさまい」)

 食後は、露天風呂に。今度はゆったりと浸ります。内湯は、私には少し熱めだったが露天風呂は丁度良かった。風呂には落葉すくいの網が置いてあって、「落葉も楽しんで下さい。気になる人は網を使ってください。」という事が書いてあった。まだ、時期ではないので、落葉は浮いてなかった。
部屋に戻ったら皆さん就寝されていたので、早い時間であったが就寝です。

「浜田知明のすべて」展へ行きました。【熊本の話題】

2015-08-05 | 熊本の話題
 【写真はクリップすると拡大します。】

 8月1日から熊本県立美術館で開催されている「浜田知明のすべて」展へ行きました。




 浜田さんは97歳です。今でも熊本で創作活動を続けられています。油彩、スケッチ、銅版画、彫刻の初期から最新までの作品が約300点展示されています。

 戦争の体験、そして戦後社会の人間を独特の視点で創作されています。泣けて、笑えます。そこには私自身がいます。近くの誰かもいます。遠くの誰かもいます。

 今夏、一番のお勧めです。

 貴方を、そして誰かも発見するでしょう。


8月2日熊本日日新聞より

 図録もお勧めです。会場の展示でも、インタビュー形式で作者の想いを説明してありますが、図録ではそれぞれの作品への想いが会場と同じ形式で説明してあります。こんな図録も珍しいと思います。




 図録を見ながら、読みながら、また泣けたり、笑ったりです。

 浜田さんの今の時代への想いも感じることができます。