鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「横井小楠とその時代展」へ行った。

2019-01-20 | 横井小楠
2019年1月9日(水)

「横井小楠とその時代展」は、熊本城二の丸広場にある熊本県立美術館で開催されています。





横井小楠と福井藩の交流を中心に、次の展示内容になっています。
第1章 横井小楠と福井藩の出会い
第2章 横井小楠の福井藩での活躍
第3章 横井小楠と松平春嶽
第4章 福井藩より帰熊、沼山津へ蟄居
終章  小楠、明治維新の参与となる

横井小楠記念館や永青文庫が所蔵しているものの他、福井県立図書館、福井県立歴史博物館、福井市立郷土歴史博物館、山中湖村教育委員会、山中湖文学の森、徳富蘇峰記念館などが収蔵している資料が数多く展示してあります。

横井小楠は①肥後・熊本藩へ他から登用の要請、②熊本藩が要請を断る、③再度の強い要請、④熊本藩しぶしぶ認める、というのを2度経験しています。

1度目は、福井藩主・松平春嶽が、嘉永6年のペリー艦隊の来航で対外情勢が緊迫するなか藩内の人材育成に藩校「明道館」を設立し、教官として横井小楠を招聘しようとします。

2度目は、明治新政府発足に当たり設けた総裁、議定、参与という三職の参与として岩倉具視が強く要請します。

福井藩との交流が中心の今回の展示では、松平春嶽が、義父である熊本藩主・細川斉護に送った2度の書簡を見ることができます。

1回目の書簡(安政4(1857)年8月12日付け)では、福井藩の事情を説明し、小楠はこれまでも福井藩で講義をしたことがあり、藩内では知られた人物なので、支障が無ければ小楠を貸してほしいとお願いしています。この時は松平春嶽が江戸の熊本藩邸に直接持参しますが、江戸詰の家老が留守だったため、翌日、藩用人を派遣し書簡を渡します。

細川斉護はこの要望を謝絶します。

諦めない松平春嶽は、2回目の書簡(安政4年12月25日付け)4mを超える長文で、小楠招聘を切望します。

ようやく細川斉護も横井小楠を貸し出すことを許可します。

他藩へ赴任する時も辞令書(安政5年2月29日付け)が出るんですね。

当時の辞令書はもともとこのような文章だったのかもかもしれませんが、経緯を知ると、迷惑そうな、しぶしぶとの気持も出ているように感じられます。

熊本を出発した横井小楠が信濃国・上田藩士の桜井純蔵に宛てた書簡(安政5年4月3日付け)では、京都で福井藩の橋本左内と会ったことなどが記されています。橋本左内は、安政6年10月7日、安政の大獄で刑死。偶然に会ったのでしょうか、どんな話をしたのでしょうか???

興味津々の展示が続きます。

酒好きの横井小楠が所用した盃や瓶子なども展示してあります。



本展示は3月24日まで開催。

球磨焼酎の高橋酒造が協賛しています。私の晩酌も敬意を表してこちらになった。



◇横井小楠については下記を見て下さい。
横井小楠ホームページ

2019年も正月2日は益城町三社参りウォーク

2019-01-02 | 熊本の話題
2019年1月2日(水)

正月2日、熊本地震で最も被害の大きかった益城町の三社参りウォークも3回目。

熊本市と益城町の境に小楠公園(熊本市東区沼山津4丁目)があります。
りりしく「横井小楠像」が建っています。



熊本市から益城町への県道熊本高森線は、熊本市内は4車線だが、益城町内に入ると2車線になっています。
熊本県は、熊本地震後の創造的復興の一つとして益城町内の4車線化を計画、今年から工事に入る予定です。



高速道路の下は4車線化に対応できるようになっているので、構想そのものはかなり前からあるのではないでしょうか。



そんなことを考えながら県道を歩いていると、「惣領木神神社」に着きます。
昨年の正月にはお洒落な神殿に再建されていました。



しばらく歩いて、「安永神社」へ。県道から2分程入ります。
鳥居が修復されていて安心しました。昨年までは、このままで大丈夫かなと心配でした。



昨年の写真です。



神殿も修復されています。「安永神社」は大きな木々に囲まれていて、気持ちがいいです。



県道に戻って歩く。4車線化に向けて、県の買収が済んだ土地もチラホラあります。



益城町木山交差点。熊本県と益城町が、ここから益城町役場を中心に再開発の計画をしています。

昨年の1月2日時点では、益城町の都市計画審議会で区画整理事業計画が否決されていましたが、その後、県と町の説明が繰り返され、承認されました。。

昨年のブログには次のようなことを書いていました。
『賛否相半ばのようで、対立が先鋭化しなで冷静な判断が出来るようになればと思います。
そのためには計画する側のそれこそ本当の丁寧な説明がいるのではないでしょうか。』

4車線化と中心部の再開発で益城町は大きく変貌すると思います。若者が定住したくなる町になればと思います。



交差点から右折し「木山神宮」へ。



新たな鳥居に掲げられるのはいつになるでしょうか。



崩壊した神殿の解体作業は終わっていました。



昨年の写真です。



参拝します。



解体の作業手順が貼ってありました。。



作業中の写真も添えられています。上の方に何かが。



説明がありました。



これです。



木山神宮のすぐそばを秋津川が流れています。
横井小楠旧居四時軒・横井小楠記念館(熊本市東区沼山津1丁目)の横を秋津川が流れていますが、その上流になります。



熊本地震後、益城町総合体育館がで最大の避難所となりました。昨年はまだ解体中でしたが、解体も終わり、新たな体育館の建設が始まっています。



昨年の写真です。



完成イメージ図です。



木山城址公園も復旧工事が始まっていました。



県道熊本高森線へ出て、2km程東へ歩きます。風が強いと寒いです。



「津森神宮」に着きます。

津森神社の楼門。明治14年建立、平成18年に大修理を行ったと説明してあります。
神仏習合の形式で、大きさは熊本県一とも説明に書いてあります。



津森神宮。



津森神宮には「日本一の大銀杏」があります。



日本一と称する根拠の説明もあります。



2km程戻ります。西へ向かって歩きます。
益城町総合体育館から県道熊本高森線へ出たところの橋の下ですが、復旧工事が始まっていて、階段を上れません。



昨年の写真です。まだ、工事が始まる前でここの階段を上りました。



戻って、橋の端を歩きます。橋の上から先ほどの工事現場。この橋のあたりまでが4車線化の予定のようです。



橋から直ぐに木山上町バス停に着きます。信号のある交差点は、「木山神宮」へと右折した益城町木山交差点です。

今日も曇り空で寒かったです。
益城町三社参りウォークを終え、過去2回と同じく、このバス停からバスで帰ります。



2016年4月の熊本地震後、2018年11月末現在、県内で21,678名の人たちがいまだ応急仮設住宅等(建設型仮設住宅・借上型仮設住宅・公営住宅等)に住まわれています。(2017年11月末は42,988名)

仮設住宅退去後の支援も課題としてあげられています。

完全復興まで、まだまだ遠いです。

2019年も元日は三社参りウォーク

2019-01-01 | 熊本の話題
2019年1月1日(火)

明けましておめでとうございます。

平成最後の元日も熊本市内三社参りお一人ウォーク。

最初は健軍神社へお参り。長い列が出来ていました。



健軍神社で毎年買っている「えとお守り」も10個目になりました。後2年、干支を一回りするのが目標です。



いつも眺めさせてもらいます。



毎年、撮っていますが、周りの木が茂ってきたような。



元日の三社参りウォークを始めて最初の頃だったと思います、この公園に雪だるまが出来ていました。熊本で元日に積もるほどの雪を見なくなって何年も経ちます。温暖化ですかね。



新水前寺駅にウォーキングのパンフレット貰いに寄り道しました。



熊本市立図書館の近くにある是法神社。



是法神社境内の放牛地蔵。放牛地蔵(ほうぎゅうじぞう)とは、肥後の国の僧放牛が1722(享保7)年から10年かけて作った石仏百余体のことをいいます。



明治3年から徳富蘇峰・蘆花兄弟が住んでいた旧居の復興はまだ先。周囲は立ち入り禁止。隣接する徳富記念館は開館中です。



白川に架かる「明午橋(めいごばし)」は、2013年9月から架け替え工事中でした。昨年11月に仮橋から新しい橋へ切り替わりました。熊本地震の影響で工事期間が長くなり、この間、三社参りウォークも仮の橋を渡っていました。



架け変わった新しい橋を渡ります。気持ちいいですね。



工事資材は撤去中です。



藤崎八旛宮も長い列でした。



藤崎八旛宮で。古いお札等は火の中に。



藤崎八旛宮の参道もたくさんの人出です。



甘酒でほっと一息。



坪井恵比須神社。小さいころは、もっと大きな神社でした。



熊本信愛女学院に建っている「三毛子さん」。もう熊本でも数少ない女子高です。駅伝の強い学校ですが、今年の県予選は2位。残念ながら都大路を走れませんでした。



坪井川の鯉は元気。



熊本城の天守閣が見えてきます。



棒庵坂(ぼうあんざか)を上ります。



加藤神社入口から熊本城宇土櫓。創建当時の建物です。後ろは大天守。



加藤神社境内から熊本城天守閣。右が大天守、左が小天守ですが工事中。



加藤神社も参拝の長い列が出来ていました。



三社参りウォークを終えて、高橋公園の「横井小楠と維新群像」へ。後ろは熊本地震で崩れた熊本城の石垣。



今年も1年元気で歩きたいと思っています。

ブログの更新もままならず、昨年の書き残しがまだあります。頑張っていきたいと思っています。

今年も1年、おつき合いをよろしくお願いします。