鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「西南戦争田原坂の戦い砲台跡」に会う【JR九州木葉駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-19】

2021-11-30 | JR九州ウォーキング
2021年11月27日(土)

今日は鹿児島本線木葉駅(熊本県玉名郡玉東町)



受付を待つ行列の後ろに並んだけど、早めに受付が開始された。8時半頃にスタート。



駅の裏手にある公園の遊具。いつもは列車の窓から眺めているけど、最近の遊具は楽しそう。



その公園で。



今日は朝から寒い。



空を眺めるといい天気。暖かくなりそうだ。



上り列車が通過して行く。



うっそうとした山道を上って行く。



そうして、着いたのは二股瓜生田官軍砲台跡。
明治10(1877)年、国内最後の内戦といわれる西南戦争の田原坂の戦いで、官軍が砲台を築いたところ。
JR九州ウォーキングで西南戦争遺跡をたくさん見てきたが、砲台には初めて来た。
遠くに、田原坂公園の慰霊碑や資料館などが見える。



少し歩いて、二股古閑官軍砲台跡へ。
今は木も茂り家も建っており、田原坂公園の慰霊碑は少しだけ見えるだけ。
当時は田原坂方面がよく見えたであろう。

砲台跡を2ケ所見学して、官軍はいい場所を押さえていたと感じる。



上の写真の下に映っているみかん畑で、みかん狩り。一人5つまで。







引き返して、次の目的地へと歩く。



田原坂の看板が見えた。



先へと進む。



田原坂公園へ上って行くのだけど、何度も上った田原坂とは違った坂を上る。
こちらの方が急な坂のような気がする。
かなりきつい。
どこへ出るんだろうと思いつつ上る。



出たのは、田原坂公園から薩軍墓地へと行く道のところ。
へえ、こんな坂道があったんだ。この坂も激戦地だったのだろう。
田原坂公園の駐車場のところに着く。

すぐのところにある弾痕跡の家。他の場所にあった建物を移設してある。



田原坂西南戦争資料館は西南戦争の歴史や戦いの様子を知ることできる。
何度か見学したので、今日は遠慮した。



西南戦争の遺跡の多くは玉東町にあるけど、田原坂公園一帯は熊本市。
熊本市のゆるキャラひごまるがお出迎え。
くまモンは熊本県のゆるキャラ。
この後、2ショットを撮ってもらった。
くまモンとは撮ったことがあるけど、ひごまるとは初めてだ。



田原坂公園の展望所より。
写真の真ん中、少し左の開けている高台のところが先ほど寄った二股瓜生田官軍砲台跡だ。

右側には、かすかに雲仙普賢岳も見える。



三の岳とすそ野に広がる台地。
ここ一帯も西南戦争の激戦地だった。



西南戦争戦没者慰霊の碑。



公園を後にして、何度か上った田原坂を下る。下るのは初めてかな。

眼下の玉東の町へと向かう。







三の坂、二の坂、一の坂と下りてきた。
下りは、なにかあっけない。
一の坂、二の坂、三の坂と上る方が気持ちが高揚する。



一の坂公園から。



田んぼ道に出て、木葉山。



川沿いを歩いていく。
田原坂付近の川は戦いの血で赤く染まったという。



玉東の町に出る。
ここからは定番のコース。



すぐに高月官軍墓地へ。
官軍墓地は何か所もあるけど、980名の戦死者が葬られていて、最大規模の官軍墓地である。
西南戦争での戦死者は官軍約6,400名、薩摩軍約6,800名といわれている。



すぐに玉東町役場。





これは何だろう。砲弾のようにも見えるけど。



役場からすぐに正念寺。



正念寺には西南戦争で病舎が設けられ、赤十字社の前身である博愛社の活動が始まったところといわれている。



今も残る弾の跡。



次に、官軍本営跡へ。今は公民館が建っている。



みかんクッキーのサービスをいただいた。
後で食べたがほんのりとみかんの香りが口の中に広がって美味しかった。



薩軍めしの販売があっている。
即、買って、椅子を用意してあった公民館の前庭で食べる。
大きいお握りが2個。
お芋なども混じっている。
後から到着した人たちも、食べている姿を見て、買う人続出。
気分良し。



官軍本営跡を後にして先へ進む。



すぐに、官軍の征討総監・有栖川宮督戦の地へ。



田原坂公園の方角。
ここも、田原坂周辺の戦いの様子がわかるいい場所だ。



先ヘ進む。といってもすぐに徳成寺。
ここも病舎が設けられ、赤十字社の前身である博愛社の活動が始まったところといわれている。



お茶やお漬物などいただいた。



また、すぐに木葉宇都宮神社へ。
何年か前に来た時、紅葉の奇麗なところがあると思ったが、今日も奇麗だ。
内戦の悲惨な様子を見てきて、ここに来ると癒される。
紅葉を見る、撮るよりも佇んでいたい雰囲気だ。











もうしばらく居たい気持ちだったが、先へと。

またも、すぐに木の葉猿窯元へ。



見ざる聞かざる言わざるが基本の形だが、今はいろんなにお猿さんが作られている。
そのお猿さんたちを見て、思わずニッコリと。



ゴール木葉駅へ。

アップダウンが多く、きつい上り坂もあり、距離もあり、近頃のJR九州ウォーキングでは珍しく気合の入ったコースだった。
コース上の要所ではJRの人よりも多く地元の人たちが道案内をされていた。
西南戦争遺跡でも地元の人たちの熱心な説明があった。何か所かでおもてなしもあった。
玉東町の老若男女の気合の入った歓迎だった。

気持ちの良く歩けた。



13時発の下り列車が来た。



今日のウォーキングを終える。

「紅葉」に会う【JR九州基山駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-18】

2021-11-23 | JR九州ウォーキング
2021年11月20日(日)

今日は鹿児島本線基山駅(佐賀県三養基郡基山町)。



9時半頃スタート。



駅から直ぐのモール商店街への近道が出来ていた。



商店街を出た後はいつもの道を歩く。

基山小学校の二宮尊徳像、今年は台座を入れて撮れた。



いつもより少なめだがキョロキョロしながら歩く。





今年も軽トラの荷台で野菜類の無人販売があっている。



その横の橋の上から秋光川沿いの紅葉。
ここの木の紅葉で、大興善寺の紅葉の様子が大体わかる。
今年は楽しめそうだと期待は膨らむ。



「ミキファームきやま」で、交通系ICカードを使ったポイントラリーのチェックをし、先へと歩く。



いつもの三菱倉庫。



田や畑、川を挟んだ向うの道は帰り道。帰りのウォーカーやパン屋さん「トートト工房」が見える。



大興善寺へと向かってさらに歩く。







大興善寺の階段が見えてきた。



階段の下に着いて、一瞬上を眺め、さあ上ろう。
なんとか上る。
おお、今年の紅葉はまだ見ごろ。









大興善寺の裏にある契山の入園料はウォーキング参加者割引(600円→500円)がある。













遊歩道の一番高いところまで行こうと上る。



「最強金属で作ったハート」まで来た。



さて、下りへ。



石の上にも百年の木を眺めながら下る。



今ごろ咲いている。



下りの方が足に来る。







お茶屋まで下りてきた。



抹茶セットをいただくことに。
ここでは初めて。いい気分。



契山を出て、大興善寺を後にする。
坂道を下って帰り道へ。





先ほど見えた「トートト工房」に着く。



佐賀牛カレーパンを買って店前の広場で食べる。
揚げたてで、佐賀牛もしっかり味わえる。旨い。



帰り道を歩こう。
ここにも無人販売。



「和カフェ空とたね」に寄る。
アスパラの味噌漬け。去年買って美味しかった。今年も買う。



帰り道を歩く。



「すなぼりがらす対翠社」では、いつもいいものを見せてもらう。



さらに帰り道を歩いて、直産店・飾菜の里「あすか」で全身除菌を体験。



遮るものが無い直線を歩くと、少しずつ疲れを感じてくる。



酒ブティック「丸久」に着く。
2階にイベントコーナーがあり、いつも楽しみにしている。
今年は水墨画展が開催されている。



「丸久」出て歩いていたら空には飛行機。どこからどこへ向かっているのだろう。



「基峰鶴酒造」へ。
お酒を買う。去年も買った。
ギャラリーでは基山町の障害者就労継続支援B型事業所「PIFCA」のライブペイントが開催されていた。



14時頃、ゴール基山駅へ。
基山町独自のポイントラリーもここがゴール。
お菓子やバッジ、ティシュなどをいただいた。



今日は娘が同行してのウォーキングだった。
天気も良く、紅葉も見ごろで良かった。

買ったアスパラやお酒、ポイントラリーの景品など、私の手元には残っていない。
今日のウォーキングを終える。

「ねぼとけさんの足の裏」に会う【JR九州城戸南蔵院前駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-17】

2021-11-17 | JR九州ウォーキング
2021年11月14日(日)

今日は、篠栗線城戸南蔵院前駅(福岡県粕屋郡篠栗町)。



駅からすぐのところにある南蔵院の参拝客が増えて、城戸駅から城戸南蔵院前駅と改名した駅。
9時頃にスタート。



すぐに、南蔵院へ。今日、14日は大相撲九州場所の初日。







南蔵院から城戸南蔵院前駅。



全長約41m、高さ約11mの世界最大級の釈迦涅槃像「ねぼとけさん」。



ねぼとけさんのお顔は見る角度によって違って見える。
今日は、紅葉を入れて。



大きさに圧倒されて、つい見逃してしまう足の裏へと行くと。
仏足(ぶっそく)という。
「仏足とはお釈迦様の足跡を石に刻んだものです。」と説明されている。





ねぼとけさんを後に、先へと歩く。







やきやまこんにゃく直営店へ。



こんにゃくなどをいただいた。ちょっぴりお買い物もした。



先へと歩く。



篠栗線は一部高架になっている。高架上にある筑前山手駅。
1度上ったことがある。怖かった。



歩くのはへんろ道。









第六十一番霊場山王寺に着いた。













護摩焚きと火渡りの神事には、まだ少し時間がある。
今日は遠慮する。



先へと歩く。



第三十九番霊場延命寺へ。



六地蔵。



延命寺。



すぐに、第六十二番霊場遍照院へ。

修行大師像。



修行大師像の台座の周り。



何の店かなと思いつつ通り過ぎる。



第七十九番霊場補陀洛寺へ。



補陀洛寺からゴールはすぐ。
おへんろ道を歩いてきたには、不釣り合いかなと思える駅舎の篠栗駅へ。



大きな大きなねぼとけさん、霊場のほとけさんたち、道沿いでそっと人々を見守るほとけさんたち、といろんなほとけさんたちに会った。
今日のウォーキングを終える。

「ヨカヨカが優勝した競馬場」に会う【JR九州城野駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-16】

2021-11-15 | JR九州ウォーキング
2021年11月13日(土)

今日は日豊本線城野駅(福岡県北九州市)。



城野駅を9時45分頃スタートする。
旧電車通りに出て、歩道をひたすら歩く。



右に曲がって、都市高速に沿って歩き、左に曲がる。



モノレールと並行して歩いていると、モノレールのドクターイエロー「工作車」がゆっくりと走行していた。
しかし、なぜか、まだ走っているモノレールを見ていない。



すぐに、小倉競馬場に着いた。



今日は、小倉競馬は開催中ではない。
場外馬券が発売され、スクリーンには他の競馬場のレースが映し出されている。



スタンドの先に第4コーナーが見える。そして、スタンド前の直線。
懐かしいなぁ。

今年の8月22日、ここ小倉競馬場で日本中央競馬会(JRA)の重賞レース(GⅢ)北九州記念が開催された。
優勝したのは5番人気の熊本県産の牝馬「ヨカヨカ」。

競馬ファンのウォーキング仲間から「感動した」という報せが来た。

実況中継を見られなかったので、JRA公式のYOUTUBEで見た。



第4コーナーで好位置につけたヨカヨカは、直線でぐんぐんと伸びて、トップでゴールを通過した。
見る者を興奮させる素晴らしいレースだ。見事な勝ちっぷりだ。
結果がわかっていても興奮し感動した。



中央競馬で走っている馬で熊本県産馬は0.4%程しかいないそうだ。
重賞レースでは初めての優勝らしい。
競馬場で観戦して、TV中継で見て、YOUTUBEで見て、「興奮」「感動」した人は多かっただろう。



スタンドに上って、YOUTUBEで見たレースを思い出す。
ジーンとくるものがある。

そのヨカヨカの引退が9月に突然報じられた。脚の骨折で今後は繁殖馬になるという。
今年、春の桜花賞(G1)にも出走した。結果は残念だったが。
秋から来年にかけて関東や関西のビッグレースでの活躍を期待していたのに。
来年は自由に行動できるだろうから、ここで見られるだろうと期待していたのに。
残念。無念。



今日、ウォーキング参加者には競馬場が特別に公開されている。
優勝した馬の馬主、騎手、調教師が表彰される台で記念撮影をしてもらうが、写り方が下手。

そして、パドックへ。
パドックはレース前に出走前に競走馬を引き回して見せるところであるが、競馬場に来たときは周りの観客席から眺める。
パドックを回る馬を見て馬の状態を観察して馬券を買う人も多い。

いつもは馬が歩くところを歩いた。





小倉競馬場を出て、次へと向かう。
といっても、今日のマップは簡単だ。
寄るところはゴール。

モノレールに沿って歩く。









動いているモノレールをまだ見ないなあと思いながら歩いていると、「運転見合せ中」の貼り紙。





モノレールには乗れないのか、と上を眺めつつ歩いて、車両基地へ。



今日はここがゴール。



そして、車両基地内を見学。初めて来た。









見学を終えても、まだ、モノレールは動いていない。
今日は、北九州モノレールの全線(小倉駅~企救丘駅)に初めて乗車することも楽しみにしてきたのに、諦めてJRで帰ることにする。

モノレールの車両基地への引き込み線と並行に走るJR日田彦山線。



JR九州志井公園駅。



そうだ、背中のリュックのバッジは・・・。
気づくのが遅かった。競馬場のパドックで撮ればよかった。
また、物忘れ。高齢者になっているのをまたまた実感する。



人で溢れているホームへ12時13分発の小倉駅行き列車が来た。



スタートした城野駅を経由して、小倉駅の一つ手前、西小倉駅で降りる。
今日は、写真を撮る機会が少なかったので小倉城へ。

細川忠興が築城した小倉城天守閣。









明治維新の後、小倉城内には、1875(明治8)年、歩兵第14連隊が設置された。
明治18年、歩兵第12旅団、明治31年、歩兵第12師団と変遷する。

門は第12師団の正門。



松本清張記念館。



天守閣下の堀。



1632(寛永9)年、細川忠利は小倉城の城主から熊本城の城主へ、ここから熊本へ向かった。
1877(明治10)年、西南の役で熊本城に籠城する政府軍の支援に歩兵第14連隊を率いる乃木希典は、ここから熊本へ向かった。

熊本へ帰ろう。
今日のウォーキングを終える。

「丑年ひとまわり、JRウォークに初めて参加した駅」に会う【JR九州三角駅 鉄卓のフォト(?)・ウォーク2021-15】

2021-11-09 | JR九州ウォーキング
2021年11月6日(土)

今日は三角線三角駅(熊本県宇城市)。



2009年11月15日、JR九州ウォーキングに初めて参加したのが三角駅。
あれから12年、丑年がひとまわりした。

その頃は、今とコースが違っていて戸馳島にある「フラワーアイランド花の学校」に行くコースだった。
一人で参加したが、勝手がわからず、緊張の一日だった。
多分疲れた顔をしていたのだろう、帰りの列車で若い人から席を譲られたが、周りを見れば私より年上と思える人が多かったので、遠慮した。
12年たった今は遠慮しない。


(12年前のマップ)

鹿児島本線熊本駅を出て、宇土駅からが三角線になる。
九州の西側真ん中あたりから突き出ている三角半島を有明海に沿い、雲仙の山並みを眺めながら走る。



宇土駅を出たあたりから少し雨が降り出した。
天気予報は曇りだったので、傘など雨の用意はしてきてない。
雨止むかなあ。

やがて、網田駅。



網田駅を過ぎるとは徐々に高いところを走るようになる。
トンネルをくぐり、山の中という感じのところに石打ダム駅がある。
もう一つトンネルをくぐり、しばらくすると三角駅に着く。

昨年、鹿児島本線開通130周年の記念ウォークがあったが、当初の計画では門司~三角のコースで申請し、工事の許可を受けた。
しかし、実際の工事は、宇土から三角へではなく、平坦な地が続く八代へと線路を延ばした。

三角線に乗って三角駅まで来ると、宇土~三角は難工事だったろうとの実感がする。
八代への工事を優先させた、当時の経営陣の気持ちが分かる。



並んで待って、8時半に受け付けが始まる。
雨は止まない。

雨ということもあるかもしれないが、並んでいた人たちの足は速い。
一眼レフデジタルカメラが濡れないように、ジャンパーの中に抱えながら、みんなに遅れないように歩く。

立ち止まって写真を撮ることもない。
今日も歩け歩けになってしまっている。

いつものコース、三角西港の港と反対側の高台へ。
「旧三角簡易裁判所(国登録有形文化財)」へ。
マップには「映画るろうの剣心などのロケ地として利用されました。」と説明されている。

当初の予定では、ここから展望所へ遊歩道を上って行くようになっているが、雨のため展望所へ行くのは中止になっている。



階段を下りて、平成27年、世界遺産に登録された三角西港へ。

レストランになっている旧三角海運倉庫(国登録有形文化財)と天草五橋新・旧の一号橋。



旧高田回漕店(宇城市指定文化財)。



三角西港の築港に尽力した、富岡敏明の銅像と浦島屋。
いつもは浦島屋の2階テラスから写真を撮るが、今日は早々と三角西港を後にしゴールへ向かおう。
雨は止んでいない。



浦島屋の横。



高台にあるのが旧三角簡易裁判所。階段を下りて、写真の左手へ歩いて、三角西港へ入った。



折り返し。歩道が狭いところがある。車の往来も多い。
狭い歩道を、車に用心しながら後からスタートしてきた人たちと行き交う。

三角小学校の所から来た道とは違う道を歩く。
寿司割烹「大番」。
ウォーキングとは関係のない日に海鮮丼を食べに来たことがある。魚の種類も多く、美味しかった。
今日はまだ9時半ころ、通過。



三角駅の真ん前にある、三角東港のシンボル「海のピラミッド」。



「サンサンうきっ子みすみ」ではみかんのプレゼントをいただいた。
毎年のことだが、ここでむみかんをいただくと、これからみかんの季節だ、と思う。
みかんを食べたくなり、食べ始めるのもこのころ。





そして、ゴール三角駅へ。
雨は止まなかった。
小雨だったので、なんとか歩いてこれた。



ゴールで、JR九州ファーム「うちのたまごマヨネーズタイプ」(ゴール先着100名)をいただいた。
そうだ、今日の昼食はあそこにしよう、と熊本駅へ向かう。



駅に着いて、見かけたポスター。
「三か所とも行ったよ駅長さん。」



改札口を出て、バス停が並ぶところにある「うちのたまご」へ。
熊本の店は初めてだ。



親子どんぶりで昼食。美味しくいただく。



雨は止まないまま、家に着く。

今日のウォーキングを終える。
12年後の丑年も歩いているのだろうか?

「2度も万田坑」に会う【JR九州大牟田駅・荒尾駅 鉄卓のフォト(?)・ウォーク2021-13・14】

2021-11-06 | JR九州ウォーキング
2021年11月3日(水・祝)

今日は、先ず、鹿児島本線大牟田駅(福岡県大牟田市)。



駅に着いたら、長蛇の列。後ろに並んだら、どんどん列が長くなった。
受付で何か準備不足があったのか、スタートの受付時間が15分程遅くなった。
8時50分ごろスタート。



今日は、いつもの一眼レフカメラではなく、コンパクトデジカメを持ってきた。写真よりも、歩け歩け。



「カルタックスおおむた」には大牟田市立の「三池カルタ・歴史資料館」が入っている。
カルタの歴史と大牟田の歴史が展示してある。
何度か見学したことがある。入場者にはグッズが当たる抽選があって、和タオルを貰ったことがある。
今日はパス。歩け歩け。



すぐに延命公園。



動物園入り口の方から公園に入り、通り抜ける。
広場では、ティクアウトフェスがあっている。
いつもなら、公園や動物園に来た人たちが、その場で楽しく食べる催しなのだろうが、このご時世で、ティクアウトフェスとして開催されているのであろう。



公園を出た後は、住宅地の中を右や左に曲がりながら、歩け歩け。

三池炭鉱宮原抗に着いた。
何年か前に見学したので、先へ。歩け歩け。



三池炭鉱専用鉄道線跡に出ても、歩け歩け。



少しだけ、よそ見。



万田坑が見えてきた。歩け歩け。



万田坑の正面入り口へ。
ここも、何度か見学している。今日はパス。



さらに、歩け歩け。
10時30分頃、ゴールの荒尾駅に着いた。デジタルスタンプをスマホのカメラでパシャッ。

そして、今日2つ目。ゴールした鹿児島本線荒尾駅(熊本県荒尾市)がスタート駅。



ほぼ、去年と同じコースをスタート。



宮崎兄弟の生家も何度か来ているのでパス。歩け歩け。



東京第二陸軍造造兵廠荒尾製造所平和資料館は昨年初めて来て、見学させてもらった。
今年はバス。歩け歩け。



鹿児島本線の踏切。
昨年は、SL鬼滅の刃号が走る時間帯で、SL見学の近所の人、通りかかったウォーカーでいっぱいだった。



踏切の少し先で右折。長い直線の道だ。歩け歩け。
閉鎖された荒尾競馬場。
跡地の再開発が2回の市長選挙を経て、ようやく決まり、動き出している。
何年か後には、変貌した姿を見ることができるだろう。



標高56mの四山神社の鳥居と灯台が見えてきた。歩け歩け。



去年は、坂を上るコースだったが、今年は階段を上るコース。
海達公子(かいたつきみこ)の詩碑がある。



階段を上る。
1年1年、歳をとるごとに階段を上るのが億劫になってきている。
自分で自分に激を入れ、上る。



階段の途中から、海達公子詩碑の小径へ入る。

海達公子は大正5年長野県の生まれ。荒尾で育った。
7才から詩の創作を始め、北原白秋らから絶賛された。
高等女学校の卒業式の日に虫垂炎で倒れ、帰らぬ人となった。
平成30年度の熊本県近代文化功労者に選ばれている。

詩碑を見ながら、ゆっくりと歩く。













上の写真の詩碑横の階段を上ると、四山神社。



四山神社からの眺め。

見てきた詩碑に「ようと見える うんぜんだけのうえに 白いくもがちょっとある」というのがあった。



下から見えた灯台。

景色を見ながら一休み。コンビニおにぎりで昼食。



さあ、歩こう。
下りは坂道。遠くに万田坑が見える。



三池炭鉱専用鉄道敷跡も見える。



再び、歩け歩け。
旧西原駅のところから。



住宅や、スーパーなどが立ち並ぶところを右に左に曲がりながら、歩け歩け。
鹿児島本線を跨ぐ、鉄道敷跡。



旧原万田駅のところから、鉄道敷跡に入る。



鉄道敷跡も、歩け歩け。



万田坑に着いた。



最初のコースで宮原坑から来た時にも通ったところへ。
ここからは、今日2度目だよ。歩け歩け。



万田坑入り口の所へ。



まだまだ、歩け歩け。

13時頃、2度目のゴール荒尾駅に着いた。



ここにも、海達公子の詩碑がある。



13時9分の下り列車に間に合った。



大牟田駅コースは約9km、荒尾駅コースは約11.5km。合計約20.5km。
2年前の八代スリーデーマーチ以来だろう、久しぶりに20km歩いた。

JR九州ウォーキングでは、いつのころからか、2つのコースを歩くのを「ダブル(W)」を歩くと言うようになった。
いつもはゴール駅と次のスタート駅は違う。
ゴール駅とスタート駅が違うと、列車で移動しなければならない。
スタートの受付は11時まで(多少の融通は利くようだが)なので、上手く列車に乗らないとスタート時間に間に合わない。

今日は、ゴール駅とスタート駅が同じ駅でその心配は要らなかった。
久しぶりのWだった。



きつかったけど、気持ちもよかった、今日のウォーキングを終える。

「『阿部一族』を読むきっかけの場所」に会う【JR九州熊本駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-12】

2021-11-04 | JR九州ウォーキング
2021年10月24日(日)

今日は、鹿児島本線熊本駅(熊本県熊本市)



8時半前に着いたとき、受け付けは長蛇の列。一番後ろに並ぼうとしたころ列が動き出した。
スタートして、すぐに駅前の歩道橋を渡る。



熊本アミュプラザと熊本市電の熊本駅前電停。



熊本市立図書館などが入っている熊本森都心プラザの建物から歩道橋を下る。



坪井川を渡る。川沿いの道の向うは白川。熊本駅の電車通り東口は白川口とも名付けられている。



坪井川と白川は熊本城長塀の前辺りで合流していた。
この地点まで合流した川が流れて、ここで分岐していた。その間に塘を築き分流させたのは、加藤清正。

白川改修の歴史は、国土交通省九州地方整備局熊本河川国道事務所のホームページに詳しく掲載されている。
(ホームページ>河川情報>白川について>白川の歴史について)

白川に架かる大甲橋~龍神橋の向かって整備されていく白川沿いの道には「白川ちゃりんぽみち」という愛称がつけられている。
加藤清正の遺産である坪井川と白川の間の道を少しだけ歩いて、その後は白川に沿って歩く。



振り向くと、熊本駅付近のビル群が。
新幹線が開業して以来、景観が一変してきた。

熊本駅コースはスタートして白川沿いを歩くのがお決まりコースだが、私は逆コースがいいと思う。
この景観を眺めながらゴールの熊本駅コースを目指すのも、都市型ウォーキングの魅力の一つになると思う。





紺屋今町交差点から日本銀行のある通りの入り口の中央分離帯に像が。初めて気づいた。
肥後てまり唄像。近くまで行って撮るのは危険。



バスターミナルのある「サクラマチクマモト」。



花畑公園前辺りから熊本城。



熊本市民会館前から加藤清正像。



御幸橋を渡る。川は坪井川。



御幸坂の上り口にある、「西南の役回顧の碑」とクスノキ。



「桜の馬場城彩苑」の中を通る。



飯田丸五階櫓は解体され、今は石垣の復旧工事が行われている。



二の丸広場から熊本城天守閣。一般公開が始まっている。



二の丸広場の木たちも秋の装いになってきた。



天守閣の一般公開が始まったが、まだまだ手付かずの所も多い。





「加藤神社」へ。



加藤神社境内から天守閣。



加藤神社入り口から宇土櫓。
今日のマップには「熊本駅周辺のパワースポット巡り」と書いてあるが、私にとって一番のパワースポットは小さいころから見てきた、宇土櫓。
約400年もの間、この姿を見せ続けている。
天守閣はまだ前期高齢者にもなっていない。



加藤神社で折り返す。
「西南戦争籠城将校家族避難跡」の碑。



石垣を積むのに使われていた石。
出番が来るのはいつの頃になるのだろうか。復旧へ先は長い。



来た道と別れ、四季折々、二ノ丸広場で一番気持ちのいいところ、木たちに囲まれた遊歩道歩く。



その一角に県立美術館。
館内にあるレストランのテラス席で木たちを眺めながら食事をしたり、コーヒーを飲んだりするのも好きだ。



県立美術館の玄関口のところから二の丸広場にお別れ、「熊本県護国神社」へ。





すぐ横の藤崎台球場から坂を下る。



下ったところを右折。
「西南の役激戦地跡」の碑が建っている。



電車通りに沿って歩くと、「吉田松花堂」。1830年代から続く薬屋。
諸毒消丸が有名。



明治6年創業の蕎麦屋「政木屋」。



明治7年創業の「長崎次郎書店」。

西南の役は明治10年。その当時、この辺り一帯は熊本の街の中心地であった。
そして、碑もあったように西南戦争の激戦地だった。
ここらあたり一面は焼け野原になり、これらのお店も焼けてしまったであろう。

そこから復興して今も続いている。

長崎次郎書店の2階はカフェになっている。
窓際の席からは市電の新町電停も見え、市電の行き来が眺められる。
コーヒーを飲みながらボーッと市電を眺める一時、しばらくしていない。
また、来なくては。



森からし蓮根の前を通る。



北九州に行くと歩道に長崎街道の表示がされているところが多いが、熊本の歩道で街道の表示がされているのは珍しい。



先で、右折。下馬神社。



下馬神社と呼ばれるようになった物語は隈本城の時代に遡るようだ。



すぐに左折。「北岡自然公園」へ。
花岡山の麓にあり、細川家菩提寺妙解寺跡。細川家第3代忠利、第4代光尚らの藩主のお墓がある。
細川家代々の墓は2ケ所にある。
熊本城から東北の方向にある立田山の麓には、細川家菩提寺泰勝寺跡が立田自然公園となっていて、細川家初代藤孝、第2代忠興ら藩主のお墓がある。
そして南西の方向にあるここ。
妙解寺、泰勝寺は明治維新後の神仏分離令後に廃寺となっている。

何十年ぶりだろうか、いつごろ来たか思い出せない。
立派な公園になって入園料がいるようになる前であったように思う。

65歳以上の熊本市民は市が管理する文化施設の入館(園)料は無料になる。
証明になるものを見せて入園。





第3代細川忠利、第4代細川光尚の御廟のある場所は工事中で入れない。
御廟の周りには、忠利の時が19人、光尚の時が11人、主君が亡くなった後、殉死した人たちの墓がある。

何十年か前に来た時、最も印象に残ったのは、その墓の列だった。
今日はここを一番の目的にしてきたが残念。

印象に残った時から、どれだけの年数が経ってからかは覚えていない。
森鴎外の名作として知られる『阿部一族』は、主君の死後に殉死した人たちを題材とした小説であることを知った。

それからすぐではなかったが、『阿部一族』の本を読んだ。
内容はかなり忘れているが、公園入り口で貰ったパンフレットによると、忠利の死後、阿部弥市右衛門は、許しを得ぬまま追腹を切った。家族や一族を巻き込み・・・。
そうそうと思い出す。







代々の墓のあるところを廻っていたら、工事中のところを覗ける場所があった。
殉死した人たちの墓も見える。
「阿部弥市右衛門」の文字も見えた。



北岡自然公園を後にする。また来よう。



折り返して、先ほど曲がった来た地点へ戻り、右折。
明治8(1875)年、橋本勘五郎が手がけた明八橋。川は坪井川。

昭和57(1982)年まで、この橋の上をバスが通っていた。何度もバスで通ったことがある。



橋からすぐのところに古民家をリノベーションしたコーヒー専門店「珈琲回廊」。



バスが通る道をまっすぐ歩いてきて、電車が通る道に出たところの角にポケットパークと呼ばれる公園がある。
そこにあるおてもやん像。
座って三味線を弾いているのはおてもやんの作詞・作曲者といわれている永田いね、その横で踊っているのはおてもやんのモデルといわれている富永モチの像。



スポーツ用品店「体育堂」の前を通る。



すぐに、北岡神社の夫婦樟が目に入ってくる。



北岡神社。



北岡神社で。



ゴール熊本駅へ。



駅前広場というか、アミュプラザ前広場で「パンマルシェ」があっていたので、覗いた。



パンを3つ買ってしまった。



テーブルがあれば食べられるのにもと思ったけど、このご時世なのでテーブルは用意されて無い。
自宅に帰って、少し遅い昼食にすることにした。もちろんビールも。

今日のウォーキングを終える。

「中津で細川家」・「中津で2つの医家史料館」に会う【JR九州中津駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-11】

2021-11-01 | JR九州ウォーキング
2021年10月24日(日)

今日は日豊本線中津駅(大分県)。



今日のウォーキングはいつもと違って、フリースタイルウォーク。
マップにはモデルコースが赤の矢印で書いてあるが、どこをどの方向に歩こうと自由ということ。

10時前に中津駅に着くとゴールしている人たちも。ウォーキングお友達も数名。モデルコースを歩いてきたようだ。
挨拶を交わしてスタート。



駅前には福沢諭吉の堂々たる像。



モデルコースとは逆の方向に歩き始め、駅からすぐのアーケード街に入ろうとしたら、ここでもウォーキングのお友達と会う。
皆さん早いなあ。



町のいたるところに、中津の歴史資料という立て札が立てられている。



そして向かったのは、「村上医家史料館」。
1819(文政2)年、藩医・村上玄水が中津で、藩主の許可を得て、九州でも初期の人体解剖を行っている。
人体解剖をもとに書かれた解剖図の下書きなど、村上医家に伝わる所蔵品が展示されている。





スタート受付で中津駅周辺マップを見ながら歩いている。
村上医家資料館で薦められたのは「共通観覧券」700円。
中津城、中津歴史博物館、福沢諭吉旧居・記念館に入館でき、村上医家史料館、大江医家史料館、木村記念美術館は100円で、大雅堂は2割引きで入館できる。


(マップはA3サイズ、今日廻るのはその左半分)



次へと向かう途中に、「諸町蛭子宮」があった。
説明によると、中津城2代目藩主・細川忠興公によって創建された。



すぐに「自性寺」に着く。
自性寺内にある「織部灯篭」は、細川忠興が妻のキリシタンであるガラシャ夫人の菩提を弔うために、中津城内に建立した長福寺にあったものを移転したものと伝えられている。







自性寺から次へと向かっているとふと目に入った立て札。
熊本市の行徳眼科病院に勤務されていたことがあると書かれている。

私の祖父や祖母が住んでいたところは近く、時期からすると平田医師に診てもらったことがあるかもしれない。そんな感慨にふけった。



そこからすぐに、久留島武彦が少年時代に過ごした地の案内板があった。
児童文学者・久留島武彦のことは、だいぶん前に豊後森駅のウォーキングで知った。
またまた、ウォーキングで会った。



共通観覧券にあつた、「中津市木村記念美術館」に着く。
中津出身画家の作品や中津にゆかりの深い美術品が紹介されている。
庭を眺められたりしながらゆったりとした時間が過ごせそうだ。





ここまで、かなり時間を費やした。ゆっくりしている時間もなさそうだ。
先へと歩く。

中津カトリック教会の前に。
教会のステンドグラスには、「細川ガラシャの信仰」など中津市に関係する題材も描かれているらしい。



大分地方裁判所中津支部。自性寺の織部灯篭の説明にあった、細川忠興が妻ガラシャを弔うために建てた長福寺はここにあった。



中津城内を横切って、「中津市歴史博物館」へ。通称「なかはく」。
昨年の2月に来たことがある。
館内にはシアターがあり、中津城石垣の見どころなどの説明が上映されている。
見た後、シアターを見てから中津城を見学した方がよかったなあと後悔した思い出がある。



館内からは中津城の石垣が見える。



常設展の中津の歴史、特別展「西向くサムライ」を見学する。特別展では鎌倉幕府と豊前の国の関係が楽しめた。
常設展の展示品の中には細川家の家紋のある瓦もあった。



お腹も空いてきた、急ごう。シアターは見ずに、中津城へ。



中津城内の「三斎池」。
中津城主だった細川忠興は慶長7年小倉城を居城とした。
その後、家督を子の忠利に譲り、三斎と号し、再び中津城へ戻った。
そして、城内の用水不足を補うために、山国川から城内へ水路を開いた。
その水をたたえた池(現在は市の上水)。鑑賞用や防水用として利用された。

1632(寛永9)年、細川家は、豊前の国から肥後の国へ、今でいう転勤をした。
熊本城へは藩主・忠利が、三斎(忠興)は八代城へ入った。
これは、豊前国での配置をそのまま持ち込んだようだ。



中津城天守閣に登城。

細川家は32年もの長い間、中津で過ごしていた。



上の方の階には、前野良沢と解体新書に関わる展示がある。
前野良沢という人のことをここで初めて知った。
解体新書の翻訳者は杉田玄白と学校の歴史では習った記憶がある。
展示を見ていたら、翻訳のリーダーは、中津藩の藩医・前野良沢で、それらにまつわる説明がしてある。

展示を見た後、前沢良治の生涯と解体新書の翻訳過程を描いた小説『冬の鷹』(吉村昭著、新潮社文庫)を図書館から借りて、一気に読んだ。


(2020年2月撮影)

天守閣より。



二ノ丸の方に出る。



右側が黒田時代の石垣、左側が細川時代の石垣。



川側に回って行ったら猫が。
矢が出てくるやら、鉄砲が出てくるやら、待ち遠しそうだった。



川沿いの桜並木に沿って歩いて、右折。



福沢諭吉旧居・福沢記念館に。
何回か来ている。





福沢記念館を出て少しして、手を目に当てたらメガネが無い。
今日はフリーウォークでウォーキングの時はかけない遠近両用のメガネをかけ地図を見ながら歩いていた。
そのメガネが無い。リュックの中のメガネケースを開けても入っていない。

記憶を呼び戻す。そうだ、博物館の喫茶に入ってメガネを外した。
日曜日の昼頃で、少しの間待ったが、まだ時間がかかりそうなので、オーダーしたものが作られ始めていないのを確認してキャンセルし、出てきた。
博物館へ電話したら、あった。
ほっとした。後から取りに行くことにした。

「大江医家史料館」へ。
解体新書の初版本が展示してある。そのほか蘭学医学関係の資料が展示してある。
薬草園もあるようだが、先を急いだ。





寺町へ。
寺町には黒田時代に建立されたお寺、細川時代に建立されたお寺、それ以降に建立されたお寺が集中している。

細川時代に建立された「本傳寺」。



黒田時代に建立された「合元寺」。



寺町の通り。



細川時代に建立された「寶蓮坊」。



細川時代に建立された「普門院」は見逃している。

博物館へ戻りメガネを受け取って、お腹空いたと思いながら駅へと向かおうとすると、昼食14時までの看板がある懐石料理のお店が。
ギリギリ間に合う。
お店の人には申し訳なかったが、お腹が空きすぎて、じっくり味わうことなく、がつがつと食べてしまった。

14時半頃、ようやくゴール中津駅へ。



今日はフリースタイルウォークだったが、「共通観覧券」でいろいろと廻った。

スタート時は、13時過ぎのソニックに乗れればと思っていたが、途中で14時過ぎにはと思いを変更した。
寺町辺りで14時は無理だなと思い、結局15時過ぎのソニックの指定席を取るべく駅の窓口へ。
すると指定席は満席。

自由席にはなんとか座れた。

中津には、医家史料館が2つもあった。資料も充実していた。
もっとアピールされてもいいのではないかと感じた。

ブログのタイトルは2つにしよう。

今日のウォーキングを終える。