鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「ちょっぴり紅葉」に会う-JR九州ウォーキング神埼駅コースに参加

2015-11-30 | JR九州ウォーキング
11月28日(土)

JR九州ウォーキング神埼駅コースに参加。
今日のテーマは『国の名勝「九年庵」特別公開と神埼散策ウォーキング』。

冬の寒さがここ数日続いていて、今日も寒い。
神埼駅を9時40分頃スタート。
吉野ヶ里公園を抜けて王仁神社へ。お茶、お漬物やお芋をなどいただく。いつもありがとうございます。
『「王仁神社」には、「王仁(ワニ)天満宮」という石の祠が祭られています。この祠は今から千数百年前、応神天皇に招かれて百済から多くの技術者をつれて渡来し、日本に初めて漢字の手本である「千字文(せんじもん)」と儒教の原典である「論語」を伝えた、王仁(ワニ)博士を祀ったものではないかといわれています。』(神埼市観光協会ホームページより)
神埼のコースは例年新緑の春と紅葉の秋にウォーキングが開催される。ここ王仁神社で地元の方々に大変なおもてなしをいただく。同じように春と秋に開催されておもてなしをいただくコースに瀬高がある。瀬高は邪馬台国の候補地の一つとされているところである。この二つの地区に共通するのに弥生時代から豊かな穀倉地帯だったということがある。興味深い。

先へ進み、水車の里でトイレ休憩して仁比山(にいやま)神社へ。
シーボルトにオランダ医学を学んだ「伊東玄朴旧宅」、明治時代の佐賀の実業家伊丹弥太郎の別邸「九年庵(くねんあん)」、仁比山神社、松ノ森稲荷、地蔵院と廻るが、今年はここ数日寒くなるまでが暖かかったので紅葉真っ盛りとはなっていない。
それでもなんとかカメラに収めなきゃとウロウロ、キョロキョロして写真に収める。

仁比山神社のところで知人と会い、その後は一緒に歩くことに。
城原川の石造道を歩き、湯葉の「梅の花」へ。人も多く、棒あげ90円を買って食べただけで先へ進む。係りの女性から「後5キロです。」と教えて貰う。この後も係りの人が「後〇キロです。」と声をかけていただく。14キロ程あるコースなので助かる人も多いだろう。千数百人参加者に声をかけるのも大変だろうと思う。

白角折(おしとり)神社に寄り、佐賀県の天然記念物に指定されている樹高約26m、根回り約27m、樹齢1000年を越える楠の大木を見上げる。5、6年前は寄る人は殆どいなかったが、今では立ち寄る人も多い。なんとなく感慨深い。
田圃の中と城原川沿いを歩いて、13時40分頃ゴール神埼駅へ。

一緒に歩いた知人から神埼宿へ行きましょうと誘われ、駅の反対側へ。

神埼の市役所裏あたりに長崎街道神埼宿がある。先ずは櫛田宮へ。櫛田宮ホームページには、『第12代景行天皇が当地方を巡行された折、当時この地に不幸が続いて人民は苦しんでいたが、神を祭りなごめたら、その後は災厄もなくなった。神の幸をうける地というところから「神幸(かむさき)の里」と名付けられ、今は「神埼」と書いている。』と書かれている。「神の幸」が「かむさち」となり、「神埼」となってきているようだ。
境内には神埼そーめん発祥地の碑もあった。

旧古賀銀行、薬師如来像、神埼宿は1874(明治7)年の佐賀の役でほとんどが焼失してしまいその後建てられた商家で1番古い原岡家住宅、旧脇本陣跡などを見て廻る。
長崎街道を歩いた知り合いのウォーカーの人たちの話をしながら宿場茶屋へ。
神埼そーめんは「江戸時代1630年代に小豆島の雲水という僧が、この地で「天神水」のもとなしを受けたお礼として、そうめんの技法を伝えた。」との説明が書かれていた。
そーめんコロッケとおはぎ、それぞれ100円を食べる。量も味も100円とは思え無い、美味しかった。

神埼駅へ戻り博多駅へ。各地のウォーカーの仲間と忘年会。
「1年間お疲れ様でした。来年も元気で歩きましょう。」と誓い合いお別れした。


コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/D2Ac4ESigBj


(九年庵)


(櫛田宮)

ひたひこで「みのり号」に会う-JR九州ウォーキング香春駅コースに参加

2015-11-25 | JR九州ウォーキング
11月21日(土)

JR九州ウォーキング香春駅コースに参加。
今日のテーマは「JR日田彦山線・採銅所駅舎開業100周年記念行事」。

豊肥本線、九州新幹線、福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線と乗り継いで香春駅(かわらえき)へ。9時30分頃に着く。
このコース初めての参加だけど、さて、どんな出会いが。

駅舎を出ると眼前に香春岳(かわらだけ)。石灰岩で出来ている香春岳は採掘で山の形は変形している。五木寛之の「青春の門」では「異様な山」と書かれている。「青春の門」が書かれたころよりもっと削られている今はどう表現されるであろうか。
駅の広場でも採銅所駅(さいどうしょえき)舎開業100周年記念のイベントが開催されるがまだ準備中であった。

勾金(まがりかね)小学校の前を通り「道の駅香春」へ。物産直売所「わぎえの里」でお昼用にお弁当でもと思ったが、採銅所駅のイベント会場へ行けば何かあるだろうと眺めただけで引き返す。

山小屋ラーメン発祥地の看板があったが、山小屋ラーメンは食べた記憶がない。昔、熊本の繁華街に「山小屋」というレストランがあったことを思い出す。

ひたひこ(日田彦山線)を渡っていくと、こんもりとした小山があった。山の上には鏡山神社がある。神功皇后が新羅へ出兵するときに必勝祈願したとされるところである。急な階段を上って神社へ。無人なようでお賽銭箱は扉の中。急な階段を下りるのは怖かった。階段下りたところには、万葉集巻3-311「梓弓引き豊國の鏡山見ず久ならば戀しけむかも」按作村主益人の歌碑があった。 

碑から横道に入ったところに「河内王(かふちのおほきみ)の墓」がある。行く途中に万葉集巻3-419「石戸破る手力もがも手弱き女にしあれば術の知らなく」手持女王の歌碑があった。河内王の墓は宮内庁が管理していて、防護柵がしてあった。河内王は689年、太宰帥として大宰府に赴任した皇族で、巡察で香春に来たおり、この地で亡くなっている。手持女王はその妻ともいわれている。
最初に寄ったわぎえの里あたりは古代官道、田河道があって豊前国分から大宰府への最短距離の道であったようだ。

田園の中をしばらく歩いて金辺川(きべがわ)に出ると、ひたひこの鉄橋が見える。川面からの高さが60尺(約18m)あるので「六十尺鉄橋」という。撮り鉄の姿がちらほら。話を聞いているうちに列車の来る時間が迫って来たので、カメラを構えて待つことにする。下りが来て暫くすると上りが来た。二つとも撮った。教えて貰った撮り鉄の人にお礼を言って鉄橋の下をくぐって鉄橋の写真を撮りながら進んで行くと、また、下りの列車が来た。ローカル線で度々列車が来るのは珍しいと思っていたら、この日は記念列車「みのり号」が運行されているようだ。写真を撮らずに眺めていると、「みのり号」は六十尺鉄橋の上はゆつくりと進んでいた。


鉄橋を過ぎ金辺川沿いを歩いて、山手の方に行ったら、「清祀殿(せいしでん)」跡と「神間歩(かんまぶ)」がある。清祀殿は奈良時代に宇佐八幡宮の神鏡を鋳造した場所で、神間歩は銅鉱石を採掘した坑道跡でここで採掘された銅で鏡が作られていた。

引きかえすと、踏切がありそこにも撮り鉄の皆さんがいたので、ここでも撮り鉄になった。

古宮八幡神社の階段を上ることなく、採銅所駅へ。採銅所駅は45年程前に来たことがある。その時の駅舎は改修されて綺麗になっている。お腹が空いたのでイベント会場で何か食べたかったが行列もできているし、帰りの列車の時間も迫っているので、お腹空かしたままホームへ。トンネルから出てくる12時36分発小倉行の列車を撮って、乗る。小倉駅内でようやくビールとお食事。

日田彦山線、鹿児島本線、九州新幹線、豊肥本線と乗り継いで帰る。博多駅からぐるりと一周した。

今日は乗り鉄と撮り鉄を堪能した一日になった。

コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/FwnJiFaRCeJ


(採銅所駅)


(六十尺鉄橋)

天竺へ行った。【熊本の話題】

2015-11-23 | 熊本の話題
11月22日(日)

知人に誘われ、苓北町観光協会などが主催する「第13回天竺・天の川西遊記登山」へ。
天草下島最高峰538mの天竺登山。「天竺」が山の名で山とか岳とかはつかないようだ。

Aコース13km、Bコース11kmの2コースが設定されている。申し込んであったのはBコース。
地元の太鼓の演武、主催者の挨拶の後、天草木場の杜自然学校(木場小学校跡地)を午前10時10分頃にスタート。雨模様なので合羽を着て歩く。小雨が降り続く、カメラはリュックの中に。黙々と上る。

頂上まで後1kmのところにかわいい入口があった。1時間30分程で頂上に着く。
頂上ではしし汁のお振舞があった。知人たちが登ってくる間に、雨とともにいただく。大鍋で煮こまれた人参、ゴボウ、だいこん、おいも、蒟蒻などなど。具も汁もとても美味しかった。

同行者たちが頂上に揃った頃ようやく小降りになったので、頂上からの写真を撮る。
霞んでいるので「天竺」の名にふさわしい雰囲気の眺望だ。
木が茂っているので360度は見渡せない。天気が良ければ、かなり遠くまで見えそうだ。

お弁当を食べるころには雨も止んだ。下りは雨も降らずに、スタート地点に。抽選で蒟蒻をいただいた。
山登りの後は、苓北町温泉センター麟泉の湯にどぼん。苓北町で宿泊。海沿いの旅館だったけど綺麗な夕日には会えない天候の1日だった。


(ポスター)


(後1km地点)


(頂上)


(眺望)


(眺望)

雨のウォーク「いせきんぐ宗像」に会う-JR九州ウォーキング東郷駅コースに参加

2015-11-18 | JR九州ウォーキング
11月14日(土)

JR九州ウォーキング東郷駅コースに参加。
今日のテーマは『宗像大社「菊花展」と「道の駅むなかた」を訪ねて!』

6時ごろ自宅を出て、8時40分頃東郷駅に着く。
宗像大社は数回行ったが、ウォーキングに参加するのは数年ぶりだ。

天気予報では雨は止みそうだったし、雨のボーナスポイントのメールも入らなかったので安心して行ったら、小雨が降っていた。傘をさしてのウォーキングとなった。

スタートで貰ったマップを見ると「いせきんぐ宗像」というのがあった。なんだろうと思って、着いたら弥生時代中期の田熊石畑遺跡だった。2008(平成20)年に発掘調査が行われ、有力者の集団墓である区画墓、銅戈など武器形青銅器が見つかった。この地域にもクニがあり、王の墓ではないかとも推測されている。「いせき(遺跡)」と「きんぐ(王)」の造語だろうか、などと考えながら歩く。釣川に出て、川沿いを歩く。10月25日の教育大前駅ウォーキングでは釣川の上流を歩いた。今日はその下流を歩く。雨の中でも写真撮りながら歩く。

長い距離を歩いて宗像大社へ。正確には沖ノ島にある沖津宮、大島にある中津宮、ここにある辺津宮の三宮を総称して宗像大社というようだ。沖津宮、中津宮は島にあるので、ここに第二宮(沖津宮)、第三宮(中津宮)を造り参拝できるようになっている。そこから高宮祭場へ。数年前に参加した時は高宮祭場の案内は無かったと思う。高宮斎場は神殿の無い時代の祈りの原型を残すところとされている。
この地は旧石器時代、縄文時代の遺跡も多い。木や風や大地に祈りをささげ航海の安全や豊かな実りを願っていたのではなかろうか。
宗像大社が最も栄えたのは遣唐使の頃である。この地が旅たちの地であり、帰国の地であった。宗像大社で航海の安全を祈願し、帰国して報告と御礼をしていた。その間、唐へ渡った人たちの無事の帰還を祈っていた。現在の社殿は江戸時代黒田藩が再興したものであるようだ。

宗像大社で開催されていた菊花大会を見学し、海の道むなかたへ。展示を見てまわったら、赤間に行ったとき「赤間」の名前の由来ですこしもやもやしていたものがあったが、解消するヒントがあった。少しまとめて書きたいと思う。

歩いていると国指定史跡桜京遺跡の案内があった。桜京遺跡は宗像地域で唯一の装飾古墳であるという。装飾古墳は熊本県の菊池川流域、福岡県の筑豊で多い。興味が湧いたので、横道へ入って行ったが、うっそうとした道をかなり先まで行かないといけないようなので途中で引き返した。JR九州ウォーキングのホームページへの書き込みによればかなりの人が桜京古墳へ向かったが諦めていた。案内板に地図と距離が書いてあったら助かると思う。

それから少し歩いたところにある玄海バーガー鮮では行列が出来ていた。マップにそこの「海バーガー」は究極の一品と書いてあったので、並んで注文し店の中で待つことに。並んでから30分程してようやく食べれた。小さいお店で親父さんが一人で作っているのでしかたがない。魚のフライ・イカ・チーズのハンバーガーは待っていた価値はあった。ハンバーガー専門店で食べることはないので比較はできないが、これはいい。歯ごたえも味も私には合っていた。とても美味しかった。店の大将も待たせたことに大変気を使って声をかけてもらった。見かけによりもやさしい大将だった。海バーガー以外にもメニューには多くのハンバーガーがあった。いろいろ挑戦されているようだ。

直ぐ近くにあったナカマル醤油は嘉永3年というから1850年創業の古い醤油屋さんだが、ユニークな醤油を考案していた。チーズかけ醤油やパスタかけ醤油などがあったが、パンかけ醤油を買った。いろいろ試してみたいと思う。

ナカマル醤油から玄界灘の海岸へ出た。見える島は中津宮がある大島だろうか。海を眺めながら防風林の防護柵がある海岸を歩く。防風林は今でも造林されている。
釣川の河口近くの「道の駅むなかた」へゴールしたのは13時過ぎていた。「宗像わかめんべえ」をいただいた。めんべえは福岡で売り出し中のせんべい。ご当地ものも各地から出ている。「道の駅むなかた」は地域の海産物や農産物がたくさん売られていた。眺めて廻るだけにした。買い物客も多かったが、レジに並んでいるウォーカーも多かった。専用バスを待って行列しているいる時にめんべえをいただいた。
13時30分のバスで東郷駅へ。

今日は宗像地域の歴史を新たに勉強させてもらった。宗像大社など世界遺産に推薦することが決まっているが、それに頼ることなく地道にこの地の歴史研究がされ発信されていると感じた。ハンバーガー屋の大将、醤油屋のご主人も新たな商品への挑戦意欲満々のようだった。元気をもらった。雨に降られて傘をさしてのウォーキングは残念だったが、海沿いも歩けたし、充実して楽しいコースだった。

コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/EvSzvCrkxz2


(雨の中のウォーキングだった)


(いせきんぐ宗像)

釈迦涅槃像と護摩焚きに会う-JR九州ウォーキング城戸南蔵院前駅に参加

2015-11-16 | JR九州ウォーキング
11月8日(日)

JR九州ウォーキング城戸南蔵院前駅に参加。
今日のテーマは「大相撲九州場所、錣山部屋土俵見学と紅葉のお遍路巡り」

今日もJR九州の「アクティブ65切符」を使い、10時前に城戸南蔵院前駅に着く。
昨日の天気予報では強い雨も予想されていたが、雨は降っていない。
駅前にある南蔵院は篠栗四国霊場の総本寺で、高野山真言宗の別格本山である。1995(平成7)年に釈迦涅槃像が建立された。全長41m、高さ11m、重さ300トン、ブロンズ製の涅槃像としては世界最大ということで、参拝客が増えた。参拝客に分かりやすくということで、2003(平成15)年にJR篠栗線の城戸駅であったのを、城戸南蔵院駅と変更された。
涅槃像にお参りすれば、やはり大きい。当然ながらお顔も大きい。いろんな角度から写真を撮れる。青空が見えてきたので、なんとか青空を入れて撮った。
不動明王像前での護摩焚き法要はまだ始まっていなかった。

後にして向かったのは、やきやま食品の蒟蒻直売所。人が多くて覗いただけで先に進む。

錣山部屋(しころやまべや・親方は元関脇寺尾)の練習場は筑前山手駅から少し上ったところにあった。本場所が始まっていて、誰もいなかった。十両青狼のまわしだけが飾って(干して?)あった。見学者へのサービスだったのだろうか。

筑前山手駅は階段を96段上らなければホームに着かない。上るのは又の機会にしよう。

筑前山手駅のところから国道201号線を外れ旧道へ。
旧道から少し上ったところにある真言宗御室派山王寺に着いたのは11時頃。
野外の護摩焚き法要が始まる時間だった。初めてだったが見入ってしまった。顔見知りのウォーカーの方々も見ていたようだけど気付かなかった。
護摩焚きの後は火渡りが行われたが、周りの人たちは皆さん靴と靴下を脱いで火渡りに参加されていた。子どもたちも渡っていた。次の機会には渡りたい。

旧道に戻り、延命寺、遍照院、補蛇洛寺と急いで廻って13時頃ゴール篠栗駅に着いた。篠栗駅は篠栗四国八十八ヶ所お遍路の町の玄関駅らしくない駅である。

ゴール後、福岡市西区にある愛宕神社へ向かった。今日は孫の七五三。雨が降らなくてよかった。

護摩焚きとコース全体の雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/B7mCKGALBJ8


(南蔵院の釈迦涅槃像)


(山王寺の護摩焚き)


世界遺産八幡製鐵所旧本事務所を訪ねる-JR九州ウォーキング八幡駅コースに参加

2015-11-12 | JR九州ウォーキング
11月7日(土)

JR九州ウォーキング八幡駅コースに参加。
今日のテーマは『近代化産業遺産巡りと「まつり起業祭2015」を楽しもう』。

JR九州の「アクティブ65切符」を使い、新幹線で博多駅へ。博多駅から特急ソニックで黒崎駅、乗り換えて八幡駅に着く。

雨の予報であったが、止んでいる。9時頃にスタート。皿倉山の頂上は見えないが、街路樹は綺麗に紅葉している。

歩いているとレンガ造りのトンネルがあった。トンネルの周りは家が迫っている。トンネルの上にも家があるように見える。旧九州鉄道尾倉橋梁との説明があった。
旧九州鉄道は門司・黒崎間の鉄道敷設にあたり海岸沿いの計画をしたが陸軍の反対で陸地を通る路線で開通した。1891(明治24)年のことである。後に、製鐵所が計画され、海岸沿いの路線が出来て1911(明治44)年に廃線となった。その時の橋梁である。

まつり起業祭八幡の出店はまだ準備中だった。

スペースワールド駅の裏側に出て、明治日本の産業革命遺産で世界遺産に登録された「官営八幡製鐵所旧本事務所」の眺望スペースへ。製鉄所構内は立ち入り禁止なので遠くからでも見れるよう眺望スペースが作られている。

見学した後は、洞海湾の松ヶ島岸壁へ行く。ここは八幡製鐵所の専用岸壁だった。

折り返してスペースワールド駅の方へ帰るが、少しコースを離れて、先ほど眺めた旧本事務所の見学会へ。今日は企業祭りに合せて構内に入り旧本事務所を見学できる。
旧本事務所は1899(明治32)年、八幡製鐵所の創業2年前に建設された。煉瓦組積造の2階建て、屋根は和瓦、煉瓦積みはイギリス式、中央にフランス様式のドームを持つ設計である。1階は長官室、経理室、庶務室などの事務部門、2階には大会議室、外国人の顧問技師室、日本の技監室などがあり、製鐵所の中枢の事務所として使われた。室内は見学できず、外観のみの見学会だった。注意事項では、旧本事務所を除き、施設・設備等の写真撮影は固くお断りいたします、と書かれていた。

コースに戻って北九州イノベーションギャラリーでは八幡製鐵所の歴史が紹介されていた。
北九州市は門司、小倉、戸畑、八幡、若松の五市が合併して出来たが、八幡市は1889(明治22)年、尾倉村、大蔵村、枝光村が合併して八幡村が出来た。合併するとき村の名前を決めるにはすったもんだあったが、三つの村にはそれぞれ八幡神社があったので「八幡(やはた)」と名づけられた、という説明が書いてあった。今でも市町村の合併では新たな市町村名で混乱することがあるが、知恵者がいたもんだ。

その後、東田第一高炉史跡広場を見学。東田第一高炉は1901(明治34)年に、官営製鐵所として火入れが行われた高炉である。1972(昭和47)年まで現役だった。

八幡駅に着いたのは12時頃だったので、ゴールの受付をせずに、駅横の焼麺屋虎之介でちゃんぽん。虎之助で食事するときいつもはオムのせ焼きそばだが、今日はちゃんぽんと餃子のみのメニューでそれぞれ100円引きだった。

食事後にゴール受付に、スペシャルポイントコースと雨の日ポイント、新幹線ポイントもあってスタンプ4個押してもらった。

今日は八幡製鐵所一色のウォーキングだった。製鐵所がフル稼働していた時期は煙もひどかったと思うが、大きな反公害運動は起きなかった。煙は町のシンボルでもあった。
旧八幡市歌には次のような詩がある。
 焰炎炎 波濤を焦がし
 煙濛々 天に漲る
 天下の壮観 我が製鐵所
 八幡 八幡 吾等の八幡市
 市の進展は 吾等の責務

コース全体の雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。
http://opa.cig2.imagegateway.net/s/m/GwmtF8HBSWW


(スペースワールド横の街路樹)


(八幡製鐵所旧本事務所)

日本スリーデーマーチ3日目都幾川・千年谷公園コース-埼玉の旅4日目

2015-11-11 | JWAウォーキング
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11月3日(休)

朝霧がかかっていたがスタートするころにはすっきりとした青空に。


(鶴ヶ島駅)


(東松山駅へ向う)


(東松山駅から)


3日間、1日数回も挨拶された皆さまご苦労様でした。


(3日目スタート前)

今日も20K(実距離22K)コースを歩くことにする。
昨日、帰りに通ったおため池を逆に進む。


(おため池)


(虎御石)


(道沿いで)


(道沿いで)


唐子市民活動センター広場では唐子地区商工祭の準備中。


(唐子市民活動センター広場)

唐子中央公園、駒形公園を通る。今日は歩け歩け。
都幾川にかかる枕水橋(橋の案内には沈下橋ではなく枕水橋とあった)を渡る。川ではのんびり釣りをする人の姿も。


(駒形公園を出たところ)


(都幾川)


(篠やぶの道)


(沈水橋)


(都幾川)

ウォーキングに参加している幼稚園児たちとも会う。
子どもたちは何キロ歩くんだろうか。先生も大変だろうな、と思いながら先へ進む。
高本峠の上り口では「ゆっくり登ろう」の案内が。ゆっくり登りましょう。


(高本峠登り口)


(峠道を登る)

峠の頂上から曲がりくねりしながら少し下ったら岩殿観音正法寺の参道に出た。
石段の上り口に30Kとの分岐の案内があったので、20Kの方の道を行ったら右手に岩殿観音があった。ここにも分岐の案内があった。20Kも階段を上ってもよかったのだ。


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音参道)


(岩殿観音)

いつも地図を見ないで歩くので、よく見過ごしたりする。

物見山公園のところに展望塔があった。埼玉県平和資料館のタワーだ。
平和資料館と展望塔の組み合わせがよく分からないけど、エレベーターで昇る。
秩父の山並みや東京方面が見える。
眺望はいいが高い所は苦手で早々と降りる。


(物見山公園)


(平和資料館展望塔)


(展望塔より秩父の山)


(展望塔より東京方面)

資料館は戦前や戦争中の歴史や暮らしが展示してあった。
資料館の駐車場がチェックポイント。子どもたちからシールを貼ってもらった。


(平和資料館)


(平和資料館庭)


(平和資料館入口)


(平和資料館庭)


東京電機大学鳩山キャンパスでは文化祭があっていた。


(東京電機)

下ったところ千年谷公園では東松山市民族芸能祭があっていて、威勢よく東松山太鼓が演じられていた。
ゴールまで後10K。秋空を眺めながら、紅葉を愛でりながら歩く。


(千年谷公園)


(千年谷公園)


(千年谷公園)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

真っ直ぐな道に出ると、広い歩道には高田博厚の彫刻が続いている。高田博厚については残念ながら知らない。


(高田博厚の彫刻)

東武東上線高坂駅を抜けてしばらく直進し、左へ曲がり遊歩道を歩く。


(高坂駅)


(七清水らららぎ緑道)


(高済寺下の清水)

都幾川の新東松山橋に出る。夕焼けスポットらしいけど、まだお昼前。


(新東松山橋)

真っ直ぐ歩いて左に曲がったところにかかし祭りのかかしが並んでいた。川沿いに並んでいたが、写真を撮るには田んぼを背景に撮りたいと思う。「孫の時代も平和でありますように!」案山子さんもいた。


(かかし祭り)

東松山駅を通り商店街を抜け、中央会場へ12時40分頃ゴール。


(東松山駅)


(商店街で)


(ゴール)

ビールを飲んで帰り支度。

中央会場から東松山駅の道沿いは、太鼓やお囃子などが演じられていた。
この日、東松山市は民族芸能祭や地域の商工祭り、大学の文化祭など祭り一色だった。


(商店街で)


(商店街で)


(商店街で)

ウォーキングに参加する人、そのお世話をする人、お祭りに参加する人、そのお世話をする人、見学する人、人出で商売する人、のんびり釣りをする人、賑やかな一日だ。

東武東上線東松山駅発13時39分池袋駅行に乗る。JR山手線、京浜急行と乗り継ぎ羽田空港へは1時間50分程で着いた。


(東松山駅から帰路)

帰りの飛行機は予定の時間に熊本空港に着き、4日間の旅は終わった。3日間歩いて少し疲れた。

日本スリーデーマーチ2日目武蔵嵐山コース-埼玉の旅3日目。

2015-11-09 | JWAウォーキング
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11月2日(火)

朝から雨が降っている。それに寒い。今日は雨合羽日和になってしまった。
鶴ヶ島駅から電車に乗り、もうすぐ東松山駅着くというところで携帯電話を忘れていることに気付く。東松山駅からホテルへ戻って携帯電話を持って再び東松山駅へ。
何とか20K、30Kコースのスタート時間には間に合った。雨なので20K(実距離21K)コースを歩くことにする。


(雨の中スタート)


(雨の中を歩く)

雨脚も強く、写真は撮る余裕はない。
遅い方のスタートだったので足元も悪くなっている。黙々と歩いているうちに鬼鎮神社に着く。鬼を祀った神社で、節分の時の掛け声は「福はうち、鬼はうち、悪魔はそと」だとか。


(鬼鎮神社)


(新田沼公園)

ここが30Kとの分岐点。
雨脚は弱くならない。
県立嵐山史跡の博物館に着く。ここがチェックポイント。博物館には入らなかった。
舗装されていない雨溜まりや泥水の道を少しでもましなところへ足を運びながら歩き続ける。


(嵐山史跡の博物館)


(嵐山史跡の博物館横)


(国立女性教育会館)


(ホタルの里)


(竹林の道)

少し雨脚が弱まったと思われる頃、「原爆の図丸木美術館」に着いた。
丸木位里さんの作品を展示した美術館だ。
丸木さんの作品はテレビや写真で見たことはあるが実物は初めてだと思う。
人家の少ないところにひっそりと建っていた。
入口と入ってすぐのところは狭かったが、2階に上がったら中は広かった。
丸木さんの原爆の図が展示してある。
大きな絵だ。絵と対面していると大きくなくては表現できない思いが伝わってくる。
水俣や三里塚、アウシュビッツの絵もあった。
解説もあったが、絵を見て思いを感じることだと思った。
図録原爆の図を買った。
美術館を維持していくのは大変だと思う。
多くの人が入館し、物販を買っていくことが手助けになるのではなかろうか。
そんな思いをして美術館を後にする。


(原爆の図丸木美術館)


(入館券)


(図録)


(ぬかるんだ道を歩く)


(おため池)

途中10Kも合流し、10K、20K、30K、40K、50Kの参加者が集団となってゴールを目指す。


(箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ))


(東武東上線)

12時40分頃ゴールした。

今日は缶ビールと焼き鳥。昨日は味噌だれ焼きそばだったが今日の焼き鳥も味噌だれ。東松山は味噌だれが流行りみたい。同じテーブルの人から味噌汁の無料サービスがあっているのを教えていただく。味噌汁を貰って来て、樽酒秩父錦。並々と注いでといったら受け皿にまでいっぱい注いでもらった。


(ビールと焼き鳥)


(樽酒とみそ汁)

飲みながら熊本から来たと味噌汁を教えてもらった人に話したら、「黒川温泉は良い」と何度も言われた。黒川温泉には有名になってからは行ったことがない。他県で話題になるとは、一度は行っておかないと、と思った。

雨の中を歩いて疲れたので、ホテルで休むことにして会場を後に。駅へ向かつているとお菓子屋さんがあったので覗いてみた。何と「足まんじゅう」があった。これは食べるしかないと1個いただいた。


(足まんじゅう)

夕食はホテルの横にあるお蕎麦屋さんへ。
ホークス大場選手のサイン色紙などが飾ってあった。他の選手のサインも球団がバラバラなのでお店の人に聞いたら東洋大学出身の選手だった。東洋大学の野球部・駅伝部は近くらしい。帰ってからネツトを見ていたら大場選手トレードのニュースが載っていた。
食事はカツ丼と盛りそばに冷酒。それぞれに違う小鉢がついていて3つの小鉢でお酒が飲めた。年寄りには少し食べ過ぎの量だった。

今日は「原爆の図丸木美術館」に行って改めて「平和」を考えさせられた。1日目の夕食はファミレスに行ったが、小さい子を連れて楽しく食事している家族が多い。ここ最近は、小さい子を見ると、この子らの一生も戦争をしない国でなければ、ということばかり思う。そんな時代になってしまった。

埼玉の旅3日目が終わった。

日本スリーデーマーチ1日目吉見百穴・森林公園コースそして川越へ-埼玉の旅2日目。

2015-11-06 | JWAウォーキング
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11月1日(日)

東武東上線鶴ヶ島駅を6時16分発電車に乗り15分程で会場のある東松山駅へ。
主会場の松山第一小学校へ向かう商店街を歩いていると、「祝ノーベル物理学賞梶田隆章先生 東松山市出身」の垂れ幕が飾ってある。3日間歩いていると、お祝いの看板や幕などがいたるところにあった。


(東松山商店街)

受付を済ませ、7時30分に20K、30Kコースのスタート。
私は20Kコース(実距離22K)に参加。しばらくは集団の中で歩く。


(中央会場)

下沼公園で写真を撮ろうとしたら、空に「朝の月」が。
幸先のいい秋のウォーキング日和だ。


(下沼公園)


(道沿いで)

しばらく行くと岩肌になにやら穴のようなものが見える。近づくと「岩室観音」があった。お堂の中に上ったら岩に囲まれて不思議な空間だった。


(左に岩室観音)


(岩室観音)

古墳時代後期に使者を埋葬する墓穴として造られた、国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」はそこから直ぐのところにある。ここも不思議な空間である。
明治以来、横穴の性格をめぐって考古学者がさまざまな意見を発表したが大正時代に墓穴と結論づけられたという。
第2次大戦末期、岩穴の中を堀り、地下軍需工場の建設が行われたので中は空洞になっている。3,000人から3,500人の朝鮮人労働者により堀削工事が行われた。
横穴の一つに国指定天然記念物のヒカリゴケが自生していた。


(吉見百穴)


(吉見百穴)


(戦時中掘られた洞窟)


(ヒカリゴケ)

ここが20Kと30Kの分岐点である。20Kは滑川の土手に出て、歩く。
川沿いをはなれてからは緑に囲まれた道や田園風景の中を気持ちよく歩いた。


(滑川)


(滑川土手)


(東農大三高)


(木々の中を歩く)


(田の中を歩く)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

東松山ぼたん園にチェックポイントがあった。
ぼたんは季節はずれであったが、10月桜は大きな木だった。


(ぼたん園で)


(ぼたん園で)


(ぼたん園で)

秋葉神社、宗梧寺を通り森林公園へ。
秋葉神社はこの地の旗本森川氏が1658年に勧進した神社。宗梧寺は森川氏の菩提寺。


(秋葉神社)


(宗梧寺)


(道沿いで)


(道沿いで)

森林公園は明治百年記念事業の一環として、埼玉県比企郡滑川町と熊谷市楊井にまたがる304haの広大な丘陵地に整備された、全国で初めての国営公園で、国営武蔵丘陵森林公園が正式名称である。
「広い」というのが実感できる。紅葉は始まったばかりという感じである。夜はライトアップされて開園されているようだ。
公園内にはコースの矢印がなかったので前に行く人についていくしかない。写真を撮りながらも逸れないようについて行った。


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園)


(森林公園南口)


(森林公園南口)


(森林公園南口)


森林公園南口を出ると、「駅まで〇K」の案内板が続く。何駅だ、と思いながら歩いて行くと「森林公園駅」があった。


(駅までの道標)

駅からゴールまでは近かった。12時50分前にゴールしてビール売り場へ。味噌だれ焼きそばとともにいただく。


(中央会場)


(なみなみと注いでもらって一口飲んだ)

昼食もそこそこに、今日のもう一つの目的地「川越」へ向かう。

会場すぐ横では「よさこい陣屋まつり」があっていた。よさこい祭りは全国いたるところで、何時もあっている気がする。あっちこっちと遠征するのが楽しみの人たちも多いだろう。ウォーキングの遠征も同じだよな。


(よさこい祭り)

東武東上線東松山駅から川越駅へ。20分少々で着いた。
駅構内の観光案内所で道順、お勧めを聞いて、バスで仲町へ行く。降りたところはもう人ひとヒト。今日は日曜日でもある。
由布院でも人の多いことにびっくりしたけど、またもやである。九州の由布院が東京近郊の川越と同じような人出なのは凄いことなんだ、と妙な関心をしてしまった。
休日は写真を撮るには人と車が多すぎる。


(川越の街並み)


(川越の街並み)


(川越の街並み)


(川越の街並み)

川越へ来たらここと、「時の鐘」をめざす。写真を撮っていると熊本の知人から電話。熊本は雨が降っているようだ。明日は関東が雨だろう。
川越の食べ物としてはうなぎとおいもが有名だ。うなぎやさんはどこも多そうだ。時の鐘の横でおいもソフトクリームをいただいた。私はすぐに買えたけど、食べ歩きして戻ってきた時には列が出来ていた。


(川越の時の鐘)


(おいもソフト)


(おいもは日本一)


(川越の街並み)


どこも人が多いので「川越まつり会館」に入った。川越まつりは1648(慶安元)年に川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まりとされている。川越は新河岸川の舟運で江戸と結ばれ、江戸の文化を祭りにも取り入れて発展させてきた。今では江戸の天下祭の様式や風流を伝える貴重な都市型祭礼として続いている。
川越は小江戸と呼ばれている。小京都は数多くあるが小江戸は川越だけである。川越は明治の初め大火があり街並みが消滅した。その時復興に当たったのが江戸の大工さんだったので江戸の町並みが残ったと、ぶらタモリで説明されていたと思う。
それ以前から祭りに江戸の精神をとりいれてきていたのだった。川越は外観だけでなく心意気も江戸を伝えているのだった。


(川越まつりの山車)

蔵造りの町並みを外れて、氷川神社へ行った。思ったほど境内も社も大きくはなかった。
七五三の親子の姿が多かった。孫たちの七五三はどうするんだろう。


(氷川神社)


(氷川神社)


(氷川神社)


(氷川神社)


(川越街中を走るバス)

蔵造りの町並みに戻ったらCOEDOビールと「小江戸黒豚」のハム・ソーセージのお店「ミオ・カザロ」があったので入った。夕食の時間には少し早かったけどハム・ソーセージとパンのセットを注文して、COEDOビール紅赤と漆黒を飲んだ。紅赤はさつま芋が原料となっている。紅赤はほのかに甘く、漆黒はほのかに苦味がある。COEDOビールはこのほのかさがいいと思う。


(紅赤)


(漆黒)

小江戸川越で、COEDOビールを飲んで埼玉県2日目は終わった。

さきたま古墳群へ-埼玉の旅1日目

2015-11-05 | 
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10月31日(土)

「第38回日本スリーデーマーチ」参加のため埼玉県へ。

埼玉県で思い浮かぶのは大宮にある鉄道博物館くらい。
羽田空港から京急電鉄に乗りJR品川駅発9時50分小金井行に間に合った。
40分でJR大宮駅着。ニューシャトルに乗り換え「鉄道博物館(大成)駅」下車。
ニューシャトルは東北・上越両新幹線が建設されるに伴い、その沿線地域住民の足として導入された新交通システムの旅客輸送機関。昭和58年12月に開業し、新幹線高架軌道の張出し部分を活用して、大宮と内宿(伊奈町)の間12.7kmを走っている。(埼玉新都市交通株式会社ホームページより)


(ニューシャトル)


(鉄道博物館駅)

鉄道博物館では「SUGOCA」に入館料支払いの登録をして、そのICカードで駅と同じように入場する。ここには数年前に来たことがある。今日はぶらりと廻るだけにしたがやはりウキウキする。昼食用に駅弁を買おうとしたが迷ってしまう。結局、背中のリュックに入りそうな大きさの秋田駅「日本海たこびより」を買った。たこの味付きご飯、たこうま煮、たこバーグ、たこそぼろなどが入っている。


(鉄道博物館内)


(鉄道博物館内)

ニューシャトルでJR大宮駅に戻り、次の目的地JR行田(ぎょうだ)駅へ向かう。駅横の観光案内所で行き帰りの説明をしてもらいパンフレットをいただき、バス停のベンチで駅弁を食べながら、12時50分発観光拠点循環バス待った。やがて来たバスに乗り「埼玉古墳公園前」で降りる。


(JR行田駅)

古墳公園内にある「埼玉県立さきたま史跡の博物館」にはコインロッカーは設置されてなかった。受付でスーツケースを預かってもらい古墳公園内の埼玉古墳群散策に向かった。
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は9基の大型古墳からなる全国有数の古墳群で関東では最も大きいのではなかろうか。古墳公園として散策コースも整備されている。


(奥に「さきたま史跡の博物館」)


(古墳公園散策マップ)

公園の中を通る道路を渡って直ぐのところに愛宕山古墳がある。古墳群の中では最小の前方後円墳で墳丘に石仏がある。うつかり見過ごして通り過ぎるところだった。


(愛宕山古墳)

真っ直ぐ進むと直径105m、日本最大の円墳、丸墓山古墳が見えてくる。学校行事であろう見学に来ていた小学生が記念写真を撮っていた。桜の木も多く4月は桜で綺麗だろうな。
頂上からは古墳群が見渡せる。
忍城(おしじょう)も遠くに見える。忍城は、豊臣秀吉の関東平定出陣の時、石田光成の水攻め大作戦に落ちなかった「浮き城」として有名である。


(埼玉村(さきたまむら)の時代から)


(丸墓山古墳)


(丸墓山古墳頂上から遠くに忍城)


(丸墓山古墳頂上から稲荷山古墳)


(丸墓山古墳頂上から将軍山古墳)

丸墓山古墳の急な階段をおそるおそる降りて、稲荷山古墳へ向かう。
稲荷山古墳は5世紀後半に造られた前方後円墳で、古墳群の中で最初に出現した古墳。1968(昭43)年の発掘調査で金錯銘鉄剣が発掘されている。ここの頂上からも古墳群や行田の田園風景を眺めることができる。


(稲荷山古墳)


(稲荷山古墳頂上)


(稲荷山古墳頂上から田園風景)


(稲荷山古墳頂上から丸墓山古墳)



(稲荷山古墳頂上から将軍山古墳)


次に向かった将軍山古墳は春先には墳丘一面に菜の花が咲くそうだけど今は秋。明治時代に横穴式石室が発掘され、その時の埋葬の状況が古墳の一角にある将軍山古墳展示館に復元されている。


(将軍山古墳展示館)


(将軍山古墳展示館内)

埼玉古墳群のほぼ中央にある二子山古墳でようやくコスモスと古墳を写真に撮る。二子山古墳は武蔵の国で最大の前方後円墳である。公園内には四季折々の花が咲くようだが、今日お花に会ったのはここだけだった。


(二子山古墳)

最初とは少し離れているが、公園の中を通る道路に戻って渡る。人家の中を通っていくと鉄砲山古墳がある。江戸時代、古墳の周辺が忍藩の砲術練習場になっていたことからこの名がつけられている。古墳の整備が行われていて青いシートが張られていた。


(鉄砲山古墳)

紅葉した木々の向こうには中の山古墳が見える。古墳群の南端にあるので訪れる人は少ないようだ。周掘りが復元されていた。


(中の山古墳)


奥の山古墳は鉄砲山古墳の横にある。周掘りが復元されている。


(奥の山古墳と周堀)

博物館に近いところに瓦塚古墳がある。整備にともなう発掘調査で多くの埴輪や土器などの遺物が出土している。そのためかどうかは分からないが、古墳の直ぐ横に「はにわの館」があり、はにわ作りの体験ができるようになっている。出来上がるまで2時間程かかるようだ。


(瓦塚古墳)

パンフレットには約3km、2時間ほどの散策コースと記されていたが、少し急いだので1時間ほどで一周した。

「埼玉県立さきたま史跡の博物館」へ戻り、館内を見学。展示してある国宝「金錯銘鉄剣」は、1968年に稲荷山古墳で発掘されているが、それから10年後、鉄剣に文字が刻まれていることが発見されその文字の中に「ワカタケル大王」と読める文字があったことで一躍話題になった。「ワカタケル大王」は第21代雄略天皇に比定されている。
熊本県菊水町(現和水町)にある江田船山古墳から1873(明治6)年以降に発掘された銀錯銘大刀(1965(昭和40)年に国宝に指定)に文字が刻まれていた。記されている大王の名は文字の判読が難しいことから諸説あったが、今では稲荷山古墳の文字とも比較検討されて「ワカタケル大王」とされている。そういうことから埼玉県の稲荷山古墳から出土した剣の文字解読は熊本では当時大ニュースであった。
稲荷山古墳は5世紀後半に築造されたと推測されており、江田船山古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測されている。5世紀から6世紀頃のヤマト政権は埼玉や熊本の地方の豪族とも関係を保ちながら、次第に支配を強めて行ったのだろうか。

博物館では、「古墳の終焉と律令時代の幕開け」という企画展があっていた。九州の博物館では弥生時代を中心とした企画が多いように思う。今、福岡市博物館では「新奴国展」が、八代市博物館では「交流する弥生人」が開催されている。九州と関東では古代歴史への関心に違いがあるのだろうか。

博物館の直ぐ傍には埼玉県名発祥の碑があった。明治4年県が設置されたときは、「埼玉県」と「入間県」の二つに分かれていたが、明治9年に今の圏域となり、県名は「埼玉県」となった。律令制度のころは「前玉(さきたま)」と呼ばれていた。と記されている。


(埼玉県名発祥の碑)

古墳公園を後にして観光拠点循環バスで秩父鉄道行田市駅へ。
行田市駅は昔のままの駅舎で、ICカードも使えない。JRもその他の私鉄もどんどん合理的な駅舎に生まれ変わっていく。ここは懐かしい、ほっとする、そんな感じの駅だ。
秩父鉄道寄居(よりい)駅まで50分程。途中、秩父鉄道熊谷駅でSLと行き違った。


(秩父鉄道行田市駅)


(秩父鉄道行田市駅)

寄居駅で東武鉄道東上線に乗り換える。東武鉄道鶴ヶ島駅に小川町乗換して約1時間で着いた。3日間滞在するホテル「シティ・イン鶴ヶ島」にチェック・インする。


(東武鉄道寄居駅)

ホテル近くのファミレス「とんでん」で、お勧めメニューのそばと寿司のセットに冷酒で夕食をとった。土曜夜の書き入れ時にに一人で入ったが、料理を運んでこられるとき、お茶を入れ替えてくれるとき、従業員の皆さんは丁寧に挨拶されるのが印象的だった。

乗り鉄を楽しんで、埼玉と熊本の歴史に触れ、埼玉の皆さんに親切にしていただき1日目が終わった。