鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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熊本城宇土櫓を見に行った【熊本の話題】

2022-10-23 | 熊本の話題
2022年10月22日(土)

熊本地震(2016年)で損壊した熊本城宇土櫓の解体復旧工事が始まるとのことで宇土櫓を見に行きました。
熊本城からそれ程離れていないところで生まれましたが、小学校の高学年までは天守閣は無く、宇土櫓を見て育ちました。

宇土櫓は、3層5階地下1階、高さ19mの多層櫓で、国指定重要文化財です。
他のお城を見た時、「宇土櫓の方が立派ばい」と思ったりしていました。

熊本地震発生の時は、宇土櫓がどうなったのかが気になりました。

宇土櫓は、今から400年以上前の慶長年間(1596~1615年)に建てられたとされていますが、はっきりした築造年は分かっていません。
今回の解体で、築造年が分かるものが出てこないかも注目されます。

解体から復旧まで10年もかかるそうです。
この歳になると、10年は長いです。











10月20日天守閣より撮った宇土櫓。



天守閣の中にあった宇土櫓の模型。


「世界遺産の古墳群」に会う【JR九州福間駅 鉄卓のフォト・ウォーク2022-14】

2022-10-13 | JR九州ウォーキング
2022年10月8日(土)

今日は鹿児島本線福間駅(福岡県福津市)。



改札口を出るとお迎えしてくれる「ふくふくちゃん」。
福津市商工会のキャラクターらしい。



福間駅をスタート。



福間駅のコースではいつも宮地嶽神社に寄るが今日は寄らないコース。



道なりに歩いて、カメリアホールへ。
福津市の総合文化センターで歴史資料館もある。



福津市の通史展示や津屋崎の古墳から出土したものなどが展示してある。



復元されたものであるが、宮地嶽神社にある古墳から発見された国宝の大刀。大きかった。





津屋崎には古墳が多く存在するようだ。





船上での武器のようだ。



新原・抜山古墳群を紹介するコーナーもあったようだが、見過ごしている。

館を後にして国道沿いを歩いて行く。
マップを見ると、長い道のりになりそうだ。

今日はお花たちと出会わないなぁと思いながら歩いていると、古墳らしきものが。

須多田ニタ塚古墳。
周囲にも古墳が点在し須多田古墳群を形成している。





そこから、まだまだ歩かねばならないようだ。







コスモスがお出迎え。ようやく、古墳群のところへ。



平成29年、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産に登録された。
ここ、「新原・奴山古墳群」は、その世界遺産を構成する一つ。
5世紀から6世紀にかけて築かれた前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の41基が現存している。

いただいた福津市のパンフレットには
「台地中心部には、前方後円墳や大型円墳が造られ、その周辺に中小の円墳が分布しています。前方後円墳はヤマト王権とのつながりの強い有力者の墓であることを示すことから、王権のもとで朝鮮半島への航海や沖ノ島での祭祀を担うことによって勢力を拡大させた古代豪族宗像氏の性格をよく表す古墳群として世界遺産に登録されました」
とある。

国道から右折して、最初にあったのは、22号古墳。
5世紀後半に築かれ、全長80mあり古墳群最大規模を誇る。
前方後円墳の前方が短くなっていて、帆立貝式古墳とも呼ばれている。



木が茂っているところが後円部。手前の草むらが前方部、開墾によって残っていない。



並ぶようにしてある21号墳は円墳。



廻って行こう。15号墳は円墳。





21号墳のところに来た。

古墳の上に百塔板碑があるようだ。



鎌倉時代中期に建てられているようだ。



古墳の上に建っている。





先へと進む。



25号古墳は5世紀後半に築かれた古墳群最大の円墳。





30号古墳は6世紀中頃に築かれた全長54mの前方後円墳。
前方部は畑により削られ平らになっている。





展望台の方へと進む。



途中、説明があった。



古墳群は、当時、入海に面した台地上にある。
赤い線が古墳群。



古墳の分布図。
国道を右へ曲がって古墳群に入ったが、国道の左側にも古墳があるようだ。



古墳が一列に並んでいる横を歩いて展望所に着く。
正面は大島。宗像大社中津宮がある。





当時のイメージ図。
入海の台地上に面している。



新原・奴山古墳群は5世紀から6世紀に築かれている。
7世紀に入ると遣唐使の派遣が始まる。
古墳群の主たちは、遣唐使の船を台地の上から見送ったであろう。
宗像三神の祭祀は遣唐使の無事な航海も含まれるようになって、ヤマト王権が深くかかわるようになっていっただろうと思う。

古墳群の展望所を後にする。

お馬さんがいた。



歩いてきた国道へ出た。



すぐに、あんずの里。



今日はここがゴール。



福間駅へはシャトルバスで帰る。



博多駅方面の列車がすぐに来た。

スタート時にめんべいをいただいたのを思い出した。
福津めんべいは対茶漬け風味、先週の添田町めんべいは柚子ごしょう風味だったようだ。



今日のウォーキングを終える。

たまには1句(4)
「遣唐使 見送る古墳 秋桜」

「動物園の中の絵本美術館」に会う【JR九州吉野駅 鉄卓のフォト・ウォーク2022-13】

2022-10-10 | JR九州ウォーキング
2022年10月2日(日)

今日は鹿児島本線吉野駅(福岡県大牟田市)



9時の受付開始前に着いたら、行列が出来ていた。



大牟田市のゆるキャラ「ジャー坊」。名前の由来は知らない。



ジャー坊に見送られてスタートする。





西鉄の踏切を渡る。





着いたのは法雲寺。
立花藩第2代藩主・立花忠茂夫人の菩提寺。
夫人の戒名「法雲院殿貞照」から寺の名がついている。





福岡県の指定文化財の石造六地蔵。



夫人の墓。
墓所に奉供してある霊水をイボの患部につけると完治するという言い伝えからイボ観音様ともいれている。
夫人は仙台藩・伊達政宗の孫娘にあたる。



法雲寺を後にして歩く。





池の中を覗くと・・・。



すぐに、「四郎國光」。
開祖は江戸柳河藩御藩鍛冶であった信濃守武藤久廣。
現在は、毎回出品している新作刀展覧会で「優秀賞」「努力賞」など入賞を果たしている。







再び西鉄の線路を渡り、直線道路に出る。

西鉄の観光列車・水都。
福岡天神と大牟田間を走っている。



暑くなってきた。
木陰は無く、風も無い。
家々の陰で日差しをさけながら歩かねばならない。
見通しが良い直線の道を歩くと、疲れも倍加する。

それでも、時々、お花たちに癒されながら歩く。









JR九州の踏切を渡り、しばらく歩いて、JR九州の銀水駅。
古い駅舎は、まだ、健在のようだ。



暑い暑い、見通しのいい道を、まだまだ歩いて行かねばならない。



コロナの巣ごもり需要で、いろんな食べ物の自動販売機が出来ている。



公園があった。一休みするウォーカーも多い。



大牟田市役所が見える。
建て替えの計画もあるようだが、反対の意見もあるようだ。



大牟田駅はゴールせずに通過。





まだまだ、まっすぐに歩く。



警察署前の信号でようやく左折。

カルタックスおおむたの中には「三池カルタ資料館」があるが、今日は寄り処となっていないようだ。



そこから少し歩いて、ようやく動物園。
ここまで長かった。

入園料はマップ提示で無料。



アムールヒョウ。
ひょうの中で最も寒いところに生息しているという。



「ともだちや絵本美術館」は、動物園の奥の方にある。
初めて来た。
開館1周年だそうだ。
これまで10万人以上の来館者があった。



絵本ギャラリーでは、内田鱗太郎作、山本孝絵の「カミさま全員集合!」山本鱗太郎作、降矢なな絵の「ありがとうともだち」などの原画展があっていた。

のんびりホールはテーブル席などがあったが、昼食時で家族連れなどが食事をしていた。
絵本も置いてあるので、時間によっては子供たちが絵本を読んでいるであろう。



ともだちルームは
絵本を自由に読めるスペースで、絵本の読み聞かせもある。
この時間も、読み聞かせがあっていて、子供たちが熱心に聞いていた。



しばらくして、絵本美術館を後に、動物園の出口へ向かう。

今日は暑い、へばった。



大牟田駅へ引き返し、ゴール。



チョコモナカジャンボが美味しかった。
今日のウォーキングを終える。

たまには1句(3)
「秋の空 絵本を選ぶ 子の瞳」

「少しだけ廃線跡」に会う【JR九州西添田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2022-12】

2022-10-07 | JR九州ウォーキング
2022年10月1日(土)

今日は日田彦山線西添田駅(福岡県田川郡添田町)。



西添田駅のコースは初めて参加する。
ここまで4回乗り換えてきた。
以前は、乗り換えもまた楽し、の気分だったが、最近は、乗り換えが多いのが辛くなってきている。

受付を済ましたら、粋な歓迎に迎えられた。



駅舎を眺めながら線路を渡る。



直ぐにあったモニュメント。



児童の絵もある。



彦山川の橋を渡る。



少し上って歩いて行く。





着いたのは山口油屋福太郎の添田町めんべい工場。
福岡県の代表的なお土産である。



工場直売のお得なものは売り切れていた。
まだ、めんべいは買ったことが無かったので、三種類買う。



敷地内に碑が建っていたので見たら、ここは閉校になった田川商業高校の跡地のようだ。
工場も校舎を利用しているのかもしれない。



そこから、それ程は離れていないところに中島家住宅。
江戸時代の商家で国の重要文化財に指定されている。





そこのお庭で。



中島家住宅を後にして真っ直ぐ歩いて行く。





左へと曲がり、上り道。

岩石城武将の碑がある。



さらに上って行くと岩石城(がんじゃくじょう)。
保元2(1157)年、平清盛がその臣大庭平三郎影親に命じて築いた。



お城は建っていなかったようだが町の美術館として城を模した建物が建っている。



最上階からの眺望。
美術館の展示には山頭火の句もあった。



引き返し、下って行く。
ちらほらと紅葉も始まっている。



下り坂の谷になっているところには寺院もあるようだ。



寄り道せずに先へと歩く。

10月に入ったのに暑い日だが、時折歩く木陰は風も通って気持ちがよい。







わずかな距離だが、道の駅・廃線跡に行って、ゴール添田駅へ向かう人たちと、道路のあっちとこっちで出会うところがあった。
何人かの歩友を見かけ、お互いに手を振り、挨拶。

英彦山川へ出て、川沿いを歩く。







道の駅が見えてきた。



怖い怖い。渡りたくないなぁ。



ドキドキしながらなんとか渡って、道の駅勧遊舎ひこさんへ。



廃線になった駅舎ものまま残っている。





道の駅でお握りを買って、引き返して廃線跡へ。

ひこさん駅への線路。残すのだろうか。



添田駅の方へ。列車が走っていたトンネルの中を歩く。





ひんやりとしたトンネルを出る。



この先へと歩く予定だったようだが、ここまでに変更されている。
廃線跡を歩いたのは少しだけだった。



ゴール添田駅まではそれほど遠くはなかった。



線路としての日田彦山線はここ添田駅が終着駅。



日田彦山線活性協議会からはめんべいをいただいた。



平成29年の九州北部豪雨で被災した日田彦山線。
全線の鉄道による復旧は断念し、添田駅から夜明駅間は廃線となる。
その間と、久大本線の夜明駅から日田駅までにはBRT(バス高速輸送システム)が走ることになった。

愛称は「BRTひこぼしライン」。
「日田彦山線の星」から「彦」と「星」を使って名付けられている。

彦山駅~宝珠山駅間は線路敷地、添田駅~彦山駅間と宝珠山駅~夜明・日田駅間は一般道を走る。
夜明~日田間は久大本線と並行する。
車両は小型電気バス4台、中型ディーゼルバス2台を使用する。

開業は2023年夏の予定。

駅に置かれている説明板でそんなことが分かった。





駅横広場の山伏像のところでお握りの昼食。



今日のウォーキングを終える。

たまには一句(2)
「廃線や バスくる日いつ 秋日差し」