鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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祝20周年「第1回再現コース」に会う【JR九州筑後草野駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-7】

2019-05-28 | JR九州ウォーキング
2019年5月19日(日)

今日は、久大本線筑後草野駅駅へ。

最寄駅から乗る列車を待っている時、スマホに「雨の日ボーナスポイント」のメールが入る。傘の用意をしてこなかったし、カメラも一眼レフだし、困ったなあ、と思いつつ3回乗り換えて、筑後草野駅へ向う。

車中からは、雨は降ったり、止んだり。

今日のコースは、1999年5月に開催された第1回JR九州ウォキング再現コース。


(JR九州ウォキングパンフレット)


(JR九州ウォキングパンフレット)


(今日のマップ)


(今日のマップ)

10時4分、筑後草野駅に着いたときは雨は止んでいる。


(筑後草野駅ホームで)


(筑後草野駅)

雲も山の上の方へ。雨は降らずに済みそうだ。耳納の山の麓を歩く。


(耳納の山)

柿畑から筑後の平野部を眺めながら歩く。


(柿畑から)

道沿いのお花たちも歓迎してくれる。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(心地よく歩く)


(道沿いで)

幾つか曲がって「須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)」へ。

「須佐能袁神社は呼び名の通り素戔鳴尊すさのおのみことを主神としてお祀りしております。須佐能袁神社は、建久八年(1197年)平家討伐に軍功があり、源頼朝から筑後国在国司・押領使に任じられていた竹井城主草野太郎永平が京都の八坂神社より勧請し、創建したと言われます。」(須佐能袁神社ホームページより)

立派な神社で、古来よりこの地が豊かな地であったことを感じさせてくれる。


(須佐能袁神社)


(須佐能袁神社)

戻って、先へ進む。くねくねと路地を二つ、入っては戻る。

一つ目を入った先には「草野歴史資料館」。建物は明治43(1910)年、株式会社草野銀行本店として建てられ国登録文化財に指定されている。

資料館では、長寛2(1164)年に入国した筑後草野氏の歴史展が開催されている。
「草野氏の入国-源平争乱・高良山での蜂起、筑後国在国司補佐と領国経営、蒙古襲来に参戦」
「乱世の時代-南北朝動乱から秀吉の九州遠征・戦国を生きた草野氏ら筑後の武将たち」
の2つに分けて展示されていた。

興味津々だが、まだスタートして間もない。先を急ぐことにする。


(草野歴史資料館)

戻って、直ぐに二つ目の路地を入った先には草野町で最も古い家屋である「鹿毛鶴之助邸」。福岡県の指定文化財。外から眺めるだけ。20年前は見学できたのかも知れない。


(鹿毛鶴之助邸)

路地を戻って、右折。


(路地を戻る)


(右折)

着いたのは「山辺道文化館」。大正3(1911)年、他所に建築中だったものを移築し完成させ、病院として使われていた建物。大規模な木造洋風2階建てで、国の登録文化財に指定されている。現在はこの地域・耳納山地北麓の交流拠点として使われている。


(山辺道文化館)


(山辺道文化館内には須佐能袁神社で使用するものも)

また、横道に入って「久留米つばき園」へ。

3月であれば、案内板のような椿の花々を見ることが出来たのだけど、今日は葉だけ。


(久留米つばき園案内板)


(久留米つばき園で)


(久留米つばき園で)


(久留米つばき園で)


(久留米つばき園で)

戻って、「世界のつばき館」へ。温室の中に世界のつばきが展示してあるが、今日は花は咲いていない。


(世界のつばき館)

小腹を満たすべく蒸しパンを一つ買って、歩きながら食べる。行儀が悪いが、美味しい。


(世界のつばき館で)


(道沿いで)


(道沿いで)

矢作公民館を初めとした矢作古民家群へ。このあたりの写真を撮り損ねている。


(矢作公民館)


(矢作公民館横の恵比寿)


(道沿いで)

新しい試みも始まっている。20年前は無かったであろうと思う。


(オリーブ園)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(20年前は無かったであろう)

時代は一気に遡る。「下馬場古墳」へ。

この地域・耳納山地北麓には古墳時代(3世紀半~7世紀末)、数多くの古墳が造られ、現在確認できているだけでも400基以上、消滅した古墳や未発見のものを加えると1,000基を超える古墳があったと考えられている。

6世紀前半頃には、装飾古墳も多く造られるようになる。

奈良の高松塚古墳などの装飾古墳は渡来人が描いたと考えられている。
九州の装飾古墳は、土着の人たちが描いた。

下馬場古墳はこの地域の代表的な装飾古墳で、中に入って見学できた。目の前で見れるとは、興奮。


(下馬場古墳)


(下馬場古墳内の壁画)

もう満足度100%に達して、先へ進む。

若宮神社の階段は、記憶にある。係りの人から階段は滑りますと注意を受けたが、下りで滑った。


(若宮神社)


(若宮神社)


(若宮神社から)

ゴールの善導寺駅をめざし急ぐつもりが、道沿いの花々に立ち止まる。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

「久留米ふれあい農業公園」に立ち寄って、先へ進む。


(久留米ふれあい農業公園)


(道沿いで)


(道沿いで)

ゴール善導寺駅に着いた。少し離れた食品スーパーでパンを買って遅い昼食。ビール無し。


(善導寺駅)


(久留米駅行きの列車)


(乗車する参加者)

踏破証明書と20周年記念ステッカーを貰って、今日のウォーキングを終える。


九州国際スリーデーマーチ2019-3日目10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」

2019-05-25 | JWAウォーキング
2019年5月12日(日)

「九州国際スリーデーマーチ2019」3日目はゆっくり起きて、10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」に参加。

10Kコースは1日目が「八代亜紀絵画コース」、2日目が「松中信彦メモリアルコース」と3日間とも八代市出身の著名人の名がついている。

出発式では、陣内貴美子さんの挨拶があり、「エィ・エィ・オー」をした小学生を含む3名の地元のウォーカーには陣内さんの署名入り帽子が贈られた。


(陣内貴美子さんの挨拶)

10K、5Kのスタート前に会場に着いたら、地元の人の参加が多いのだろう、自転車がズラリと並んでいた。


(会場自転車置き場)

スタートは10時、球磨川沿いを下る。カメラは、昨日までのデジタル一眼レフからコンパクトデジカメに変えている。


(河川敷遊歩道を歩く)

河川敷の遊歩道から川沿いの道へ出て、少し引き返し、球磨川に架かる植柳橋を渡る。


(植柳橋)

「麦島小学校」を通過。麦島小学校が現在ある場所には、以前は八代第三中学校があって、陣内さんは八代第三中学校を卒業されているとのこと。


(麦島小学校)

前川に架かる前川橋歩道橋を渡る。人吉の方から流れてきた球磨川は、スタート・ゴールの大会会場付近で、球磨川と前川に分かれて海へと流れている。


(前川橋歩道橋)


(前川橋から八代駅方面)

大きなカッパ像があった。八代にはカッパ伝説が残っている。全国のカッパ伝説には地域によっていろいろな説があるが、八代ではカッパは中国から渡って来たと伝えられている。


(カッパ像)

八代のアーケード商店街の中へと歩く。


(スリーデーマーチに出店中との貼り紙のお店)

バナナや湯茶等の接待を受けた。バナナ大きかった。


(商店街の中で)

くまモングッズや八代のお土産等を販売するくまナンステーションが、商店街の中に昨年オープンしているが見逃したようだ。

商店街から外れて八代城跡の方へ。


(暑い日差しの中ホッとする)


(ここにくまモン)


(ここにもくまモン)

八代城址お堀に出る。

江戸幕府は慶長20年(1615)に一国一城令を制定したが、熊本加藤藩は特例として熊本城と八代城の一国二城が認められた。

当時の八代城は麦島小学校のちかくにあったが、元和5年(1619)の地震により、城が崩壊したため、加藤清正の子・忠広の時代に現在の八代城跡の場所に移す。

加藤氏の改易により熊本城主となった細川忠利の父・細川忠興(三斎)は、本丸に四男立孝を住まわせ、自らは三の丸を居所とした。

天保2年(1645)立孝、忠興と相次いで亡くなった後、翌3年に細川家家老・松井興長が入城し、以後は代々松井氏が幕末まで八代城の主となった。

三の丸の北、出丸跡にある八代第一中学校の校庭の一角には、細川忠興が織田信長を供養した五輪塔が建っている。


(八代城址)


(またまたくまモン)

八代城址の中にある八代宮の横を通り、南から北へと通り抜ける。


(八代宮)


(本丸天守台跡石垣)

北の丸跡地には市立図書館も。


(八代市立図書館)

八代第一中学校の横を通って右折。廃線跡の遊歩道を歩く。


(遊歩道)


(遊歩道で)


(八代東高校)

遊歩道から右折し歩いていたら、こんなサービスが。手持ちの水が無くなりそうな時だったので有難味も一層増す。


(日田天領水のおもてなし)

チェックポイントはやつしろハーモニーホール。


(やつしろハーモニーホール)


(お漬物は丁寧に分けられていただいた)

塩分・水分を補給して歩き出す。


(暑い)

八代駅裏にある日本製紙工場建物の壁一面に描かれた、八代妙見祭の「亀蛇」。亀と蛇が合体した想像上の動物。八代妙見祭は、2日目のコースで訪れた妙見宮のお祭りで、ユネスコ無形文化遺産に指定され11月22、23日に開催される。

亀蛇にはガメの愛称がつけられている。2日目のコースにあった「がめさん公園」にはガメの像があり、眺めつつ歩いた。


(日本製紙工場建物の壁)

八代駅を過ぎ、新萩原橋へ。橋から球磨川。左が球磨川、右が前川へと別れている。スタートしてから左の球磨川に架かる植栁橋を渡り、右の前川に架かる前川橋歩道橋を渡った。


(新萩原橋から球磨川)


(新萩原橋から大会会場)

3日目のゴール。


(ゴール)

今日は10Kだったのでビールは無し。

3日間、八代駅で帰りの列車が出発するまでの間に、疲れた躰を癒してくれた。

今日も「パリパリッ」と。



「お疲れ様でした。」

九州国際スリーデーマーチ2019-2日目20キロ「い草の里フードバレーコース」

2019-05-22 | JWAウォーキング
2019年5月11日(土)

朝早く、目覚ましで起き、「九州国際スリーデーマーチ2019」2日目の20キロ、「い草の里フードバレーコース」に参加。

今日も暑そう。


(8時半にスタート)

球磨川に架かる新荻原橋を渡る。


(新荻原橋)


(橋の上から八代駅方面)

橋を渡って右折、しばらく歩いて右折。水無川沿いを歩く。


(水無川)

水無川を離れて、日本三大妙見の一つといわれる妙見宮(八代神社)に寄る。11月には八代妙見祭が開催され、八代が賑わう。



川沿いの道を歩く。


(川に沿って)


(道沿いで)

「東片自然公園」の777段の階段。今日は上らないで、川沿いの道を進む。


(東片自然公園の石段)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

川沿いを外れてしばらく歩いく。ここら辺りは古墳が多いようだ。


(古墳への案内板)

薩摩街道の案内板。熊本城から9里ということかな。


(薩摩街道の案内板)

9里の案内板から数歩で、40Kとの分岐点。20Kは左折する。


(40Kとの分岐)


(道沿いで)

い草の「千丁町」へ入る。


(い草)


(い草)


(田植え?)


(道沿いで)

千丁町のい草は、「永正2年(1505)上土城の城主であった岩崎主馬守忠久公が、初めてい草を植えて育てることを、村人に教えたことから始まりました。」(熊本県い業生産販売振興協会のホームページより)

500年以上の歴史がある。

上土城跡に岩崎神社が建てられ、岩崎主馬守忠久公が祭神に祀られている。


(岩崎神社)

鹿児島本線の列車からも、岩崎神社に立つ看板が目立つ。この看板を見て、もうすぐ八代駅にだな、といつも思う。

線路を渡って歩く。


(岩崎神社)


(道沿いで)


(ハウスの中のいちご)


(綺麗なお花畑)

あっち見、こっち見をしながら歩く。


(あっち見)


(こっち見)

そして、い草畑も見て歩く。


(い草畑)

蝶も見ながら。


(道沿いで)

電柱の上も見ながら。


(道沿いで)

千丁町のお接待場所に。


(千丁い草の里公園)


(おにぎりもいただいたが映っていない)

おにぎりとお漬物をいただき、元気を出して歩く。コースはたんたん。カメラの出番は無い。


(やっと出会ったお花)

第2チェックポイントは、新八代駅東口にある元ソフトバンクホークスの「松中信彦スポーツミュジアム」。


(松中信彦スポーツミュジアム)

その横にある「八代よかとこ物産館」に寄ってお買いもの。


(八代よかとこ物産館)

新八代駅南口に廻って、「がめさん公園」に。


(がめさん公園)

八代駅の近くまで来た。


(八代駅近くの工場)

JR八代駅と、肥薩おれんじ鉄道八代駅。


(写真左は肥薩おれんじ鉄道の車輌)

再び新萩原橋を渡って、球磨川河川緑地のゴールに。


(球磨川河川緑地)


(ゴール)

大会会場には「い草」の宣伝コーナーもあって、い草の製品も販売されている。アンケートに応えると、抽選でい草の製品も当たる。当たったのはい草のコースター。


(い草のチラシ)


(い草の製品)

「八代よかとこ物産館」で買った地元野菜の煮しめでビール。年寄りには煮しめが合う。

明日はどうしょう。

九州国際スリーデーマーチ2019-1日目20キロ「水島・万葉の里コース」

2019-05-21 | JWAウォーキング
2019年5月10日(金)

今日は、熊本県八代市で開催の「九州国際スリーデーマーチ2019」の1日目20キロ「水島・万葉の里コース」に参加。

スタート・ゴールは八代駅から歩いて15分程、球磨川に架かる新萩原橋を渡ったところの球磨川河川緑地。

急な参加で、当日受付をすませる。

JWA(日本ウォーキング協会)のウォーキングに参加するのも久しぶり。会場に着いたときは、出発式が始まっていて、参加者も国際色豊か。外国から参加の3名のウォーカーによる「エィ・エィ・オー」でスタート。


(出発式)

球磨川沿いを上流にしばらく歩いて、南九州西回り自動車道側道の道へ。


(道沿いで)


(道沿いで)

「九州国際スリーデーマーチ」は5月の連休が終わった後の金土日の3日間毎年開催される。参加する度に山々の緑が深くなりつつあるのを感じる。それだけに暑い。


(山の緑)

小学生の頃に、住んでいる熊本県について勉強があった。習った八代市は熊本県随一の工業都市。高校の時、初めて八代駅に降りた。その時、これが工業都市かと思う異様な臭いは忘れられない。今では、工場も減って、空気もきれいになっている。


(工業都市の面影も残る)

南九州西回り自動車道側道を歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)

熊本県指定史跡「平山瓦窯跡」は、南九州西回り自動車道建設の調査で発掘され、設計が変更され保存されている。

八代は、南北朝時代に古麓城、安土桃山時代に麦島城、江戸時代に現在地の八代城が建てられている。平山瓦窯は、小西行長の時代に建てられた麦島城の瓦を焼く窯とし造られた。


(平山瓦窯跡、通称「だるま窯」)


(道沿いで)

国道に出る。八代南IC近くの案内板では、地震があったようだが、鈍感な躰は感知せず。八代の震度が「3」だったのは後から知る。


(八代南IC近くで)


(道沿いで)

国道から右折。「八代ふる里物産村」からは田植え前の田、麦が実った田、トマトのハウスなどの中を歩く。


(八代ふる里物産村)


(い草?)

熊本県は、八代、水俣・芦北、人吉・球磨の県南地域の豊富な農林水産物を活かし、食関連の研究開発機能や企業を集積させる「フードバレー」を形成することにより県南地域の活性化を目指している。八代市は、工業都市からフードバレーの中核市へと発展していこうとしている。


(畑やハウスを眺めながら)


(ハウスの中のトマト)


(麦畑)


(道沿いで)


(川沿いに)


(道沿いで)

枯れても力強く。歩こう。


(道沿いで)

半分歩いた。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

流藻川沿いを歩く。


(流藻川)


(流藻川)


(流藻川)

4年前歩いたときもこの花を撮った記憶が。


(道沿いで)


(空を見上げると暑い)


(ハウスの中)

八代海に出た。みんな写真を撮りだした。


(八代海)


(遠くに雲仙の山並み)

海沿いを歩く。


(海沿いを)

万葉の里公園が第2チェックポイント。トマトが美味しい。


(万葉の里公園)


(トマトをいただく)

9年前、万葉集に関する本を読んでいたら八代市に万葉集で詠まれている地「水島」があることを知った。

場所を知りたくネットで検索していたら、「水島」に行くウォーキングがあるらしい。詳しく調べて、「九州国際スリーデーマーチ」の20Kコースで「水島」に行けることが判る。

早速、申込みをして参加した。ウォーキングを始めたのが、その前の年の秋だったので、20K歩くのに不安はあったけど、「水島に行こう。」が勝った。ウォーキング協会なるものがあるのもその時初めて知った。

万葉の里公園に万葉集巻三245の碑「如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋」が建っている。

長田王の筑紫に遣わされて水島に渡りし時の歌2首の一つで、
読み下し文は、「聞くが如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」、
口訳は、「聞いているとおりに、まことに貴く、ふしぎにも神々しくあることよ。この、水島よ」。


(如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋)

日本書紀巻第七に景行天皇が「海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。そのとき、山部阿弭古の祖である小左をよんで冷たい水を献上させた。このとき島の中に水がなかったので、致し方なく天を仰いで、天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島といった。」と書かれている。

万葉集巻三245は、長田王がそのことを想い詠った1首。


(水島)


(水島)

このあたりは江戸時代に干拓されて今では海岸から直ぐのところに水島がある。

万葉史跡水島説明板には、「江戸時代末の天保14年(1843)、水島新地が築造される際、水島は干拓地に取り込まれる計画でしたが、万葉の古蹟が失われるのを憂慮した国学者和田厳足の建議により、計画が変更されたことは、文化財保護の先駆けと言えます。」と記されている。


(八代海)

八代海から、球磨川沿いを歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いから金剛歩道橋)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

川沿いの道から下りて、球磨川河川敷の遊歩道を歩く。


(遊歩道)

9年前、ゴールまで後2キロ位の地点で不安が的中した。歩けなくなった。足に豆が出来て痛い。しばらく休んで、足を引きずりながら歩き出した。

今日はまだ軽快。


(球磨川)

その時のことを思い出しながら、ゴール。



ゴール後は、日奈久のサラダちくわと五家荘のイモ天でビール。

明日は起きれたら20Kを歩こう。

《参考本》
中西進『万葉集 全訳注原文付(一)』)講談社文庫、昭和62年第10刷
宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫、1992年第11刷

「筑豊で山頭火」に会う【JR九州香春駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-6】

2019-05-01 | JR九州ウォーキング
2019年4月28日(日)

今日は、日田彦山線(愛称:ひたひこ)香春(かわら)駅へ。


(今日のマップ)


(今日のマップ)

博多駅で乗換え、福北ゆたか線で新飯塚駅へ。そこで後藤寺線に乗換え、田川後藤寺駅へ。そして日田彦山線に乗換え、田川糸田、一本松と停車し、香春駅に10時34分に到着。

日田彦山線の添田~夜明間は、平成29年の豪雨で被害を受け、いまだ不通で、復旧の目途はたっていない。鉄道での復旧をめざす地元自治体と、バスでの復旧をめざすJR九州とで意見がまとまらず今後の方針が立っていない。


(田川後藤寺駅で乗換え)


(香春駅)


(駅舎内)


(公園で)


(香春岳)

歩道橋を渡って、金辺川沿いの「山頭火遊歩道」を歩く。


(金辺川)

種田山頭火は、自由律俳句の俳人。自由律俳句は、17文字という定型にとらわれないで自由によむもの。
明治15年、山口県防府市に生まれる。
大正5年、熊本に移り住む。熊本市下通り、昔の人が知っているのは大洋デパート、今の人たちが知っているのはCOCOSAの場所で古書、絵葉書、額縁などを扱った「雅楽多」を開業。
大正15年から、雲水姿で西日本を中心に、行乞をし、酒を飲み、句を作り、旅する、を繰り返す。
昭和15年、愛媛県松山市の「一草庵」で生涯を閉じている。

代表的な句には、「分け入っても分け入って青い山」、「うしろすがたのしぐれてゆくか」などがある。

「山頭火遊歩道」は、昭和5年11月に香春町を訪れたときの句を中心に碑が建てられている。
この時の行程は、9月に熊本を発ち、八代→日奈久→佐敷→人吉→宮崎県えびの→都城→宮崎市→飫肥→油津→志布志→都城→宮崎市→延岡→大分県佐伯→竹田→由布院→森→中津→山口県下関→北九州八幡→直方→糸田→【香春】→後藤寺→篠栗→福岡→二日市→羽犬塚→大牟田→荒尾と旅し、12月熊本に帰っている。

香春の隣り田川には医師で俳人の木村緑平氏がいて、物心両面の援助をしていた。昭和5年2月、昭和7年5月にも訪れている。遊歩道には、その時の句もある。


(山頭火遊歩道)


(「香春晴れざまへと鳥がとぶ」)


(「みすぼらしい影をおもふに木の葉ふる」)


(「香春をまともに乞ひ歩く」)


(「香春見上げては虱とってゐる」)


(山頭火遊歩道)


(「香春へ日が出る雀の子みんな東に向く」)


(「鳴きかはしては寄りそふ家鴨」)


(「ふりへえれば香春があった」)


(「枯木かこんで津波蕗の花」)


(「あるけばきんぽうげ すわればこんぽうげ」)

山頭火は、旅で温泉に浸かるのを楽しんだ。上記した旅の始まりには日奈久温泉を訪れ、温泉を称賛した。八代市日奈久町では、山頭火が訪れた9月に『九月は日奈久で山頭火』のイベントが毎年開催されている。

イベントの一つとして「山頭火ウォーク」もある。毎年、参加したいと思うが、まだ、実現していない。
今年こそ。

5月の連休が終わった、最初の金曜、土曜、日曜の3日間、八代市では「九州国際スリーデーマーチ」が開催される。今年は5月10日(金)、11日(土)、12日(日)の3日間。全国から、外国から多くのウォーカーが参加される。

日奈久温泉街を歩くコースも設定されている。温泉街ではいたるところに山頭火の句が掲げられている。

ゴールした後、肥薩おれんじ鉄道で日奈久温泉へ行き、句を味わい、温泉を味わい、ビールを飲めば最高ですね。

山頭火遊歩道を後にして、金辺川上流にある「第二金辺川橋梁」へと歩く。橋脚の高さから通称「六十尺鉄橋」とも呼ばれている。


(せとおおはしから第二金辺川橋梁)


(駅長さんも見てよと第二金辺川橋梁)


(第二金辺川橋梁を走るひたひこの列車)


(第二金辺川橋梁のすぐそばにある橋梁)

列車を見送って歩く。山を眺め。道沿いの花を撮りながら歩く。


(山を眺め)


(道沿いで)


(道沿いで)

「阿蘇」という地名や神社があると、その昔、熊本(肥後)となんらかの縁があった地ではないか、と勝手に想像する。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(金辺川)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

道沿いの花を撮りながら歩いて着いたのは「清祀(せいし)殿」。間歩より運ばれた銅の鉱石を製錬し、宇佐神宮の放生会に奉納する御神境を鋳造した場所と推察されている。

清祀殿の紋は、熊本市東部にある健軍神社と同じではないかな?健軍神社は阿蘇四神社の一つ。


(清祀殿)

数分歩いて、「神間歩(かみまぶ)」へ。


(神間歩への案内)

間歩は坑道のことで、横穴を掘って銅鉱石を採掘していた。
神間歩は、神事も行った場所と推察されたている。神間歩の周辺にも間歩が数か所ある。


(神間歩)

神間歩のある周囲は公園にもなっている。


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)


(神間歩公園で)

神間歩を後にして、古宮八幡神社へ。神幸祭は準備中。14時ぐらいが一番いいらしい。次回は遅い時間にこよう。


(お祭りの準備中)

下りは怖いな、と思いながら古宮八幡神社の急な階段を上る。


(古宮八幡神社の階段)

古宮八幡神社の畧縁起には「永禄四年七月(1561)大友義鎮日向肥後豊後の軍勢3万余騎を率い香春岳城主原田五郎義種と交ゆるとき社殿宝庫を喪失」したことが記されている。

熊本(肥後)との縁も感じながら今日のコースを歩いてきた。


(古宮八幡神社)

階段ではなく坂の方を下ったらゴールの採銅所駅に出る。


(採銅所駅)


(採銅所駅)

今日は、ビールは無い。阪本農園の「かぼちゃプリン」で今日のウォーキングを終える。


(かぼちゃプリン)

《「山頭火」参考本》
大山澄太著『俳人山頭火の生涯』彌生書房、平成4年10版
井上知重著『山頭火意外伝』熊本日日新聞社、平成29年第1刷