よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年にオールジャパン完歩目指しています。





第20回久留米ツツジマーチ2日目20km日本三大火祭り鬼夜・大善寺コース

2017-04-19 05:04:54 | オールジャパンウオーキングカップ

4/16 第20回久留米ツツジマーチ2日目。

2日目は、40k「酒蔵と伝統工芸城島コース」、20k「日本三大火祭 鬼・大善寺コース」、10k「久留米城下町シティプラザコース」、5k「甍が連なる寺町1万歩コース」です。

私達は、今日も20kmコース。スタートは、40kmコースの人とフライングスタートします。

7:30スタート。

  

先ず、筑後川に出ます。

筑後川は、流路延長143.0キロメートル、流域面積約2,860平方キロメートルの河川で規模としては九州地方最大の河川です。

利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川のひとつと言われ、筑紫次(二)郎(つくしじろう)の別名で呼ばれています。

  

1,8km地点は、5kmコースのチェックポイント。給水所でもありますが、ここは、スルーします。

  

久留米大学医学部を通り、ブリジストン通り~篠山城址を通ります。篠山城は、有馬氏の居城。15代当主有馬頼寧氏が日本競馬競走会理事長の時、競馬の「有馬記念」が出来ました。

  

JR久留米駅。ここには、直径4m、重量5tの世界最大級のタイヤが展示されています。

また、駅前には、久留米出身のからくり儀右衛門(田中久重からくり太鼓時計があります。

日本の近代技術の発展に大きく貢献した、郷土の偉人「からくり儀右衛門」こと田中久重が製作した「太鼓時計」をモチーフに、平成11年に設置されました。

8:00~19:00の間の毎正時毎に、時計盤が回転し、儀右衛門人形が現れ、「赤いスイートピー」や「涙のリクエスト」、「上を向いて歩こう」「筑後川」など久留米市出身やゆかりの方々の音楽(BGM)が流れる中、

無尽灯、弓曳童子、童子盃台、万年時計などの発明品を紹介します。その後、からくり儀右衛門(田中久重)は、明治8年(1875)東京・銀座に工場兼店舗を構えました。

これが、株式会社東芝の創業です。

現在、新聞紙上を賑わせている東芝ですが、創業者のからくり儀右衛門(田中久重)が、この現況をみたらどう思うでしょうか?

   

JR久留米駅から構内を通り、坂本繁二郎旧家を通ります。

坂本繁二郎は、「放牧三馬」「帽子を持てる女」など、数多くの作品を制作し、74歳で文化勲章を受章した近代洋画家の巨匠、坂本繁二郎は、明治15年(1882年)、旧久留米藩士の子として、

市内の京町に生まれました。この繁二郎の生家は、幕末から明治初期にかけて建てられて、その後、増改築が行われています。また、久留米市に残っている唯一の武家屋敷であり、

平成15年7月には 久留米市指定有形文化財 になっています。

市では、老朽化が進んでいた生家を昔の姿に戻すべく、平成18年度から平成21年度にかけて解体復原工事を行い、平成22年5月1日から一般公開をして周知活用に努めています。

復原にあたっては、古い部材を極力使用し、伝統的な工法で、繁二郎が上京して実家を離れた20歳の時、明治35年(1902)頃の姿に建て直しています。また、生家には、

繁二郎の高等小学校時代からの親友、青木繁が居候した茶室も復原し、彼らが描いたといわれる複製の襖絵も展示しています。(久留米市HPより)

  

5,3km地点が水天宮給水所。全国水天宮の本宮です。明治維新の中心的人物の真木和泉守は、この水天宮の22代宮司でした。

  

ここから、玉垂宮までは、ビュースポットもなく、ちょっと急ぎ足になります。

  

11,5km地点が、大善寺玉垂宮。最初のチェックポイントです。日本三大火祭りの一つに数えられる「大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の

最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

仁徳天皇56年(368)1月7日、勅命により藤大臣が、当地を荒し人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪を、闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取って焼却したのが始まりだと言われています。

  

 

玉垂宮が20k、40kの分岐点。ここでハプニングが・・・・・・一緒に歩いていた家内が体調の不良を訴えましたので、係りの方に西鉄大善寺駅までの道順を教えてもらい、そこまでは歩けると言いますので

電車で西鉄久留米まで行き、西鉄久留米駅からタクシーで会場に戻るように指示しました。

  

玉垂宮を出て、独り歩きになりました。このコース何回も歩いていますので大体の地図は頭に入っています。少し、スピードを上げます。

コースは、田んぼ道を通り、国道209号線へ。

  

国道209号十二軒屋信号から右折。久留米市立久留米商業高校が最後のチェックポイント。

久留米商業高硬式野球部は、春5回、夏4回の甲子園出場を誇り、福岡県南部の強豪校です。

ここで自分の孫みたいな高校生とツーショットを撮りました。ゴールまであと4km。

   

ただ今、10時45分。この調子だと11時15分~20分でゴールできます。

ここでもう会場に戻ったであろう「家内」にメールしますが、応答がありません。どうしたのだろう・・・・・・・・・????

3号線諏訪野町の歩道橋から西国分小学校の校庭を通り、諏訪野公園へ。ここには、もう鯉幟が泳いでいました。

  

あと2kmの地点で家内からメールの返答。今、ゴールしたそうです。

11:20 私もゴール 

今日は、日中の気温が25度ぐらいまで上がり暑かった・・・・15時ぐらいには、28度まで上がるとの予報。

ゴールしていただいた、アイスが非常においしかった。生き返ります。

  

ゴールして帰り道、久しぶりに久留米・宮の陣のラーメン屋さんに立ち寄りました。

今週22日から長野県飯田へ遠征。長野県は、私生まれて〇〇年、一度も行ったことがありません。楽しみです。

今日、21,8kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (7)
この記事をはてなブックマークに追加

第20回久留米ツツジマーチ1日目20km(福岡県久留米市)

2017-04-18 15:11:14 | オールジャパンウオーキングカップ

4/15~16 第20回久留米ツツジマーチに参加しました。

昨年は、この大会開始前に熊本地震が発生し、急遽中止になり、2年ぶりの開催です。今年は、20回の記念大会と言うことで記念品には「Tシャツ」が配られました。

ツツジマーチ20年の歴史の冊子も配られました。

  

1日目の15日は、40km「歴史の道 草野・善導寺コース」、20km「大パノラマ 森林つつじ公園コース」、10km「久留米市美術館 石橋文化センターコース」、5km「つつじ祭り1万歩コース」です。

私は20kmにエントリー。いつものように40kmコースと一緒にフライングスタートします。

  

会場を出ると、いつもは、花水木の花が綺麗ですが、今年は花が遅れているみたいです。

 

石橋文化センターの先から右折、高良川沿いを歩きます。このあたり、道幅が狭いです。

  

5,3km地点が高良台給水所。ここには、「名物男」とつけた元気のよいおじさんがハイタッチで迎えてくれました。

  

給水所を過ぎるとこのコース最大の難所の山登りが待っています。

 

例年このあたりに来ると、満開のツツジが迎えてくれるのですが、今年はまだ蕾が多く、全体でみれば、2分咲きぐらいでしょうか?

2年前の写真も用意しました。

  

9,4km地点 森林ツツジ公園が最初のチェックポイントです。ここでは、久留米で作られている「黒棒」を頂きました。

 

  

ツツジ公園からは、下り坂になります。道の両側には、野の花が咲いています。

  

20k、と40kの分岐点に来ました。40kは、ここから善導寺、浅井の一本松を廻って行きます。20kは、山川小学校に向かいます。

フライングスタートしたせいか、20kコースの人は、少なくなってきました。このあたりも野の花が咲いていました。

  

  

15,3km地点、山川小学校が2回目のチェックポイント。地元の皆さんから、白玉ぜんざい、お味噌汁が振る舞われました。

 

  

20分ぐらい休憩し、再びスタート。あと7km。現在10:30。ールは、12時ぐらいかな?

  

JR久留米大学前あたりは、御井校区と呼ばれています。御井校区は筑後川と共に久留米のシンボルである高良山を控え、筑後国の中心であった国府が所在した町として府中の名を残し、

高良大社とその神宮寺である高隆寺の門前町として、又、宿場町としても栄えた歴史を持っています。 主な遺跡・文化財を列記するだけでも、国の史跡に指定された高良山神籠石を始めとして、

祇園山古墳に代表される山麓の古墳群、平安時代末頃の政治などの中心であった筑後国府跡と推定される横道遺跡跡、南北朝時代の懐良親王親王や菊池氏戦国時代の大友氏や豊臣秀吉が陣を敷いた

毘沙門嶽城や吉見嶽城などの山城跡、全山に広がる社寺遺跡や、府中宿本陣跡など久留米の歴史を語る上で欠かせない奇矯な遺跡・文化財が並ぶ、市内でも有数の校区です。(久留米市教育委員会HPより)

   

百年公園に来ました。ここからゴールまでは、すぐ近くです。公園内では、まだ花見をされている方がいます。

  

11:55 ゴール 

  

ゴール後の抽選会は、シューズを狙っていましたが、ハズレでした。 

このあと、2日前の新聞に「浅井の一本桜」が綺麗ということで、車を走らせました。

会場から約20分で浅井の一本桜に到着。40kmコースは、ここがコースに組み込まれているのですね。何人かのウオーカーの方を見かけました。

  

浅井の一本桜は、樹齢100年の大木です。台風などで幹が折れたり、空洞化になったりで、鉄パイプの補強が行われています。

     

1日目21,8kmのGPSです。

 

 

 

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

花見ウオーク③(福岡市東区千早~香椎)

2017-04-13 12:23:49 | ウォーキング

4/12 ふくおかウオーキング協会の「花見ウオーク③」に参加しました。

この花見ウオークも3回目、1回目(2週間前)は、桜もまだチラホラという状態でしたが、先週が満開、今回は、一昨日からの雨でどうかな?と思いましたが、まだ残っていました。

集合場所は、JR千早駅。千早駅は、昔、国鉄の香椎操車場があった所でした。(松本清張の点と線にも出ました)再開発事業で操車場は無くなり、高層マンションが軒を並べています。

約50年前のこの地を知る私にとって、浦島太郎のような心境です。

  

9:30 スタート。千早小学校の横を通ると、桜並木があります。ここの桜もピークは過ぎましたが、きれいです。

  

今日は、福岡市内の小学校の入学式。桜の元での入学式も心に残るでしょうね。

  

香椎浜を抜け、「みなと百年公園」に来ました。このみなと100年公園は、博多港開港100周年を記念して平成11年7月につくられた公園です。港の見える丘・ピクニック広場、遊具広場、岩山広場、

芝生広場、多目的広場、休憩所(5ヶ所)などがあり、博多湾を眺めることができる綺麗な公園です。

  

香椎浜ふ頭からアイランドシティへ向かいます。

  

御島かたらい橋を通り、あいたか橋へ。(あいたかというのは、博多弁で逢いたいという意味)

  

かしいかえんの近くには、プロ野球西鉄ライオンズの二軍球場「香椎球場」があった所です。

   

向の山公園です静かな住宅街の中の高台にある公園です。落ち着いた雰囲気が漂うなか眼下に、博多湾や百道浜などの眺望を一望することができます。園内には約100本のサクラが植栽されており、

3月下旬から4月上旬のシーズンには、季節の彩に包まれます。残念ながら住宅地の中にあるためお花見の宴会は、禁止されています。

  

  

ここで協会のメンバーで近くにお住まいの方からお茶の接待を受けました。

  

向の山公園から西鉄香椎駅を通りJR香椎駅へ。このあたりに歌手の長渕剛さんが、学生時代住んでいた所です。

  

JR香椎駅前は、工事中でした。確か、ここに餃子の王将があったはずですが、どこかに移転したのでしょうか?

工事用の仮囲いには、昔の香椎駅周辺の写真が掲げられていました。

  

  

数年後には、香椎駅前は、このようになるそうです。11:45ゴール!

 

今日のGPS。(YAMAPより)

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

熊本城の桜2017(熊本市)

2017-04-10 21:59:09 | お花

熊本地震からもうすぐ1年になります。あの地震は、熊本から離れた福岡でも震度3を記録しました。揺れました。

今日(4/10)は、青春18きっぷを使い、熊本城の桜を見に行きました。

博多発8:54 (羽犬塚行)~ 久留米着9:33 、久留米9:36(八代行)~熊本着11:01

熊本駅からは、市内電車で熊本城へ。

熊本城の長塀は、全長242mのうち、東側80mが崩壊したそうです。

 

 

熊本城は、震災の工事の為通行できませんので、城彩苑から二の丸駐車場まで無料のシャトルバスがあります。雨も降っていますのでこのバスに乗って行きます。

  

 

二の丸駐車場から加藤神社まで歩いていきます。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

加藤神社です。祭神は、加藤清正。加藤清正公【永禄五年(1562)~慶長十六年(1611)】 は、 戦国時代の智仁勇兼備の模範的武将として、また、熊本に於ては、

日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城の築城と、それにははじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進められた方であります。

  

現在、熊本城の天守閣は、ここ加藤神社からしか見ることが出来ません。

  

雨も強くなってきましたのでシャトルバスの所まで戻りました。バスが車でお休み所で待っていると、お休み所には、著名人や各地からの励ましの寄せ書きがありました。

また、「復興城主」のパンフがありましたので、少しですが、私も復興城主になろうと思っています。

  

    

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

花見ウオーク「西公園~舞鶴公園~天神中央公園」(福岡市中央区)

2017-04-06 12:34:52 | ウォーキング

福岡市内の桜も昨日の陽気でようやく満開を迎えました。

今日(4/5)は、ふくおかウオーキング協会主催の「花見ウオーク」に参加しました。今日のコースは、西公園~舞鶴公園~天神中央公園と福岡市内でも花見のスポットを廻るコースです。

集合は、大濠公園能楽堂9:30スタート。先ずは、「西公園

西公園は、古くから荒津山ないし荒戸山と呼ばれていました。江戸時代になり、福岡藩によって東照宮が建立されましたが、明治になって廃祀されしばらくは荒れるに任されていました。

1873年(明治6年)の太政官布告に基づいて1881年(明治14年)に公園地「荒津山公園」とされました。

1885年(明治18年)には園地を広げてサクラやカエデを植栽。1900年(明治33年)に西公園と改めるとともに県の管理となりました。

西公園の桜は、日本桜名所100選にも選ばれています。

   

 

 

天気が良ければ、青空の元、桜も一段と美しくなるのですが、生憎、今日は曇り空、昼から所により小雨の予報も出ています。

  

 

  

西公園から舞鶴公園へ。 舞鶴公園(まいづるこうえん)は、福岡市中央区にある福岡城の本丸址を中心とする公園。福岡市中心部大濠公園の東部に隣接する位置にあり、市民の憩いの場となっています。

城址には約500本の桜が植えられており、毎年春には大勢の花見客で賑わいます。この日は、平日でしたが、外国の観光客の方が花見を楽しまれていました。

  

 

この後、福岡城址へ移動。

    

    

桜の所では、結婚式の前撮りが行われていました。また、今年から小学校に入る子供さんが、桜の前で記念写真を撮られていました。真新しいランドセル姿が可愛いですね。

  

 

  

  

福岡城址から天神中央公園へ。

天神中央公園は、昭和59年(1984)まで福岡県庁があった所です。(現在は、博多区吉塚に移転)

  

  

今日のゴールは、天神中央公園まで。待望の満開の桜に出会うウオーキングでした。

今週末が花見のピークでしょうね。天気予報は、雨マークがついていますが、外れることを期待しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

第8回福岡さくらウオーク

2017-04-03 15:58:44 | ウォーキング

4/2(日)は、博多区ベイサイドプレイスで行われる「第8回さくらウオーク」に参加しました。

福岡の桜は、先月25日に開花宣言が発表され、1週間後のこの日は、満開になるはずでしたが、今年は開花宣言後寒かったせいか、開花がかなり遅れています。

全体で2分から3分咲きぐらいでしょうか。

8時50分から出発式。出発式の前に精華女子高校吹奏楽部による演奏がありました。

精華女子高吹奏楽部は、1978年創部、吹奏楽部では、吹奏楽コンクール、マーチングコンテストなど多数金賞を受賞している名門バンドです。

今年3月では、博多華丸さん主演でこの吹奏楽部を題材にした「熱血ブラバン女子」が博多座で公演されました。

  

    

会場内には、5k、10kコース合わせて約1300人の方が参加されていました。私達は10kコースにエントリーしています。

9:30スタート。歩道にある大島桜は、今満開。ですが、ソメイヨシノは、まだまだです。

  

博多リバレインでは、満開のチューリップがありました。リバレインの隣の博多座では、沢山の方が並んでいました。何かコンサートがあるのでしょうか?(EXILEの九楽舞が行われていた)

コースは、博多座から冷泉公園に向かいます。昼からお花見をされるのでしょうか、桜の下にはシートがありました。

  

博多の総鎮守「櫛田神社」です。枝垂れ桜と吉野ツツジが咲いていました。

  

 

承天寺を廻り、東長寺へ。

東長寺の楼門には、大きな桜の木がありますが、全体で2分から3分咲きぐらいです。満開になるとこの桜はきれいなんですが・・・・・・

 

   

聖福寺を過ぎ、西門蒲鉾の所が5kと10kの分岐点です。10kmコースは、これから東公園の方に行きます。

マップを見ると桜のスポットが書いてありますが、どこもまだまだの状態です。

  

昭和通と大博通りの交差した所が5kと10kの合流地点です。

コースは、国際センターを通り、国際会議場からゴールのベイサイドプレイスに向かいます。国際センターでは、全日本柔道体重別選手権が行われていました。

 

11時10分ゴール!GPSを見ると、約8,3kmでした。

  

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東海道道草ウオーキング№21 「吉田宿~二川宿」(愛知県豊橋市)

2017-03-26 11:07:03 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

3月11日からの「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」に参加しますが、ついでに東海道を歩こうと思い、3/8~9日と2日間東海道を歩いてきました。

6:08新幹線のぞみで新大阪へ。新大阪から豊橋までは、こだま。豊橋駅に着いたのが10:30になっていました。豊橋から路面電車で前回ゴール地「札ノ木」へ。ここからスタートします。

  

しばらく歩くと「曲尺手(かねんて)」という地名の所に来ました。

曲尺手は直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つほか、大名同士が道中かち合わないようにする役割も持っていました。 江戸時代、格式の違う大名が擦れ違うときは

格式の低い大名が籠から降りて挨拶するしきたりでした。 しかし、主君を籠からおろすことは行列を指揮する供頭にとっては一番の失態です。 そこで、斥候を行列が見えない曲尺手の先に出して、

行列がかち合いそうなら休憩を装い、最寄りのお寺に緊急避難しました。

東惣門跡

東惣門は、鍛治町の東側に位置する下モ町の吉田城惣門西で東海道に跨って南向きに建てられていました。門の傍らには十二畳の上番所、八畳の下番所、勝手があり、門外の西側に

駒寄場十一間がありました。惣門は、朝六ツ(午前6時)から夜四ツ(午後10時)まで開けられており、これ以外の時間は、一般の通行は禁じられていました。

  

東惣門跡の所の歩道橋を渡ると「新町の常夜灯」があります。

案内板を見てみると、この常夜灯は文化二年(1805)吉田宿東惣門前(現在の東八町交差点付近)に建てられたものである。

以来「新町の大燈籠」として吉田の名物の一つとなり、近隣の町民をはじめ市民に親しまれてきたが、三河地震(1944)による倒壊とそれに続く戦火にあって放置されてきた。

この状況を憂えた常夜灯保存委員会により昭和55年豊橋公園内に復元されていたが、平成13年が「東海道宿駅制度制定四百周年」の節目の年でもあり江戸時代に建てられていたこの付近に再復元したものである。

「多米街道」の案内板があります。ここから多米を通って姫街道に出れます。

   

  

歩いていると瓦町に「寿泉禅寺」があります。寿泉禅寺は、臨済宗妙心寺派のお寺。石造りの楼門や三重塔が印象的でした。幼稚園も併設されています。

  

1号線殿田橋から左折。ここが飯村町。途中、岩西歩道橋の手前に「二川宿」の看板があったので進むと「岩屋観音」の方に出てきてしまいました。

どうも道を間違えたらしい。通りかかった人に聞き、街道に戻ります。

  

二川宿」に入ってきました。

 豊橋市二川町と大岩町は、江戸時代に東海道五十三次中33番目の宿場二川宿が置かれていました。二川宿は、二川宿と加宿大岩町からなっていて、町並の長さ12町16間(約1.3㎞)、

文政3年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、旅籠30、家数合わせて306軒、人数1,289(男666、女623)人でした。

二川には、現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残り、東海道筋では滋賀県草津市の草津宿本陣田中家(国指定史跡)とここだけに現存する本陣の遺構があります。          

旧本陣のご当主馬場八平三氏は、昭和60年に全国的にも貴重な歴史的建造物であるこの本陣遺構の永久保存と活用を願って、屋敷地を豊橋市に寄付されました。

市では、これをうけて同62年に二川宿本陣を市史跡に指定し、翌年から改修復原工事に着手し、同時に二川宿ならびに近世の交通に関する資料を展示する資料館を建設し、

二川宿本陣資料館として平成3年8月1日に開館いたしました。

また、本陣東に隣接する旅籠屋「清明屋」は平成12年に倉橋家より寄附され、同14年より改修復原工事に着手し、同17年4月29日より公開いたしました。これにより、大名の宿・本陣と庶民の宿・旅籠屋をセットで

見学できる施設となりました。あわせて資料館の増築、常設展の全面改装も行いました。

資料館では、「東海道」「二川宿」「本陣」という3つのテーマで常設展示を行い、随時特別なテーマに基づく企画展を開催しています。また、1階の体験コーナーには、浮世絵刷りや双六ゲームなどがあり、

江戸時代の旅を楽しく学ぶことができます。(二川宿資料館より)

400円の観覧券を購入し、中に入ってみます。常設展示には、「東海道」、「二川宿」、「本陣」の3つのテーマがあります。

今、お雛様のシーズン、館内にもお雛様が展示されていました。

  

向かいには、商家「駒屋」

  

商家「駒屋」、田村家は、元禄4年(1691年)に遠江国敷知郡中之郷村(現在の静岡県湖西市)から二川宿へ移り、初め医師を、後に米穀商・質屋を営みました。

明和7年(1770年)以降に、松音寺門前の瀬古町から新橋町の枡形北側の現在地に移転しました。 屋号は駒屋で、当主は善蔵(ぜんぞう)を世襲名としました。 代々二川宿内随一の有力者として、

宿役人や村役人を勤めました。
 
また、安政2年(1855年)には、幕府への献金によって苗字を名乗ることが許されました。 9代当主の善蔵苗政(みつまさ)(1830年~1891年)は、幹皋(かんこう)と号し、

家業や公務の傍ら、書、遠州流生け花、崋椿系南画、売茶流煎茶、俳諧など、多くの教養を身に付けた文化人としても活躍しました。
 
近代に入ると、10代当主の善蔵(邦三郎 1861年~1921年)は、二川郵便局長や渥美郡会議員などの公職にも就くとともに、 諸種の会社要職を歴任しました。11代当主の憲造(1889年~1953年)は、

薬学の道に進んで東京帝国大学教授・医学博士となり、 心臓注射液ビタカンファーを創製しました。

時間もかかりすぎたので次の宿場を目指します。

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク2日目20km(佐賀県唐津市)

2017-03-22 05:22:12 | オールジャパンウオーキングカップ

3/19(日) 唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク2日目20kmに参加。

8:00 また今日も30kmとフライングスタートします。

  

今日は、鏡山登山がコースに入っています。30kは、頂上まで行きますが、20kmコースは、中腹までです。

  

鏡山の国道が20k、30kの分岐点です。ここから鏡山の中腹まで上り坂です。

   

チェックポイント手前の所から虹ノ松原が一望できます。

第1回のチェックポイントが、ぽんぽこ村です。ここでは、みかんのジェリーを頂きました。

  

ぽんぽこ村には、たくさんのベコニアがありました。

  

西九州道を潜った所から下りになります。

民家には、白木蓮、黄梅、八重の梅など綺麗な花が咲いています。天気もいいし、青空に映え綺麗です。

  

野田の湯(温泉)の所が2回目のチェックポイント。5~6年前は、ここで水を汲み、帰りに野田温泉に入ったことがあります。確か、65歳以上は、安かったと記憶しています。

   

チェックポイントを過ぎるとコースは田園地帯です。ここで30kmのトップの方から抜かれました。ちょっとついていこうかと思いましたが、すぐ無理とわかり、いつものようにマイペースで歩きます。

  

ある民家の前に来ました。ここでは、個人的にお接待をされています。子の接待に感激し、お礼を書きました。

  

  

4回目のチェックポイントは、五反田改善センター。ここで約15km地点。

チェックポイントのすぐ近くには、「大村神社」があります。 大村神社の社伝によれば、西暦752年(天平勝宝4年)、真備は広嗣の逝去の地大村に無怨寺を建立し慰霊の趣を表し、

広嗣は無怨寺大明神として崇められたという。無怨寺大明神は、明治期の神仏分離令によって、大村神社と改称されている。

  

関の清次と五輪の塔があります。

これは、謡曲「籠太鼓(ろうだいこ)」のモデルになりました。説明文を見ると。

関の清治は大村の里(現在の五反田地区)豪族であるが、親友の浜窪治郎の密告のため牢獄に繋がれた。強力な彼は、牢を破って脱出し行方を暗ました。探索の手は厳しく、妻は狂死し、

子は舌を噛み切って息たえた。これを聞き清治は自首して出たが、領主は妻子の者どもが死に至るまで清治の所在を白状しなかった貞節と孝行を称えて、その罪を許した。哀惜の情にたえず、

清治は自らの刃に伏してその後を追った。時人塔を建てて霊を弔った。程なくその側に一本の松が芽生えた。葉が三つあるので「三つ葉の松塚」「関清治松」と言う。 

  

これからは、玉島川沿いに歩きます。一昨日の「せっかくウオーク」でもここを歩きました。

  

黒田橋の欄干には、玉島川の鮎がデザインされています。玉島川は、古くは万葉集に詠われた歴史ある川で、神功皇后が鮎釣りをして戦勝を占ったという故事により、「」の漢字発祥の地

とも言われています。

   

浜玉町市街地にやってきました。もうゴールまではあと少しです。子供たちが「ひきやま公園」へ案内しています。先ほどの無人の接待所の子供さんもここにいるのかな?

ここが5回目のチェックポイント。

ひきやま公園には、7月に行われる「浜崎祇園祭子供山笠」が展示されています。

浜崎祇園祭は、諏訪神社の祇園社(本殿左奥)の祭礼です。起源は明らかではありませんが、

江戸時代中期の宝暦三年(1753)に、漁師の網元・中村屋久兵衛が疫病退散、五穀豊饒を祈念して、博多櫛田宮の祇園山笠を模した山笠三台を造ったと伝えられています。(浜崎祇園祭HPより)

 

   

12:10 ゴールの浜玉公民館に到着しました。

    

参加者は、2日間で1190人でした。

  

2日目20kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク1日目25km(佐賀県唐津市)

2017-03-21 04:54:57 | オールジャパンウオーキングカップ

3/18 今年も唐津・虹ノ松原ツーデーウオークに参加しました。会場の唐津市浜玉公民館までは、我が家から車で約40分。

こんな近い大会は毎年参加したいのですが、昨年の大会は、膝の痛みで初日の15kmだけで2日目はパスしました。

その膝痛もだんだん癒え、先週は倉敷で40kmも歩けるようになりました。まだ時々痛いですが、ほぼ全快に近い状態です。

今日は夕方同級生との飲み会があるため、スタートは、45kmと一緒にフライングスタートします。

  

7:30 岩手Oさんの「激」でスタート。コースは、先ず「「虹ノ松原」を通ります。

虹ノ松原は、日本三大松原の一つで(残りは、静岡・三保の松原、敦賀・気比の松原)幅500m、長さは約4、5kmの松原です。国の名勝に指定されています。

松原を抜けると「対州領」の石碑があります。ここは、対州藩(対馬)の飛び地でした。(あと、佐賀・鳥栖田代も対州藩の飛び地)

  

唐津東中学・高校の所には、「東経130度」の信号があります。東経130度線(とうけい130どせん)は、本初子午線面から東へ130度の角度を成す経線である。北極点から北極海、

アジア、太平洋、オーストラリア、インド洋、南極海、南極大陸を通過して南極点までを結びます。

松浦運動公園が45k、25kの分岐点です。何年か前は、ここが会場でした。

  

25kmコースは、松浦川に沿って歩きます。松浦橋の手前で25k、15kが分かれます。

  

 

松浦橋を渡ると右折。唐津城の入口に来ます。ですが、コースは、ここから唐津駅を通り、大島通りに向かいます。

  

唐津駅前が給水ポイント。

末慮館(まつろかん)は、日本稲作発祥の地「菜畑遺跡」にあり、邪馬台国時代の「末慮国」の遺跡の展示や竪穴式住居、日本最古の水田などが復元されています。

   

  

唐津市水産会館が最初のチェックポイント。ここでは、イカのゲソ焼き、サツマイモ、コーヒーなどが振る舞われました。

会館内の売店では、ミンククジラの刺身が売っていました。長いこと鯨の刺身は食べていないな~

  

  

唐津壱岐フェリーの所には、「線路の小径」が」あります。

1898年(明治38年)現在の唐津線沿線の唐津炭田から産出される石炭を唐津港へ輸送することと、沿線の松浦川及び牛津川の舟運を置き換えることを目的として計画されました。

この線路の小径は、当時の賑わいを後世に残そうと作られました。

  

 

旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。

以前JR九州ウオーキングなどで中に入っていますので今回はパスします。

コースは、唐津城へ向かいます。

  

唐津城が2回目のチェックポイント。

   

ここからの眺めもビューポイントです。

真中の一番高い山が「浮岳」??かな。

唐津城を過ぎると、古い旅館が建ち並んでいます。

  

コースは、虹ノ松原を通り、海岸へ出ます。

  

12:56 ゴールの浜玉公民館に到着。初日の参加者は全部で600人でした。

    

明日は20kmを歩きます。

今日25kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク「せっかくウオーク」(佐賀県唐津市)

2017-03-20 06:47:24 | オールジャパンウオーキングカップ

18日から始まる「第7回唐津・虹ノ松原ツーデーウオーク」に先駆け、3/17(金)は、せっかくウオークが行われ、参加しました。

このせっかくウオークは、「玉島川春告魚ーク」とサブタイトルになっており、玉島川を遡上するシロウオを使った昼食と簗漁が見れるウオーキングです。

ウオーキングの前に会場近くの「魚半」で昼食です。(参加者は約50人)

       

2月下旬から 白魚(しろうお)の簗かけ漁がおこなわれることから、「春告魚」と呼ばれています。主に、踊り食い、卵とじ、かき揚げにして食べます。

福岡では、西部の室見川の白魚料理が有名です。シーズン中は、高級料理ですのでめったに食べることはできません。私も何十年ぶりにいただきます。(白魚は、ハゼ科)

踊り食いは、白魚をすくってポン酢でそのまま口の中へ流し込みます。胃の中へ入る時の食感がたまりません。

  

  

お腹も一杯になり、近くの浜崎海岸で記念写真を撮りました。

13:30 せっかくウオークのスタートです。今日は天気も良く少し歩くと汗ばんできます。

 

正念寺

江戸時代の明和8年(1771)、唐津藩の農民漁民が虹ノ松原に集結し、藩に対して新税の取り下げの要望をしました。虹ノ松原内には、唐津藩と天領の境界があり、この地の利を生かして

整然と虹ノ松原一揆が起こりました。農漁民の要望は受け入れられましたが、大庄屋の冨田才治ら4人が責任をとって自首し処刑されました。いまでもこの遺徳が偲ばれて、正念寺の蘇鉄の下に

冨田才治の首が埋葬されたとの言い伝えが残っています。

正念寺では、御煎餅、清見みかんが振る舞われました

  

  

  

玉島川にやってきました。浜玉町は、1956年、浜崎町と玉島村が合併して出来た町です。2005年唐津市に合併しました。

玉島川は、シロウオの産地として有名です。シロウオは、産卵の為水温8度を超えた頃から遡上を始め、漁は3月にピークを迎えます。

川の中にくいを打ち、長さ3メートル、高さ90センチのすだれを川下から見て「ハの字」になるよう固定、狭くなった先にシロウオを待ち受ける網カゴを置いた。簗は河口から約1キロの間に計8カ所仕掛けます。

  

  

  

15:10せっかくウオーク6kmゴール!会場では、明日からのツーデーウオークに備え、スタッフの方が準備されていました。

 

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加