鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「立花壱岐旧居跡」に会う【JR九州羽犬塚駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-4】

2017-04-23 | JR九州ウォーキング
2017年4月22日(土)

JR九州ウォーキング羽犬塚駅コースに参加。


(今日のマップ)

JR九州の「ハロー自由時間パス」(北部九州エリア版、8,500円)を20日から使っていたので、筑後船小屋駅まで新幹線で行き、鹿児島本線に乗り換えて、次の羽犬塚駅へ。


(羽犬塚駅)

マップを貰って9時ごろにスタート。駅の裏側に出て歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)

しばらく歩いたら麦焼酎の「西吉田酒造」が。早くもエネルギー補給。麦焼酎はクセが少なく、飲みやすい。でも、焼酎なので生で飲むと喉にはキツイので少量をなめなめする感じで飲む。


(西吉田酒造)

水田公園のフジは丁度見頃で、先へ期待も膨らむ。


(道沿いで)


(道沿いで)


(水田公園の藤)

水田天満宮へ入るところに「筑後市郷土資料館」があったので入って、見学。旧石器時代からの発掘資料が展示してある。
資料館には水田公園からも直接来れる。水田公園は藤やつつじが咲いているので、公園の花を見ながら資料館に進むのもいい。


(筑後市郷土資料館)

資料館直ぐ横の水田天満宮へ。ここ水田は、太宰府天満宮の荘園があったところで、その縁で天満宮が建てられている。


(水田天満宮)


(水田天満宮)

今では、末社である恋木神社(こいのきじんしゃ)の方が恋の神様として有名になり、全国から女性のお詣りが絶えないとか。祭神は「 恋命 」を祀り、全国でも「恋木神社」はここ一社のみらしい。

恋木神社の木は東を意味し、大宰府に赴任した菅原道真が東に位置する都の天皇を慕う気持ちを祀ったことに由来するようであるが。


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(末社の靖国神社前)


(水田天満宮)


(水田天満宮)


(水田天満宮)


(水田天満宮の鳥居)


(水田天満宮の鳥居)

天満宮を後にして、「麦畑」の中を写真撮ったては歩く、写真撮っては歩く。繰り返し、繰り返し歩く。

風邪も強くて、小さい花はユラユラと揺れて焦点が定まらない。


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(風が強い)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

写真を撮りながら1時間ほど歩いて、中山大藤まつり会場へ。以前来た時は無かったフジのトンネルをくぐって、樹齢約300年になる福岡県指定天然記念物「中山大藤」のもとへ。フジ棚の広さ約1,200平方メートルの巨大なフジの姿と、香りを楽しむ。満開になれば、もっともっとフジの香りが一面に広がって、楽しませてくれるのだろう。けど、JRのウォーキングと大藤の満開が一致するのは難しそうだ。


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤が植えられている熊野神社)


(中山大藤の棚の下に鎮座している)


(藤棚の上)


(今日のお昼は豆ごはん、芋の天ぷら、有明海の子えつの唐揚)

熊野宮藤の由来を書かれた碑があった。
「享保の頃通称萬さんと云う人酒造りを業とし豊かな生活を営み立田の紅葉野田の藤と上方見物の道すがら野田の実ひとつを持ち帰り自宅に植へしに数十年后には毎年四尺余りの花を有し満花盛時の折には(ふくべ*)に酒を盛り観賞に遠路より杖を引く者多く中には酒に酔い刀を抜き乱暴する武士迄現われたので西方の萬さんの屋敷跡にありたるを熊野宮の社前に移植せり因みに享保元年は西暦千七百十六年今を去ること弐百五十年の昔にして古老の云い伝えを基としてここに藤の由来を記す 昭和四十弐年四月吉日 中山商工会」
こんな文章書けないですね。いいなぁとうっとり。
*ふくべ・・・酉偏に瓜の字が書いてある。瓢箪のことですかね。

因みに、ここは福岡県柳川市。「藤」は市の花に制定されている。

今日の寄りどころ2つは終わった。後はゴールを目指すのみ、と思いながら歩いていると。川沿いに碑のようなものが見える。


(道沿いで)

河川改修の碑かなと近づいて見たら、何と、「柳川藩家老 立花壱岐旧居跡」と碑銘が刻まれている。えぇ、とびっくり。

立花壱岐は、横井小楠の実学を学び、柳川藩で家老に抜擢され、福井藩の橋本左内らと幕府に開国を建白したり、政局の中心で活躍した。維新後は、岩倉具視に廃藩置県などを建議したり、柳川藩の財政、産業振興などの改革も推進し、幕末から維新後を駆け抜けた一人である。
歩いていると思いもかけないものに出会うことがある。


(立花壱岐旧居跡碑)


(立花壱岐旧居跡碑)

ゴール筑後船小屋駅が近くなると、ホークスのファーム本拠地「HAWKSベースボールパーク筑後」のメインスタジアム「タマホーム スタジアム筑後」が見えてくる。
タイガースの旗もなびいているので、ホークス-タイガース戦があるようだ。近くまで来ると、ホークスやタイガースのユニフォームを着た人達が球場へと向かっている。


(タマホーム スタジアム筑後)

鹿児島本線の踏切を渡り、「九州文芸館」へ。正式な名所は『筑後広域公園芸術文化交流施設』。建物の設計協力者は隈研吾さん。「近代工芸の先駆者 豊田勝秋・その門人展」の無料入場券をスタート受付でいただいてたので見学。しばし、芸術に触れる。


(九州文芸館)

庭には、八女市の岩戸山古墳から発想を得た地中に埋まっていている巨大な石馬。


(巨大石馬とゴールの新幹線筑後船小屋駅)

新幹線筑後船小屋駅の架橋下でゴール受付して新幹線ポイントも含めてスタンプを押してもらう。

野球の試合も見たいなぁ。けど、ここのところハードスケジュールで疲れてしまっていて、観戦する元気がない。


(新幹線上りホームからも球場が見える)

「八女抹茶もなか」を食べて、今日のウォーキングを終えよう。

恋木神社の御利益はあるだろうか・・・。

「蒼土窯」に会う【JR九州網田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-3】

2017-04-16 | JR九州ウォーキング
2017年4月15日(土)

6年振りに、JR九州ウォーキング網田駅(おうだえき)コースに参加。


(今日のマップ)

午前8時熊本駅で三角行き列車に乗ったとたん、強い雨が降り出す。出発した頃には止んだが、宇土駅を過ぎ、三角線(愛称「あまくさみすみ線」)に入ったらまた雨。網田駅に着いた頃には晴れ間がのぞきだし一安心。

2両編成の列車は熊本駅から満員。三角駅では受付で長蛇の列がなかなか進まない。ようやく終えて、線路沿いを先程の雨でできた水溜りを避けながら歩く。


(網田駅)


(熊本駅発列車から大勢の人が降りた)


(線路沿いを歩く)

線路と別れてしばらく歩いて、網田神社へ。境内で、鹿児島から参加されている女性の方に久方ぶりにお会いし、いろいろとお話をしていただいた。いつもブログを見ていただいてありがとうございます。


(網田神社)


(道沿いで)


(道沿いで)

「網田焼の里資料館」へ。網田焼は、細川藩が幕府への献上用、各大名への贈答用として、寛政5(1793)年に、肥前の陶工、山道喜右衛門を招いて創業された。文政5(1822)年に、御用焼き物の発注が停止される。その後、雑器を中心に続けられ昭和7年に最後の窯出しが行われている。細川藩の御用窯のころは白磁が中心だったようだ。

資料館にある、網田焼の陶工の監督を務めていた中園家の居宅は熊本地震で被害を受け、立ち入り禁止となっている。


(網田焼の里資料館の中園家の居宅)

先へと歩き、「網田焼窯元跡」へ向かう。


(道沿いで)

この窯跡は「長尾新家窯」のもので、窯は山の斜面を利用した「のぼり窯」。熱気を窯全体に平均して回すように設計されていた。


(網田焼窯元跡)

コースは徐々に上り、歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

蒼土窯(そうどがま)工房から、蒼土窯の展示販売所へ。6年前に来た時に気になっていた蒼土窯。今年ようやく買い物をする。毎年、網田駅コースに参加しょうと思いながら機会を失っていたが、今年で良かった。昨年の熊本地震で水屋が倒れ、多くの焼物が壊れたので、一昨年までに参加して買い物をしていたら、蒼土窯も壊れていただろうと思う。


(蒼土窯工房)


(蒼土窯工房で)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯作品)


(3個並んでいたが1個は買った)


(いただいた説明書)

ここからは、下り。


(蒼土窯からの眺望)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

工房せいや窯へ。ここは花に囲まれている。


(工房せいや窯)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)

下って、線路を渡る。今度は網田中学校への上り。このコースは上り下りがあって結構ハードなコースになっている。


(道沿いで)


(道沿いで)


(線路を渡った)


(網田中学校への上り)

網田中学校を過ぎても、まだまだ上り。かなり上ってぐるりと廻って、「干潟景勝の地」へ。


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)

今日は残念ながら潮が満ちている。干潟は見えない。六年前来た時は潮は引いていたと思う。雲仙、島原半島もうっすらとしか見えない。


(干潟景勝の地からの有明海の眺望、遠くは雲仙、島原半島)

地元の皆さんから貝汁のおもてなしを受ける。おにぎりとおかずに卵焼きを買って昼食。グルメもいいが、歩いてきて、高い所から景色を眺めながらの昼食はまた格別。ウォーキングでもっとも楽しい瞬間かも。


(昼食)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地の案内板)

景色と食事を堪能して下る。網田海岸公園へ。以前来た時は潮干狩りをする人たちもいた。


(下りの道沿いで)


(道沿いで)


(海岸へと出た)


(戸口大橋から)


(戸口大橋から三角線を走る列車)


(網田海岸公園。左、山の上が先ほどまでいた干潟景勝の地)


(入漁の案内板)

景行天皇が九州遠征の際、美しい海岸線が天皇の目に留まり、しばし御輿を駐め見入られたという伝説からその名がついたとされる御輿来海岸(おこしきかいがん)沿いを歩いて、宇土マリーナへ。


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸)


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸沿いで)

宇土マリーナでは先着300名限定の地元野菜のプレゼントをいただく。


(宇土マリーナ)

宇土マリーナからはマイクロバスで網田駅まで送ってくれる。ゴール受付後にも網田特産品をいただいた。


(上、宇土マリーナで、下、ゴール後網田駅でいただいた)

そうこうしていると、駅には熊本駅行の列車が入ってきた。大勢のウォーカーが乗り込んだ。走れば間に合ったが止めた。次の列車は約1時間後。


(熊本駅行きは出発。「網田駅」の文字板は蒼土窯で創られている)

網田駅に来たらここに入らなくては、と土日祝日限定の「網田駅カフェ」へ。以前の駅事務所が改造されている。

明治時代、九州で初期の鉄道敷設は九州鉄道という民間会社が担った。明治22(1889)年、博多-久留米間の運転が始まる。その後、南へと延び、明治24(1891)年に熊本、明治29(1896)年、八代まで延びた。

当初は、八代よりも先に三角へと延ばす計画だったが、難工事のため、八代に遅れること3年、明治32(1899)年に三角までが開通した。網田駅はその時に建てられた駅舎で、九州鉄道が建設した駅舎では唯一残っているという。国登録有形文化財にも指定されている。

平成24(2012)年に、宇土市がJR九州から購入し、発券も含めて、地域のNPOが運営して、地域活性化の中核施設として活用していている。「網田駅カフェ」も活性化事業の一つ。

ホーム沿いの桜を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、「A列車で行こう」が三角駅へ向かってスーッと通り過ぎた。


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)

今日のウォーキングは、網田駅カフェのコーヒーで終わろう。


(帰りの熊本駅行き列車)

「桜、チューリップ、菜の花・・・一緒に咲く」に会う【JR九州直方駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-2】

2017-04-14 | JR九州ウォーキング
2017年4月9日(日)

JR九州ウォーキングに約2か月半ぶりに参加。


(今日のマップ。既にコピー)

直方駅を目指し北上。博多駅からソニックに乗換え折尾駅へ。

折尾駅の福北ゆたか線ホームには直方行の「DENCA」が待っていた。

「DENCA」はJR九州が導入した、近郊形交流用蓄電池駆動電車。「”D”UAL “EN”ERGY “CHA”RGE TRAIN」の頭文字をとっている。昨年10月から若松-折尾間に運行されて、鉄道ファンの間では話題になっていた。今では運行区間も延長され、今日、初めて乗車する。空席は少なくなっていたが、なんとか坐る。約20分の乗車だったが、スムーズに気持ち良く走る。折尾駅の建て替えとその周辺の開発も進んでいて、通勤・通学の利便の向上も図られている。


(DENCA)

10時ごろ直方駅着。改札を出ると長い列が出来ていたので並んだが、なかなか進まない。おかしいなぁと思っているとゴールの列だった。スタンプを押しているので進まなかった。慌ててスタートの列に並びなおし、貰ったマップはもうコピー。

階段を下り、駅前広場に出るといつものように「大関魁皇」の像が迎えてくれる。強さもだが、その人柄を彷彿させる素晴らしい銅像だ。


(「大関魁皇」像)

久しぶりのウォーキングで気持ちよく駅から真っ直ぐに進んで、日の出大橋に出る。橋からは、今日のメイン、チューリップフェア会場が見える。


(日の出大橋から会場)


(日の出大橋から会場)

橋を渡って少し行って右折。ひたすら歩く。「もち吉」の工場・販売店があったが入らずに進む。


(日の出大橋を渡った所)


(もち吉)

以前来た時より少し直進。いつ出来たのかわからないが三連水車が見える。興味もあったが中には入らず「もち吉」のチュリップ畑へ進む。桜も満開。チュリップも満開。芝桜も咲いている。


(もち吉の三連水車)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)

写真も撮って、さらに進む。東甚六橋を渡って、遠賀川河川敷にあるチュリップフェア会場の直方リバーサイドパークへ向かう。

河原ではいつものように、やぎさんがお出迎え。


(河原でお出迎え)

遠賀川河川事務所の堤防の桜も満開。ここには炭鉱労働者の像もある。遠賀川は、鉄道が発達するまでは、直方、田川、飯塚など筑豊などの炭鉱から石炭を運ぶ五平太舟で賑わった。


(堤防の桜並木)


(炭鉱労働者像)


(遠賀川河川改修碑)

桜、チューリップ、つつじ、菜の花の写真を撮って廻る。


(桜とつつじ)


(桜と菜の花)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場から桜並木)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)

6年前も桜とチューリップが同時に満開となって咲いていた。その時は、桜並木の下もチューリップ畑が作られていて、同時に咲いているところを撮れた。しかし、今年は、その時の畑は駐車場になっていて、堤防の上に桜、下にチューリップという構図の写真が撮れなかった。楽しみにしてきたのに残念だった。


(6年前は桜並木の下にチューリップが咲いていた)

お昼は、梅あんパンと直方焼スパ。ビールはお預け。

(梅あんパン)


(直方焼スパ)

川を渡って、レトロな町並みへ出るも先へ急ぐ。新町北公園では、大勢のお花見を楽しむ人たちが。「直方歳時館」へ。


(川を渡る)


(対岸から菜の花と桜並木)


(レトロな町並みが続いている)


(レトロな町並みで見かけた桜)


(新町北公園の桜)


(新町北公園から直方歳時館)

琴の音を聞きながら、抹茶とお菓子をいただきたかったけど、お庭で写真を撮り、先へ。


(直方歳時館の蔵)


(直方歳時館の庭で)


(直方歳時館の庭で)


(直方歳時館の庭で)

「直方市石炭博物館」へ。途中、かもめさんと会い。直ぐに列車が来ることを教えて貰い。パチリ。

石炭博物館も中に入らず、SLの写真などを撮る。明治に入って、鉄道が敷かれて行くにしたがい、筑豊の石炭を運ぶのは遠賀川の船からSLへと変わって行った。それは、石炭の運搬で働く人々にとって多くの悲喜劇があったろうと思われる。

明治24(1891)年、若松~直方間に石炭の汽車輸送が始まっている。鉄道は当初は民営で、石炭を運ぶのがもっとも儲かる。石炭を運ぶついでに人も運ぶ。ついでに人の乗る駅も出来る。九州の鉄道網が最も早く発達したのは筑豊だった。


(直方市石炭博物館への跨線橋下から)


(跨線橋の端から)


(直方市石炭博物館展示の炭鉱労働者像)


(直方市石炭博物館展示のSL)

多賀神社の桃の花も気になったが、寄らずにゴール直方駅へ。


(駅への道から)


(直方駅の裏口)

どこにも立ち寄らず、桜とチューリップの写真だけを撮って廻って、帰りは、福北ゆたか線の飯塚経由で博多駅へ。

博多行の電車内では、初参加と思われる美しい女性お二人にお話し相手になっていただいた。どこにも寄らずに歩いて良かった。


(博多駅行き電車)

帰りの新幹線でようやくチューリップフェア会場で買った地鶏の炭火焼とビール。今日の「美」との出会いウォーキングを終える。

長塀が無い熊本城の桜【熊本の話題】

2017-04-09 | 熊本城
2017年4月9日(日)

 熊本城の長塀(国指定重要文化財)は修復のために取り払われています。
   
 例年だと、長塀の向こうで、これらの桜の木の下で花見をしています。

 今年は、坪井川を挟んで遠くから眺めるだけです。

 長塀の無い満開の桜を見れる機会は今年だけでしょう。

 震災後の長塀の写真はこちらを見てください。
 熊本城長塀(国指定重要文化財)は一部が倒壊【熊本の話題】2016年4月27日(水)