鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「雲仙だ!コスモスだ!絶景だ!」に会う【JR九州湯江駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-8】

2020-10-29 | JR九州ウォーキング
2020年10月25日(日)

今日は長崎本線湯江駅(長崎県)。新しいコース。


(今日のマップ)

今日も新鳥栖駅で乗り換え。湯江駅は諫早駅より4つ手前。
湯江駅には特急「かもめ」が臨時停車。ホームに降りたらある方とお会いする。
今日お会いしたある方とは、これで3コース続けてお会いすることに。

ウォーキングで知り合ったお友達とはいろんな形でお会いする。





駅前では、湯江浮立保存会の皆さんが歓迎してくださりました。お年寄りも子供も一緒に参加しています。



受付で轟せんべいをいただいた。



長崎街道多良往還・多良道・諫早街道などと呼ばれる道を歩く。





光宗寺へ。





ある方とはつかず離れずの距離で歩いていたが、光宗寺で「お先に」と先に進まれた。

私は、歩いていても急に立ち止まって写真撮ったりする。
なので、お知り合いになった方たちと一緒に歩くことはほとんどない。
お会いしても、皆さん、先へ進まれる。
たいてい独りぼっちで歩く。

湯江川を渡る。







和銅寺へ。





行基が和銅元年(708)に創建したと伝えられている。本尊は十一面観世音菩薩。
何か所かで、地元の歴史愛好家の皆さんの熱心な説明があっていた。ありがとうございました。



和銅寺を後に歩く。



雲仙の山並みが見えてきた。



雲仙が見えたり、見えなかったりしながら歩く。















駅長さんも「雲仙だよ」と。



さらに歩く。



立派なバス停がある。近接する小長井町にはフルーツバス停があって全国的に有名のようだ。



「高来そば」は売り切れ。
コロナでお店を閉めていたが、今日はJR九州ウォーキングがあるので臨時に店を開けたと、ご主人。近々、再開するそうだ。
そぱ湯をいただいた。美味しい。



先へ進む。



道祖神を見逃している。



木に囲まれた道を歩く。少しひんやり。





六地蔵。ここでも地元の方の説明があっていた。私は難聴なので申し訳ないと思いつつ遠慮したりする。





隆信さんの腰かけ石。隆信とは戦国大名・龍造寺隆信のこと。



子安観音。



桃木茶屋跡。茶屋周辺では桃の木が全く育たなかったが、この茶屋だけには立派な桃の木に美しい花を咲かせた、と言われている。



六地蔵が多い。



地域を守る神仏によく出会ってきた。





水準点は、河川や道路、港湾、下水道、鉄道等の正確な高さの値が必要な工事で測量の基準として用いられている。
表示してあるのを見かけたことはなかったような。





何回か坂を上ったり下ったりして今日の終着地、自然干陸地フラワーゾーンへ。
コスモスと雲仙。一瞬圧倒される。



ゴール受付もここ。スタンプを押してもらって散策。







お昼。この景色の中で饅頭3個。満足満足。



再び、コスモスの中へ。







今日は少しもやがかかっているように感じた。
秋晴れのスッキリした天気であれば、雲仙がもっとくっきりと見えるのでなかろうかと思う。
でも、雲仙とコスモスの景観をたっぷり楽しんだ。。

近くのバス停へ。
13時17分の臨時バスに乗る。諫早駅まで20分弱の予定。



諫早駅発13時39分の特急かもめがある。次は14時38分。
駅前のバスセンターに着いて、走る走る。
あれ、駅舎が新しくなっている。
ゆっくり見ている暇はない。
走る走る。3階まで上って、ホームへ下りる。
その時、かもめもホームへ。乗車。

今日のウォーキングを終える。

「今年は一(ひと)色」に会う【JR九州吉野ケ里公園駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-7】

2020-10-27 | JR九州ウォーキング
2020年10月24日(土)

今日は長崎本線吉野ヶ里公園駅(佐賀県)。


(今日のマップ)

受付開始は、他のコースと違い9時半。
昨秋は、そのことを知らずに早く着いて並んで待った。今年は9時半過ぎに駅へ。
コースは昨秋と同じ、吉野ヶ里公園駅南口からスタート。



長崎街道田出宿の田出神社へ。







道は違えど少し引き返し。左折して、吉野ヶ里歴史公園へ。





歴史公園センター(東口)へ。



マスコットキャラクター「ひみか」がお出迎え。



お花もお出迎え。



弥生のムラへ入る。



特別企画展『邪馬台国と豊前「宇佐」』を観に、弥生くらし館に寄る。

昨秋は同じような企画で『邪馬台国と豊の国「豊前」』があっていた。



見終わってから園内を散策。



吉野ケ里の「クニ」の交易の中心地と考えられている「倉と市」の方。



昨秋は「白いソバ畑」と「紅いソバ畑」のそれぞれの場所の案内があったけど、今年は「紅」だけ。
「白」の方に行ってみたけど花は咲いていなかった。写真も撮ってない。



王たちの家などが復元されている「南内郭」へ入る。



南内郭のて物見やぐらに上がって、一般の人が住んでいた「南のムラ」の方を望む。



「北内郭」の方も望む。高所恐怖症なので直ぐに下りる。



神聖な場所で祭殿などがある「北内郭」の入り口。祭殿などは昨秋に見学したので今年はパスする。





「北内郭」の主祭殿と物見やぐら。



いよい、「赤いソバ畑」へ。











祭の広場では「吉野ヶ里赤熊太鼓」が5時間耐久演奏を続けている。

昨秋は、この場所でジビエ料理などの出店もあっていたが今年はないようだ。楽しみにしていたのに残念。





古代の森体験館のところで「そば茶」をいただく。



「卑弥呼」様もいらして、ツーショットを撮ってもらったが、非公開、顔がにやけている。

北口サービスセンターへと向かう。





甕棺墓列に寄り道。甕棺は青空によく合うといつも思う。



北口サービスセンターを出て。



風にゆらゆら揺れてなかなか撮れなかったが。



ここは稲刈りが終わっている。



産直市場「吉野麦米」へ。



パンやスイーツなどもあるが、ソバの花を眺めたら、やはり蕎麦。
今年も懲りずに、順番待ちの記入をする。席についてからも待ち続ける。
ようやくお蕎麦。1時間以上かけてお昼を済ます。



これから稲刈り。





春は田植えが終わったり、これから始まったりする田のある頃、秋は稲刈りが終わったり、これから始まったりする田のある頃、田んぼ道を歩くのが好き。



吉野ヶ里公園駅北口に着く。



受付時間前に長い列がでできていたんだろうことを示している。



ゴールの受付を終えた時間は、14時過ぎ。鳥栖行き列車が出て10分と経っていない。
次の列車まで、50分以上待たねばならない。

階段下へ降り、日陰に腰をおろして、ソバを食べるのを止めとけばよかったかなぁ、と悔やんだり。
と、ゴール受付へ階段を上ろうとする「思いがけない人」が。いや、「想いの人」が。

JR九州ウォーキングは土曜、日曜、祝日に開催される。1、2コース開催日もあれば、6,7コース開催とかの日もある。どこに駅のコースに参加するかはそれぞれ自由。
受付は8時30分から11時までが原則。時々コースによって設定の時間が変わることがある。今日のコースは9時30分から11時までだった。

開催の駅へ行き、受付を済ませて、地図を貰い、それぞれ自由にスタートする。
ウォーキングで知り合ったお友達も、どこのコースに参加しているかわからない。同じコースに参加していても時間帯が違うと会うこともない。

JR九州ウォーキングのホームページにも投稿欄がある。以前は皆その投稿欄を利用していたが、今は、SNSを利用する人も増えて、投稿も多様化している。
投稿のコメント欄には、お会いした方にも、お会いしなかった方にも「(また、)どこかでかお会いしましょう。」と書き込みをしたりする。

そんななか、この1、2年お会いしたことのないある方と、この秋編で数回同じコースですれ違っていた。
それがわかって、JR九州のホームページで「今週末も2日間出動しようと思っています。お会いできますように。」と書き込みしていた。

そうしたら、即、実現。

このご時世、目と目でにこやかにご挨拶。
前の列車に間に合っていたら、お会いすることもなかった。
長い時間かけてソバを食べて良かった。

お話したり、ガンダムを見つけたり。



ホームに降りて、鳥栖駅行き列車を待つ。







ようやく乗車。
新幹線に乗り換えの新鳥栖駅で「また、どこかでかお会いしましょう。」と目で挨拶し、お別れ。

今日のウォーキングを終える。

「酒蔵2つ」に会うも・・・【JR九州教育大前駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-6】

2020-10-22 | JR九州ウォーキング
2020年10月18日(日)

今日は、鹿児島本線教育大前駅。


(今日のマップ)

JR九州ウォーキングに参加するには、コロナ対策の一つとして氏名等を記入した参加受付表を提出する。

改札口を出て、列ができていたので並んでいたら、係の人が参加受付表を配りに来た。
書いてますと見せたら、事前に書いている人は向うの列に並んでください、と言われ、並びなおし。長い列。



教育大前駅は九州で人口の多い1番目福岡市と2番目北九州市の間にある。
日曜日で、今日の開催はここだけ。二か所の酒蔵で試飲あり、その他買い物割引券も幾つかある。

長い並びの日になりそうだなぁ、と思いつつスタート。



熊越池公園。



七社宮。



狭い歩道を長い列が「伊豆酒造」を目指して歩く。試飲の心配が頭をよぎりだす。

あなたの心配など知ることかと、悠然と立っていたが。



稲刈り機接近で慌てて飛び去る。慌ててカメラを向ける。



道沿いで。



やはり。「亀の尾」の「伊豆酒造」では長い列ができている。試飲は遠慮しよう。



竹丸交差点から「八所宮」の鳥居をくぐり、すぐに左折したところに「伊豆酒造」はある。
コースを外れるが、左折せずにまっすぐ進むと「八所宮」へ行ける。少し距離がある。何年か前は行ったが今日はパス。
歳を感じる。



道沿いの花たち。







「正助ふるさと村」から次へと向かう人たち。



「正助ふるさと村」へ着く。

江戸時代、貧乏な家に生まれた正助さんは、一生懸命に働いて自分の田畑を持つようになり、親子3人で暮らすことができるようになりました。世の中の評判にもなり黒田藩の殿様からもご褒美をいただくようになりました。そういった話が伝わっている。



新そばの販売もあっているが、長い列で諦める。

広場では催しがあっている。



勝屋酒造の出店もあっている。試飲だけさせていただいた。



食事は魚のサンド。美味しかった。



「正助ふるさと村」と道を挟んだ向う側はコスモス畑。











「正助ふるさと村」のお隣り。



道沿いで。



九州国際看護大学の通り、坂を下る。前後を歩く人は少なくなってきた。「勝屋酒造」の試飲は大丈夫そう。





脇道に入ったところで、マンホール。追い越していく人の影。



くねくねとした道を歩く。





田んぼの中を歩く。スタート時に比べるとまばらになってきたが、参加者は多い。
さっきとちがい試飲が心配になる。一喜一憂。



田んぼに水を引くところで。



パチンコ店。



玄界灘へと流れている釣川に出て、今度は川沿いを歩く。



川に沿って歩いていると、このような作品がいくつも展示してある。



川沿いの桜並木。
昨年11月末、大阪へ行って驚いたのは、桜の葉の紅葉の美しさ。九州の平地では、桜の葉はあのように紅葉する前に散る葉が多い。



「赤間の宿」の通りに出る。



「勝間酒造」での試飲は並んでいる人も少ない。ほっとする。いただく。
お酒けが並べてあるのを撮ろうとしたときは伊豆酒造ほどではないがもう行列ができだした。
「沖ノ島」1合瓶を買った。重いのを背負うのが億劫になっている。またまた歳だなぁと。



「街道の駅 赤馬館」ではお団子を食べる。100円割引券を使った。



赤間は出光興産創始者・出光佐三の出身地。



幕末、攘夷派の急先鋒だった三条実美公たちは政変で京都を逃れ、そのうち5人は、長州から大宰府へと向かう途中、赤間に滞在した。
そこを、西郷隆盛や高杉晋作たちが訪れた。



赤間の宿の案内板。教育大前駅はもうすぐ。



須賀神社に寄り道。



教育大前駅にゴール。



博多駅に着いて、新幹線に乗り換えの間にビール。今日のウォーキングを終える。

「ちょっとだけよ!紅葉」に会う【JR九州二日市駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-5】

2020-10-20 | JR九州ウォーキング
2020年10月17日(土)

今日は鹿児島本線二日市駅。


(今日のマップ)

久しぶりに県外に出るなぁ。

九州新幹線も久しぶりに乗車。久留米駅で乗り換え。在来線で二日市駅へ。



スタート間もなく「ゑびす醤油」さんで出し汁の試飲。優しい味がする。いつもありがとうございます。





西鉄電車の二日市駅の踏切は急いで通過。しばらく歩いて大宰府線の五条駅の踏切を通過。



もう一度大宰府線の踏切を通過して歩く。
明治11年の日付がある石の道標がある。



50分程歩いて、九州国立博物館(九国博)の南側アクセスの入り口のところへ。



入り口の横には太宰府天満宮末社「太郎左近社」が建っている。



九国博の敷地内へ。







九国博の建物の外にある休憩所でひと休みしている人も多い。
建物に沿って右へ上って行く。少し高台にあるので、木々も色づき始めている。









九国博の裏というか上というか北というかにある道に出て「宝満宮竈門神社」を目指す。

「藍染橋」。光明禅寺のところを流れている川の上流?



初秋を感じながら歩く。この道から九国博入るのは北側アクセス。





信号があって、渡って脇道から上る。疲れの見える人もぼちぼち。子供は元気に上っていく。







太宰府天満宮の方から上ってくる道に出る。右折して少しだけ上り、ようやく「宝満宮竈門神社」へ。
紅葉の名所で、九国博の秋の特別展の鑑賞に来たときは紅葉見物に寄っているが歩いて上ってきたのは初めて。これまでは太宰府天満宮近くからバスで来ていた。

神社は恋愛のパワ―スポットで女性に人気があるらしい。漫画「鬼滅の刃」の聖地としても人気らしい。年寄の私にはよくわからない。
やはり若い男女の参拝が多い。

紅葉は時期的に少し早い。その年の気候によるけど11月中旬頃からが見ごろだと思う。
いつものようにキョロキョロ写真を撮る。



















写真を撮り終えて、参道を下る。

式部稲荷大神。



参道の脇。



今年はもう機会がないかもしれないけど、コロナが収束し九国博の特別展が再開したら、また来よう。



太宰府天満宮へと下っていく。









何だろう。



左折して、「お石トンネル」(宝満宮参道隧道)をくぐる。
トンネルは昭和3年に筑豊の炭鉱王・麻生太吉が太宰府天満宮から宝満宮竈門神社へ参拝に行きやすいようにと寄進した。





トンネルを出るとすぐに「お石茶屋」がある。

太宰府天満宮の一番奥で茶屋を経営していた「お石さん」は筑前三美人の一人といわれ有名人が多く訪れていたという。惚れた麻生太吉が、竈門神社の近くに住んでいた「お石さん」のために掘ったのだと噂され、「お石トンネル」と呼ばれるようになった、とか。

その「お石茶屋」で梅ヶ枝餅と天ぷらそばの昼食。



茶屋を出るとそこは太宰府天満宮の奥。

太宰府天満宮の夫婦樟。



筆塚。



厄晴れひょうたん。中に厄除けや願いごとを書いた用紙を納め、除災招福を祈願する。



太宰府天満宮の表へ。









「境内美術館」としていくつかモダンなアートが置かれている。





太宰府天満宮の参道へ出たら人がいっぱい。梅ヶ枝餅のお店はどこも行列。
人の間を抜けながら参道から右へ少し入った太宰府館へゴール。



ゴール後は再び九国博へ向かう。長いエスカレーターがある虹のトンネル天満宮アクセスから入る。

4階文化交流展示室で開催されている「奈良大発掘」を鑑賞。





帰りは西側アクセスの階段を下りる。

ウォーキングでは南側アクセスから入り、北側アクセスから出た。
ウォーキング後は天満宮アクセスから入り、西側アクセスから出た。
九国博へ入るには4つのアクセスがあるけど、今日は全部利用した。

階段下って西鉄太宰府駅までの道は「国博通り」。
光明禅寺の前を通る。道沿いを流れているのは「藍染川」。





西鉄太宰府駅から「旅人」に乗車し西鉄二日市駅へ。



西鉄二日市駅から歩いて10分程のJR二日市駅へ。JR久留米駅で新幹線に乗り換え帰路。

九国博の裏から竈門神社へ上る道は初めてだった。下り、太宰府天満宮の裏に出るお石トンネルも初めてだった。
近道を憶えたので、来秋から九国博で特別展を鑑賞し、紅葉の竈門神社へと行くのが楽しみになった。

今日のコースに感謝し、ウォーキングを終える。

立田自然公園へ【熊本城から歩く-2】

2020-10-16 | 熊本城
2020年10月11日(日)

熊本城から歩く2回目は細川家の菩提寺泰勝寺(たいしょうじ)跡「立田自然公園」へ行こう。

スタートは二の丸広場。



二の丸御門跡から百間石垣のところを通り、「新堀橋」を渡る。





新堀橋際にあるお地蔵さん。子供のころは橋からの自殺者の新聞報道が時々あった。



新堀橋からまっすぐ行って、すぐに右へ。信号を直進。「観音坂」を下る。
観音坂は急な坂で、子供のころは舗装はしてなく、石がごろごろしている坂だった。
この坂でもよく転んだ。
坂の上下途中に観音様はいない。昔はあったのだろう。



坂を下りて、少し寄り道しよう。右へ曲がる。すぐに左へ曲がり、中央高校(旧中央女子高)と壺溪塾の間の道へ。

「佐々友房生誕の地」の説明板がある。佐々友房は1854(安政元)年生まれ。西南戦争で薩摩軍に加わった。



何歩か歩くと、中央高校の敷地のところに「横井小楠生誕地と清正公井」の説明板がある。
横井小楠は1809(文化6)年生まれ。勝海舟、坂本龍馬など幕末に活躍した人たちに影響を与えた思想家。明治新政府に参与として招かれた。
清正公井は小楠が産湯を使ったと思われる井戸。その時代下級武士の家で使われていたと井戸の形式で復元されている。



通りへ出て左折すると、宮部鼎蔵邸跡の碑がある。
宮部鼎蔵は1820(文政3)年、現在の御船町生まれ。藩の兵法指南役の頃の住居跡。勤王等の重鎮で吉田松陰も訪ねてきている。



宮部鼎蔵邸跡碑に行く前に、通りへ出て右折。夏目漱石旧居跡へ行ってみた。熊本地震で損傷した建物の修復工事中であった。



夏目漱石旧居跡を背に宮部鼎蔵邸跡碑からまっすぐ進んで行くと壷川小学校が見える。右へ曲がる。壷川小学校は熊本市内で最も古い小学校の一つ。
幼稚園の運動会があっている。



熊本城長塀前を流れる坪井川に架かる橋を渡る。



まっすぐ歩いて、突き当りを左へ、すぐに右へと曲がる。バスもそのように進むが、広い道ではないので運転手さんは大変である。
熊本電鉄の踏切を渡る。



浄行寺の交差点をまっすぐに進み、子飼の商店街を横目に、子飼交差点もまっすぐに進むと熊本大学に着く。

赤門は旧制五高時代の正門で国指定重要文化財。



赤門を入って直ぐの右手に、熊本大学永青文庫研究センターがある。永青文庫から寄託された文書類を研究する機関。



五高記念館は、熊本地震で損傷を受け、修復作業中。
五高記念館は、1887(明治20)年に開校した第五高等中学校の校舎として、1889(明治22)年に建てらる。
第五高等中学校は、1894(明治27)年に高等学校令により第五高等学校に改称、1950(昭和25)年に閉校、熊本大学となる。

五高記念館は、国の重要文化財に指定され、記念館として五高の歴史の展示や、昔の教室で市民向けの講座などが開かれている。
講座に何回か参加したことがある。それらも、熊本地震で中止になっている。



上の写真の中門の近くにはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のレリーフが建てられている。
小泉八雲は1891(明治24)年~1894(明治27)年、英語の教師であった。
当時は講道館の創始者・加納治五郎が第3代の校長を務めている。



夏目漱石像の建っているところはわかりにくい。
熊大に行くたびにキョロキョロするが見当たらない。
何度目かに学生さんに聞いた。
「あちらに、座っています。」と教えてもらった。
小泉八雲のレリーフよりも東の方、そこは何度か通ったことのある通路の横だった。
通路と銅像の間には植え込みがあり、座像なので目立つこともなく、わからなかった。
左手で頭をなでてもらうと頭がよくなるそうだ。



夏目漱石は1896(明治29)年~1903(明治36)年まで、五高の英語の教師だった。
1897(明治30)年、第10回開校記念日に教員総代として読んだ祝辞の一節「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」が碑に刻まれている。



漱石の五高を詠んだ俳句の中から「秋はふみ 吾に天下の 志」の句碑もある。
漱石の俳句は約2400句あるそうでそのうち約1000句は熊本で詠んでいるといわれている。
熊本では、小説家漱石ではなく俳人漱石だった。



夏目漱石旧居から熊大まで来た道は、漱石も通勤に利用しただろうな、などと思いながら、熊大の中を東北の方の出入り口に抜けて、立田山の方へ向かう。

道沿いに「引導石」がある。
宮本武蔵は1645(正保2)年に62歳で生涯を閉じるまでの5年間を熊本で過ごした。泰勝寺の二代目春山和尚が、石の上に置かれた棺に成仏するよう引導を渡すと、にわかに雷鳴が鳴り渡ったと伝えられている。



歩きながら、先に「立田山」に登るか、「立田自然公園」へ行くか、決めかねていたら「森の展示館」の案内板がある。
ここに寄ってみよう。



国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所森林総合研究所とは、「我が国の森林の多面的機能の高度発揮、林業の成長産業化の推進、次世代に向けた森林の充実と持続に貢献する」研究を行っている機関のようだ。

こじんまりとした展示館であるが、九州の森林の様子を知ることができる。



入ってすぐに迫力ある屋久杉が。



立田山の大半はこの研究所が管轄し、研究林になっているようだ。研究所からも立田山に登るルートがある。知らなかった。
山の案内図も用意してある。



立田山に登るのが先になった。











豊国台公園へ。



ここは、国指定天然記念物「立田山ヤエクチナシ」の自生地として指定されている。



公園の一角に、加藤清正が1599(慶長4)年豊国大明神宮(豊臣秀吉の霊)を祀った豊国廟跡がある。廟は徳川家の圧迫によりとり壊されている。
 


頂上へ向かう。学びながら山の散策ができる。



頂上の周囲は木が生い茂り、展望は開けていない。





下りは豊国台公園の横を通り、配水池の方へ。
立田山には登った記憶はあまりない。
3年前、行橋~別府100キロウォークに参加するため、坂の上り下りのトレーニングで登った。このとき久しぶりに登った。
下りは、100キロウォークの難所七曲峠の下り坂に少し似ている。
きつかった3年前を思い出しながら下り終える。

立田自然公園へ向かおうとしたら、明治32年生まれ熊本市出身のプロレタリア作家・徳永直の碑が目に入った。
「私たちはもっと労働について語らなければならない。労働のもつ内容は、現在語られている多くの恋愛よりも、インテリゲンチャのある種の悩みよりも、ないしは消費生活の絢爛さよりも、はるかに豊富で、人類を益するものである」と書いてある。

コロナ禍の自粛生活の中で、看護師、保育士、日常生活の品々を運送する人たち、お店のレジ係の人たちなどなどなど、休むことなく働いている人たちに感謝の言葉があふれていた。



ようやく、「立田自然公園(泰勝寺跡)」へ。
泰勝寺は細川家の菩提寺。明治維新の神仏分離で廃寺となった。
今では、自然公園として整備されている。



園内には初代細川藤孝夫妻、二代細川忠興夫妻の墓「四つ御廟」がある。



初代細川藤孝の墓



初代細川藤孝夫人の墓



二代細川忠興の墓



二代細川忠興夫人(ガラシャ夫人)の墓



「四つ御廟」から奥へと進む



と、宮本武蔵供養の塔と伝えられている塔がある。



戻って、10代細川斉茲の墓などを巡り、園内を一周して池を眺めながら休憩。



熊本大学前バス停へ戻り、今日の「歩く」を終える。

芸術の秋巡り―【熊本城から歩く-1】

2020-10-13 | 熊本城
2020年10月9日(金)

熊本城へ行ったら、お城から歩くのも良いと思い、いくつか自分なりにコースを考えて歩くことにしょうと思う。

スタートは二の丸広場。



1回目は芸術の秋巡り。

二の丸広場の西側には熊本県立美術館があり、別棟として「細川コレクション 永青文庫展示室」がある。

永青文庫は、細川家に伝わる美術工芸品や歴史資料等を保存・研究するため、1950(昭和25)年、細川家16代護立氏によって設立された公益財団法人で、東京都文京区目白台にある。江戸時代には細川家の広大な下屋敷があった。細川家の家政所(事務所)として使用されていた昭和初期の建物を改装し、年に数回企画展が催され、所有する作品の数々が特別公開されている。

熊本県立美術館の「細川コレクション 永青文庫展示室」は、2008(平成20)年4月に新設され、永青文庫から熊本県立美術館に寄託されている近世の屏風や近代日本画などはもとより、東京の永青文庫が所蔵する様々な美術工芸品を、熊本にいながらにして鑑賞できるスペースとなっている。

今日は、「新発見!大名・細川家の日々のお道具」展が開催され、江戸から熊本に移り住んだお姫さまが使用した調度、皇室から拝領した盃、お膳やお椀といった飲食器などが展示してある。







永青文庫展示室の休憩スペースからお庭を眺める。



本館2階では、「歴史をこえて 細川家の名宝」展が開催されている。
細川家に伝わる茶道具や趣向を凝らした大名調度、御用絵師による近世絵画とともに横山大観、小林古径はじめ護立氏蒐集の国宝・重要文化財の東洋美術品、近代日本画、宮本武蔵の絵画などが展示されている。

会場に入ってすぐに「細川ミラー」の名で世界に知られている国宝の「金銀錯狩猟文鏡」(中国の戦国時代(前4~前3世紀)の鏡)が期間限定で公開されていた。

県立美術館が昨年度新たに収集した作品から「新収蔵品展 ~新しいくまもとの宝もの~」展も同階で開催されている。



本館1階文化交流室では、「生(き)の芸術 ArtBrut展覧会」(主催:アール・ブリュット(生の芸術)パートナーズ熊本)が開催されている。

アール・ブリュット(ArtBrut)とは、フランスの画家ジャン・デビュッフェが提唱した概念で、正規の美術教育を受けていない人が生み出した、既存の芸術に受けていない絵画や造形のこと(ArtBrut展覧会のチラシより)。

障害のある人たちの自由で創造性あふれる作品が展示されている。
県立美術館では4年目だそうだ。この時期、毎年のようにきている。



美術館には喫茶店もあり、緑に囲まれ、二の丸広場の木々を眺めてテラスで食事やお茶を楽しめる。
今日はパスして二の丸広場を後にする。



石垣が復旧し、置き場から無くなるのはいつのことか。まだまだ遠い先。



監物台樹木園(九州森林管理局)は休園日。



棒庵坂を下る。坂の下、KKRホテル熊本が建っているところに加藤清正の家臣・下津棒庵の屋敷があったことから坂の名がついている。
急な坂で、恐々と下る。小さいときに急な坂ではよく転んだ思い出がある。



KKRホテル熊本沿いに歩くと「熊本県伝統工芸館」がある。道路を挟んだ反対側が熊本城不開門なので、目はそちらに向き見逃されることもあるようだ。

館では伝統工芸品の展示や販売、体験イベントなどが開催される。





企画展は「戸田東蔭茶道具コレクション 茶の湯の道具展」が開催されている。



工芸ショップ匠では熊本県内の伝統工芸品などが販売されている。
私は何年も前に肥後象がんの家紋入りタイピンを作ってもらった。



熊本県伝統工芸館からすぐのところに「熊本県立美術館分館」がある。
残念ながら、老朽化に伴う改修工事のため2020年11月末まで全館休館となっている。

この建物は、私が中学生、高校生の頃は県立図書館だった。当時は熊本市内にはほとんどなかった演劇ホールがあった。
中学の文化祭で演劇部が「夕鶴」を演じた。裏方で参加した。
県立図書館は水前寺に移り、演劇ホールは大江に県立劇場が出来ている。

分館は、貸会場が主で、いつも絵画、書道、写真、生け花などの団体の展示があっている。
毎年、分館での展示を楽しみに制作に励んでいる人も多いと思う。また、鑑賞するのも楽しみだ。今年の秋は残念。





美術館分館の裏一帯は千葉城とよばれている。NHK熊本放送局が建っていたが花畑公園横に移転し、撤去工事があっている。
跡地を「史跡熊本城跡」としてどう利用するか検討がされている。観光資源としての考えと文化財としての考えがあるようだ。



宮本武蔵が住んでいたところでもある。



千葉城橋を渡り、まっすぐ進み右折するとオークス通り。名は大きな楠並木からきている。熊本市内に楠並木はあっちこちあるが、市中心部にこれだけ大きな楠並木は珍しい。



オークス通りから左折すると上通アーケードに出る。長崎書店を右折。上通りアーケードを通る。
アーケードが終わって電車通りに出る左角に「熊本市現代美術館」(びぷれす熊日会館3階)がある。



ギャラリーⅠ・Ⅱでは、「第32回熊本市民美術展 熊本アートパレード」展が開催されている。
15歳以上(中学生は除く)の熊本市在住・在学・在勤者または熊本市出身者なら誰でも無審査で出品することができるアンデパンダン形式の公募展で、「ポスト投函サイズ」であること。折りたたんで広げた作品、立体的な作品など、ユニークな作品も多かった。作者には「ポスト投函サイズ」に工夫をする楽しみがある。それを見てほほ笑む。



ギャラリーⅢの開催は、「コーダ・ヨーコ原画展 どうぶつえんのどうぶつたち」。
コーダ・ヨーコさんは熊本市動植物園のどうぶつ案内看板のイラストを描いた熊本出身・在住のイラストレーター。



愛らしい動物の絵を眺めながら芸術の秋の一日を終える。

歩くだけだと20分ほどの距離だと思うけど、3時間20分ほどかかった。けっこう疲れた。
美術館を出ると、電車・バスがひっきりなしに発着し、大勢の人が行き交う、熊本市で最も賑やかなところだ。
でも、飲みに行くにはまだ早い。帰ろう。

企画展の期日、休館日、入館料などは、それぞれの館のホームページ等でご確認ください。

再建が始まった-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-9【熊本の話題】

2020-10-10 | 横井小楠
2020年10月10日(土)

4年6か月前の熊本地震で損傷を受けた横井小楠旧居「四時軒」は解体されていましたが、再建工事が始まりました。

工事期間は令和2年7月31日から令和4年4月28日と書かれています。

四時軒の表札は外されています。



工事現場は囲われています。



覗いてみると。



裏に出ます。



工事車両の出入り口。建物は横井小楠記念館。



四時軒の裏は秋津川が流れています。



川の向う側は稲作地帯です。下の写真上の中央の建物は横井小楠記念館。間を秋津川が流れています。



熊本地震で田に水を引くポンプが壊れ、用水路も壊れたため米作りが出ませんでしたが、ようやく今年、実りの秋を迎えました。





秋津川沿いにある災害公営住宅では生活が始まっています。



公営住宅近くにあった秋津中央公園の仮設住宅は建物の撤去が終わり、再び公園として使用されるよう整備中です。



四時軒や災害公営住宅の近くにある中牟田熊野座神社の湧水汲み場も整備されています。





生活面の復興は進んでいます。文化財はこれからです。

大関・正代関のふるさと宇土市「曽畑貝塚」へ行った。【縄文を学ぶ-13】

2020-10-07 | 縄文を学ぶ
2020年9月29日(火)

大相撲秋場所で優勝し、大関に昇進した正代関の出身地は熊本県宇土市。

熊本市の南に天草へ向かって宇土半島が突き出ている。半島の北側は有明海で南側は八代海が広がる。宇土市は半島の付け根から有明海側にあり、熊本市に隣接している。

織田信長の死後、豊臣秀吉は九州全域に影響力を広げていた島津勢と戦い、勝利し、肥後の北半分を加藤清正、南半分を小西行長に支配させた。小西行長は宇土に城を築き拠点とした。

宇土市には、縄文時代の「曽畑貝塚(そばたかいづか)」がある。



曽畑貝塚は[草創期][早期]【前期】[中期][後期][晩期]と区分される縄文時代の前期から後期への遺跡で、約5500年前に使われていたと思われる土器には「曽畑式土器」の名がつけられている。

縄文土器は、地域、年代、地域、作り方、デザインなどで一くくりできるものを「〇〇土器」と称される。それらを纏めて編年表がつくられる。「〇〇土器」という名前は、最初に見つかった遺跡の名前が付けられることが多い。その遺跡は「標識遺跡」よばれている。曽畑貝塚はそのような標識遺跡の一つである。

『縄文土器ガイドブック』(井口直司著、新泉社、2013年)には、縄文土器の、地域による違い、時代による違い、などについて詳しく記されている。
冒頭の口絵ではカラーで草創期から晩期まで各地で出土した代表的な32の縄文土器が紹介してあり、目を奪われる。その中で口絵3「曽畑式土器」(縄文前期)、口絵4「阿高系式土器」(縄文中期)は、熊本の縄文遺跡の名がつけられた土器である。

JR九州宇土駅東口から国道3号線に出て、右、八代方面へ。すぐに左折、3号線松橋バイパスを歩く。
駅から30分程、左手にレストラン「洋食亭」の看板が見える。看板の手前から「洋食亭」の駐車場の方へ。


(洋食亭の手前から左へ入る)


(曽畑貝塚への矢印がある)


(あ、あそこだとわかる)

50m程のところに「曽畑貝塚」の標柱が建っている。


(標柱)


(説明板)


(貝塚のすぐそば木原山)


(熊本市西部にある金峰山の山並み)


(有明海の先、雲仙の山並み)

曽畑式土器は、棒のようなもので整然と規則的に線を引き、配列された構図が基本で、線が土器全体につけられている。粘土の中に多量の滑石を含んでいる。
「櫛目文式土器」とよばれる中国や朝鮮半島の土器と類似されているのが注目されている。

1923(大正12)年の発掘調査では、カキ、ハマグリ、サルボウ、アカガイなどの貝層が見つかった。
五体分の人骨、磨製石器、打製石斧、敲石、石皿、などの石器。曽畑式土器のほか轟式土器、阿高式土器などの土器も出土した。

1974(昭和49)年、国道3号線松橋バイパスの建設にあたり、貝塚周辺の調査が行われた。縄文前期、後期の層からドングリの貯蔵穴62基やカゴが発見された。今は、この場所の上に松橋バイパスが建設され盛んに車が往来している。

曽畑式土器は、有明海はもちろん、八代海沿い、玄界灘沿い、長崎県、佐賀県、鹿児島県、熊本県など九州山脈の西側を中心に分布している。鹿児島より南は奄美・沖縄まで広がっている。

宇土市には、曽畑貝塚の西、より有明海に近いところに轟貝塚がある。『縄文土器ガイドブック』本文の中にある「表2 縄文土器編年表概略図」では、九州の前期欄には「曽畑式土器」とともに「轟式土器」が記されている。

轟貝塚も前期から続いている遺跡である。近くには轟水源がある。轟水源は,現在まで使用されている上水道として300年以上続く日本最古の轟泉水道の水源である。


(轟貝塚 2020.2.1 JR九州ウォーキングにて)


(轟貝塚 2020.2.1 JR九州ウォーキングにて)


(轟貝塚 2020.2.1 JR九州ウォーキングにて)


(轟水源 2020.2.1 JR九州ウォーキングにて)

轟式土器は、貝殻で引っ掻いたような文様が特徴で、時代の移り変りと共に変化し、轟A式・B式・C式・D式と区別されている。轟式土器も曽畑式土器とほぼ同じ分布をしていて、約6千年前から九州の西側、奄美・沖縄に住む人々が交流していたことがわかる。

私たちの祖先は、アフリカから東南アジアを経て、3万8千年程前に中国の陸地から朝鮮半島へ、そして対馬を経て九州へ、3万5千年程前に台湾から沖縄へそして南の島々を伝って九州へと渡ってきた。

3万年以上前に南の島々を渡ってきた人たちがいるということは、6千年前に九州に住む人たちと沖縄の人たちとの交流があっても驚きではない。

「〇〇土器」と名付けられても、〇〇は発見された遺跡名で、最初に作られたのは他の遺跡かもしれないし、標識遺跡である〇〇遺跡かもしれない。
どこの遺跡かわからないけど、例えば、曽畑式土器は東南アジアから陸路を伝って来た人を祖先に持つ人たちの集団、轟式土器は島々を渡ってきた人を祖先に持つ人たちの集団が作り始めたかも知れない。

定住生活が始まり、土器を作ることが始まり、交流も始まり、それぞれの土器を前にして、先祖から伝わる話をしているうちにお互いに先祖は同じようなところに住んでいたことが分かって、ハグをしたかも知れない。

などなど、素人考えで一人居酒屋談義をするのも縄文を旅で知る楽しみだ。

この日は、お昼前から暑くなった。曽畑貝塚の標柱と貯蔵穴の上にある松橋バイパスとに挟まれた洋食亭でお昼。いただいた黒毛和牛ステーキ御膳で行きの疲れも飛び、次への元気をもらう。

曽畑貝塚から歩いて宇土市立図書館へ。途中、寄り道したので所要時間はわからないけど、JR宇土駅からだと20分程歩いたところにある。
宇土市立図書館の郷土資料室に曽畑式土器は展示してあった。轟式土器は見かけなかった。


(宇土市立図書館)


(郷土資料室)


(曽畑式土器)

1966(昭和41)年、轟貝塚で発掘された石笛が展示してある。


(轟貝塚から出土の石笛)

図書館の近くには宇土市役所があり、正代関の優勝で盛り上がっていた。30日には大関昇進も決まったので、もっと盛り上がっているだろう。


(宇土市役所仮設庁舎 4年前の熊本地震で使えなくなり仮設庁舎で業務されている)

宇土市で開催されたJR九州ウォーキングに参加した時のブログはこちら。宇土のあちこち歩きました。宇土いいところです。

2017年4月15日(土)「蒼土窯」に会う【JR九州網田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-3】
2020年2月1日(土)「轟水源・貝塚」に会う【JR九州宇土駅 鉄卓のフォト・ウォーク2020-1】

参考本
『縄文土器ガイドブック』(井口直司著、新泉社、2013年)
『豊饒の海の縄文文化・曽畑貝塚』(木崎康弘著、新泉社、2004年)
『新・熊本の歴史1』(「新・熊本の歴史」編集委員会編、熊本日日新聞社、1978年)
『サピエンス日本上陸』(海部陽介著、講談社、2020年)
『DNAでたどる日本人10万年の旅』(崎谷満著、昭和堂、2008年)