鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「見上げる大樟は男樟・女樟」に会う【甘木鉄道基山駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-10】

2021-10-27 | JR九州ウォーキング
2021年10月23日(土)

今日のJR九州ウォーキングは、甘木鉄道基山駅でスタートの受付、歩くのは甘木駅(福岡県朝倉市)から。



スタートの受付を済ませ、甘木鉄道で甘木駅へ向かう。



この時期は、朝倉市にあるキリンビール福岡工場の花園でコスモスが咲き誇り、コスモスフェスタが開かれる。
それに合わせて、甘木鉄道のウォーキングも毎年開催されている。

歩き始める駅は、毎年違う駅が設定されている。2019年は松崎駅が歩き始める駅だった。
ゴールは毎年同じで、キリンビールの最寄り駅・太刀洗駅。
今年は、コスモスフェスタが中止になった。花園にコスモスも咲いていないらしい。



甘木駅に着いて、駅前に出ると、卑弥呼の里の碑がある。
さあ、歩こう。



コロナ禍で経営も厳しいだろう。



黙々と小石原川沿いを歩く。



左折し橋を渡る。
右折し、黙々と田の中の道を歩く。
コスモスフェスタが中止でも思ったより参加者が多い。



先週と比べると冷え込んできたが、歩いていると暑くなってきた。
左折して少し歩いて「大己貴(おおなむち)神社」へ。
大己貴命は、古事記によるといくつもの名を持つ大国主神の一つの名とされる。

大己貴神社は神功皇后が新羅と戦をするときに、兵が集まりにくかったので、兵が集まるよう社を建てて祈願したと伝えられている。
このことから、最も古い神社の一つとされている。



「大神(おおみわ)神社」と古くから呼ばれていたようだ。
地元の人たちには「オンガサマ」と呼び親しまれている、という。
「大神」を「オンガ」とも言うのだろうか?







拝殿には唐破風の向拝。



社殿・拝殿は江戸時代末期から明治時代初頭の頃の建造物。



田の中の道を引き返す。



まっすぐ歩いて、小石原川に出て右折。
川沿いを歩いて、左折して、先ほどの橋を渡る。
真っすぐ歩く。
右折して、甘木公園の入り口に。

飲料水が配られている。ここまで日の当たるところを歩いて暑かった。助かる。

JR九州ウォーキングではJR九州のジャンパーを着た人たちが要所要所に配置されているが、甘木鉄道のコースではJR九州ジャンパーの姿はない。
代わりに、「甘木鉄道を育てる会」の法被を着た人たちが、多くの場所で案内をされている。
甘木鉄道のコースは毎年違うコースが設定されているが、多くの人が案内されているので安心して歩ける。
案内されている人たちには、若い人たちが多い。
地域活性化にとっても頼もしいのではなかろうか。



甘木公園内を歩く。





公園を出て、朝倉高校辺り。



すぐに「須賀神社」。
大樟に、おおっとなる。
高さ28m、周囲13.7m。
拝殿の横に立っているので、ついつい見上げてしまう。
遠くから眺めるよりは、見上げたときの迫力が凄い。





次に向かったのは、「安長寺」。
ここでも、大樟。
高さ31.5m、周囲11.4m。
ここでも、見上げる。圧倒される。見上げ続ける。

須賀神社の大樟が男樟(青樟)、安長寺の大楠が女樟(赤樟)とされ、夫婦むつまじく、夜はフクロウに託して、互いに語り明かすと伝えらるている、という。





安長寺を出て、商店街を歩く。ここではいくつかの空き地で高校生のバザーが開かれている。
その中の一つでパンを買った。作ったのは高校生ではないようだったが。

値段の計算をし、支払いをするところで少し時間がかかっている。
明日は日曜日で人出も多いだろうから、大丈夫かな、など教師でもないのに心配する。



そして、ゴールの甘木駅へ。



デジタルスタンプが5個になって、バッヂを貰った。



駅の窓口に行って「鉄印」。300円。
全国の第三セクターの鉄道会社40社が合同で、昨年の7月から「鉄印帳」発行している。

昨年の7月は、熊本南部の豪雨で肥薩おれんじ鉄道の一部が大きな被害を受け不通となった。
何か支援できるものはと思い、肥薩おれんじ鉄道の八代駅に「鉄印帳」(2200円)を買いに行き、「鉄印」を書いてもらった。
それいらい2つ目。
もうこの歳になると全国の鉄道会社を巡って「鉄印」を集めることは無いけど、機会があれば「鉄印」を収集し、少しでも鉄道会社の支援ができればと思う。



駅前のベンチで、先ほど買ったパンを食べて、ちょうどバイクで通りかかったお巡りさんに道順を聞き「甘木歴史資料館」へ、
甘木の歴史を学ぶ。

興味深かったのは、縄文時代の遺跡から「曽畑式土器」が出土していること。
曽畑式土器は熊本県宇土市の曽畑貝塚から出土したことから名づけられている。
九州山脈の西側から、沖縄本島にかけて、さらに朝鮮半島にも同じような文様の土器が出土していて、縄文時代前期(7千年程前~5千年程前)の人々の交流範囲の広さが分かる土器である。

ここ、甘木でも出土しているんだ。



甘木駅へ戻り、甘鉄クッキーを買って、基山駅へ。



JR九州鹿児島本線に乗り換え。JR九州基山駅ホームより見える甘木鉄道基山駅ホーム。



今年はコスモスを見れなかったなぁと思いつつ、今日のウォーキングを終える。

「一部廃線・日田彦山線の今」に会う【JR九州夜明駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-9】

2021-10-18 | JR九州ウォーキング
2021年10月16日(土)

今日は、久大本線と日田彦山線の夜明駅(大分県日田市)



久留米駅から久大本線を大分へと向かい、福岡県側の最後の駅・筑後大石駅から短いトンネルを5つほど抜けて大分県側の最初の駅・夜明駅に着いた。



夜明駅は、久大本線と日田彦山線(城野駅(北九州市小倉南区)~夜明駅)とが接続している。



2017(平成30)年、日田彦山線は九州北部豪雨で被災し一部不通となった。
沿線自治体とJR九州の検討の結果、添田~夜明間は線路での復旧を断念し、BRT(バス・ラビット・トランジェット)で復旧することが決まっている。



スタートしてすぐに久大本線の鉄橋の下をくぐる。



そしてすぐに、廃線となった日田彦山線の踏切を渡る。



お寺の鐘を見ながら進む。



日田彦山線の橋は撤去されている。



右手、土手の上は日田彦山線の線路。



保育園の塀に駅長さん。



筑後川支流の大肥川沿いを歩く。日田彦山線の線路も見える。





大肥川の支流、小月橋。1848(嘉永2)年、肥後の石工・岩永大蔵によって造られている。



大肥川を少し外れて歩く。









日田彦山線の踏切を渡る。この後も何度か踏切を渡るのだが、その度になんか寂しくなってくる。



夜明駅の隣駅・今山駅。もう、列車が停車することは無い。





先へと進もう。



警報機が鳴らない踏切を渡る。



遮断機の棒は外されている。



さらに進もう。



老松酒造では、酒蔵見学と酒類の販売は中止されていた。代わりに仕込水を飲めるように配慮されていた。



老松酒造で。雰囲気のあるところで、この次の機会にはゆっくり見学させてもらおう。



実り秋の中を歩く。



山を見上げると悲しい現実も。



メダカの養殖場。



日田は林業の町でもある。

甲子園、夏の高校野球は各県1校が出場するが、そうでない時代があった。熊本県は大分県との中九州大会(各県2校出場)で優勝しないと甲子園には出られなかった。
その頃は、大分県の方が強く、熊本県の高校が甲子園に行く機会は少なかった。
「日田林工は強かったなあ。」そんなことを思い出しながら歩く。



田んぼも様々。





澄んだ水を眺めながら歩くと気持ちがいい。







農産物販売所「沙羅」の前でお昼。



折り返し。橋の上から大鶴駅付近。ここの線路はもう撤去されている。



車が往来する大きな道を歩く。
線路沿いに車に便利な道ができると鉄道の利用者は減り、鉄道の経営が難しくなる。

廃止になった区間は代行バスが走っている。



先へと歩き、井上酒造へ。
「角の井」を試飲させてもらった。



井上酒造の建物には、「清渓文庫」の看板もかかげてある。
大正から昭和にかけて日本銀行総裁や大蔵大臣を歴任した「井上準之助」の生家。
遺品等が展示してあるらしいけど、先を急いだ。



道路を整備するときに残したんでしょうね。



道路から少し入って、ももは工房へ。。



野菜あられを買った。ビールのつまみに良さそうだけど、帰りの行程でその機会はなかった



ももは工房のところの大肥川。後は、駅へ戻るのみ。どれくらいの時間がかかるだろうか?



飛ばしすぎはいかんよ。



行きに寄った今山駅が見える。



大肥川沿いで。過去にも大きな災害があったのだろう、と思う。



先へと歩く。



JR代行バスが通り過ぎていく。



ゴール夜明駅へ。10分近く前に久留米行きの列車は出ていた。次は約1時間後。ゆっくりしよう。



夜明の鐘。
1878(明治8)年に開校した夜明小学校に1922(大正11)年に寄贈された鐘で、2010(平成23)年に閉校となった時、駅の広場に移転されている。



右側が日田彦山線の列車が発着するホーム。線路は草で覆われている。



隣駅、今山駅には行ってきた。
ホームでは近所かな?小さい子供が母親と遊んでいた。
豪雨から4年過ぎ、線路の上を走っている列車を見たことがない沿線の子も増えてくる。
そして、BRTが走り出すと、それが子供の思い出になる。



代行バスの夜明駅バス停は、少し高台にある駅から階段を降りたところにある。



ようやく、久留米駅行きの列車が来た。



今日のウォーキングを終える。

「記念館・博物館で学ぶ」に会う【JR九州浦上駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-8】

2021-10-14 | JR九州ウォーキング
2021年10月10日(日)

今日は、長崎本線浦上駅(長崎県長崎市)



現在の長崎県、佐賀県、熊本県は、古代、ひ(火・肥)の国と呼ばれていた。
律令政治の頃、ひの国は肥前の国(長崎・佐賀)と肥後の国(熊本)とに分かれる。
明治維新の後、肥前の国は東側が佐賀県、西側が長崎県に分かれる。

昨日は肥前の国の佐賀県、今日は肥前の国の長崎県のウォーキング。

浦上駅前には「国鉄原爆死没者慰霊之碑」が建っている。



スタートして、すたすたと歩いて行ったのはいいが、あれぇ、道を間違えているようだ。
マップにある「山王神社」に着かない。
どうしょう思い歩いていると、マップにある「坂本国際墓地」への矢印があったので向かう。





そして、ウォーキングコースへと出た。
参加している人たちが次から次へと歩いている。
山王神社は行ったことがあるので戻るのは諦め、前も後ろもウォーカーの中、安心しながら先へと進む。

浦上街道の案内から階段を下る。
階段や坂を上ったり下ったりしながら浦上街道を歩く。









一旦下ったところで見上げると、西九州新幹線のトンネル工事現場。浦上街道も寸断されているようだ。



西九州新幹線は、長崎駅~武雄温泉駅間が2022年秋の開業予定で工事が進んでいる。
が、佐賀県内の武雄温泉駅~新鳥栖駅間の工事は目途が立っていない。

佐賀県が工事費の費用負担に見合うだけのメリットが無いことで建設に難色を示している。
これまでも関係者の話し合いは持たれているようだが、メリットを示すことは出来ていないようだ。

肥前の国が長崎県と佐賀県に分かれずに一つの県であったなら、このようなことも無かっただろうに、と思う。


(スタート受付で貰ったパンフレット)

また、工事現場の横から坂を上って、浦上街道へ戻る。そして階段を下る。





「日本二十六聖人記念館」の横に出る。



1597年長崎で処刑された26人のブロンズ像、「日本二十六聖人記念碑」。



記念館に入る。初めてのような気がする。
ザビエルの渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史を中心に学べる。
さまざまな書簡、さまざまな像などが展示されていて、迫力がある。
これだけのものを一度に見る機会はあまりない。


(日本二十六聖人記念館のパンフレット)

記念館横にある聖フィリッポ西坂教会。



勝海舟は、1855(安政2)年から4年間この地(大乗院)に宿泊し、海軍伝習所の伝習生となり、オランダ海軍から指導を受けた。



少し歩いて「長崎歴史文化博物館」へ。





何度か通り過ぎたことがあるが、今日は入ってみよう。

常設展の歴史文化展示ゾーンでは、江戸時代、長崎と中国やオランダとの交流の歴史が学べる。
学校では、江戸時代は鎖国で、長崎の出島が唯一、外国と交流するところだった、と習った記憶がある。
展示では、「幕府は長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口を通じて海外と交流しました。」との説明がされていて、学校で習ったのとは違い、新鮮な感じがした。
今は、学校ではそのように習うのだろうか。

展示は期待以上に充実していた。
坂本龍馬と2ショットの写真も撮れる。

常設展の長崎奉行所では、奉行所が復元されている。
奉行所の復元は珍しいと思う。
興味津々、見て回った。



お腹も空いてきた。ゴール目指して歩く。

長崎はいたるところに、このような説明板がある。立ち止まっては読み、立ち止まっては読みしながら歩く。







長崎県庁が、この近くにあったような気がするが。





出島の洋館を左手に進む。



ゴールは長崎港。



今日も、デジタルスタンプ。



ゴールのところには、テラス席で海を眺めながら食事ができる店が並んでいる。一軒の店のテラス席へ。昼食。
久しぶりの生ビールを海を眺めながら・・・、美味い。





スタートの受付でいただいた物をリュックから取り出し確認。



食事を終えて、路面電車で長崎駅へ。



新幹線の開通で、駅周囲も駅舎も在来線のホームも変わって、初めて来た。



白いかもめで帰路。



今日のウォーキングを終える。

「唐津城、見てよ観てよ」に会う【JR九州唐津駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-7】

2021-10-12 | JR九州ウォーキング
2021年10月9日(土)

今日は、筑肥線唐津駅(佐賀県唐津市)。



10時前に唐津駅をスタート。



市役所前で、え「肥後堀」。唐津には何度か来ているが初めて気が付いた。
ここは、肥前の国。肥後は熊本。堀の名の由来は記してなかった。





唐津神社に参拝し、先へ。



旧唐津藩藩校中門。門をくぐると中は子供の公園。



右折し、唐津城へ向かって真っすぐ歩いていると、どこからか太鼓の音が。
左手の鐘楼の上に、「時の太鼓」。
見上げると、袴姿の人形が太鼓を叩いていた。





路地を入ったところに「河村美術館」。青木繁の作品を中心に展示してある。
唐津に来たときは、時々寄るが、今日は寄らなかった。



唐津城へ向かう。



やがて見えてきた唐津城。





階段を上って唐津城天守閣へ。





唐津城から海の眺め。
階段を上った疲れを癒してくれる。

古代、この海から水稲が伝わってきた。それからの時代を弥生時代と呼んでいる。







何度も来ているので天守閣には入らず、階段を下りて先へと進む。

唐津城の城主は何代か変わっているようだ。



舞鶴橋の上から振り向くと唐津城。



松浦川に架かる松浦橋からも唐津城。



橋を渡ったところからも唐津城。



松浦川沿いに、松浦河畔緑地の遊歩道を歩く。



ずーつと、唐津城を眺めながら歩く。









遊歩道が終わったところ。ここ付近で記念撮影する人がチラホラ。



まだまだ見える唐津城。

この後、建物で遮られ見れなくなった。



道路向うに三の丸辰巳櫓。



旧唐津銀行本店。辰野金吾が監修した建物。





幾つか、右へ左へと曲がってゴール唐津駅へ。

マップには「食」の店がいくつか紹介してあったが、どこにも入らなかった。
歩いていると、タイミングがあって、ついフラット入る時もあれば、サッサと行き過ぎるときもある。
後から、あそこに寄れば良かったなあ、と思うことはしばしばある。

今日もゴールしてから、あそことあそこには寄ればよかったと・・・。



ゴールすると、スタンプが貰える。
そのスタンプがデジタルスタンプに移行するという。
この秋編は、従来の押すスタンプと並行して、来年からは全面的にデジタルになるようだ。

係の人からスタンプをポンと押してもらうと、ゴールしたと実感が湧く。
スマホでQRコードを読み取るのだが、なんとなくあっけない。ゴールした実感が湧かない。

スマホを持たない、子供や年配者はどうなるんだろう。





駅近くで昼食。

3世紀の中国の書物、魏志倭人伝は、中国から見た、邪馬台国までの行程が記されている。
朝鮮半島を出て、対馬国(対馬)、一支国(壱岐)を経由して、九州に上陸するのは、ここ「末蘆国(唐津市周辺)」、そして東南へ「伊都国(前原市周辺)」、さらに東南へ「奴国(福岡市周辺)」へと続いて、さらにさらに続いて邪馬台国へ着く。

奴国までは現在の場所がむほぼ特定されているけど、奴国から先は諸説があって、特定されていない。

帰路、JR筑肥線の列車は、玄海の海を眺めながら筑前前原駅へと向かう。
古代中国の使者は、歩きながらこの海を眺め眺めしていろんな感情にふけったであろう、と思いながら飽きずに眺める。
筑前前原駅で乗り換え。やがて列車は、福岡市営地下鉄空港線に入り、博多駅へと地下に潜る。景色は見えない。

今日のウォーキングを終える。

「自粛明けにはきつい階段」に会う【JR九州うきは駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-6】

2021-10-04 | JR九州ウォーキング
2021年10月2日(土)

10月1日から福岡県の緊急事態宣言、熊本県のまん延防止等の措置が解除された。
さあ、JR九州ウォーキングに参加だ。

今日は九大本線うきは駅(福岡県うきは市)。



豊肥本線、鹿児島本線、久大本線と各駅停車に乗って来た。
各駅停車の旅では、ホームの駅名標識を眺めるのも楽しみの一つだ。
駅名の下には駅の所在地名が書かれている。

知っている駅名や市や町や村名を見ると「ここがそうか」との思いがする。
知らない土地へ行って初めての駅名や知らなかった市や町や村の名前を見ると「遠くへ旅にきた」という実感が湧く。

平成の合併で、多くの町名や村名が無くなった。移り変わる駅の市町村名の変化が少なくなって寂しい。
かわりに、ここも〇〇市と驚くこともある。

うきは駅ホームの標識は、駅名が「うきは」で、所在地が「うきは市」で、駅名と所在地名が同じ名前である。
一般的に市・町・村名と駅名が同一の場合、「市・町・村名」→「駅名」になる。
「うきは」は違う。
「うきは駅」は、1987年の民営JR九州として発足した後、1990年に筑後千足駅を「うきは駅」に改称した。
「うきは市」は、2005(平成17)年、福岡県浮羽郡の旧吉井町と旧浮羽町が合併し、「うきは市」となった。

「うきは」は「駅名」→「市名」になって珍しい事例になる。



ウォーキングスタート。

しばらく歩くと古墳らしきものが。楠名・重定古墳の一つ。
あれ、どっちだったかな。
しっかり確認していなかった。



家の横には澄んだ水が流れている。



野菜とか洗っていたんだろう。今はどうなんだろう。



さらに進む。



うきはに来ると材木店を見かける。



自粛、自粛の日々だったけど、もう秋。



稲刈りはもう直ぐ。



日本名水百選の「清水湧水」。優しい水だった。



キョロキョロしながらも、さらに歩く。



左折。



実った稲を眺めながら歩くと、気持ちも豊かになる。



一ノ瀬焼窯元を幾つか見学。
この歳になると物が増えないようにしないと。
欲しくなっても我慢、先へと歩く。





眺めながら歩いていく。



と、マップには記載されてないが、鎮守の森らしい木々が見えた。寄り道。
朝田天満宮?



相変わらず、キョロキョロしながら歩く。



「浮羽稲荷神社」へ。
うわぁ、階段。

コロナで自粛期間中、自宅近くを少しは歩いたいたが、階段の上り下りはほとんどしていない。
JRに乗る機会があれば少しは階段の上り下りもするが、それもしていない。

意を決して、階段を上る。
息遣いが早くなる。

一度階段が途切れる。



次の階段の方が長そうだ。上る。

絶景、筑後平野が広がる。

実った稲穂を度々見てきた、古墳もあった。
古代より豊かな地だったのを感じる。

古墳の主もここから眺めていたのではなかろうか、そんな思いで、しばらく眺める。



あと少し階段を上って、稲荷神社。



階段を恐る恐る下って、次は「ぶどうのたね」?。
マップにはカフェ&ギャラリーとあったが・・・。

狭い上り道に沿って、ギャラリー、カフェ、和菓子屋、などが集まっているところだった。
ちょうどお昼ごろだったので、どこも、人が多そう。











お店が途切れた先に、石垣が見える。
何があるんだろうとさらに坂を上って行く。



「諏訪宮」という神社の裏に出た。



ここからも筑後平野が一望できる。



さあ、うきは駅へ帰ろう。



以前、うきはに来たのは、筑後吉井駅からうきは駅へのウォーキングだったのを思い出す。
吉井の町ではひな祭り、うきはでは磯の澤の酒蔵開きだった。



ゴールうきは駅へ。
久留米駅行きの列車までまだ時間がある。
一つ前の列車から1時間以上の間があるので、小さい駅は列車待ちのウォーキング参加者でいっぱい。
朝買ったコンビニおにぎりで昼食。

ゆふいんの森号が博多駅へ向かって通過していった。



やがて来た列車で帰路。
2両編成の車内は立っている人も多い。



久留米駅で改札口を出て、チョコモナカジャンボを買って、再び改札口を入り、ホームで食べながら、下りの各駅停車を待つ。
久しぶりできつかったけど、気持ちよかった。アイスも美味い。
食べ終わると同時に列車が来て扉が開いた。
今日のウォーキングを終える。