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「世界遺産の古墳群」に会う【JR九州福間駅 鉄卓のフォト・ウォーク2022-14】

2022-10-13 | JR九州ウォーキング
2022年10月8日(土)

今日は鹿児島本線福間駅(福岡県福津市)。



改札口を出るとお迎えしてくれる「ふくふくちゃん」。
福津市商工会のキャラクターらしい。



福間駅をスタート。



福間駅のコースではいつも宮地嶽神社に寄るが今日は寄らないコース。



道なりに歩いて、カメリアホールへ。
福津市の総合文化センターで歴史資料館もある。



福津市の通史展示や津屋崎の古墳から出土したものなどが展示してある。



復元されたものであるが、宮地嶽神社にある古墳から発見された国宝の大刀。大きかった。





津屋崎には古墳が多く存在するようだ。





船上での武器のようだ。



新原・抜山古墳群を紹介するコーナーもあったようだが、見過ごしている。

館を後にして国道沿いを歩いて行く。
マップを見ると、長い道のりになりそうだ。

今日はお花たちと出会わないなぁと思いながら歩いていると、古墳らしきものが。

須多田ニタ塚古墳。
周囲にも古墳が点在し須多田古墳群を形成している。





そこから、まだまだ歩かねばならないようだ。







コスモスがお出迎え。ようやく、古墳群のところへ。



平成29年、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産に登録された。
ここ、「新原・奴山古墳群」は、その世界遺産を構成する一つ。
5世紀から6世紀にかけて築かれた前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の41基が現存している。

いただいた福津市のパンフレットには
「台地中心部には、前方後円墳や大型円墳が造られ、その周辺に中小の円墳が分布しています。前方後円墳はヤマト王権とのつながりの強い有力者の墓であることを示すことから、王権のもとで朝鮮半島への航海や沖ノ島での祭祀を担うことによって勢力を拡大させた古代豪族宗像氏の性格をよく表す古墳群として世界遺産に登録されました」
とある。

国道から右折して、最初にあったのは、22号古墳。
5世紀後半に築かれ、全長80mあり古墳群最大規模を誇る。
前方後円墳の前方が短くなっていて、帆立貝式古墳とも呼ばれている。



木が茂っているところが後円部。手前の草むらが前方部、開墾によって残っていない。



並ぶようにしてある21号墳は円墳。



廻って行こう。15号墳は円墳。





21号墳のところに来た。

古墳の上に百塔板碑があるようだ。



鎌倉時代中期に建てられているようだ。



古墳の上に建っている。





先へと進む。



25号古墳は5世紀後半に築かれた古墳群最大の円墳。





30号古墳は6世紀中頃に築かれた全長54mの前方後円墳。
前方部は畑により削られ平らになっている。





展望台の方へと進む。



途中、説明があった。



古墳群は、当時、入海に面した台地上にある。
赤い線が古墳群。



古墳の分布図。
国道を右へ曲がって古墳群に入ったが、国道の左側にも古墳があるようだ。



古墳が一列に並んでいる横を歩いて展望所に着く。
正面は大島。宗像大社中津宮がある。





当時のイメージ図。
入海の台地上に面している。



新原・奴山古墳群は5世紀から6世紀に築かれている。
7世紀に入ると遣唐使の派遣が始まる。
古墳群の主たちは、遣唐使の船を台地の上から見送ったであろう。
宗像三神の祭祀は遣唐使の無事な航海も含まれるようになって、ヤマト王権が深くかかわるようになっていっただろうと思う。

古墳群の展望所を後にする。

お馬さんがいた。



歩いてきた国道へ出た。



すぐに、あんずの里。



今日はここがゴール。



福間駅へはシャトルバスで帰る。



博多駅方面の列車がすぐに来た。

スタート時にめんべいをいただいたのを思い出した。
福津めんべいは対茶漬け風味、先週の添田町めんべいは柚子ごしょう風味だったようだ。



今日のウォーキングを終える。

たまには1句(4)
「遣唐使 見送る古墳 秋桜」


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