鉄卓のブログ「きままに」

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「明治24年完成の九州鉄道会社本社」に会う【JR九州西小倉駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-4】

2021-04-14 | JR九州ウォーキング
2021年4月11日(日)

今日は、鹿児島本線西小倉駅(福岡県北九州市)。



九州新幹線で博多駅、ソニックに乗り換え、昨日と同じ時間の列車に乗り、今日は戸畑駅で普通列車に乗り換えて西小倉駅へ。

昨日の黒崎駅~西小倉駅、今日の西小倉駅~門司港駅の連続したウォーキングは、鹿児島本線開通130周年記念コースとして設けられている。
昨日のブログでも書いているが、九州に最初に鉄道が走ったのは1889(明治22)年12月、博多駅~千歳駅間であつた。
それから北へ南へと工事は進み、門司駅(現門司港駅)~熊本駅間が130年前の1891(明治24)年7月に開業した。

開業当時の小倉駅は現在の西小倉駅。小倉城の近くで、当時は小倉の中心地であった。
小倉駅が約700メートル離れた現在地に移転したのは1958(昭和33)年。
旧駅は貨物専用駅として使われたていたが、1969(昭和44)年に新たな貨物駅、浜小倉駅が出来て引っ越し。
1974(昭和49)年、駅舎等を地元が負担して西小倉駅が誕生する。

昨日のゴール、今日のスタートは旧小倉駅である西小倉駅。



10時15分頃スタートし、紫川を渡る。
紫川にに架かる鉄橋を博多駅へと走るJR西日本の山陽新幹線。



海岸沿いの国道199号線に出る。ここからは一直線に門司港を目指す。



小倉駅付近の海岸沿いを歩く。







小倉駅からぺディストリアンデッキで直結しているAIM(アジア太平洋インポートマート)ビルの横歩く。



ミクニワールドスタジアム北九州。J2ギラヴァンツ北九州のホーム。



国道199号線は車がひっきりなしに行き交う。
マスクはコロナ対策というより車の排気ガス対策で必需品の感がする。
それでも草花たちは可憐に咲いている。









時折、海を臨みながら歩く。





結婚式場の前には芝桜。





関門大橋が見えてきた。



NIKKAの工場。



門司港駅へ向かう「かわせみ やませみ」「いさぶろう・しんぺい」連結列車。





関門海峡の対岸下関も見えてきた。













ようやく門司港駅へ。

門司駅が門司港駅と名称が変わったのは1942(昭和17)のこと。
本州の下関と九州の門司間には、線路で繋いだ海底のトンネル、関門トンネルがある。
世界で最初の海底トンネルで、1942(昭和17)年に下りトンネルが開通し、1944(昭和19)年に上りトンネルが開通した。

関門トンネルの門司側の出入口の駅は大里駅だった。
なじみの薄い駅名だったので、大里駅を門司駅に変更し、門司駅を門司港駅に名称変更した。

門司港駅に降り立ち、駅舎を出ると、門司港駅という名にふさわしい光景が広がる。



門司港駅舎を裏から。



ゴールは九州鉄道記念館。
博多駅~門司駅(現門司港駅)間が全線開業したのは1891(明治24)年7月だが、その間、部分的に開業していく。
1890(明治23)年9月に博多駅~赤間駅間が開業。
1890(明治23)年11月に赤間駅~遠賀川駅間が開業。
1891(明治24)年2月に遠賀川駅~黒崎駅間が開業。
1891(明治24)年7月に黒崎駅~門司駅間が開業している。

門司駅までの部分開業の最後の区間を昨日、今日の2日間で歩いことになる。



スタート前は、今日のコースは寄り所も無いし、国道を一直線に歩くだけなので、早くゴールできるかと思ったのたが・・・。
排気ガスを浴びながら歩いていると足元には可憐に咲く草花たちが。
立ち止まり、しゃがみ込むことも多く、昨日とほぼ同じ3時間ほどかかってしまった。

お腹も空いたので、一旦駅へ戻り、コンビニで弁当とビール。
お昼の時間は過ぎていたので、弁当やお握りは残り少なかった。

それでも、海を眺めながらの昼食は美味しい。



九州鉄道記念館へ戻り、入館。

鉄道の草創期、国は東海道筋を中心に鉄道を敷き、全国各地では鉄道を普及させていったのは民間資本の会社、私鉄だった。
1883(明治16)年に日本鉄道(東京~青森)、1885(明治18)年に阪堺鉄道。
1888(明治21)年に水戸鉄道、両毛鉄道、山陽鉄道、伊予鉄道。
1889(明治22)年に甲武鉄道、関西鉄道、大阪鉄道、讃岐鉄道、北海道炭礦鉄道。
同じ年に九州では、九州鉄道が博多駅~千歳駅間を開業している。
そして、門司駅(現門司港駅)~熊本駅間を1891(明治24)年7月に開業。

九州鉄道会社は博多に本社を設けていたが、1891(明治24)年4月、この場所に新社屋を建て本社を移転。
130年前に建てられた建物が、今は九州鉄道記念館として活用保存されている。

上記以外にも各地に民間資本の鉄道会社は続々と開業する。
一方、鉄道網の一体的開発も唱えられ、鉄道国有法案が1906(明治39)年に成立。
九州鉄道など17社が買収され、1907(明治40)年に国有鉄道となる。

1987(昭和62)年、国鉄は7つに分割され、民営のJR〇〇となる。



九州鉄道記念館から門司港駅舎。



門司港駅舎の正面。



門司港駅を出発する観光列車「36ぷらす3」。



今日は鹿児島本線開業130周年記念のウォーキングであったが、門司駅~鹿児島駅が全通したのは1909(明治42)年のことになる。
当時は八代駅~人吉駅~吉松駅~鹿児島駅という山間部を通るルートであった。

1927(昭和2)年、海側の水俣~出水~川内を通るルートが完成。
八代駅~人吉駅~吉松駅~隼人駅間の山間部のルートは肥薩線と呼ばれるようになる。

肥薩線の八代駅~人吉駅~吉松間は令和2年7月豪雨(熊本豪雨)で大きな損壊を受け、今だ復旧の見通しが立っていない。

熊本駅~八代駅~人吉駅間には「SL人吉号」、「かわせみやませみ号」が走っていた。
人吉駅~吉松駅間には「いさぶろうしんぺい号」が走っていた。

現在は運休中であるが、「かわせみやませみ号」と「いさぶろうしんぺい号」を連結して、土日祝日などに博多駅~門司港駅間で臨時運行している。

今日は、それで帰る。





かわせみ号に乗車して、肥薩線の早期復旧を願い、今日のウォーキングを終える。

*参考にした本
倉知英夫・大谷節夫著『九州の鉄道 陸蒸気から超特急まで』西日本新聞社発行、1980年
弓削信夫著『明治・大正・昭和 九州鉄道のおもしろ史』西日本新聞社発行、2014年
老川慶喜著『日本鉄道史 幕末・明治篇』(中公新書)中央公論新社発行、2014年

「明治44年廃止の大蔵線」に会う【JR九州黒崎駅 鉄卓のフォト・ウォーク2021-3】

2021-04-13 | JR九州ウォーキング
2021年4月10日(土)

今日は、鹿児島本線黒崎駅(福岡県北九州市)。



黒崎駅を10時過ぎにスタート。

黒崎駅前広場は九州で第一号のぺディストリアンデッキ。
橋上の改札口を出た駅前は、すぐに下りる階段は無く高架の駅前広場がある。
広場を通って、それぞれの方向へと向かい階段を降りる。
高架の下は国道3号線。

1984(昭和59)年に完成。現在の広さになったのは1989(平成元)年。

広場では様々な催しも開催されるが、今日は何もあっていない。



高架の駅前広場から国道3号線の向う側にあるアーケード商店街の方へ降りる階段を下り、3号線を小倉へと向かう。



3号線を黙々と歩いて、右へ。桃園球場などがある方を横目に進む。目には鮮やか緑。今年は新緑も早い。



まえだぎおん山笠通りを歩く。





前田の桜並木。ここも新緑。



桜並木を過ぎたあたりから右へ。
九州国際大学のある国際通りを横切り、九州健康総合センターの横を通り、道を横断。
キョロキョロすれば、新緑、新緑。



北九州市立八幡病院の裏を歩く。



皿倉山の登山口への道路を横断。



1889(明治22)年12月、博多駅~千歳川駅(現在の久留米駅の筑後川を渡らないあたり)間に九州で鉄道の第一号が走った。
鉄道を走らせたのは九州鉄道会社。
北へ南へと工事を進め、130年前の1891(明治24)年には、門司駅(現在の門司港駅)~熊本駅間が開通した。

開通当時、鉄道を敷設するルートを決めるには、軍が軍事上の理由で介入した。
敵の攻撃を受けやすい海岸沿いに線路を敷設するのは出来るだけ避けるようにすることが陸軍の意向としてあった。

そこで、黒崎駅~小倉駅間は現在の海岸沿いではなく、山沿いに線路が敷設された。
開業当初は、黒崎駅の次は小倉駅で間には駅が無かった。
小さな漁村だった八幡村に官営製鉄所の建設が決まり、1898(明治31)年に製鉄所も近く平たんな場所の大蔵に駅が設けられた。

1901(明治34)年には、官営八幡製鉄所が操業を始める。
石炭など物資輸送、働く人たちの移動などで海岸沿いに線路を敷設する必要性が高くなっていく。
1984(明治27)年~1895(明治28)年の日清戦争に勝利していた軍も軍事上の脅威も減り、海岸に鉄道を敷設することを容認した。

1902(明治35)年、小倉から戸畑、八幡、黒崎へと海岸沿いに新たな線路が開通した。
それまで本線であった山沿いの線は支線に。
支線となった線は、大蔵線と呼ばれるようになる。

1911(明治44)年には、現在の西日本鉄道(西鉄)が門司駅~黒崎駅間に路面電車を走らせる。
大蔵線は役割を終え、その年に廃止となる。

今日は、その大蔵線の遺構を訪ねるウォーキング。

これまで歩いてきた道がすべて大蔵線の線路があったところかどうかは分からないが、市立八幡病院の裏の道は、線路があった道の雰囲気が感じられる。

線路跡と思われる道から、少し脇に入り着いたところが「尾倉橋梁」。
旗生川に架けられたイギリス積みの煉瓦で築かれたアーチ橋。
川は道路の下に下水道として埋まっている。







トンネルをくぐってから階段を上り、歩いてきた道へ出て、再び、線路跡の雰囲気のある道を歩く。

「春の町一公園」で桜を見っけ。「残桜」。



大谷球場。この辺りも海岸線からはだいぶん高いが、官営製鉄所が出来てから海岸沿いは工場が占めていて、住宅は山の上へ上へと建っていった。





八幡東区役所の辺りでは道をくにゃくにゃと曲がった。線路もこんなにくにゃくにゃと曲がっていたんだろうか。
高低差もあるなぁ、と思いながら歩く。



住宅は山の上へ上へと。



少し下って、大蔵公園。



公園の一角に「九州鉄道大蔵駅」はあった。



公園からすぐのところに「大蔵橋梁跡」。
大蔵川(現板櫃川)の左岸で2013(平成25)年に発見された、橋脚、橋台が展示されている。





先へと進む。
この辺りは、毎年9月末に開催される無法松ツーデーマーチでスタートの小倉から八幡へと歩くコースを逆に歩いているのではと思いながら歩く。



やはりそう。無法松ツーデーで見慣れた「茶屋町橋梁」へ着く。
「尾倉橋梁」と同じくイギリス積みのアーチ橋。
槻田川に架かっている。
いつもは道路側から眺め足早に去るだけだが、今日は裏へ回って眺めよう。





係の人がパネルを持っていた。ご苦労様です。



ツーデーマーチのコースとは外れて、国道3号線へ。
九州歯科大学前の交差点を渡る。



JR九州小倉総合車両センターへ。
130年前の1891(明治24)年、門司駅(現在の門司港駅)~黒崎駅間の開通とほぼ同時に九州鉄道会社の小倉工場として発足。



展示されている車両を見て回る。





昨年の豪雨で被災し不通となっている肥薩線を走る「SL人吉号」は、ここで点検整備中。
肥薩線の早期復旧を願っているかのように、煙を上げ、汽笛を鳴らす。



車両センターを後に、ゴール西小倉駅(旧小倉駅)へ。



今日のウォーキングを終え、帰路しよう。
明日、またここへ。

*参考にした本
倉知英夫・大谷節夫著『九州の鉄道 陸蒸気から超特急まで』西日本新聞社発行、1980年
弓削信夫著『明治・大正・昭和 九州鉄道のおもしろ史』西日本新聞社発行、2014年