鉄卓のブログ「きままに」

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「タイトルに一致」に会う【JR九州大村駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-11】

2017-06-11 | JR九州ウォーキング
2017年6月4日(日)

今日はJR九州ウォーキング大村駅コースに参加。


(今日のマップ)

大村駅までは、先ず新鳥栖駅で乗換え。長崎本線のホームで、特急「かもめ」の乗車口に並ぼうと足元を見て探していたら「あそボーイ」の乗車口の案内がある。


(新鳥栖駅ホームで)

昨年の熊本地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇駅間は不通になっていて、いつ復旧するか目途は立っていない。熊本-宮地駅間を走る観光特急「あそボーイ」も運休している。

私がJR九州ウォーキングに参加するための乗車駅は「あそボーイ」の停車駅なので、今日もその駅のホームでいつ停車することになるか分からない「あそボーイ」の乗車口案内を見て来たばかり。長崎本線の駅で見ると、「おう、ここで頑張っているのか。」と思う。

「かもめ」で新鳥栖駅から諫早まで行く。指定席をとっていたが幸いに有明海が見える側の席だった。有明海が見えてくると、雲仙の山並がくっきりと浮かんでいる。


(雲仙の山並み)

雲仙普賢岳で大火砕流が発生し、警戒中の消防団員と警察官、報道関係者、火山学者ら43人が死亡したのは1991(平成3)年6月3日午後4時8分のことだった。熊本も火山灰で道路も家屋も真っ黒になった。あれから26年。

当時を思い出しているとやがて諫早駅に着く。佐世保行のシーサイドライナーに乗り換えて、11時前に大村駅に到着。

大村駅コースには初めて参加する。大村ついての知識は殆ど無い。


(大村駅)

この時間になると参加者も少なく、初めてのコースで、前を歩いている人の姿が見えないと不安になる。直線を歩いていると、どこかでか曲がらなくてよかったのだろうかと猶更不安になる。幡や矢印が見えるとホットする。


(道沿いで)


(道沿いで)

2つほど曲がって路地の一角に「妻子別れの石」がある。「明暦3年(1657)の潜伏キリシタン大発覚事件である「郡崩(こおりくず)れ」に係る史跡です。」との案内板に書かれている。


(妻子別れの石)

崩れとは検挙事件のことで、郡は地域名で、当時の郡村を中心に603人が逮捕され、大村で131人が処刑されている。

「妻子別れの石」のある場所は、見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられている。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れたので「涙石」と呼ばれ、苔が生えないといわれている。

その処刑があった「放虎原殉教地(ほうこばるじゅんきょうち)」はそこから歩いて直ぐの所にあった。


(慰霊塔公園)


(放虎原殉教地)

「第21海軍航空廠(こうくうしょう)」があったあたりを歩く。


(警察署)


(運転免許試験場)


(郵便局)


(非核・平和都市宣言の碑)

そして、ようやく海岸へ。

海とは縁のない生活をしていると、JR九州ウォーキングに参加しての楽しみの一つに海との出会いがある。

海岸沿いにある公園で最初に出会ったのは「天正遣欧少年使節顕彰之像」。1582(天正10)年、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名の名代として、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4少年がローマに派遣される。2年半かかってヨーロッパに渡り、ローマ教皇と掲見。出発してから8年5ヶ月かかった大旅行の末、1590(天正18)年帰国している。


(天正遣欧少年使節顕彰之像)

彼らは、活版印刷や西洋楽器など西洋のすすんだ技術を持ち帰った。しかし、帰国した時は、キリシタンは禁止される時代になっていて、苦難の生活を送った。「郡崩れ」は、それから約70年後のことである。

彼らが見つめる先には、「長崎空港」があって飛行機がに発着している。


(長崎空港へ降りる飛行機)

少年使節像の横には「長崎出発400年に当たる今年 今は世界を結ぶ施設にゆかりぶかきこの地にその雄図を讃え併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよ と念ずる人々この像を立てる。」との碑が建っている。

「さあ、海岸を歩くぞ。」とウキウキして気分で歩きだしたが。コンクリートで作られた海岸の堤防を歩いても、海の風は感じない。コンクリートの照り返しの暑さばかりを感じる。こんなはずじゃなかったと思い思い歩く。


(海岸沿いを歩く)


(海岸沿いを歩く)


(海岸沿いから)

海岸を離れて、「くいでつばし」を渡るとき、心地よい海の風に癒される。


(くいでつばしから)

2つほど曲がって、商店街になっている長崎街道を歩く。


(長崎街道を歩く)


(長崎街道を歩く)


(長崎街道を歩く)

長崎街道から2つほど曲がって、信号を渡ると大村市役所があって、ゴール。なんとなくあっけなかった。


(市所前のゴール)

今日のウォーキングのテーマ「菖蒲満開・大村に花菖蒲を見に行こう!」は、どうやらゴールしてからの楽しみらしい。

ゴール受付の係りの人に、花菖蒲まつり会場「大村公園」の場所を聞いて、道一つ隔てた公園へ。

玖島(大村)城跡が大村公園になっていて、お堀跡に一面に菖蒲の花が咲いている。JR九州ウォーキングは花の開花に併せて開催される各地のお花の祭りと併せて開催されるものも多い。花の開花は気候にも左右される。祭りもウォーキングも早くから計画されるので、時には開花時期がずれることもある。

この初夏編、花しょうぶ祭りに併せたコースは5コースあったけど、大村だけはコースタイトルに「満開」とあった。今日は、ほぼどんぴしゃり。


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(板敷櫓と花菖蒲)

花菖蒲の写真を撮って廻って、大村神社になっている本丸跡に上る。


(案内板)


(階段を上った左手に「梅ヶ枝荘」があり順番を待つ人たち)


(さらに上る)

途中、復元されている板敷櫓(いたじきやぐら)に入って、下界を眺める。


(板敷櫓から)


(板敷櫓から)


(板敷櫓から)

さらに進もうとすると「戊辰戦争記念碑」があった。ウォーキングで九州のあっちこっちを歩いたが、戊辰戦争の記念碑に出会ったのは初めてと思う。

戊辰戦争で大村藩は官軍の北伐隊として東北の地で戦う。官軍側であった秋田藩を救援する刈和野の戦いで戦死者7名を出した。鼓手(こしゅ)として戦いに参加した浜田謹吾少年も戦死したその中の一人。謹吾少年の衣服の襟に縫いつけてあった母の歌「二葉より手くれ水くれ待つ花の君がみために咲けよこの時」が地元の人々の心を強く打ち、語り伝えられている。


(戊辰戦争記念碑)


(浜田謹吾少年碑)

そのことが縁で、旧角館町(現仙北市) と大村市とは姉妹都市になっている。祭り会場では仙北市の物産を売るコーナーもあった。


(石垣にはなんとなく親しみをもったが、加藤清正の指導を受けたようだ)


本丸跡の大村神社境内には大きな球体がいっぱいだった。何か催しがあるようだ。


(大村神社)


(貝吹石。小さいほうの穴を吹くと法螺貝の音を出す。)


(大村神社境内)

境内に植わっているオオムラザクラ(大村桜)は国の天然記念物に指定され、クシマザクラ(玖島桜)は長崎県の天然記念物に指定されている、という。また、桜の季節に参加しないと、と思いながら下る。


(オオムラザクラ)


(クシマザクラ)

明治27(1894)年創業という「梅ヶ枝荘」で、少しだけ外で待って14時ごろ大村寿司とビール。お刺身や野菜、ビワも美味しかった。


(大村寿司定食)


(やっぱし定番の角度から)

公園を出て20分程歩いて、今度は一つだけ曲がって大村駅へ。古い駅舎で大正7年に建てられている。


(帰り道でポスター。大村神社の球体はこうなる。)


(大村駅)


(大村駅)


(大村駅)


(大村駅)

15時22分長崎行のシーサイドライナーで諫早駅へ。かもめに乗り換え、新鳥栖駅で新幹線に乗り換え、梅ヶ枝荘で買った「梅が枝焼」を食べて、今日のウォーキングを終える。


(シーサイドライナー)

「イの壱」に会う【JR九州戸畑駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-10】

2017-06-08 | JR九州ウォーキング
2017年6月3日(土)

今日はJR九州ウォーキング戸畑駅コースに参加。


(今日のマップ)

9時過ぎ戸畑駅に着き、改札口を出たら長蛇の列がある。何ごとだと思って見ると、JR九州ウォーキングの受付に並んでいる列。慌てて列の最後尾に並んだ。何年か前に参加した時は、もっと遅い時間に駅に着いていたので、並んだ経験は無かった。

通常のコースは受付が8時30分からなのに何故とスマホで調べると今日のコースは9時30分からが受付時間になっていた。パンフレットをよく見ていなかった。
先頭の方に並んでいる人たちはどうだったんだろう。

顔なじみの常連さんたちも並んでいたのだろうな、よく見ずに後ろへ並んでしまった。一人の方から「戸畑列に並んでいます。声かけたのに。」とのLINEが。

しばらくして、受付が始まった。受付した後、まだスタートしていなかった顔なじみの皆さんとも久しぶりにお会いして、ご挨拶。

戸畑駅の裏側に出て歩く。戸畑近代化産業遺産の「いくよ旅館」の横を通るいつものコースを歩く。今日は建物よりも看板に「国鉄推薦旅館」と書いてあるのが目に入った。


(戸畑駅の裏口)


(いくよ旅館の看板)

調べてみた。国鉄推薦旅館連盟というのが設立されたのが、1950(昭和25)年。1957(昭和32)年に、国鉄推薦旅館連盟は日本観光旅館連盟に改組されている。この看板はこの7年間の間に作られているのだろう。
日本観光旅館連盟は2012(平成24)年に国際観光旅館連盟と統合し、日本旅館協会が設立されている。

国鉄(日本国有鉄道)が民営化され、JR各社が発足したのは1987(昭和62)年。ちょうど30年前「国鉄」は無くなった。

大きな通りに出て、「恵美須神社」の横を通る。鳥居には「蛭子神社」と書いてある。突き当たると若松渡船の乗り場。頭上には若戸大橋。


(路地から若戸大橋)


(大通りから若戸大橋)


(恵美須神社)


(神社横の公園)


(若戸大橋)

左折して、ニッスイ戸畑ビル内の「ニッスイパイオニア館」へ。ニッスイ戸畑ビルは1936年(昭和11年)に建造された建物で戸畑近代化産業遺産に指定されている。

ここで今日のコースの受付時間が9時30分になっているのに納得。「ニッスイパイオニア館」の開館時間に合わせてあったのだ。入館記念のプレゼントをいただく。


(ニッスイパイオニア館でプレゼント)


(ニッスイパイオニア館から若戸大橋)

館内には、ニッスイの歴史や活躍した船の模型が展示してあるが、以前参加した時に見てまわったので、今回はパスした。

建物は若戸大橋や若松渡船に乗ってから眺めたが全体がよく見れる。

ニッスイ戸畑ビルの住所は北九州市戸畑区銀座。日水の船がここから出ていたころは、賑やかな街だっただろう。

館を出てからは、もくもくと歩く。沖合通り、天籟寺通りと歩いて横道に入り、着いたところはくろがね線宮田山トンネル戸畑口。


(皿倉山)


(?)


(道沿いで)


(宮田山トンネル)

くろがね線は1930年(昭和5年)に開業した八幡製鐵所(現・新日鐵住金)の八幡と戸畑を結ぶ専用鉄道で、炭滓線(たんさいせん)と命名されていたが、1972(昭和47)年に社員公募し「くろがね線」という通称となった。ヨーロッパの古い城を感じさせるデザインのトンネルも戸畑近代化産業遺産に指定されている。

しばし見惚れた後、「とばた菖蒲まつり」会場の夜宮(よみや)公園へと急ぐ。

公園の一角にある国指定重要文化財で戸畑近代化産業遺産に指定されている「旧松本邸」は1912(明治45)年に建てられて、現在は結婚式場として使われている。設計は辰野金吾。この日は結婚式があるのか見学は禁止だった。


(旧松本邸)

夜宮公園内に入り、日本庭園へ。菖蒲は満開に近い。横の広場のテントの中には、愛好家に育てられた鉢植えの菖蒲が展示してある。カメラマンも多い。


(夜宮公園日本庭園の池)


(夜宮公園日本庭園の池)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)

後にして、少し高くなっている多目的広場へ。出店も並んでいるが、まだ食事には時間が早い。舞台では祭りの催しが始まりそうだが先へ急ごう。


(戸畑菖蒲まつり会場)

夜宮池へと階段を下りていく。カスケードには水が流れていない。


(カスケード)


(公園内で)


(公園内で)

カスケードをさらに下りて、夜宮池の橋のたもとに。池の菖蒲には名前が書いてある。左回りで行くと、最初に目に入るのは「イの壱号」。今日のスタート受付でイの壱番に来た人は何時ごろから並んだんだろうかとついつい思ってしまう。


(夜宮池)


(イの壱号)

池の周りを一周しながら写真を撮って廻る。


(七福神)


(千早城)


(夜宮池)


(金鶏)


(泰山白)


(夏姿)


(天の羽衣)


(夜宮池)

さて、帰路。戸畑駅へ向かう。

戸畑区役所のところにある三角形の浅生一号公園とその周辺は戸畑祇園大山笠の主会場になる。


(戸畑区役所)

公園に隣接しては戸畑図書館もある。建物は1933(昭和8)年に戸畑市役所庁舎として建設された。1963(昭和38)年の5市合併で北九州市が発足した後は、北九州市庁舎として9年間利用され、その後、戸畑区役所庁舎として利用された。2007(平成19)年に戸畑区役所新庁舎が完成し、その後活用策が検討され、2014(平成26)年に『北九州市立戸畑図書館』としてオープン、建物は戸畑近代化産業遺産に指定されている。


(戸畑図書館)


(戸畑図書館)


(若山牧水歌碑)

大通りを隔てた飛幡八幡宮に寄る。

鳥居の下から戸畑駅方面へまっすぐ伸びたあやめ通りを撮っていると、地元の方から声をかけられた。戸畑祇園大山笠のときは、この通りにずーっと屋台が並び大勢の人出で賑やかな様子を話してくださった。屋台は鳥居の階段の所にも並ぶそうである。ユネスコの無形文化遺産にも登録されたので、人出はもっと多くなるだろうと今から楽しみにされているのが伝わってくる。


(戸畑祇園大山笠のポスター)


(飛幡八幡宮)


(飛幡八幡宮)


(あやめ通り)

しばらく、お話を聞いて、お礼を述べ、あやめ通りを歩いて戸畑駅へ。


(あやめ通りで)


(戸畑駅)

ゴール後は、トランドールでパンを買って、北九州市立の福祉会館・市民会館「ウェルとばた」内のロビーで昼食。

午後から、八幡東区で会議があるので、JRで八幡駅へ移動する。戸畑駅の改札を通る前にゴールされた、Hさんにお会いしたが、挨拶もそこそこにホームへと急いでしまって、失礼をしてしまった。

今日は午後から会議が予定されていたので、ウォーキングには参加しない予定だったが、朝早く起きてしまったので、急遽戸畑駅へ向った。その会議も無事に終わり、博多駅へ。新幹線でようやくビール。今日のウォーキングを終える。