2017年6月4日(日)
今日はJR九州ウォーキング大村駅コースに参加。
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(今日のマップ)
大村駅までは、先ず新鳥栖駅で乗換え。長崎本線のホームで、特急「かもめ」の乗車口に並ぼうと足元を見て探していたら「あそボーイ」の乗車口の案内がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/21/acf5ea9b94a768d8627316a72e9e4807.jpg)
(新鳥栖駅ホームで)
昨年の熊本地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇駅間は不通になっていて、いつ復旧するか目途は立っていない。熊本-宮地駅間を走る観光特急「あそボーイ」も運休している。
私がJR九州ウォーキングに参加するための乗車駅は「あそボーイ」の停車駅なので、今日もその駅のホームでいつ停車することになるか分からない「あそボーイ」の乗車口案内を見て来たばかり。長崎本線の駅で見ると、「おう、ここで頑張っているのか。」と思う。
「かもめ」で新鳥栖駅から諫早まで行く。指定席をとっていたが幸いに有明海が見える側の席だった。有明海が見えてくると、雲仙の山並がくっきりと浮かんでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/73/80f157c732df3497a0d2f48f8411368e.jpg)
(雲仙の山並み)
雲仙普賢岳で大火砕流が発生し、警戒中の消防団員と警察官、報道関係者、火山学者ら43人が死亡したのは1991(平成3)年6月3日午後4時8分のことだった。熊本も火山灰で道路も家屋も真っ黒になった。あれから26年。
当時を思い出しているとやがて諫早駅に着く。佐世保行のシーサイドライナーに乗り換えて、11時前に大村駅に到着。
大村駅コースには初めて参加する。大村ついての知識は殆ど無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/2a/4df20f9af0547801f8e5457d384a04da.jpg)
(大村駅)
この時間になると参加者も少なく、初めてのコースで、前を歩いている人の姿が見えないと不安になる。直線を歩いていると、どこかでか曲がらなくてよかったのだろうかと猶更不安になる。幡や矢印が見えるとホットする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fa/e48932a0f4f1ba2df839c54de17c6fd5.jpg)
(道沿いで)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ae/161ca910a5225e2ae7eefa4aaa819741.jpg)
(道沿いで)
2つほど曲がって路地の一角に「妻子別れの石」がある。「明暦3年(1657)の潜伏キリシタン大発覚事件である「郡崩(こおりくず)れ」に係る史跡です。」との案内板に書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/2f/2123101f4291ac353a8159488bac15cb.jpg)
(妻子別れの石)
崩れとは検挙事件のことで、郡は地域名で、当時の郡村を中心に603人が逮捕され、大村で131人が処刑されている。
「妻子別れの石」のある場所は、見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられている。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れたので「涙石」と呼ばれ、苔が生えないといわれている。
その処刑があった「放虎原殉教地(ほうこばるじゅんきょうち)」はそこから歩いて直ぐの所にあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a2/12ae5a1f2431e841914479fce4e997bd.jpg)
(慰霊塔公園)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/de/1b7645b04946e8f405509be314bad74b.jpg)
(放虎原殉教地)
「第21海軍航空廠(こうくうしょう)」があったあたりを歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/99/874cfa8d6da876c718e500d7415ff2cb.jpg)
(警察署)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/3f/ab50bd8c554ad00b176fcc28b09dcb99.jpg)
(運転免許試験場)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/59/135cffb7bd5ff01d679e365cdb02ff66.jpg)
(郵便局)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f0/e1cf39deae21e7c3b03c5340a84ffc24.jpg)
(非核・平和都市宣言の碑)
そして、ようやく海岸へ。
海とは縁のない生活をしていると、JR九州ウォーキングに参加しての楽しみの一つに海との出会いがある。
海岸沿いにある公園で最初に出会ったのは「天正遣欧少年使節顕彰之像」。1582(天正10)年、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名の名代として、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4少年がローマに派遣される。2年半かかってヨーロッパに渡り、ローマ教皇と掲見。出発してから8年5ヶ月かかった大旅行の末、1590(天正18)年帰国している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8d/11bd6f0c941c97ed065978e7d4ab71ba.jpg)
(天正遣欧少年使節顕彰之像)
彼らは、活版印刷や西洋楽器など西洋のすすんだ技術を持ち帰った。しかし、帰国した時は、キリシタンは禁止される時代になっていて、苦難の生活を送った。「郡崩れ」は、それから約70年後のことである。
彼らが見つめる先には、「長崎空港」があって飛行機がに発着している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/38/d02a5fcc17d5300692c4d3f165290850.jpg)
(長崎空港へ降りる飛行機)
少年使節像の横には「長崎出発400年に当たる今年 今は世界を結ぶ施設にゆかりぶかきこの地にその雄図を讃え併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよ と念ずる人々この像を立てる。」との碑が建っている。
「さあ、海岸を歩くぞ。」とウキウキして気分で歩きだしたが。コンクリートで作られた海岸の堤防を歩いても、海の風は感じない。コンクリートの照り返しの暑さばかりを感じる。こんなはずじゃなかったと思い思い歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5e/864b2e9bfd622d2bb31dda26f275d792.jpg)
(海岸沿いを歩く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/2b/96e475889f998b33eeaeaceb89d7ce9e.jpg)
(海岸沿いを歩く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ef/033b034665004c34227629f227488b64.jpg)
(海岸沿いから)
海岸を離れて、「くいでつばし」を渡るとき、心地よい海の風に癒される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d2/3cda10a4c016901851cc95080c459a46.jpg)
(くいでつばしから)
2つほど曲がって、商店街になっている長崎街道を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/12/a73f23f8f4b4428f734e5da4d1cf49e8.jpg)
(長崎街道を歩く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ce/2fe96284ff34844bc3c5808e6cfa7177.jpg)
(長崎街道を歩く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ff/81463bcc1e0fc8be3f14482b38dcc41c.jpg)
(長崎街道を歩く)
長崎街道から2つほど曲がって、信号を渡ると大村市役所があって、ゴール。なんとなくあっけなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/a0/62360b691a1e72abeb931b2b3212149b.jpg)
(市所前のゴール)
今日のウォーキングのテーマ「菖蒲満開・大村に花菖蒲を見に行こう!」は、どうやらゴールしてからの楽しみらしい。
ゴール受付の係りの人に、花菖蒲まつり会場「大村公園」の場所を聞いて、道一つ隔てた公園へ。
玖島(大村)城跡が大村公園になっていて、お堀跡に一面に菖蒲の花が咲いている。JR九州ウォーキングは花の開花に併せて開催される各地のお花の祭りと併せて開催されるものも多い。花の開花は気候にも左右される。祭りもウォーキングも早くから計画されるので、時には開花時期がずれることもある。
この初夏編、花しょうぶ祭りに併せたコースは5コースあったけど、大村だけはコースタイトルに「満開」とあった。今日は、ほぼどんぴしゃり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e6/36ae56aca0ec503a5d15bd61529df296.jpg)
(大村公園)
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(大村公園)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/91/2af874b19fe2a69a0178a8f3393acc58.jpg)
(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(板敷櫓と花菖蒲)
花菖蒲の写真を撮って廻って、大村神社になっている本丸跡に上る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a3/bc41e61a93ade477ef1cc39835c8d46b.jpg)
(案内板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/7f/e3680d03e0ee3aade4e7aee6750e328f.jpg)
(階段を上った左手に「梅ヶ枝荘」があり順番を待つ人たち)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/5f/4d14d67fed99ed4fac0e06cf5b82a1c5.jpg)
(さらに上る)
途中、復元されている板敷櫓(いたじきやぐら)に入って、下界を眺める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/87/02e23749e8ec58b51527918b338f0772.jpg)
(板敷櫓から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/ed/e0e335a873d468e3d36ec7fd77d57e7a.jpg)
(板敷櫓から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e0/2eadb8dbe5eaebc6f1bcd6374f90f5d7.jpg)
(板敷櫓から)
さらに進もうとすると「戊辰戦争記念碑」があった。ウォーキングで九州のあっちこっちを歩いたが、戊辰戦争の記念碑に出会ったのは初めてと思う。
戊辰戦争で大村藩は官軍の北伐隊として東北の地で戦う。官軍側であった秋田藩を救援する刈和野の戦いで戦死者7名を出した。鼓手(こしゅ)として戦いに参加した浜田謹吾少年も戦死したその中の一人。謹吾少年の衣服の襟に縫いつけてあった母の歌「二葉より手くれ水くれ待つ花の君がみために咲けよこの時」が地元の人々の心を強く打ち、語り伝えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ee/b07799e2f10f7b1c62bed894c0ccff93.jpg)
(戊辰戦争記念碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/db/d2385e657e19da599681f07d061cf96f.jpg)
(浜田謹吾少年碑)
そのことが縁で、旧角館町(現仙北市) と大村市とは姉妹都市になっている。祭り会場では仙北市の物産を売るコーナーもあった。
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(石垣にはなんとなく親しみをもったが、加藤清正の指導を受けたようだ)
本丸跡の大村神社境内には大きな球体がいっぱいだった。何か催しがあるようだ。
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(大村神社)
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(貝吹石。小さいほうの穴を吹くと法螺貝の音を出す。)
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(大村神社境内)
境内に植わっているオオムラザクラ(大村桜)は国の天然記念物に指定され、クシマザクラ(玖島桜)は長崎県の天然記念物に指定されている、という。また、桜の季節に参加しないと、と思いながら下る。
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(オオムラザクラ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/27/8746429e6d46702546334d6483490a9a.jpg)
(クシマザクラ)
明治27(1894)年創業という「梅ヶ枝荘」で、少しだけ外で待って14時ごろ大村寿司とビール。お刺身や野菜、ビワも美味しかった。
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(大村寿司定食)
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(やっぱし定番の角度から)
公園を出て20分程歩いて、今度は一つだけ曲がって大村駅へ。古い駅舎で大正7年に建てられている。
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(帰り道でポスター。大村神社の球体はこうなる。)
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(大村駅)
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(大村駅)
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(大村駅)
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(大村駅)
15時22分長崎行のシーサイドライナーで諫早駅へ。かもめに乗り換え、新鳥栖駅で新幹線に乗り換え、梅ヶ枝荘で買った「梅が枝焼」を食べて、今日のウォーキングを終える。
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(シーサイドライナー)
今日はJR九州ウォーキング大村駅コースに参加。
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(今日のマップ)
大村駅までは、先ず新鳥栖駅で乗換え。長崎本線のホームで、特急「かもめ」の乗車口に並ぼうと足元を見て探していたら「あそボーイ」の乗車口の案内がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/21/acf5ea9b94a768d8627316a72e9e4807.jpg)
(新鳥栖駅ホームで)
昨年の熊本地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇駅間は不通になっていて、いつ復旧するか目途は立っていない。熊本-宮地駅間を走る観光特急「あそボーイ」も運休している。
私がJR九州ウォーキングに参加するための乗車駅は「あそボーイ」の停車駅なので、今日もその駅のホームでいつ停車することになるか分からない「あそボーイ」の乗車口案内を見て来たばかり。長崎本線の駅で見ると、「おう、ここで頑張っているのか。」と思う。
「かもめ」で新鳥栖駅から諫早まで行く。指定席をとっていたが幸いに有明海が見える側の席だった。有明海が見えてくると、雲仙の山並がくっきりと浮かんでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/73/80f157c732df3497a0d2f48f8411368e.jpg)
(雲仙の山並み)
雲仙普賢岳で大火砕流が発生し、警戒中の消防団員と警察官、報道関係者、火山学者ら43人が死亡したのは1991(平成3)年6月3日午後4時8分のことだった。熊本も火山灰で道路も家屋も真っ黒になった。あれから26年。
当時を思い出しているとやがて諫早駅に着く。佐世保行のシーサイドライナーに乗り換えて、11時前に大村駅に到着。
大村駅コースには初めて参加する。大村ついての知識は殆ど無い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/2a/4df20f9af0547801f8e5457d384a04da.jpg)
(大村駅)
この時間になると参加者も少なく、初めてのコースで、前を歩いている人の姿が見えないと不安になる。直線を歩いていると、どこかでか曲がらなくてよかったのだろうかと猶更不安になる。幡や矢印が見えるとホットする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fa/e48932a0f4f1ba2df839c54de17c6fd5.jpg)
(道沿いで)
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(道沿いで)
2つほど曲がって路地の一角に「妻子別れの石」がある。「明暦3年(1657)の潜伏キリシタン大発覚事件である「郡崩(こおりくず)れ」に係る史跡です。」との案内板に書かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/2f/2123101f4291ac353a8159488bac15cb.jpg)
(妻子別れの石)
崩れとは検挙事件のことで、郡は地域名で、当時の郡村を中心に603人が逮捕され、大村で131人が処刑されている。
「妻子別れの石」のある場所は、見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられている。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れたので「涙石」と呼ばれ、苔が生えないといわれている。
その処刑があった「放虎原殉教地(ほうこばるじゅんきょうち)」はそこから歩いて直ぐの所にあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a2/12ae5a1f2431e841914479fce4e997bd.jpg)
(慰霊塔公園)
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(放虎原殉教地)
「第21海軍航空廠(こうくうしょう)」があったあたりを歩く。
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(警察署)
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(運転免許試験場)
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(郵便局)
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(非核・平和都市宣言の碑)
そして、ようやく海岸へ。
海とは縁のない生活をしていると、JR九州ウォーキングに参加しての楽しみの一つに海との出会いがある。
海岸沿いにある公園で最初に出会ったのは「天正遣欧少年使節顕彰之像」。1582(天正10)年、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名の名代として、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4少年がローマに派遣される。2年半かかってヨーロッパに渡り、ローマ教皇と掲見。出発してから8年5ヶ月かかった大旅行の末、1590(天正18)年帰国している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/8d/11bd6f0c941c97ed065978e7d4ab71ba.jpg)
(天正遣欧少年使節顕彰之像)
彼らは、活版印刷や西洋楽器など西洋のすすんだ技術を持ち帰った。しかし、帰国した時は、キリシタンは禁止される時代になっていて、苦難の生活を送った。「郡崩れ」は、それから約70年後のことである。
彼らが見つめる先には、「長崎空港」があって飛行機がに発着している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/38/d02a5fcc17d5300692c4d3f165290850.jpg)
(長崎空港へ降りる飛行機)
少年使節像の横には「長崎出発400年に当たる今年 今は世界を結ぶ施設にゆかりぶかきこの地にその雄図を讃え併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよ と念ずる人々この像を立てる。」との碑が建っている。
「さあ、海岸を歩くぞ。」とウキウキして気分で歩きだしたが。コンクリートで作られた海岸の堤防を歩いても、海の風は感じない。コンクリートの照り返しの暑さばかりを感じる。こんなはずじゃなかったと思い思い歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5e/864b2e9bfd622d2bb31dda26f275d792.jpg)
(海岸沿いを歩く)
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(海岸沿いを歩く)
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(海岸沿いから)
海岸を離れて、「くいでつばし」を渡るとき、心地よい海の風に癒される。
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(くいでつばしから)
2つほど曲がって、商店街になっている長崎街道を歩く。
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(長崎街道を歩く)
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(長崎街道を歩く)
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(長崎街道を歩く)
長崎街道から2つほど曲がって、信号を渡ると大村市役所があって、ゴール。なんとなくあっけなかった。
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(市所前のゴール)
今日のウォーキングのテーマ「菖蒲満開・大村に花菖蒲を見に行こう!」は、どうやらゴールしてからの楽しみらしい。
ゴール受付の係りの人に、花菖蒲まつり会場「大村公園」の場所を聞いて、道一つ隔てた公園へ。
玖島(大村)城跡が大村公園になっていて、お堀跡に一面に菖蒲の花が咲いている。JR九州ウォーキングは花の開花に併せて開催される各地のお花の祭りと併せて開催されるものも多い。花の開花は気候にも左右される。祭りもウォーキングも早くから計画されるので、時には開花時期がずれることもある。
この初夏編、花しょうぶ祭りに併せたコースは5コースあったけど、大村だけはコースタイトルに「満開」とあった。今日は、ほぼどんぴしゃり。
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(大村公園)
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(板敷櫓と花菖蒲)
花菖蒲の写真を撮って廻って、大村神社になっている本丸跡に上る。
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(案内板)
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(階段を上った左手に「梅ヶ枝荘」があり順番を待つ人たち)
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(さらに上る)
途中、復元されている板敷櫓(いたじきやぐら)に入って、下界を眺める。
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(板敷櫓から)
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(板敷櫓から)
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(板敷櫓から)
さらに進もうとすると「戊辰戦争記念碑」があった。ウォーキングで九州のあっちこっちを歩いたが、戊辰戦争の記念碑に出会ったのは初めてと思う。
戊辰戦争で大村藩は官軍の北伐隊として東北の地で戦う。官軍側であった秋田藩を救援する刈和野の戦いで戦死者7名を出した。鼓手(こしゅ)として戦いに参加した浜田謹吾少年も戦死したその中の一人。謹吾少年の衣服の襟に縫いつけてあった母の歌「二葉より手くれ水くれ待つ花の君がみために咲けよこの時」が地元の人々の心を強く打ち、語り伝えられている。
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(戊辰戦争記念碑)
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(浜田謹吾少年碑)
そのことが縁で、旧角館町(現仙北市) と大村市とは姉妹都市になっている。祭り会場では仙北市の物産を売るコーナーもあった。
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(石垣にはなんとなく親しみをもったが、加藤清正の指導を受けたようだ)
本丸跡の大村神社境内には大きな球体がいっぱいだった。何か催しがあるようだ。
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(大村神社)
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(貝吹石。小さいほうの穴を吹くと法螺貝の音を出す。)
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(大村神社境内)
境内に植わっているオオムラザクラ(大村桜)は国の天然記念物に指定され、クシマザクラ(玖島桜)は長崎県の天然記念物に指定されている、という。また、桜の季節に参加しないと、と思いながら下る。
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(オオムラザクラ)
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(クシマザクラ)
明治27(1894)年創業という「梅ヶ枝荘」で、少しだけ外で待って14時ごろ大村寿司とビール。お刺身や野菜、ビワも美味しかった。
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(大村寿司定食)
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(やっぱし定番の角度から)
公園を出て20分程歩いて、今度は一つだけ曲がって大村駅へ。古い駅舎で大正7年に建てられている。
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(帰り道でポスター。大村神社の球体はこうなる。)
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(大村駅)
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(大村駅)
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(大村駅)
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(大村駅)
15時22分長崎行のシーサイドライナーで諫早駅へ。かもめに乗り換え、新鳥栖駅で新幹線に乗り換え、梅ヶ枝荘で買った「梅が枝焼」を食べて、今日のウォーキングを終える。
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(シーサイドライナー)