鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

2021年元日の初歩きは江津湖へ

2021-01-02 | ウォーキング
2021年1月1日(金)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

昨年のウォーキングはコロナの感染拡大で出かけるのも少ない年でした。
年の初めも、三蜜を避けるように、高齢者は不要不急の外出は避けるようにとの要請で迎えました。

例年、元日の三社参りウォークが歩き始めですが、今年の元日は断念しました。

代わりに、江津湖へ。

元日の江津湖は初めてでしたが、走る人、歩く人ともに少ないかなと感じました。


(広木地区より下江津湖)


(広木地区で)


(熊本市動植物園を江津湖より)


(熊本市動植物園を江津湖より)


(下江津湖)


(下江津湖にある湧水)


(下江津湖)


(下江津湖)


(遊歩道で)


(上江津湖)


(上江津湖)


(みんなの広場)


(みんなの広場)


(上江津湖)


(「甦る水100選」選定記念モニュメント)


(みんなの広場)


(みんなの広場で凧揚げ)


(上江津湖)


(上江津湖)


(上江津湖)


(上江津湖)


(駐車場で)


(上江津湖)


(遊歩道で)


(上江津湖)


(旧砂取細川邸庭園から熊本県立図書館)


(上江津湖へ注いでいる清流)

1月2日18時現在、JR九州ウォーキングのホームページには早春編の案内はされていません。
無時に開催され、レポートを書いてお届けすることができるよう願っています。

2020年も元日は三社参りウォーク

2020-01-01 | ウォーキング
2020年1月1日(水)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年も元日の三社参りウォークで歩き始め。

先ずは健軍神社へ。

いつもの年より少し早い時間に着いたので、列はそれ程でもなかった。



毎年恒例、お神酒をいただく。



毎年恒例、干支のお守り。今年は「子」。これで11個目。



楼門を背に、健軍神社を後にする。



健軍神社に着く前、その後のお花たち。

























お花などを撮りながら、新水前寺駅へ。
JR九州ウォーキング早春編(2月~3月)のパンフレットをゲット。



新水前寺駅の陸橋から熊本市電。



今年は少しコースを変えて、新水前寺駅から近くの味噌天神へ。
日本で唯一味噌にご利益があるといわれる神様をまつった神社。



電車通りを歩き、熊本市の中心部を流れる白川へ。
阿蘇から熊本市内へと流れる白川は古い時代から氾濫を繰り返してきた。

加藤清正が熊本の領主になり、新たな熊本城を築城する前に、白川の改修工事に取り組んだ。
その後も、改修は続けられてきているが、洪水は発生し、被害は絶えない。工事は続く。

熊本市中心部白川護岸は緑も多く、改修工事には緑が無くなるという懸念も指摘されてきた。
今ある樹木も生かした改修を、ということで大甲橋から明午橋間は「緑の区間」として整備された。

少し低くなっている場所は、写真の右にあるような堤防が造られた。



その堤防。工夫が街の潤いと安全を創りだす。



緑の区間を歩いて、明午橋へ。明午橋も改修工事の一環で建て替えられている。仮橋を撤去して橋脚の周囲を整備中。



橋から直ぐ、藤崎八旛宮へ。





藤崎八旛宮の参道で甘酒。



熊本信愛女学院で、『吾輩は猫である』に登場の三毛子さん。



坪井川で泳ぐ鯉。泳いでいる場所は毎年同じところ。



熊本城を城東小学校方面から。



棒庵坂の上り口から熊本城小天守。



坂を上り、加藤神社のところから熊本城の定番スポット。右から宇土櫓、大天守、小天守。



加藤神社へ。





約8キロ、三社+一社参りウォークを終える。
今年1年元気に歩ければと願いました。

金峰山を眺めて帰路です。


山頭火ウォークは温泉も抽選会も俳句もあった。【第20回九月は日奈久で山頭火】

2019-10-02 | ウォーキング
2019年9月29日(日)

熊本県八代市で開催される『九月は日奈久で山頭火』は、今年で20回目。イベントの一つ「山頭火ウォーク」に初めて参加する。

スタートは九州国際スリーデーマーチのスタートゴール会場と同じ球磨川河川敷公園。


(受付)

早く着いたので、受付番号は12番。


(参加の証)

九州国際スリーデーマーチ今年の1日目水島を経る20K、40Kコースを逆に歩くコース。


(コースマップ)

受付後、JR九州ウォーキングの仲間で、今日のお世話をされている方とご挨拶。ゴール後にお弁当が出る事、入浴券が渡される事、空くじなしの抽選会がある事、俳句のコンテストがある事などを説明いただいた。

俳句には五七五の文字数と季語をいれるという型があるのは知っている。その文字数や季語にとらわれない自由律俳句があるのも知っている。種田山頭火が自由律俳句の代表的俳人であることも知っている。

でも、俳句を作ったことも、応募したことも無い。今日が俳句はじめの日になるか?

その方の先導で9時にスタート。距離は約13キロ。


(スタート)

球磨川沿いを下って、水島へと向って歩く。


(球磨川沿いを)

この辺りで1句。「先頭の旗が遠くなっていく」(川柳?)。


(球磨川沿いを)


(球磨川沿いを)

八代平野の田んぼでは稲刈りも。


(稲刈りも)

金剛歩道橋を過ぎたとろ八代市立第六中学校で最初の給水があった。のどを潤し、先へと進む。


(金剛歩道橋)


(対岸)

「地域住民の皆様へ
球磨川の堤防除草で発生した刈草を、草堆肥、草マルチ農業、家庭菜園、畜産などに利用されている方に提供しています。」と書いてある。


(刈草提供の掲示)

八代湾沿いを先へと進む。


(遠くは雲仙か?)

国指定名勝の「水島」に着いた。スリーデーマーチでは残り6、7キロほどの地点。振り向いてこちら側から撮るのことはあまり無い。


(水島)

水島を残すように堤防は造られている。


(水島付近干拓の堤防)

水島の名の由来は日本書記に記されている。

水島のすぐそばの万葉の里公園には、万葉集巻三245の碑「如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋」が建っている。

『九州国際スリーデーマーチ2019-1日目20キロ「水島・万葉の里コース」』のブログに内容を記しているので読んでいただければと思います。(リンクは末尾の方に)


(如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋)

万葉の里公園が第2の給水所。この後3カ所の給水所があって、13キロのコースに計5カ所の給水所が設けられていた。

歩いてきた距離は真ん中あたり。

このあたりで小雨が降り出した。

今日はいつものデジタル一眼レフカメラではなく、コンパクトデジカメで写真を撮っている。雨でもポケットに入れられる。ボケを利かした写真は撮れないけど、カメラの選択は正解だった。


(第2給水)

球磨川河口の八代海から別れて歩く。


(堤防に)

山頭火の格好をして歩いている人が3人おられた。そのうちのお一人の人と少しの間一緒に歩いた。お話を聞いたら、自らその恰好をされているのではなく、ご指名とのことであった。

ここで1句、「山頭火と歩いている九月」(自由律句のつもり)。


(山頭火も歩く)

小雨は降り続く。


(道沿いで)


(道沿いで)

道沿いにはまだ彼岸花が咲いている。
ここで1句。うーんこれを提出することにしよう。


(道沿いで)

流藻川流れる川沿いに出る。雨はまだ降り続く。


(流藻川に流れる川)


(道沿いで)

流藻川沿いを歩く。

写真の左側に、橋がある。スリーデーマーチの20キロは、川の向こう側からその橋を渡ってきて、今まで歩いてきた道を逆に歩いてゴールへ向かった。

40キロは、日奈久方面から写真の川沿いを歩いてきたのではないかと思う。

ゴールの日奈久まで後3.5キロ。


(流藻川沿いを歩く)

歩いていたらバナナが。これだけ立派なバナナは植物園の温室でしか見たことが無い。


(川沿いで)

流藻川排水機場が見えてくる。八代海と流藻川の流量の調整をし流域の田んぼや畑を守っている。


(流藻川排水機場)

その上を渡って、先へ進む。


(排水機場)


(排水機場)


(道沿いで)

国道3号線の歩道橋を渡る。

ここで1句。「ビールまでもう少し汗を拭く」(酒好きの山頭火らしくと思ったのだが?)。


(歩道橋を渡る)

肥薩おれんじ鉄道の「日奈久温泉駅」方面から歩いてくると、ここが日奈久温泉の入口。


(歩いてくるといつも気になるが何の塔かは知らない)

日奈久温泉街に入る。


(日奈久温泉入口)

いつも気になる酒店。日奈久には何度も来ているが、これまで入ったことは無い。


(池田酒店)

日奈久温泉のメインストリート、薩摩街道を歩く。


(高田焼上野窯)


(味噌屋)


(薩摩街道)

ひらやホテルの先辺りから左折。


(薩摩街道)

全く動じなかった。この後も数匹のネコに会ったがどのネコも全く動じない。


(おちついたネコ)

肥薩おれんじ鉄道の線路を渡り、少し上って、日奈久温泉神社へゴール。約2時間半のウォーキングを終える。


(ゴール)

階段を上って日奈久温泉神社にお参り。雨で階段が濡れている。滑りそうだった。


(日奈久温泉神社)


(日奈久温泉神社からの眺望)

ゴールでは、おにぎり2個と日奈久のちくわ天ぷらが入ったお弁当、日奈久温泉各旅館の無料入浴券をいただいた。

急いで食べて、写真を撮るのを忘れている。

温泉は、日奈久温泉センター1階にある公衆浴場「本湯」へ。入っていたのは洗面道具を持参している地元の人がほとんどだった。

そして、あそこ。「池田酒店」へ。

お店の中に入ったら、山頭火の格好をしている人がいた。
その方が「歩いてきたんですか?抽選会場へ行きますよ。」と。

いやいや、まだビール飲んでない。
「まだ時間があるので飲んでから。」と答えたら出て行かれた。

お上さんに「ご主人?」と聞いたら、「はい。」
抽選のくじを引かれるらしい。

ビールは大瓶があってそちらにしようとしたらお上さんから「酔っぱらわんですか?」と心配され、500mlの缶ビールになった。

お上さんと話が盛り上がる。

壁いっぱいに色紙、書いた有名人たちの話。
新聞や雑誌の取材の話。北海道新聞からも取材に来ている。
壁に貼ってないのもあるようだ。

新聞や雑誌の記事を見てから来るお客さんも多いらしい。外国のお客さんも来ると言われていた。

ご主人は日奈久温泉の案内ボランティアで忙しい。各旅館からお客さんを案内するボランティア依頼の電話がくると、山頭火の格好をして出て行く。

熊本城内の城彩苑にも出張するらしい。

お店を守るのはお上さん。年齢を聞いてビックリ。私より少し年上だが、私よりかなり年下にしか見えない。

楽しいお話をいっぱい聞かせてもらった。

この写真のくまモンは誰が書いたか聞かなかったが、まさにこのようだった。


(色紙の一部)


(北海道新聞の記事)


(令和も案内人)

抽選会は13時半から。会場の日奈久ゆめ倉庫へ。句を応募する。


(抽選会場)

空くじなしの抽選は、山頭火の格好をされて歩かれた方お一人(このブログの写真に写られている方とは別の方)と、池田酒店のご主人。

写真は撮り忘れている。
下にある写真の山頭火の姿から、その恰好をした人が2人、壇上に並んでいるのを想像してみてください。

抽選の商品は日奈久の各お店からの提供されている。果物屋さんからはみかん。抽選で、受付ナンバー「12」がコールされた。ここでもデジタル一眼レフカメラを持ってこなくて正解。空きがあったリュックもみかんでいっぱいになった。帰りは重かった。


(抽選でいただいたみかん)

そして、俳句の入賞発表。3人の選者がそれぞれ選ばれた三句が順番に発表された。

最後に本日のグランプリ一句。
「足いくつ見送っただろ彼岸花」

私の句だ。

壇上で表彰。といっても賞状も賞品も無い。木の札に句を書いたのをいただいた。

インタービューもあった。句を作って応募するなどは初めての経験で、褒めていただき嬉しかった。それよりも照れ臭い方が大きい。


(写真は日奈久温泉駅で)

帰りは、肥薩おれんじ鉄道の日奈久温泉駅から乗車、八代駅でJRに乗換え。熊本駅に着いたのが16時43分頃。16時47分頃八代市を中心に震度3の地震があったのは後から知った。


(日奈久温泉駅)


(日奈久温泉駅に立つ山頭火)


(肥薩おれんじ鉄道のくまもんラッピングの列車に乗る)

『九月は日奈久で山頭火』のイベントの一つ山頭火ウォークはいろいろあって楽しかった。
後日、俳句の入門書を図書館に借りに行った。


(日奈久温泉広場の山頭火碑)

◇2019年九州国際スリーデーマーチ1日目20キロコースを歩いた時のブログはこちら
九州国際スリーデーマーチ2019-1日目20キロ「水島・万葉の里コース」

◇福岡県の香春町にある山頭火遊歩道を歩いた時のブログはこちら
「筑豊で山頭火」に会う【JR九州香春駅 鉄卓のフォト・ウォーク2019-6】

◇「山頭火」を知る本はこちら
大山澄太著『俳人山頭火の生涯』彌生書房 昭和58年初版
井上知重著『山頭火意外伝』熊本日日新聞社 平成29年第1刷

駅から始まるいつでも散策⑥-新水前寺駅

2018-06-18 | ウォーキング
2018年6月2日(土)


(今日のマップ)

 JR九州鉄道営業㈱が開催する「駅から始まるいつでも散策」。新水前寺駅(熊本県・豊肥本線)へ。

 JR豊肥本線は、2016(平成28)年の熊本地震で被災し、肥後大津駅―阿蘇駅間の約27キロが現在も不通になっている。不通区間全体で被害があった約50カ所のうち、復旧工事に着手したのは22カ所。比較的工事が容易な肥後大津―立野間(約10キロ)で復旧工事が優先的に進められいるが、いつから再開できるかの目途は立っていない。


(新水前寺駅。行先案内の内容が全面復旧するのをくまモンも待っている。)

 さあ、Start。駅員さんに「行ってくるね。」


(新水前寺駅)

 改札口から直ぐの階段を下り、「新水前寺駅前電停」を左手に電車通り沿いを水前寺方面へと歩く。

 「新水前寺駅前電停」の次、「国府電停」のところには障害者が働くパン屋さんがある。


(国府電停のところにある障害者が働くパン屋さん)

「国府電停」の次は「水前寺公園電停」。電停がある四つ角を右へ曲がる。


(水前寺公園電停)

 しばらく歩くと、右手に「熊本出水郵便局」が見える。


(熊野宮)


(道沿いで)


(熊本出水郵便局)

 熊本出水郵便局のすぐ先の信号を左に曲がる。


(信号を左に曲がる)

 少し歩くと、左手に江津湖が見える。象さんのプールも見える。ここから下りて遊歩道へ。


(江津湖が見える)

 遊歩道を歩く。


(遊歩道)


(遊歩道で)

 遊歩道から道路へ出ると、屋形船やボートのお店がある。


(えとうボートハウス)

 通り越すと、駐車場。


(公営の駐車場)


(注意書き)

 ここから、対岸へと二つの島と三つの橋を渡る。


(中の島一号橋)


(ボート乗り場)


(中の島二号橋から)


(中の島三号橋)

 橋を渡り終えて金峰山を眺める。


(金峰山)

 歩いてきた遊歩道の対岸の道に出るので、左に曲がる。


(水量が少ない)

 木陰で休憩するもよし。


(休憩所)

 すぐ横には「水前寺海苔発生地」の紹介がしてある。
 『水前寺成趣園の湧水は、水前寺川を経て上江津湖に流入するが、この水域に自生する茶褐色で不定形の藍藻がスイゼンジノリである。明治5年(1872年)オランダの植物学者スリンガーによって初めて世界に紹介された。』(紹介板より)
 江戸時代は肥後藩の献上品の一つにもなっていたと記されている。

 1924(大正13)年、国指定天然記念物になっている。


(水前寺海苔発生地)


(水前寺海苔発生地のところ)


(国指定天然記念物の碑などが建っている。)

 対岸に見えるは、先ほど歩いた遊歩道。


(対岸の遊歩道)


(チョウチョもいた)

 少し歩くと象さんの滑り台があるプール。熊本出水郵便局先の信号を左に曲がって、江津湖の遊歩道に下りたところからもこの象さんが見えた。
 ずいぶん前だけど、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」で紹介された。

 夏は、子供たちが水遊びしてはしゃいでいる。


(象さんプール(正式な名前は知らない))

 象さんプール内も、その周りからも水が湧き出している。水は江津湖へと流れて行く。


(プールからは勢いよく水が流れていた。)

 象さんプール辺りは、水の綺麗さが実感できる。


(ホタルも見れる)


(ホタルも見れる)


(透き通っている)

 橋を渡ると芭蕉園。
 芭蕉園には、中村汀女や夏目漱石の句碑もあるけど、写真無しですみません。


(橋を渡る。この辺りは少し大きい子供たちの水遊び場。)


(芭蕉園)


(水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)の方から流れてくる)

 芭蕉園の横には熊本県立図書館と細川家の砂取邸の庭園がある。


(熊本県立図書館と細川家の砂取邸の庭園)

 コースから少し外れるけど、県立図書館へ上る。


(県立図書館へ)

 「星の王子さま」の訳者、内藤濯(ないとう あろう)の文学碑がある。内藤濯は熊本市出身。


(内藤濯の文学碑)


(熊本県立図書館)

 くまもと文学・歴史館が熊本県立図書館に併設されている。
 小泉八雲、種田山頭火、石牟礼道子など熊本出身やゆかりの文学者が紹介されている。
 歴史的な文書類も企画展示されているが、この日は、企画展示室では何もあってなかった。


(くまもと文学・歴史館)

 くまもと文学・歴史館の左手から階段を下り、コースに戻る。


(5枚上の写真、水前寺成趣園の方から流れてくる水辺に出る)

 うなぎの「東濱屋」の玄関前の歩道を横断し、橋を渡る。


(橋の上から)


(アップ)

 橋を渡ってすぐに、水前寺児童公園に入る。


(水前寺児童公園入口)


(水前寺児童公園)


(水前寺児童公園のプール。夏は子供たちの歓声が響く)

 児童公園を出て、「水前寺公園電停」の一つ隣、「市立体育館前電停」にある歩道を渡る。


(市立体育館前電停)

 渡った所も公園。


(水前寺江津湖公園水前寺地区)

 歩道を渡って、右へ歩き、消防署の角から左へ曲がる。
 しばらく歩くと、臨時にしか使われない水前寺成趣園の入口に突き当たる。
 右へ曲がる。
 少し歩くと、夏目漱石旧居がある。


(突き当たって右へ)


(夏目漱石旧居。新屋敷にあった第三の家を移転)

 熊本洋学校教師館ジェーンズ邸は、熊本地震で倒壊し、今は片づけられている。


(ジェーンズ邸が建っていたところ)

 何度も来たところなので、すぐに後にする。
 水前寺成趣園裏沿いの狭い道を通る。
 以前は、もっと狭かったけど、少し広くなっている。

 狭い道を出たところで、左折。
 少し歩くと、駐車場のところに水前寺成趣園の北門入口がある。そこから入園。
 水前寺成趣園内を散策。
 のんびりと、と思うけど、暑い。お昼頃でお腹も空いてきた。
 さっさと歩く。


(北門入口の案内)

 古今伝授の間(こきんでんじゅのま)は、細川家の初代・細川幽斎が、後陽成天皇の弟君八条宮智仁親王に古今和歌集の奥儀を伝授した場所であることから、この名前がついている。大正元年(1912年)に京都から移築されている。
 
 数年前だか、古今伝授の間で将棋の大きな対局があっていて、羽生さんを見かけたことがある。


(古今伝授の間)


(園内で)

 園の北側には細川家の歴代がまつられる出水神社もある。


(出水神社)

 水前寺成趣園は桃山式の回遊庭園。


(公園の正面入口から入ったところ)

 公園を出て、参道の土産物屋さんで、いきなり団子をいただいた。1個110円。お茶も出してくれる。熊本の「いきなり団子」は、テレビ番組「秘密のケンミンSHOW」でも数か月前に紹介されていた。


(参道の土産物屋)

 真っ直ぐ歩いて、電車通りに出る。


(電車通りから水前寺公園に行く案内)

 熊本市電。運が良ければ、ななつ星をデザインした水戸岡悦治デザインの超低床電車「COCORO」にも会える。


(「国分電停」の熊本市電)

 「国分電停」を過ぎて、「新水前寺駅前電停」に着いた。
 JR新水前寺駅は高架駅。熊本市電の電停とJR九州の駅が雨に濡れずに繋がっているのは熊本駅とここだけ。


(新水前寺駅前電停。左上がJR九州新水前寺駅)

 新水前寺駅にゴール。


(新水前寺駅)

 暑い日だったけど、午前中だったのと、水辺を歩いたので気持ち良かった。

 江津湖は上江津湖と下江津湖の2つが連なっている。コースで歩くのは、上江津湖の半分強。江津湖全体の3分の1弱位しか歩いていない気がする。少し消化不良の感がある。
 

 ◇「駅から始まるいつでも散策」の詳細はJR九州鉄道営業㈱のホームページ、駅におかれているパンフレットを見て下さい。

駅から始まるいつでも散策⑤-慈眼寺駅

2018-06-10 | ウォーキング
2018年5月2日(水)-(1)

 JR九州鉄道営業㈱が開催する「駅から始まるいつでも散策」。慈眼寺(じげんじ)駅(鹿児島県・指宿枕崎線)へ。


(今日のマップ)

 4月中旬、「鹿児島市立ふるさと考古歴史館」への道順を調べていたら、鹿児島中央駅から指宿枕崎線に乗り「慈眼寺駅」で降りて、歩いて行けるようだ。慈眼寺駅は、4月下旬からスタートする「駅から始まるいつでも散策」第5弾(4月21日~9月30日)のコースにも入っている。

 久しぶりに「駅から始まるいつでも散策」にも参加しようと5月に入ってすぐに出かける。

 天気は雨模様。

 慈眼寺は橋上駅。階段を下りて、改札口を抜け、ドアの外に出て、右手を見ると、「ふるさと考古歴史館」と「谷山神社」への案内板が。


(慈眼寺駅出入口、上が線路)


(ふるさと考古歴史館への案内)

 線路に沿って歩くと、再び案内板が。「谷山神社」の幡も。


(ふるさと考古歴史館への案内)

 案内に沿って、右折して線路を渡る。上は高架の道路。

 上り坂あじさいロードを歩く。花はまだ。マップにはコースに咲く花々の見頃の期間が書いてあるけど、いずれの花とも時季外れウォーキング。しかも、傘を差したりたたんだりして歩く。


(あじさいロード)

 「谷山神社登口」看板から急な坂道を上って、展望台に。鹿児島湾を眼下に絶景のはずが、桜島は雲に隠れて全く見えない。


(谷山神社登口案内)


(上り道)


(展望台から)


(展望台から)

 谷山神社に参拝。谷山神社の祭神は懐良親王(かねながしんのう・かねよししんのう)。南北朝時代、南朝の征西大将軍。


(谷山神社)


 熊本県八代市に墓があったけど、と思って由緒書を読む。懐良親王は征西大将軍に任命され九州に入るとき、薩摩へ上陸されここ谷山に滞在された。その後、熊本へ向かわれている。

 137段の階段を下りる。雨で濡れた階段を下りるのは怖い。幸いにも傘を差さすことなく下りられ一安心し階段を見上げる。


(谷山神社から下りる階段)

 階段から直ぐに「ふるさと考古歴史館」が見える。鹿児島市の歴史や地形が学べる。この日は、子供たちが火おこしなどの体験学習をしていた。


(ふるさと考古歴史館)

 鹿児島市の歴史を学んで、駐車場の横を左折。コスモス園が拡がるが時季ではない。


(コスモス園)

 階段を下りて行くと、ゴーゴーと音がする。雨で増水した川の水が勢いよく流れている。かなり上って来たので、川は急流。マップでは川沿いの道を歩く。道の状態もわからない。正規のコースを歩くのを諦めた。


(階段を下りる)


(和田川)

 来た道を引きかえし、踏切を渡って、谷山護国神社へ。川沿いを歩いてきたとしたら、ここに出る。


(谷山護国神社)

 谷山護国神社前の四つ角は少し複雑。コースは慈眼寺東公園を通ることになっているのでキョロキョロ。神社の横が公園だった。

 公園沿いを歩いて、左折。すぐに慈眼寺駅に着いた。


(慈眼寺東公園)


(慈眼寺駅)

 次の目的地へ。

「駅から始まるいつでも散策」の詳細はJR九州鉄道営業㈱のホームページ、駅におかれているパンフレットを見て下さい。

駅から始まるいつでも散策④-三里木駅

2017-01-30 | ウォーキング
2017年1月28日(土)

JR九州が開催する「駅から始まるいつでも散策」4回目は三里木駅へ。


(今日のマップ)

三里木駅前の道は、熊本から阿蘇を経由して大分と繋がる「豊後街道」だが、熊本人で豊後街道と呼ぶ人は少ない。「大津街道」あるいは「参勤交代の道」という。三里木あたりは当時の面影を残す杉並木が有名だけど、学校でも大津街道杉並木と習った。


(三里木駅)

駅を背に左へ、大津街道を少しだけ歩く。最初の信号を右折。直進する。左手には大型ショッピングセンターが見える。「営業中」とあるが、工事中でもあるようだ。昨年の熊本地震では大型ショッピングセンターはどこも大きな被害を受けた。


(大津街道)


(大型ショッピングセンター)

直進し、阿蘇方面へ向かう現代の幹線道路の信号を渡る。そのまま直進すると道は左にカーブし、竹林や木立の中を下って行く。この時期、ヒンヤリとした空間は寒い。


(木立の中を歩く)

下った所の四つ角を右に曲がり、少し歩くと「下津久礼六地蔵」に会う。


(下った所の四つ角)


(下津久礼六地蔵)

六地蔵のところから左に延びる農道が見える。その農道を真直ぐに進む。途中の四つ角のところに花が添えられていた。死亡事故があったのではないかと思う。


(農道を歩く)


(四つ角に花が)

さらに歩いていくと、白川に突き当たる。白川は阿蘇から熊本市内を流れる。突き当たって左に白川沿いを歩く。川が曲がったところには高い土嚢が築かれている。


(白川)


(土嚢が築かれた白川)

しばらく歩くと、橋が見えてくる。橋を渡る。

(白川に架かる橋)

少し大きな道へ出たら右へ。すぐに、井口眼鏡橋に着く。地震での損傷は見当たらなかった。特徴は、輪石の接する部分に、すべて石楔(くさび)が使用され、さらに二重輪石を有する県内でも極めて貴重な石橋の一つ、と説明されている。


(井口眼鏡橋)

引き返し、その道を2Km程進むと、NHKの「ブラタモリ」で全国的に有名になった「鼻ぐり井出公園」に着く。

加藤清正が熊本に入ってから、氾濫を繰り返す白川をいかに制御するかが課題となった。清正は白川に堰と井出を築き、流量を調節し、その水を利用し、周囲に田や畑を開拓していった。

その一つで約13kmの長さがある馬場楠井手の一部が「鼻ぐり」。この地帯は硬い岩盤で、水を通すトンネル状の溝穴を堀り、その穴の形が牛の鼻輪を通す穴に似ているところから「鼻ぐり」と呼ばれている。

トンネル状にしたのは、掘る岩の量を減らすことで、費用と工期を短くすることができること、水流が穴の壁にぶつかった際に、渦を巻き上げ土砂と一緒にはき出されることにより、川底に阿蘇から流れてくる火山灰などの土砂を溜めない仕組みとした。

1600年程前にこのような技術を持った人たちがいた。清正の子忠広時代には、全国各地からこの工法を見学に訪れた人々すべてが感嘆して帰ったことを伝える文書も残っている。。


(鼻ぐり井出公園)


(鼻ぐり井出)


(鼻ぐり井出)


(鼻ぐり井出)


(鼻ぐり井出の説明板)

鼻ぐり井出公園と道を挟んだ反対側も広い公園になっていて、天気も良く気温も上がったお昼前、小さい子たちが両親やじじばばと楽しく遊んでいた。焼き芋を販売する車も来ていた。子供たちの遊ぶ姿を見ながら青空の下食べた焼き芋は美味しかった。

公園を後にして、「鼻ぐり井出」の上に架かっている鼻ぐり大橋を渡る。


(鼻ぐり大橋より)

橋を渡って最初の信号を左折。菊陽の特産物「にんじん」畑の真ん中を歩く。


(にんじん畑)


(にんじん畑)

しばらく進むと、左手の畑の中に石橋が見えてきた。道を外れて近づくと、「上津久礼眼鏡橋」がビニールハウスの並びに鎮座している。

1989(平成元)年の圃場整備事業で川の流れも変わるので、撤去されようとしたが文化遺産として残されることになって、畑の中にある。

塀があるように見えるが、高さの違う二つの井出を結んでいたので、このような作りになっている。


(上津久礼眼鏡橋)


(上津久礼眼鏡橋)

コースに戻り、歩く。この道で「死亡事故多発路線」の案内板がいくつか目に入った。この道を真っ直ぐ行くと、花が添えられていた四つ角に行くはずだ。

コースは、先に見える「上津久礼共同墓地」から右折する。


(先に見える「上津久礼共同墓地」から右折)

右折して、信号を直進すると「ヘアハウスヒラノ」を過ぎて道は右にカーブしている。少し上って左に曲がって木立の中を上る。


(直進する)

上りきって直進すると、大きな通りの四つ角に出る。「K’sデンキ」が角にある。信号を左折。ハンズマンを右手に最初の信号を右折。マップの道は分かりにくいし、大きな道の歩道を歩いたが安全だと思う。

ここで信号を渡ってから右折すればよかったが、赤信号だったので渡らずら右折した。


(ハンズマンを右手に)

大津街道とJR豊肥線を跨ぐ歩道橋を渡ると「菊陽杉並木公園さんさん」に着く。マップを見ると、先ほどの信号を渡ったところにパン屋さんがあると書かれている。しまった、パンを買って公園で食べればよかった、と少し後悔。


(菊陽杉並木公園さんさん横の杉並木道)


(菊陽杉並木公園さんさん)

公園の中を通って、昨年11月のJR九州ウォーキングでも寄った「菊陽町総合交流センターさんふれあ」へ。食堂でかつ丼を食べる。何を食べるか迷ったが、身体が「かつ」と。疲れると「かつ」を食べたがる。


(菊陽町総合交流センターさんふれあ)

物産販売所で菊陽町の人参を買った。100円。


(菊陽町特産にんじん)

コースは杉並木公園さんさんの横の道に戻ってを通ることになっていたが、さんふれあから昨年11月のJR九州ウォーキングのコース、フジフイルム北側の道を歩いて駅へ向かった。


(フジフイルム工場)

四つ角に出て、右手に行くと味噌・醤油の「山内本店」があるので行こうかと思ったが、山内の「まぼろしの味噌」をスーパーで買ったばかりなので止めて、左に曲がって三里木駅へ。

ゴールして、すぐに、熊本駅行きが来た。4回目を終える。


(三里木駅)

駅から始まるいつでも散策③-玉名駅

2017-01-28 | ウォーキング
2017年1月25日(水)

朝から寒い。少し気温が上がったころで自宅を出て、JR九州が開催する「駅から始まるいつでも散策」3回目は玉名駅へ。


(今日のマップ)

玉名駅に着いたのは12時半過ぎ。


(玉名駅)

先ずは、玉名駅からすぐの繁根木(はねぎ)八幡宮へ。いつも、玉名駅のウォーキングは繁根木八幡宮でのお参りから始まる。


(繁根木八幡宮)

楼門の扁額は細川重賢(肥後熊本藩6代藩主)の筆によるもの。


(繁根木八幡宮)


(繁根木八幡宮)

肥後銀行の角を左に曲がり、少しして左に路地を入ったところにあるラーメン店「千龍」は午後の1時頃まだ行列が。並ぶのはあきらめて、お腹も空いたがなんとかなるだろう、と先へ進む。

高瀬の商店街を歩く。


(荒木直平商店)


(下川酒店)

歩いて行くと本町商店街から魚屋町商店街に表示がかわっている。町名の境がこの辺にあるのだろう。


(高瀬の商店街)

はなしょうぶ祭りにあわせて開催されるJR九州玉名駅ウォーキングでは、毎年、「柳屋茶舗」に寄って抹茶ソフトクリームを食べるのを楽しみにしている。昨年は雨でそれほど暑くはなかったがいただいた。抹茶の濃厚な味がいい。

しかし、それははなしょうぶ祭りの日限定のようだ。


(柳屋茶舗)

「高瀬蔵」は明治の町屋と蔵を体感できる多目的ホール。ここの2階に食事ができるところがあったので階段を上る。


(高瀬蔵)

お店に入ると町屋とは少し雰囲気が違う。なんとインド料理のお店だ。インドの男性と、日本の女性できりもりされている。和印折衷というか。


(高瀬蔵2階)

男性の方がメニューを持ってきたので、お勧めを聞いてナンとカレーのセットを頼んだ。ナンもカレーもいくつかの中から選べるようになっていた。後から女性の方がお冷を持ってこられて、「わかりましたか。」と聞かれたので、「お勧めを聞いて頼みました。」とお答えした。

ナンを食べるのは、なんと初めての経験になる。ナンを手でちぎってカレーに漬けて食べるがナンが熱くて食べにくい。少し冷めたら食べやすくなった。でも、手に持って食べるのはなんか落ち着かない。

それで、「ここは日本だ。」とは叫ばなかったが、ナンを手でちぎって箸で持ってカレーに漬けて食べたら、気持ちが落ち着いて食べれるようになった。ナンの量は年寄りには多すぎた。

味は?と聞かれてもナンは初めてなのでなんとも言いようが無い。


(ナンとカレー)

高瀬蔵を出て、真っ直ぐ歩き、ミエ美容院角の三叉路を左側に歩くと少し大きな通りに出る。


(ミエ美容院の角)

左に曲がり少し歩いたところが、JR九州ウォーキングで、雁行寺から、高瀬官軍墓地合祀碑を通り出たところになる。


(高瀬官軍墓地合祀碑案内板)

後は、いつものコース。信号から右に曲がり、「歴史博物館こころピア」へ。


(歴史博物館こころピア)

「同田貫とその時代展」があっていたが、刀のことはわからない。肥後の国には刀鍛冶はいなかったが14世紀頃菊池氏のお抱え刀工として山城の国からきた国村が始祖となる。清正の肥後入国後にお抱え刀工として菊池から玉名に移っている。


(同田貫とその時代展の展示刀)

九州新幹線新玉名駅を右手遠くに見て歩き、橋を渡って玉名温泉街へ。


(九州新幹線新玉名駅)


(橋を渡る。遠方は玉名市役所)

市営の「玉の湯」はお休み。しらさぎの足湯には足を浸している人も多かったので、写真は撮らなかった。

昨年4月の熊本地震後に熊本市のボランティアセンターの活動に参加している時、遠くから長期に参加されておられる方から「明後日は雨の予報なのでボランティアを休んで何処かへ行きたいのですが。」と話しかけてこられた。その方は崇城大学の駐車場に設置されたボランティアビレッジに宿泊されていた。

JR九州鹿児島本線の崇城大学前駅が近くなので、「JRで玉名駅に行かれて、玉名温泉はどうですか。濃厚豚骨ラーメンも有名ですよ。駅員さんに聞いたらいろい教えてもらえると思います。」とお答えし、豚骨ラーメンの発祥は久留米で玉名、熊本と南下してきた、などウンチクを語らせてもらった。「濃厚豚骨ラーメンいいですね。行きます。」とのことだった。

その方とは、その後お会いすることがなかったので感想は聞けていない。

ボーリング場を左折し、右手に「つかさの湯」を見、進む。


(つかさの湯)

少し歩くと、長者伝説の疋野神社がある。拝殿までは行かずに鳥居の写真だけ撮る。昨年5月29日のはなしょうぶ祭りウォーキングの時は地震でヒビが入っていた鳥居の貫が新しくなっていた。


(疋野神社鳥居)


(疋野神社鳥居。2016.5.29撮影)

玉名ファミリー温泉の角を左に曲がり、大きな道を、道なりに進むと玉名駅に着く。途中にある信用金庫の駐車場は、はなしょうぶ祭り時にあるJR九州ウォーキングで地元の皆さんが貝汁などのおもてなしをされる場所。


(信用金庫の駐車場)

玉名駅にゴールしたらタイミング良く下りの列車来た。3つ目を無事に終える。と思ったが・・・。


(玉名駅)

このブログを書くのにマップを見直していたら、なんと、一部コースを外していた。ラーメン店「千龍」に左に入るあたりから、右に曲がって高瀬眼鏡橋へ行ってから高瀬商店街へ戻らないといけないところを直進して商店街へ進んでしまった。なんともお恥ずかしいことで。

頭の上の方から声がした。
「なんばしよっとか。」
「すみません。」

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昨年のはなしょうぶまつりの時のウォーキングブログはこちらです。
「西郷小兵衛戦死の地碑」に会う【JR九州玉名駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-10】

駅から始まるいつでも散策②-三角駅

2016-12-24 | ウォーキング
2016年12月24日(土)

JR九州が開催する「駅から始まるいつでも散策」2回目は三角駅へ。


(今日のマップ)

10月29日(土)JR九州ウォーキングに参加してから、約2カ月ぶりに三角を歩いた。

その時のコースから「法の館」から山道を上って展望台へ行くのをカットされていることと東港の海岸沿いを歩いて「サンサンうきっ子みすみ」に寄るのをカットされていることが違う。

それで距離が短くなっている。11時ごろスタートして、12時10分ごろにはゴールしたが、2か月前とはちがって、工事中の天草五橋新一号橋が繋がっている。

2か月前の写真と、コースの説明は、その時のブログ下記の『「新一号橋」に会う』を見ていただければと思う。

「新一号橋」に会う【JR九州三角駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-19】


(スタート三角駅)


(三角駅)


(三角小学校の横を通る)


(中神島と雲仙)


(旧宇土郡役所、現九州海技学院)


(旧簡易裁判所、現法の館)


(三角西港ムルドルハウス)


(三角西港より工事中の新一号橋と現一号橋)


(三角西港より工事中の新一号橋と現一号橋)


(三角西港浦島屋)


(浦島屋ベランダより)


(帰りの道から)


(ゴール三角駅)


(三角駅から海のピラミッド)


(「サンサンうきっ子みすみ」のお弁当)


(帰りの列車が入線)

突然に話題が変わるが、最近読んだ本にこんなのがあった。
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 先日、ある老人が電車の中で若者から席をゆずられてというので、
 「冗談じゃない。おれはまだ六十八なんだぞ」
 憤然として、ついに、ゆずられた席へかけなかったという話を聞いた。
 いやはや、いまの老人は実に気が若い。
 私は、五十二歳になる。
 その私が今年になってから、地下鉄の中で、可愛らしい女子高校生に、
「どうぞ、おかけ下さい」
 二度も、席をゆずられてしまった。
 どういうわけか私の眉毛は白くなるばかりで、おそらくあと二年もすれば真白になってしまうにちがいないが、そういうことが私はあまり気にならぬのかして、地下鉄で席をゆずられたときも、「ありがとう」と、素直に礼をのべて、かけさせてもらった。
 いまどき、老人をいたわってくれる若い人がいるとおもうと、むしろ、うれしかったほどで、
(いいぞ。これからは、こんなことをしてもらえるようになるのだから・・・・・・)
 たのしんでいるほどなのである。
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池波正太郎著『散歩のとき何かたべたくなって』新潮文庫から引用した。昭和56年初版発行となっているが、昭和52年平凡社より単行本として刊行されたものの文庫本なので40年程前の話題になる。

今も昔も変わらないんだ。

私が最初に席を譲られた日は、平成21(2009)年11月15日とはっきりしている。61歳の時である。

この日はJR九州ウォーキングに初めて参加した日だ。駅も三角駅だったが、コースは今と違って、戸馳へ行くコースだった。

行も帰りも列車は一両編成。

帰りの列車で、まだ出発前だった。乗った時はもう満員で立っている人も多かった。私は吊り革を持って立っていた。すると、座っていた若い女性が「どうぞ」と言ってくれた。周りを見渡すと、私より年配と思われる多くの人が立っていたので、お断りした。

最初の参加で疲れた顔をしていたのかもしれない。今、思い返すと、「悪いことをした」と思う。

結局、その彼女(ひと)は、座って本を読まれていた。新書本だったか文庫本だったかはもう忘れたが、市販のブックカバーをつけて読まれていた。その姿を見て、「自分も帰りの列車では本を読もう」そう思った。

ウォーキングその日ではなかったと思うが、すぐにブックカバーを買いに行った。新書版用を買ったので、その彼女(ひと)も新書本を読まれていたかもしれない。

しかし、長続きはしなかった。今は、ビールの誘惑に負けて、帰りの列車ではウトウトしている。

でも、今日はいつも楽しむ三角線の景色をチラとは見たが、熊本駅からの行も、熊本駅までの帰りも本を読むことに専念した。あの日を想いだしながら。


(今日は文庫本)

JRに乗ってのウォーキングは今年最後になる。

駅から始まるいつでも散策①-西小倉駅

2016-12-13 | ウォーキング
2016年12月12日(月)

JR九州が開催する「駅から始まるいつでも散策」に初参加した。



小倉で午後から用事があったので、早めに熊本を発って「西小倉駅」へ。駅でマップを貰い10時過ぎにスタート。



駅前は「大門跡」。熊本と違って小倉は「〇〇門跡」という遺跡などが多く残されている。



安国寺は足利尊氏が全国に建てたお寺の一つ。



三の丸土塁跡を歩く。



小倉城内に入って、いつもは気にしていなかった建物「白洲灯台」を見学。




一般の武士の登城口である鉄門(くろがねもん)跡の階段を上る。



小倉城には明治8年歩兵14連隊が置かれ、明治31年には第12師団司令部が置かれる。その当時の正門跡が残されている。

西南戦争で、乃木希典はここ小倉城から歩兵14連隊を率いて熊本城に籠城している政府軍の支援に駆け付けた。



松本清張記念館。松本清張は小倉で育ち、小倉の朝日新聞西部本社に入社し、その後小説家になる。「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。記念館には書斎が復元されている。



小倉城は細川忠興が約7年ほどかけて建てた城。細川家は20年程後熊本へと移る。



八坂神社への入口にある「中津口門の大石」の片方。二度目の移転でここにある。



八坂神社。七月には岩下俊作の小説「無法松の一生」で有名な小倉祇園祭が行われ、町中に祇園太鼓の音が鳴り響く。無法松と祇園太鼓は村田英雄の歌での方が有名になっているかも知れない。



八坂神社から小倉城。



宮本武蔵の碑。宮本武蔵が小倉に住んでいたということを知る人も少なくなっているだろう。武蔵は細川家とともに熊本へ移り生涯を終える。



お堀端で見かけた。



紫川の「鴎外橋」。



森鴎外文学碑。



鴎外橋のモニュメント



紫川を綺麗にしていた。



旦過市場は小倉の台所。2日前も北九州に行って旧友と酒を酌み交わし、「サバの刺身は小倉が一番」などと盛り上がったので、市場でサバの写真を撮ろうとしたら禁止された。



ホテルニュー田川の前にある「無法松の碑」。



ホテルの横路を通って古船場公園へ。二十才前後はこの付近に住んでいた。公園も開放的になっている。



古船場公園から左折し、小文字通りを越えて、しばらく歩いて森鴎外旧居。月曜日で休館。森鴎外は軍医として第12師団司令部に勤務。小倉城内に残っている正門を通って登庁していた。

松本清張の「或る『小倉日記』伝」は、鴎外が小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探す人物が主人公の小説。



昔、西鉄電車が走っていた道を紫川に架かる勝山橋へ。下流の橋は常盤橋。「小倉の五街道」と呼ばれる、長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の起点でもあり終点でもある橋。

橋の向こうの鉄橋を走っているのは、博多-門司港間の特急「きらめき」。九州新幹線の全線開業までは博多-熊本間などを走っていた「つばめ」の車両。



旧小倉県庁跡。明治9年に福岡県に合併されている。警察署や裁判所として使われていたが、今はパン屋さんになっている。



常盤橋から西小倉駅への室町通りを歩いて11時40分頃ゴール。室町に戻って焼き鳥「烏丸(からすま)」で「究極の親子丼」スープ付1000円(単品800円)。炭火焼のみつせ鶏、濃厚な生卵、うまい。


沼山津神社、浮島神社、足手荒神-2日も三社参りウォーク

2016-01-03 | ウォーキング
1月2日

 今日のコースは昨年から始めて2回目になる。昨年は元日一日で済ませたら疲れたので、今年は2日に分けることにした。スタートは熊本市東部にある沼山津神社(ぬやまづじんじゃ)。大きなクスノキに囲まれて、いつも地元の人が参拝されている神社で浮島神社の分霊社である。


(沼山津神社)


(沼山津神社)

 南へ下って秋津川に出ると川沿いに沼山津水神(ぬやまづすいじん)がある。いつもは走ったり、歩いたりして通り過ぎるだけだが今日はお参りして通る。地元の人たちがいつもここの椅子に座って歓談されている。


(沼山津水神)


(秋津川)


(横井小楠旧居「四時軒」)

 川沿いを歩いて中無田神社(なかむたじんじゃ)へ。ここも浮島神社の分霊社である。神社の前には湧水があって、ペットボトルに水を汲む人が絶えない。


(中牟田神社)


(中牟田神社前)

 嘉島町にある浮島神社(うきしまじんじゃ)、通称「浮島さん」へ向かうことにする。


(嘉島町へ)

 浮島神社の創建は平安末期の1001年、御祭神は日本書紀(720年完成)で国生みの神とされている伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)である。拝殿の中で拝礼する。
浮島神社は約3haほどの広さの湧水池の中に建っていて、湧水量は1日に15万トンといわれている。神社から1kmも行かない西方には1960年ローマオリンピック女子100m背泳ぎ銅メダリスト田中聡子選手が練習したといわれる湧水天然プールがある。


(浮島神社)


(浮島神社)


(浮島神社)

 浮島さんから足手荒神(あしでこうじん)さん甲斐神社(かいじんじゃ)へ向かう。サントリービール熊本工場へ入る信号の手前から右に入る。突き当たって右へ、しばらく行って日露戦争記念碑の所から左へ、そして左へと曲がる。


(右に曲がる)

 足手荒神では手型、足型の絵馬に願い事を書き奉納する人も多い。


(足手荒神)


(手形、足型の絵馬が積んである)

 私は、お神酒もいただいて、昨年のお守りを神社にお返しし、新しいお守りをリュックに着けた。
 今年1年無事に歩けますように。


(お神酒をいただいた)


(新しいお守り)

 今日も歩数計は約2万歩。歩いた距離は12キロ程だと思う。

 2日間で10社にお参りした。平和を志向する1年であって欲しいと願う。
 
 年末には孫娘2人が2泊し、じじばばと一緒に食べて、遊んで、寝て帰った。孫たちと接していると平和への思いは強くなる。


(道沿いで)


(矢形川と飯田山)


(熊本市の穀倉地帯)


(木山川と飯田山)


(秋津川と飯田山)


(道沿いで)