鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

正助さん、八所宮、平家塚、七社宮-JR九州ウォーキング教育大駅前コースに参加

2015-10-27 | JR九州ウォーキング
10月25日(日)

教育大駅前コースは初めて参加。赤間の歴史には疎い。
「正助ふるさと村」へ向かうが正助さんの正体は知らない。
ふるさと村ではそばを食べる行列ができていた。
物産の販売所では美味しそうな柿が売ってあったが、レジに並んでいる人も多く何も買わずに出た。ソフトクリーム食べたかったなぁ。大きな道路に出るところで正助の墓所への道標があった。黒田藩主の命で建てられたという。何もの?。以前は神幸橋のところにあったのを移転したとあった。しばらく歩くと朱塗りのその神幸橋があった。

神幸橋を渡って、「八所宮」の鳥居があった。コースでは曲がるところを真っ直ぐ進むと「八所宮」に行けるようだ。曲がり角で案内していた係りの人に聞いたら、2名が行ったけどまだ帰ってきていないということだった。今日は帰りの時間を気にする必要もないので、進むことにした。

10分程歩いたろうか。神の橋を渡った、うっそうとした森の中に「八所宮」はあった。イザナギの尊、イザナミの尊夫婦などの四夫婦神が祭られていることから「八所宮」といわれている。木々の中の厳かなお宮である。神社の全体が福岡県の天然記念物の指定を受けている。しばらくは居たくなる雰囲気がある。

神社のすぐ前に、安康天皇が遣わして朝廷の繁栄を祈願した時に植えられた記念の松があったが昭和30年代に松くい虫の影響で枯れた。その松の木の根の一部が神社に置かれていた。

通りから1分程外れたところには平家塚があった。この地で亡くなった平家の落ち武者と、壇ノ浦で亡くなった二の尼を供養してある。

正常のコースに戻り酒蔵伊豆本店へ。純米酒300mlを買う。

スタートしたコースの方へ進む。今度は「七社宮」がある。寄ると国常立尊など七柱の神を祀っている。階段を上ったところに社があったが、その背後にも階段があり上ると社があった。ここが本殿のようだ。「八所宮」とは違った雰囲気を感じる。いわれではここには古墳があったようだ。

唐津街道の赤間宿に曲がる角に五卿西遷の記念碑があった。三条実美ら京を追われた5人の卿が1カ月ほど赤間の宿に滞在し、大宰府へ向かった。滞在中は西郷隆盛や高杉晋作などが訪れている。薩長同盟はかれら公卿がいなかったら実現しなかったであろうと思う。そのような話し合いも行われていたと思う。

赤間宿では赤馬館に寄ってお隣の勝間酒造へ。ここでも純米酒300mlを買った。二本になった。

釣川沿いを歩いて、小高い山があり、川があり、田が広がっているのを目にすると、この地が古代より豊かな地であったことが想像できる。
ゴール赤間駅を目指す。ゴールでは新幹線ポイントを忘れずに申告する。昨日は忘れていた。

駅構内でそばを食べ、博多駅へ。今日は、行きは「みずほ」で停車駅なし、帰りは「つばめ」で各駅停車。車内でようやくビール。

正助さんの正体はわからずじまい。

マップに乗っていないところを楽しんだ。「八所宮」はコースには入れなくともマップに表示してあれば訪れる人も多くなると思う。地元からJR九州に働きかけられたらいいのではなかろうか。「七社宮」はコース上にあるからマップに載せてほしい。

「赤間」は「間」という字から海に関係した名前だろうと思っていた。ところが「八所宮」の説明では、八所の神が神武天皇東征の折、姿を現し赤馬に乗って皇軍を先導したことからこの地区を赤馬の症と言い、それが「赤間」へと転じたようである。観光案内所は「赤馬館」であった。

コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。 「鉄卓のJR九州ウォーキングの写真」


(八所宮)


(七社宮)

由布岳とゆふいんの森号-JR九州ウォーキング由布院駅コースに参加

2015-10-26 | JR九州ウォーキング
10月24日(土)

久留米駅10時1分発「ゆふいんの森1号」で由布院駅へ。
出迎えたのは由布市の「神楽」であろうか。由布院駅前は土曜日ということもあり人が多い。すぐに、左に折れ、観光客の少ない道へ。一安心する。
若宮八幡宮は湧水で有名のようだけど朱の門が気になった。

しばらくは久大本線沿いを上り方向に歩く。振り返れば雄大な由布岳が。
長因寺のところで左折。線路を渡ったところで警報機が鳴りだし、あわてて戻る。
カメラを構えていたら博多行「ゆふいんの森2号」が迫ってきた。パチリ。

由布岳を撮りながら進む。
博多から由布院駅に向かう「ゆふいんの森3号」が裾野を通過していった。

由布院駅の大分側の踏切があった。踏切の脇にはお地蔵さんが。以前事故でもあったかな。踏切を渡ったところでショートコース4Kとお別れ。

川の橋の所で今日のコースで唯一のコスモスと由布岳。

興禅院は曹洞宗のお寺。地震により伽藍が崩壊したが、細川忠興の命により再建された。住職はコレクターではなかったのかと思えるほど、境内には石佛がいっぱいであった。キリシタンの墓もあった。

宇奈岐日女神社は「うなぎひめじんじゃ」とも「うなきひめじんじゃ」ともいうようであるが、広い境内には杉の木が自生している。平成3年の台風で倒れてしまったご神木の切株も見ることができる。その台風の後に一度来たような気がする。

その後も由布岳を撮りながら進む。

ドルドーニュ―美術館は少しだけお邪魔した。帰りの時間が気になりだした。
子どもたちが土手を歩いているところをパチリ。少しタイミングが外れた。

佛山寺では地元の人であろうバイクで来て写真撮っている方にいい構図を教えてもらった。

金鱗湖は人がいっぱい。景色を楽しむより人の多さにびっくりしてしまう。
金鱗湖を後にして湯の坪街道へ。飲食店やお土産品店が並ぶ。
天神の地下街よりも人が多い。人、ひと、ヒト。金鱗湖の湧水のように湧き出た人、ヒト、ひと。こういうところは苦手だ。有名なお店もあるのだろうが、速く抜け出さないと。しかし、お腹も空いた。ソフトクリームとしっとり餡ぽてとを食べた。この通りだけが異様に人が多かった。みんなここで飲み食べするのに由布院へきているのかなぁ。20数年前にきたときは、そんなに人も多くなく、辻馬車でゆっくり観光できた気がする。

ようやく抜けて駅近くの乙丸温泉へ。共同浴場で賽銭箱に200円入れて湯に浸かる。ここは湧いたような人たちは来ない。大きな湯船は熱い。小さい湯船と交互に浸かって出る。

15時30分過ぎにゴール由布院駅に着く。駅から見える由布岳をうろちょろしながら撮る。15時50分の「ゆふいんの森4号」で帰路。車内のサロンスペースでようやくビール。外国の青年とも乾杯した。

コースの雰囲気はアルバムを見てください。
こちらです。「鉄卓のJR九州ウォーキングの写真」





火星へ行った。【熊本の話題】

2015-10-23 | 熊本の話題
10月23日(金)

「火星」へ行ってきた。
「火星」は阿蘇駅の2番ホームにある。
阿蘇駅には「七つ星」が停車する。
それも朝に。
朝食場所がホームに設けられた。
「火星」の誕生。
朝食時間以外は一般向けに開店している。
昼食時間に行った。
あか牛、肥皇豚、赤鶏のグリルの三品。
それぞれ3,600円、2,600円、1,600円。
惣菜、野菜、デザート、パン、ご飯などはバイキング。
赤鶏を食べた。
皮はパリパリ、お肉はジューシー。
一般的だがピッタシすぎる。
これまで食べた鶏肉ではトップ。
グルメではないので、食べ歩きしている人にとってどうかは分からない。
美味しかった。
また、行きたいと思う。
食事後、駅前の温泉に。
お風呂に浸かりながら、順番が逆だったなぁ。
温泉に浸かってから、ビールを飲みながら食す。
次は、そうしょう。

(注)12時47分着の九州横断特急で行き、駅の外に出る事無くそのまま「火星」に入った。
車等で行った場合は阿蘇駅ホームに入るので入場券が必要となる。










1000万本のコスモス観賞-JR九州ウォーキング甘木鉄道甘木駅コースに参加

2015-10-22 | JR九州ウォーキング
10月18日(日)

 久しぶりのフォト・ウォークで意気揚々と家を出る、といきたいところだが少々二日酔い。
 JR大牟田駅で乗換列車を待っているとお隣の西鉄大牟田駅のホームに色鮮やかな西鉄甘木駅行きのコスモスラッピング電車が入線。今日は電車のように綺麗に咲いていそう、と期待も膨らむ。

 JR基山駅で下車し、甘木鉄道基山駅でウォーキングの受け付け。一日乗車券600円を購入。
 しばらく待って、甘木鉄道の列車に乗り甘木駅へ。
 女王卑弥呼のお出迎えを受ける。この地は邪馬台国に推定されている地でもある。ご当地ゆるキャラ達も仲良くお出迎え。

 歩き出して、アーケード商店街に入るところで、興膳屋のお手伝いの子供さんから丸ポーロの試食をいただく。

 アーケードを抜け須加神社へ。大きなイチョウと樟が目に入ってくる。ここの大樟は安長寺の大樟と夫婦樟。その安長寺には須加神社から数分で着く。ここにも大樟。須加神社が男樟で安長寺が女樟。夜はフクロウに託しお互いに語り明かすと伝えられている。
 アーケードの中には門前市の幡があったが、甘木は安長寺の門前町とある。
 通ってきた道沿いの居酒屋の提灯や看板はキリン一番搾り。今はキリンビールのお膝元。

 安長寺を後にして、天満宮、竜泉寺と訪ねる。天満宮ではクスノキ、竜泉寺ではムクノキの大木と会う。それぞれ保存樹木に指定されている。

 小石原川沿いを歩く。稲刈りもあっている。
 山があって、川が流れ、豊かに実った田を眺めて歩くと、この地が古代より豊かな所であったことを実感する。
 写真を撮りながらのんびり歩いていると、やっぱしこっちのウォーキングの方が性に合っている気がする。

 小石原川に分かれて田の中を歩いて、メーン会場キリンビールコスモス園へ。
 1000万本のコスモスは満開。人出も満開。
 しばし写真を撮って廻る。ユラリユラリと風に揺れてなかなか焦点が合わない。
 一周するには時間がかかりそうなので、諦めて、園内の出店に並んで唐揚を買って、またしばし並んでようやくキリンビール。ゴクリと飲んで「予は満足じゃあ。」

 ビール工場内の見学は諦めて、大刀洗平和記念館へ。
 太刀洗は旧陸軍の飛行場があった。今は町立の平和記念館が建ち唯一の現存機である零式艦上戦闘機三二型が展示してある。
 「それぞれの特攻隊員」の企画展があっていた。見ていくと戦争への怒りが湧いてくる。いつまでも平和な世が続くことを願わずにはいられない。

 平和祈念館前のゴール大刀洗駅へ。女王卑弥呼が迎えてくれたので記念にとお願いする。
 朝倉東高校生が考案したロールケーキを買う。
 待ち時間も少なく列車が入ってきたので、帰路についた。

 今日は「甘木鉄道を育てる会」の皆さんがコースの要所要所に立たれて案内して下さった。暑かったので大変だったろうと思います。ありがとうございました。

 コースの雰囲気はアルバムを見てください。こちらです。
「鉄卓のJR九州ウォーキングの写真」





「旅」と地名【「旅」-4】

2015-10-16 | 読書
最近読んだ本から。
「土地は人を呼び、人は土地を求めて旅行する。土地の名はその土地の印象をそのなかに蓄え、その土地の内容をあらわし、その土地への足跡を記念する。旅行者にとって、その地名は行動圏の拡大を意味し、よきにつけ、あしきにつけ、彼の生活のモニュメントとなる。多くの土地への交通が容易となってきた現代生活は、すなわち足の生活であり、時にはいくつかの地名を股にかけた遍歴の生活であるかもしれない。こうして、人びとは多くの地名を欲し、情報を求める。かくて、旅行は地名情報のこよなき媒体である。」(山口恵一郎著「地名の成り立ち」徳間書店、10-11P、1967年)

行橋~別府100Kウォーク完歩しました。-2015

2015-10-12 | ウォーキング
 10日朝、熊本から新幹線で小倉へ。小倉からソニックで10時30分過ぎに行橋駅着。
 スタート会場正八幡宮は100Kウォーカーで人の波というか渦というかとにかくいっぱい。ゼッケン番号4900台の人もいる。

 写真を撮ろうとしたら、なんかおかしい。メモリーカードが入ってなかった。ありゃりゃ。今日は歩くのに専念しよう。
 (内臓メモリーに何枚か撮りました)

 お昼12時35分頃スタート。


(スタート)

 第1チェックポイント中津駅まではウォーカーが途切れることはない。その流れに沿って歩く。1時間5K位のペースで36K中津駅へ着く。バナナと梅干をいただき、トイレをすまし、コンビニでおにぎり1個買って食べる。中津に住む友人に、駅に着いてこれから別府へ向かうと電話する。


(今川沈下橋)


(長井浜)


(中津駅)

 中津駅を過ぎると国道10号線を真っ直ぐ歩く。ウォーカーも少しずつばらけて、自分のペースで歩かなくてはいけない。40Kを過ぎたあたりからゆるやか上り下りの道が繰り返される。
 途中のコンビニでおにぎりやパンを1個買っては食べ、1個買っては食べながら歩く。梨のおもてなしもあった。スープもいただいた。おまんじゅうを買ったのはどこだったかなぁ。

 長井浜を歩いた時、足に砂が入ったようで、一度靴下と靴の中を払って歩くが、まだ残っている。再度チェックしたら靴下が破けて中に入っていた。靴下を履き替えて歩き出す。

 暗くなってしまい、人家も少なくなっていく中でウォーカーが背中につけたランプの青い光の点滅が動いていく様子が幻想的でもあり滑稽的でもある。ときおり車が通るが、どのように見えるのだろうか。

 まだまだ先は長い。

 第2チェックポイント郷の駅宇佐に到着。この間も1時間5Kのペースで歩いていた。片方の靴下をチェックしたがこちらは破けていなかったのでそのまま履いていくことにした。うどんを食べたかったけど、食べると落ち着いてしまいそうだし、座ってしまうと疲れがいっぺんに出てしまいそうで、歩き出す。


(郷の駅宇佐)

 これからは峠越え。最初の立石峠(標高147M)はそれほど急ではないが、ここらあたりから道に座り込んでいるウォーカーもちらほら出てくる。身体全体に疲れが出てきたので立ち止まってストレッチをして歩き出す。小雨が降りだした。
 山香休憩所75K地点に着く。1時間5Kのペースよりも遅くなってきた。マイカップでぜんざいをいただく。疲れた体にぜんざいはありがたい。これから七曲峠に挑戦するぞ、という気合にもなる。出たところで知人に会う。七曲峠までは一緒に歩く。


(山香休憩所でぜんざい)

 国道10号線をそのまま歩けばいいものを旧道七曲峠越えをコースに入れてあるのが行橋~別府100Kウォークの目玉。4年前に参加した時は、もう明るかったが、暗闇の中、杖をついて上る。急な山道だけど真っ暗なので急な傾斜もよく見えない中を足だけが急を意識して上っていく。
 七曲峠なので七回曲がるのだろうけど、曲がった数は数える余裕はない。標高178Mの峠に着き、平坦な所へ出た。足元に灯りが並べられてあった。七曲峠のつらさは上りではない。下りの方がつらい。上りは山道だけど、下りはなぜか急な舗装道。車が行き交うことができる広い道。こけそうで怖い。斜めに右の端から左の端へを繰り返し歩いた。途中座り込んでいる人もいる。
 この下り坂の途中が80K地点。とっくに1時間5Kのペースは崩れてしまっている。下りの出口で杖を返し、再び国道10号線を歩く。もう明るい。

 2Kも歩かないうちに132Mの赤松峠の上りにかかる。ここの坂道は4年前にはガードレールが無いところもあったような気がする。も少し遅い時間にフラフラしながら上ったので、右は飛ばす車に体が飛ばされそうで、左は崖で怖かったという思い出がある。
 上りきったところはサンリオキャラクターパークハーモニーランド(標高132M)。約85K地点。娘からのメールでは娘夫婦や孫たちは何時間後かにここに遊びに来たらしい。下の孫は前回参加した時、ゴールして約36時間後に生まれた。生まれて入院している5日間は上の孫の面倒を見るために福岡に毎日通ったことなど、孫たちのことを思い出して歩いたが、今回は歩いたところへ遊びに来ていた。

 赤松峠を下って第3チェックポイント日出町保健福祉センターへ、87.3K。かなりペースダウンしている。ゴールまでもう少しと思って歩き出した。
 別府湾が見えだし、景色は良いが足は思うように歩いてくれない。


(別府湾と高崎山)
 
 どんどん追い越されていく。疲れて、頑張って歩こうという気力も無くなっていく。後8K地点別府湾ロイヤルホテルからの直線が長い。ここからの1K、1Kは本当に長い。1Kとはこんなに長い距離なのかと思う。もう1Kぐらい歩いただろうと思って道路に立っている距離の標識を見るがまだ500mも歩いていない。後5Kの案内、後4Kの案内。後何キロの案内はもう見たくない。ゴールの方から近づいてきてくれ、と叫びたくなる。

 気力もなく、ただ足が動いているだけで数キロ。10時頃ようやくゴールの別府的ヶ浜公園へ。


(的ヶ浜公園の入口)
 
 ゴールの瞬間、「終わった。」「もう歩きたくない。」

 ゴール後すぐに、それまでスタートからチェックポイント、そしてゴールと時間を計測するためのタグをゼッケンに付けていた。それを係りの人が外してくれる。何人かおられる係りの人の中から一人の方が寄ってこられて外してもらった。
 4年前にこのコースに参加する最長老の方から行橋~別府100Kウォークを教えてもらった。昨年までは最長老として参加されていたが、今年引退された。タグを外してくれた係りの人は、何とその方だった。私とは気がつかずに寄って来られて、外すときにゼッケンの名前を見てビックリして顔を見上げられた。思わず握手。次から次へとゴールしてくるので、長話もできずお別れした。
 4年間のブランクがあったので今年は申し込みも止めようかと思ったときがあったが、その方が引退するという話を聞いたことも申し込みの後押しになった。ゴールで会うとは偶然というよりはサプライズ。

 直ぐに完歩証とバッヂをいただく。記録は21時間28分少々だった。4年前より1時間20分上回った。

 ゴール報告のメールを打つ元気もなく、ゴール横にある温泉テルマスへ直行。足と足の指10本にしていたテーピングをとって、頭・体を洗い温泉に浸かる。
 隣りの小学校体育館に手荷物を受けとりに行き、待機しているタクシーで別府駅へ。指定席をとっていた列車よりも一つ早い11時台の列車に間に合った。指定をとっていた次の特急は14時台で3時間後になる。

 別府駅は駅弁を売ってあるところが分からない。パン屋があったのでパンを買った。ホームに行ったら売店が無くなっている。駅員さんに言って改札口を出てコンビニでビールを買ってホームへ戻る。折り返しになる九州横断特急は9分程遅れて入線した。
 ほぼ満席で別府駅をすぐに出発。ゴールしてから慌ただしかったけど、ようやくビール。
 そしていくつかのメール。そのうち、うとうとと。

 4年ぶりの参加だったが、変わったなと思うのは、一つは若者の参加が多い、二つは女性の参加が多い、そして三つ目は小さい子の参加が多い、ということ。ウォーキングに参加する層が変わってきている。遠方からの参加者も目に入った範囲で東京、神奈川の人がいたが女性だった。年齢はゼッケンに自分で書くようになっているが子供は10歳、大きい年齢では81歳の人がいた。

 そして反省。後10Kで足が動かなくなり大失速してしまった。これは7,8月に長距離の練習をしなかったからだと思う。スタミナ不足になってしまった。

 それでも、前回より記録を伸ばし完歩したことで「良し」としよう。

方言に出会わなくなった-この夏東北を旅して

2015-10-09 | 旅で思う
 最近は、同じ年齢の人よりも耳が悪い。話をしていても聞き取れないことが多い。列車に乗ると不安なのに車内放送がある。降車駅が近づいていることや、乗換などの放送を聞き取ろうとするが、分からないことが多い。九州では列車に乗ることに慣れてきたので車内放送がよく聞き取れなくても不安は少ないが、それでも初めての路線では不安がある。知らない土地ではなおさらである。
 
 「奥の細道鳥海ツーデーマーチ」に参加のため山形県を旅した時、井上ひさし著「国語元年」(岩波文庫、2012年(2002年初版))という本を持って出かけた。本はカバーに書いてあるのを借りれば、『「共通語」を発明せよ。明治7年、文部官僚・南郷清之輔は「全国統一話言葉(はなしことば)」制定を命じられ、まず家中から口語の統一をこころみる。しかし南郷家はお国ことばの坩堝。清之輔は長州弁、妻と舅は薩摩弁、使用人たちは遠野弁に津軽弁、江戸武家言葉に町言葉。単語のちがい、異なる発声。屋敷中は大混乱に・・・言語と近代国家の奇妙な緊張関係を、ユーモラスに描いたテレビ版戯曲、文庫初登場』という内容のもの。1985年、NHK総合テレビで放送されたテレビドラマ。「國語元年」(中公文庫)の戯曲である。
 
 この本の中には『子音となるとさらに一層(ヨッポド)大変ヂャ。たとえば奥羽人は「十(ジュー)五夜」をば「ズーゴヤ」と言う。「人力車」をば「ズンリキシャ」と言う(ユー)。つまり奥羽人は「ジュー」チュ音も、「ジ」チュー音も、「ズー」チュー音一個で間に合わせチョルのでアリマスナ。』という清之輔の台詞も出てくる。
 
 読んでいたから不安が増していたわけではないけど、降りる駅と乗換を間違えないようにしなくてはと思いつつの旅だった。9月4日、東京駅から上越新幹線で新潟駅へ。新潟駅15時31分発秋田行き特急「いなほ7号」に乗車した。知らない土地で知らない路線である。ところが乗った「いなほ7号」の車内放送はそんな不安など一掃する格別なものだった。一語一語の発音がはっきりしていて、これまで乗った列車の中で最も明瞭でわかりやすい放送だった。
 もっともJR東日本の列車なので、車掌さんが東北の人とは限らないが、JRグループが車内放送の全国コンクールをしたらトップクラスではないかと思うほどであった。
 列車で旅をすると車窓や駅弁や楽しむことは多いが、車内放送に感動した旅はこの時が初めてであった。

 40年程前に福島・宮城を旅したことがある。その時は東北訛りなり東北弁をよく聞いたという印象が残っている。その場面の一部は旅の思い出として残っている。
 この夏、ウォーキングで青森に行ったり、山形に行ったりした旅では東北訛りなり東北弁にはあまり出会わなかった印象がある。それは、耳にとっては安心の旅であったが、そこそこの土地ならではの言葉に出会わなかった寂しさを感じる旅でもあった。


(7月29日青森県の太平洋沿いをウォーキング)


(9月5日山形県の日本海沿いをウォーキング)

「旅」-国語辞典より【「旅」-3】

2015-10-08 | 読書
我が家にある国語辞典で「旅」を引いてみた。
『住んでいるところを離れて、一時的に他の土地へ行くこと。』「明鏡国語辞典 携帯版」大修館書店、2006年
『(1)差し当たっての用事ではないが、判で押したような毎日の生活の枠からある期間離れて、ほかの土地で非日常的な生活を送り迎えること。(2)差し当たっての用事のため遠隔地に赴くこと。』「新明解国語辞典 第5版」三省堂、2003年
『ふだんの生活をはなれて別の場所に出かけること。』「角川必携 国語辞典」角川書店、1995年
『自宅を離れて、ある期間ほかの土地へ出かけること。』「集英社 国語辞典」集英社、1993年
『自宅を離れて遠方の地をまわり歩くこと。』「新選国語辞典 新版」小学館、1976年