鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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第9回北九州無法松ツーデーマーチ1日目40Kコースに参加

2015-09-28 | JWAウォーキング
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9月26日(土)



今回は50Kも設定されていたが、17時の制限時間に着く自信がないので当初から諦める。

カメラも一眼レフを諦め、コンパクトデジカメで。

スタート会場に着いたら異様な雰囲気が。

他の40Kコースに何回か参加したことがあるけど、もっと和やかな雰囲気である。

100Kウォークの前練習にしても少し雰囲気が違うような。

50Kウォークという興奮があるようだ。



参加者数1,725人の大集団がスタート。まずは海岸沿いを歩き門司港を目指す。

信号と道が狭いのでなかなか進まず、前にも出れない。

50Kの人たちは焦っただろうなと思いつつ、のんびり行くしかない。


(小倉から門司へ海岸を進む)


(海岸を進む)


(海岸を進む)


(海岸を進む)


少し間が出来だしたのは門司赤煉瓦プレイスのチェックポイントあたりから。


(門司赤煉瓦プレイス)

ここから何度も保育園の子供たちが旗を振って応援してくれる。

その度にハイタッチしながら進む。


(対岸下関)


(巌流島)


門司港駅付近でJR九州ウォーキングの幡がチラホラ見え出す。

今日は、門司港駅からのウォーキング開催日でもあった。

関門トンネル歩道入口まではほぼ同じコース。

JRウォーキングと無法松ウォーキングの矢印が並んでいる。


(門司港から下関火の山)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(門司港レトロ地区)


(観光トロッコ列車)


(関門海峡)


(JR九州ウォーキングの矢印も)

海岸沿いを進み、和布刈り公園のチェックポイントへ。

昔、子供を連れてブールに来た記憶がある。

レトロ観光列車潮風号の門司海峡めかり駅にもなっている。

道敷地にはJR西日本の立札があった。


(関門海峡)


(関門海峡)


(関門海峡)


(和布刈り公園)

大久保交差点が40K、50Kの分岐点。50Kは太刀浦運動公園まで行く。

和布刈り公園を外周してしばらく行くと50Kとの合流地点。

50Kの人たちがすごい勢いで追い越していく。


(東門司郵便局)


門司港が見え出した。飛鳥が悠然と泊まっている。

それからは小森江、矢筈と急な坂が待っていた。

上りが急あれば下りも急である。

坂の上り下りを急ぐと腰や膝に負担がかかるのでゆっくりと進んだ。


(九州鉄道記念館)


(飛鳥)


(門司の高台から下関方面)


(門司の高台から小倉方面)


平坦な道に出て、手向山トンネルを抜けると小倉。


(手向山トンネル)

富野から足立山麓の道へ。


(延命寺川)

JRウォーキングの逆コースでいつもは下りる道を上る。

これが急坂。30Kを過ぎてからにはきつすぎる。

上りきったところで、もうこのコースは上らんでいいと、一安心。

妙見神社までは緑の中を下界を眺めながら気持ちよく進む。


(足立山森林公園)


(足立山森林公園)


(足立山森林公園)


(足立山森林公園から)


妙見神社の境内が最後のチェックポイント。

なんとか無事にゴールできそうとお参りする。

もう、頭の中はゴール後のビールだけ。空腹のままのビールはよくないと思い、朝買っていたおにぎり一個を食べる。


(妙見神社)


平和公園の木々は秋近しを感じさせる。

三萩野のドームを眺め、最後の気力を振り絞りゴールへ。


(平和公園)


(平和公園)


(北九州メディアドーム)


(無法松の碑)

北九州市の水などたくさんいただいて、JRウォーキングのスタンプも押してもらって、ビール。

1日目終わる。


「うきは棚田の秋!彼岸花めぐりウォーキング」に参加。-JR九州ウォーキング

2015-09-22 | JR九州ウォーキング
9月19日は、JR九州ウォーキングうきは駅「うきは棚田の秋!彼岸花めぐりウォーキング」に参加。

私の秋編スタートとなった。

マイウェイクラブでうきは駅へ。久留米駅からの列車はウォーカーで埋め尽くされている。うきは駅からは無料シャトルバスでスタート地点のかわせみ広場へ。
今日は同じ道を往復歩くコース。受付でマップを貰い、写真撮るのは少なめにドンドン上る。

やがて、つづら棚田に到着。
棚田と彼岸花の風景が広がる。
彼岸花が咲く時期と稲刈りの時期が一緒なのは何かの縁かな。
特産品売り場で棚田新米おにぎりの販売があっていたが、行列だったのでパス。お腹はグウグウ鳴る。写真を撮って廻っていたらグウグウはどこかへいった。

5年ぶりに来たが台風の影響か少し雰囲気が違う。前はも少し凛とした感じがあったような気がする。車が多いのも違う感じがする。棚田と彼岸花を写すのに車が映るのは好まない。かわせみ広場からここまでの道の上り下りも車が多かった。も一つはイノシシ等対策の電線はなかったよなぁ。と思いつつ撮って廻る。

グウグウが目を覚ましてきたので下りよう。
写真を撮りながら下る。長岩城跡にも寄った。
つづら棚田の入口まで、上りは約1時間、棚田で写真撮って廻って約50分、下りで約1時間半?
棚田でも、うきは駅でも、つづら棚田への道沿いでも、彼岸花、彼岸花のコースでした。

ゴールかわせみ広場で鶏の串焼き。美味い!美味しい!!
バスでうきは駅へ戻る。駅近くのコンビニで先ほどの串焼きの味を思い出しながらビールをゴクリゴクリ。
2時半頃の臨時列車で久留米駅へ。駅で八女抹茶アイスモナカを食べ満足感に浸る。

コース全体の雰囲気は下記のアルバムを見てください。
「鉄卓のJR九州ウォーキングの写真」

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(隈上川)


(つづら棚田)


(つづら棚田)


(柿と彼岸花)


(うきは駅の彼岸花)



上杉鷹山の米沢へ-山形県の旅4日目

2015-09-15 | 
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9月7日(月)

 寝るのも早かったけど、民宿の2日間で癖がついて早く目が覚めた。
 小雨の中、朝の露天風呂に浸かる。
 遊佐のウォーキングが終わって、その日に羽田から飛行機で熊本に帰るのは無理なようだったので山形市付近で宿泊するところをネットで調べたら「男気一人旅☆平日限定1泊2食付」というプランの宿があったので、利用した。もちろん「女子の一人旅」のプランもある。当日宿の案内等を見ていたら、皇族や多くの著名人が利用してきた宿のようだ。竹久夢二の作品を集めた「夢二ギャラリー」もあったので朝食後に鑑賞した。

 さて、山形県4日目。
 テレビの天気予報は山形県南部置賜地方の雨の確立午前50%、午後60%である。傘をさしての一日になるのを覚悟しホテルをチェックアウトしたら、雨が止んだ。
 ホテルの直ぐ横にある上山城へ行った。城の中は歴史資料館になっているようだが休館日であった。このあたりの歴史は知らないのでお城についても分からない。


(上山城)

 お城横の公園には斎藤茂吉の歌碑があった。上山市は斎藤茂吉の出生地である。昨日は山形駅から列車でかみのやま温泉駅へ来たが、一つ手前の駅は斎藤茂吉記念館前駅だった。


(斎藤茂吉歌碑)

 10分程歩いて駅へ。傘をささずに歩けたのはありがたかった。


(上山城)


(米沢駅)


(斎藤茂吉記念館前駅が隣駅)


(米沢行普通列車)


(山の斜面のハウスは何だろう)

 9時47分米沢行普通列車は遅れて入ってきた。米沢駅に着いて観光案内所で博物館や上杉神社へ行く方法を聞いたら、バスが直ぐに出るということで慌ててバス停へ向かった。スーツケースをコインロッカーに入れる時間もなく、バスの運転手に確認し乗った。15分ほどで上杉神社前バス停に着いた。雨は降っていない。
 先ずは、米沢市上杉博物館へ。中にコインロッカーがあった。100円入れて後からそのお金は戻ってくるロッカーだった。


(米沢市上杉博物館)

 博物館には上杉家に伝わる品々が展示してある。織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられる「上杉本洛中洛外図屏風」を大型スクリーンに映し出し解説する映像があった。上杉鷹山の展示コーナーでは鷹山の功績や人となりが紹介されている。上杉鷹山シアターでは3面マルチスクリーンで鷹山の物語が上映されている。鷹山を演じているのは鉄ちゃん西村和彦だった。


(上杉鷹山)

 上杉鷹山を有名にしたのは、1961年に第35代アメリカ合衆国大統領に就任したケネディである。日本人記者の「尊敬する日本人政治家は」との質問に「上杉鷹山」と答えたと言われています。上杉鷹山を欧米の人に最初の紹介したものとして明治27年(1894年)に出版された内村鑑三の英文著書がある。日本語訳「代表的日本人」(岩波文庫他)として出版されている。西郷隆盛(新日本の建設者)、上杉鷹山(封建領主)、二宮尊徳(農民聖人)、中江藤樹(村落教師)、日蓮上人(仏教僧侶)の5人が紹介されている。
 上杉鷹山は米沢藩第9代藩主上杉治憲で、隠居後に鷹山と号した。日向高鍋藩の次男として生まれたが米沢藩に養子として迎えられ17歳で藩主となる。
 当時、藩の財政は厳しく、大倹約令を発令し、江戸藩邸での藩主の生活費をおよそ7分の2とし、日常の食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中も50人から9人に減らした。食事や普段着は生涯にわたり実行したといわれる。倹約だけでは限界があることから、武士の庭のはじめ空いている地に漆・桑・楮の木を植え、産業の発展を図った。武士の婦子女には機織りを習得させ、絹織物を産業として発展させ今日も米沢織として発展している。公娼制度の廃止にも取り組んだ。
 鷹山はこれらの改革を領民の生活の向上を一番の目的として推進した。鷹山は35歳で家督を譲ったが、その時に、領民は藩主のためにいるのではない。藩主は領民を私物化してはいけない。など三ケ条を後継者に言い渡している。1785年、明治維新80年程前のことである。それは「伝国の辞」として伝えられている。
 上杉家第四代藩主上杉綱憲は吉良上野介の実子である。上杉家に残る文書では、討ち入りの日、吉良邸の警備は厳しいものではなかった、という興味深い展示もあった。綱憲の治世も財政悪化の一因となったともいわれている。


(鉄砲の体験コーナー)

 博物館の後は、上杉謙信が祭られている上杉神社にお参りし、上杉謙信、上杉景勝、直江兼続などが所用した鎧などが展示してある上杉神社稽照殿(けいしょうでん)へ。戦国時代、闘いの真ん中にいた武将たちが戦場で使っていたものだけに迫ってくるものがある。


(上杉謙信像)


(上杉鷹山像)


(上杉神社)


(上杉神社)


(上杉神社)


(上杉神社)


(稽照殿)


(上杉神社)


(上杉神社)


(上杉神社)


(上杉神社)


(米沢市上杉博物館)

 上杉神社の境内を出るところに堀がある。鯉が泳いでいたが、鷹山は武士に鯉を育てさせ産業とした。土産物店などがあるところにはウコギソフトがあった。ウコギも鷹山が食用に推奨し垣根として植えられた。現在でも新芽を天ぷらやおひたしとして食べられている。根や茎は滋養強壮になる。


(お堀の鯉と鳩)


(土産物店近くの母子像)


(ウコギソフト)




 雨にはあわないまま、バスで駅へ。乗客は私一人だった。経営大丈夫かなといらぬ心配をする。
 14時38分発山形新幹線つばさで東京駅へ。遅い昼食になったが、山形駅で買った駅弁を食べる。東京駅着16時48分。羽田へ向かい帰熊。


(米沢駅)


(山形新幹線)


(駅弁)


(駅弁)

 今回の旅は鳥海ツーデーマーチに参加することが目的であったが、行は羽田から京急で品川駅へ。品川でJR山手線に乗り換え。東京駅から上越新幹線で新潟駅へ。新潟から白新線、羽越本線を特急で酒田駅へ。酒田から羽越本線普通列車で吹浦駅へ。2泊。帰りは、遊佐駅から羽越本線普通列車で酒田駅へ。酒田から陸羽西線快速で新庄駅へ。新庄から山形新幹線で山形駅へ。山形駅から奥羽本線でかみのやま温泉駅へ。1泊。かみのやま温泉から奥羽本線普通で米沢駅へ。米沢から山形新幹線で東京駅へ。山手線で浜松町駅。浜松町からモノレールで羽田へと移動。東京からの上越新幹線と帰りの米沢からの山形新幹線車内で駅弁も食べ、鉄ちゃんの楽しい旅でもあった。

「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」2日目-山形県の旅3日目

2015-09-11 | JWAウォーキング
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9月6日(日)

 山形県3日目。
 今日も5時半から家で食べる3倍ぐらいはある朝食を美味しくいただく。
 宿賃を払い、2日間お世話になった民宿ともお別れ。
 写真は民宿の近くで昨日と今日撮った草花。











 6時15分の送迎バスでメイン会場へ。「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」の2日目は「水と鳥海山麓、自然コース」の20kmに参加。7時から出発式。20Kのスタート時間は8時からだが、30Kと同時スタートも可能とのことであった。7時15分にスタートする。



 田の道を歩き、月光川の土手に出ると、鳥海山は昨日までとは違った姿を見せる。ここらあたりはおくりびとのロケ地だったようだ。




(鳥海山)

 民宿でご一緒だった方と歩くが、写真を撮りだすとすぐに離されてしまう。


(月光川)

 20Kと30Kの分岐点があった。間違わないように確認して20Kの方へ進む。今日は帰る日なので間違うと大変なことになる。



 川沿いの道を写真撮りながら歩く。最後尾にならないように気をつけながら。


(鳥海山)







 一昨日から広大な庄内平野の田を見て来たけど、狭い土地にも米は育てられている。





 彼岸花も咲いていた。




(鳥海山)









 5Kを過ぎて、杉沢比山伝承館が給水所。先ほど分かれた30Kとの合流地点でもある。遊佐町語り部の館があったので見学する。約300年前に建てられた家を移築再建してある。





 熊野神社を過ぎたところから上り道。こういう風景を撮るのは好きだ。


(熊野神社)


(自然に抱かれて歩く)



 かなり上ってきた。



 月光川上流の金杉橋を渡る。



 高い所では蕎麦も栽培されている。





 10K地点も上りだ。このあたりで30Kの早い人たちに追い越される。20Kの8時スタートの人も追い越していくようだ。



 この時期にアジサイが咲いていた。平坦な道に出たかと思えば、また上りがある。高いところなので花もいろいろと咲いている。













 左手の林に入るところがあった。昨日もだったが林に入るところには防虫スプレーが用意してある。







 林の中に「胴腹滝」がある。胴腹滝は『鳥海山の伏流水が山腹から湧き出ている様子が身体の「どうっぱら」という例えで胴腹滝と呼ばれています。2カ所から噴き出しているのですが、右と左の味が違うと言われています。そのため、この水を汲んでいる人の中には右の水を汲む人、左の水を汲む人、半分ずつ混ぜる人など好みで別れます。山深く雪も多いのですが、冬でも凍ることがなく、年中水汲みの人が絶えません。
』(山形県観光情報ポータル「やまがたへの旅」ホームページより)






(右側の滝)


(左側の滝)

 ここには熊出没注意の看板もあった。







 林を抜けて歩いていると、「字名」だと思うけど表示板があった。昨日から遊佐町を歩いていると同じ表示板があちこちにあった。JR九州ウォーキングで歩いていると字名表示板を見ることもあるけど、これだけ大きいのは初めて見た。




(秋もすぐそこ)

 四季の森しらい自然館が給水所と昼食地。サービスのお味噌汁をいただいた。昼食のお弁当も注文していたけど食べずに先へ進む。100m程行ったところで30Kとの分岐点。ここでもしっかり確認して20Kの方へ。
 田の道を下って歩く。後ろを振り向くと鳥海山。




(鳥海山)


(鳥海山)




(鳥海山)

 15Kを過ぎて、田の道が終わるあたりで地元の人だろう、写真を撮ってあげます、と声をかけられた。折角なのでお願いした。ファインダーを覗いて「写真、撮られるのに慣れてないですねぇ。」と言われ、笑ったところをパチリ。撮っていただいた方には申し訳ないけど、恥ずかしいのでブログには載せられない。一人でニヤニヤ眺めている。
 その後も、林の中に入ったり山道歩いたり。







 ようやく平坦な道に出る。鳥海山最後の写真を撮る。


(鳥海山)

 野沢公民館で給水。再び、ここで30Kは合流する。











 ゴール遊佐町体育館の建物が見えてから遠かったけど、なんとか12時頃にゴールした。今日のコースは舗装されていない道を多く歩いた。石のゴツゴツ感が足裏に残っている。



 歩いた後のストレッチをして、ビール売り場へ。弁当を食べずに楽しみにしていた芋煮は売り切れていて汁しか残っていなかった。ガックリ。
 かわりに、イカの姿焼きを地元のご婦人たちが売られていたので買った。小雨が降ってきたので木の下で食べた。これが美味しかった。ビールには最高。こっちで良かったかも。







 遊佐町を2日間歩いた。田んぼあり海あり山ありと楽しいウォーキングだった。23回目でもあって運営も成熟していた。前後にウォーカーが見えなく一人で歩いていると、この路でいいのだろうか、と不安になることがある。そんな時は幡があった。中学生にはきつい時に声をかけてもらって助かった。

 遊佐町の皆様、お世話になりました。ありがとうございました。

 送迎バスで遊佐駅へ移動。



 遊佐駅は列車を待つウォーカーでいっぱい。遊佐町はご当地カレーも売り出し中のようだ。メイン会場でカレールーを買った。民宿が一緒だった方にご挨拶する。





 13時42分発羽越本線普通列車で酒田駅へ。酒田駅13時55分着。
 14時00分発陸羽西線快速で新庄駅へ。


(快速「最上川」)

 新庄駅は山形新幹線の始発終着駅で、いくつかの線が乗り入れている大きい駅だった。
仙台行の快速列車もいた。


(新庄駅)


(新庄駅)


(仙台行快速「みのり」)


(山形新幹線「つばさ」)

 新庄駅15時17分発山形新幹線つばさで山形駅へ。山形駅着16時05分。
 山形駅16時31分発奥羽本線普通列車でかみのやま温泉駅へ。かみのやま温泉駅16時43分着。
 かみのやま温泉駅に着いたときは小雨が降っていた。ホテルに迎えに来てもらった。今日の宿は「ニュー村尾浪漫館」。
 民宿では20畳以上はある大広間で1日目は5人、2日目は7人の相部屋だったが、今日は和室2間に板張りもある部屋で1人。



 早速、温泉に浸る。小雨が続いていたけど、少し濡れて露天風呂も楽しむ。夕食では3種類の利き酒と、「雪漫々」というお酒をいただく。お昼に食べれなかった芋煮も出てきた。米沢牛のしゃぶしゃぶも。民宿は豪快な料理だったけど、ここは繊細な料理が出る。お腹いっぱいになった。
 食後も温泉に浸かり、心地よく寝る。

「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」1日目-山形県の旅2日目

2015-09-10 | JWAウォーキング
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9月5日(土)

 山形県2日目。
 朝食は5時半からだが、相部屋の皆さんの早起きにつられて起きる。
 吹浦駅が朝焼けで幻想的な雰囲気だ。


(吹浦駅)


(民宿前の看板)

 ご飯もおかずも自宅で食べる3倍ぐらいはある朝食をいただく。6時15分に会場までの送迎バスが来てメイン会場へ。
 「第23回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」の1日目は「緑と庄内砂丘、日本海コース」の40kmに参加する。7時から出発式。鳥海山(ちょうかいざん)を背に主催者などの挨拶がある。
 鳥海山は、『山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2,236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。』(遊佐鳥海観光協会ホームページより)
 高い山なので山の上の方は雲がかかって見えない。





 地元の鳥海太鼓の威勢のいい音に送られて、7時15分にスタート。 いつものようにデジイチを持って歩く。



 スタートしてまもなく、鳥海山とその麓に広がる田んぼがウワーッと目に飛び込んでくる。
 この地が鳥海山からの水で豊かな穀倉地帯になっていることを印象づけられる。そんな光景だ。


(鳥海山)







 前後にウォーカーはいるので安心してゆっくりしたペースで歩いていたら、40Kと20Kの分岐点があった。多くの人は20Kの方へ向かう。40Kの方へ進み、しばらくして後ろを振り向いたら誰もいない。40Kに参加の人は先に行っているみたいだ。5K地点の案内板があった。少しペースを上げんといかんなぁ、と思いながらも写真を撮る方に気が向いてしまう。前方の人影はどんどん遠くなる。











 しばらくして中学生2人組に追いついた。今日は地元の中学生、1年生のようであるが集団で参加している。気合を入れるつもりで「後ろ誰もいないぞ。」と声をかけて先に進む。少し離れたら2人のうち1人が走って来た。「走ったり、歩いたりすると疲れるからな。同じペースで歩いたがいい。それに時々水分とって。脱水症状になると疲れる。」「40K歩くと思うときついから、5Kごとに、10K、次は15Kとめざして歩いたがいい。」などと知ったかぶりのアドバイス。














 升川公民館で給水があった。ここには佐藤政養(さとうまさやす)碑があったようだけど見過ごした。佐藤政養は初代鉄道助となり、国内初の新橋―横浜間の鉄道敷設に尽力した人らしいけど、日本鉄道の最初の頃の事はよく知らないので気にかからなかったようだ。








(永泉寺(ようせんじ))




(10K付近)

 10Kを過ぎて、水のきれいな所に。丸池様という池があるらしいけど池は見なかった。








 ここからは林の中を歩く。足元はゴツゴツしているけど木々を抜ける風もあり心地いい。30分程歩いたら、道路に出た。








 すぐに給水所。その後も道路の両脇が木立なので気持ち良く歩ける。 声をかけてこられた方とお話ししながらしばらく一緒に歩く。「海に出た後は日差しを遮るものがないので暑い。」と教えていただく。












 写真を撮りだすと、離されてしまう。
 国道に出るあたり木は紅葉が始まっている。秋近し。








 国道を下っていくと左手に海が見える。








 脇道に入りトンネルを過ぎ、少し歩くと海へ出た。日本海だ。






(日本海へ出た)

 青森では太平洋沿いを歩いたけど、山形では日本海沿いを歩く。
 九州では日本海沿いを歩くという意識は無い。天草の西海岸は東シナ海だし、日本海はどこまでをいうのだろう。
 熊本では海を見ない生活をしているので、海を眺めながら歩くのは楽しい。しかし、海岸の高いところに歩道があるので少し怖い。


(日本海沿いを歩く)


(特急「いなほ」?)


(釣りをする人)


(サーフィンする人)













 
 漁村センターの給水所を過ぎたところに20K地点の案内があった。





 そこからしばらく歩いて「十六羅漢岩」がある。
 日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体の仏さまが刻まれている。(遊佐鳥海観光協会ホームページより)


(十六羅漢岩)


(十六羅漢岩)


(夫婦岩?)

 海沿いを別れ、キャンプ場の杉並木の中に昼食地があった。お昼12時ごろ。注文していた弁当をいただく。



 その後は、大きな道へ出たり、畑の中を歩いたり、風力発電の風車を眺めたり。起伏もある。かなり疲れて来た。直線を歩く時が辛い。写真を撮っていると疲れを忘れる。進もう。



















 最初に会った別の中学生数人が前に行ったり、後ろになったりしながら歩く。時々「今何時ですか。」と聞いてくる。時間を教え。何時ごろまでには着くだろう、などと答える。着く時間は中学生に教えるというより自分を励ますように。何度か聞いてきたが、ゴール受付制限時間の16時までに着く見通しがたったのだろうか、35K近くから聞いてこなくなった。後ろでゆっくり歩き出した。彼らは土地勘がある。





 35K過ぎ、庄内みどり選果場に給水所があり、これまでの給水所と同じように冷えた水をいただいた。後5K、そう思っているとスタートしてすぐに見かけた小学生が歩いていた。凄いなぁ。JR九州ウォーキングで歩いている子供を見ていると、子供にとって大変なのは距離もあるけど、それよりも退屈が一番の敵だと思う。退屈だと疲労感も一気に増す。お父さんが子供にゲームを仕掛けたりなどして退屈しないように工夫しながら歩いていた。「頑張れ。」と言葉で励ましているのではない。お父さんも凄い。





 ゴール手前、鳥海山頂上の雲がなくなった。鳥海山に田んぼを入れて写真を撮れる最後の場所で、である。40Kフォト・ウォークを続けてきたのを鳥海山が祝福してくれているようだ。


(鳥海山と田んぼ)

 15時30分頃疲れてゴール。そしてビール。



 送迎バスで民宿に帰り、風呂に入り、夕食。
 今日もコップ酒2杯飲んだ。爆睡。