鉄卓のブログ「きままに」

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「ここにくまモン、ここにもくまモン」に会う【JR九州八代駅 鉄卓のフォト・ウォーク2022-11】

2022-09-28 | JR九州ウォーキング
2022年9月25日(日)

今日は鹿児島本線八代駅(熊本県)



JR九州ウォーキング秋編は先週より始まっているが、今日が最初の参加。



八代は熊本の工業都市。



引き込み線跡の緑の回廊へ。





八代城総構え石垣跡の説明板もある。



緑の回廊を外れ、本町アーケードへ。



早い時間だったからか人通りは少ない。

出会ったのはくまモンくまモン。















アーケードの途中でベンチのくまモンから
「さっから いっぴゃあ こらすばってん どこさん 行くとな」
「そん角ば 右さん行って 八代宮たい」
で右折。



八代城址にある八代宮へ。





八代で最初の城は南北朝時代から戦国時代にかけて築かれた古麓城。
その後、肥後の南半分の領主となった小西行長が麦島に新たな城を築いた。

関ヶ原の戦い後、加藤清正が肥後の全域を支配し八代城は熊本城の支城となる。
1619年の地震で壊れ、1622年に加藤家2代加藤忠弘の時代に松江に新たな八代城が築かれた。

それから400年。

1615年、徳川幕府は一国一城令を出している。
肥後藩には熊本城と麦島の八代城があったが、特例として一国二城を認められた。
さらに、地震で壊れた後に、新たに城を築くことを認めた。稀な例のようだ。

薩摩藩を意識したことからだろうか。

加藤家が改易された後は豊前の細川家が肥後藩の藩主となる。
八代城には細川三斎(忠興)が入城。

三斎が亡くなった後は細川家家老の松井興長が城代となり、以後松井家が代々務める。



お堀の周囲を巡る。

夜は竹あかりも催されているようだ。

右は加藤家の紋「蛇の目」、左は細川家の紋「九曜」。











くまモン、何かをお願いしているのだろうか?



「これを読んで」かな。



お堀のすぐ横の広場は「八代城築城400年まつり」のメイン会場。

八代宮へ向かうお堀の橋のところにはお祭りでは馴染の綿菓子やイカ焼きなど屋台が並んでいた。
お堀と広場の間の道路には今どきのキッチンカーがズラリと並んでいた。



再び、お城へ。





城内へ。









お堀の周囲へ。





城の横に建つ八代市役所。
熊本地震で損傷し、モダンな建物に再建されている。

以前の建物はお城跡の風景に馴染んでいたが、少し違和感がある。



築城400年のイベントがあっている、お城をぐるりとした。

2年半ほどコロナで各地のイベントが中止になっている。
イベントに合わして開催されるJR九州ウォーキングも開催数が減ってきている。

今日は久々にイベントに合わされたウォーキング。
イベントの参加者はまだ少ない時間帯だったけど、皆さん明るく楽しまれている様子だ。

「祭りは やっぱ 良かなー 良かなー」。



ゴールへと向かう。

ここにもくまモン。そして秋山幸二選手の手形。



光徳寺。
西南戦争では官軍の本営が置かれた。



水準点を示す石碑もあった。



ゴールを目指して歩く。



循環バスにくまモンはいなかった。





マップに記載されていた竹原神社はどこにあったんだろう。
見逃している。
道沿いにあったのだろうか。

そうこう思いながら歩いていると、
田んぼでは稲刈りが始まっている。





八代~熊本空港間のバスからはくまモンが手を振っている。



そして、ゴール新八代駅へ。



駅近くのよかとこ物産館でお弁当を買い、駅の売店でビールを買って、駅西口のがめさん公園で一人乾杯。
秋編の始まりを祝う。

今日は意識して探したのではないけど、くまモンがあっちこっちに。
探せばもっといただろう。
あれ、新八代駅のくまモン撮ってなかった。
また次の機会に。

今日のウォーキングを終える。

たまには1句。
「四百年 はじける笑顔 天高し」