鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

九州国際スリーデーマーチ2019-3日目10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」

2019-05-25 | JWAウォーキング
2019年5月12日(日)

「九州国際スリーデーマーチ2019」3日目はゆっくり起きて、10キロ「陣内貴美子ふるさとコース」に参加。

10Kコースは1日目が「八代亜紀絵画コース」、2日目が「松中信彦メモリアルコース」と3日間とも八代市出身の著名人の名がついている。

出発式では、陣内貴美子さんの挨拶があり、「エィ・エィ・オー」をした小学生を含む3名の地元のウォーカーには陣内さんの署名入り帽子が贈られた。


(陣内貴美子さんの挨拶)

10K、5Kのスタート前に会場に着いたら、地元の人の参加が多いのだろう、自転車がズラリと並んでいた。


(会場自転車置き場)

スタートは10時、球磨川沿いを下る。カメラは、昨日までのデジタル一眼レフからコンパクトデジカメに変えている。


(河川敷遊歩道を歩く)

河川敷の遊歩道から川沿いの道へ出て、少し引き返し、球磨川に架かる植柳橋を渡る。


(植柳橋)

「麦島小学校」を通過。麦島小学校が現在ある場所には、以前は八代第三中学校があって、陣内さんは八代第三中学校を卒業されているとのこと。


(麦島小学校)

前川に架かる前川橋歩道橋を渡る。人吉の方から流れてきた球磨川は、スタート・ゴールの大会会場付近で、球磨川と前川に分かれて海へと流れている。


(前川橋歩道橋)


(前川橋から八代駅方面)

大きなカッパ像があった。八代にはカッパ伝説が残っている。全国のカッパ伝説には地域によっていろいろな説があるが、八代ではカッパは中国から渡って来たと伝えられている。


(カッパ像)

八代のアーケード商店街の中へと歩く。


(スリーデーマーチに出店中との貼り紙のお店)

バナナや湯茶等の接待を受けた。バナナ大きかった。


(商店街の中で)

くまモングッズや八代のお土産等を販売するくまナンステーションが、商店街の中に昨年オープンしているが見逃したようだ。

商店街から外れて八代城跡の方へ。


(暑い日差しの中ホッとする)


(ここにくまモン)


(ここにもくまモン)

八代城址お堀に出る。

江戸幕府は慶長20年(1615)に一国一城令を制定したが、熊本加藤藩は特例として熊本城と八代城の一国二城が認められた。

当時の八代城は麦島小学校のちかくにあったが、元和5年(1619)の地震により、城が崩壊したため、加藤清正の子・忠広の時代に現在の八代城跡の場所に移す。

加藤氏の改易により熊本城主となった細川忠利の父・細川忠興(三斎)は、本丸に四男立孝を住まわせ、自らは三の丸を居所とした。

天保2年(1645)立孝、忠興と相次いで亡くなった後、翌3年に細川家家老・松井興長が入城し、以後は代々松井氏が幕末まで八代城の主となった。

三の丸の北、出丸跡にある八代第一中学校の校庭の一角には、細川忠興が織田信長を供養した五輪塔が建っている。


(八代城址)


(またまたくまモン)

八代城址の中にある八代宮の横を通り、南から北へと通り抜ける。


(八代宮)


(本丸天守台跡石垣)

北の丸跡地には市立図書館も。


(八代市立図書館)

八代第一中学校の横を通って右折。廃線跡の遊歩道を歩く。


(遊歩道)


(遊歩道で)


(八代東高校)

遊歩道から右折し歩いていたら、こんなサービスが。手持ちの水が無くなりそうな時だったので有難味も一層増す。


(日田天領水のおもてなし)

チェックポイントはやつしろハーモニーホール。


(やつしろハーモニーホール)


(お漬物は丁寧に分けられていただいた)

塩分・水分を補給して歩き出す。


(暑い)

八代駅裏にある日本製紙工場建物の壁一面に描かれた、八代妙見祭の「亀蛇」。亀と蛇が合体した想像上の動物。八代妙見祭は、2日目のコースで訪れた妙見宮のお祭りで、ユネスコ無形文化遺産に指定され11月22、23日に開催される。

亀蛇にはガメの愛称がつけられている。2日目のコースにあった「がめさん公園」にはガメの像があり、眺めつつ歩いた。


(日本製紙工場建物の壁)

八代駅を過ぎ、新萩原橋へ。橋から球磨川。左が球磨川、右が前川へと別れている。スタートしてから左の球磨川に架かる植栁橋を渡り、右の前川に架かる前川橋歩道橋を渡った。


(新萩原橋から球磨川)


(新萩原橋から大会会場)

3日目のゴール。


(ゴール)

今日は10Kだったのでビールは無し。

3日間、八代駅で帰りの列車が出発するまでの間に、疲れた躰を癒してくれた。

今日も「パリパリッ」と。



「お疲れ様でした。」

九州国際スリーデーマーチ2019-2日目20キロ「い草の里フードバレーコース」

2019-05-22 | JWAウォーキング
2019年5月11日(土)

朝早く、目覚ましで起き、「九州国際スリーデーマーチ2019」2日目の20キロ、「い草の里フードバレーコース」に参加。

今日も暑そう。


(8時半にスタート)

球磨川に架かる新荻原橋を渡る。


(新荻原橋)


(橋の上から八代駅方面)

橋を渡って右折、しばらく歩いて右折。水無川沿いを歩く。


(水無川)

水無川を離れて、日本三大妙見の一つといわれる妙見宮(八代神社)に寄る。11月には八代妙見祭が開催され、八代が賑わう。



川沿いの道を歩く。


(川に沿って)


(道沿いで)

「東片自然公園」の777段の階段。今日は上らないで、川沿いの道を進む。


(東片自然公園の石段)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

川沿いを外れてしばらく歩いく。ここら辺りは古墳が多いようだ。


(古墳への案内板)

薩摩街道の案内板。熊本城から9里ということかな。


(薩摩街道の案内板)

9里の案内板から数歩で、40Kとの分岐点。20Kは左折する。


(40Kとの分岐)


(道沿いで)

い草の「千丁町」へ入る。


(い草)


(い草)


(田植え?)


(道沿いで)

千丁町のい草は、「永正2年(1505)上土城の城主であった岩崎主馬守忠久公が、初めてい草を植えて育てることを、村人に教えたことから始まりました。」(熊本県い業生産販売振興協会のホームページより)

500年以上の歴史がある。

上土城跡に岩崎神社が建てられ、岩崎主馬守忠久公が祭神に祀られている。


(岩崎神社)

鹿児島本線の列車からも、岩崎神社に立つ看板が目立つ。この看板を見て、もうすぐ八代駅にだな、といつも思う。

線路を渡って歩く。


(岩崎神社)


(道沿いで)


(ハウスの中のいちご)


(綺麗なお花畑)

あっち見、こっち見をしながら歩く。


(あっち見)


(こっち見)

そして、い草畑も見て歩く。


(い草畑)

蝶も見ながら。


(道沿いで)

電柱の上も見ながら。


(道沿いで)

千丁町のお接待場所に。


(千丁い草の里公園)


(おにぎりもいただいたが映っていない)

おにぎりとお漬物をいただき、元気を出して歩く。コースはたんたん。カメラの出番は無い。


(やっと出会ったお花)

第2チェックポイントは、新八代駅東口にある元ソフトバンクホークスの「松中信彦スポーツミュジアム」。


(松中信彦スポーツミュジアム)

その横にある「八代よかとこ物産館」に寄ってお買いもの。


(八代よかとこ物産館)

新八代駅南口に廻って、「がめさん公園」に。


(がめさん公園)

八代駅の近くまで来た。


(八代駅近くの工場)

JR八代駅と、肥薩おれんじ鉄道八代駅。


(写真左は肥薩おれんじ鉄道の車輌)

再び新萩原橋を渡って、球磨川河川緑地のゴールに。


(球磨川河川緑地)


(ゴール)

大会会場には「い草」の宣伝コーナーもあって、い草の製品も販売されている。アンケートに応えると、抽選でい草の製品も当たる。当たったのはい草のコースター。


(い草のチラシ)


(い草の製品)

「八代よかとこ物産館」で買った地元野菜の煮しめでビール。年寄りには煮しめが合う。

明日はどうしょう。

九州国際スリーデーマーチ2019-1日目20キロ「水島・万葉の里コース」

2019-05-21 | JWAウォーキング
2019年5月10日(金)

今日は、熊本県八代市で開催の「九州国際スリーデーマーチ2019」の1日目20キロ「水島・万葉の里コース」に参加。

スタート・ゴールは八代駅から歩いて15分程、球磨川に架かる新萩原橋を渡ったところの球磨川河川緑地。

急な参加で、当日受付をすませる。

JWA(日本ウォーキング協会)のウォーキングに参加するのも久しぶり。会場に着いたときは、出発式が始まっていて、参加者も国際色豊か。外国から参加の3名のウォーカーによる「エィ・エィ・オー」でスタート。


(出発式)

球磨川沿いを上流にしばらく歩いて、南九州西回り自動車道側道の道へ。


(道沿いで)


(道沿いで)

「九州国際スリーデーマーチ」は5月の連休が終わった後の金土日の3日間毎年開催される。参加する度に山々の緑が深くなりつつあるのを感じる。それだけに暑い。


(山の緑)

小学生の頃に、住んでいる熊本県について勉強があった。習った八代市は熊本県随一の工業都市。高校の時、初めて八代駅に降りた。その時、これが工業都市かと思う異様な臭いは忘れられない。今では、工場も減って、空気もきれいになっている。


(工業都市の面影も残る)

南九州西回り自動車道側道を歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)

熊本県指定史跡「平山瓦窯跡」は、南九州西回り自動車道建設の調査で発掘され、設計が変更され保存されている。

八代は、南北朝時代に古麓城、安土桃山時代に麦島城、江戸時代に現在地の八代城が建てられている。平山瓦窯は、小西行長の時代に建てられた麦島城の瓦を焼く窯とし造られた。


(平山瓦窯跡、通称「だるま窯」)


(道沿いで)

国道に出る。八代南IC近くの案内板では、地震があったようだが、鈍感な躰は感知せず。八代の震度が「3」だったのは後から知る。


(八代南IC近くで)


(道沿いで)

国道から右折。「八代ふる里物産村」からは田植え前の田、麦が実った田、トマトのハウスなどの中を歩く。


(八代ふる里物産村)


(い草?)

熊本県は、八代、水俣・芦北、人吉・球磨の県南地域の豊富な農林水産物を活かし、食関連の研究開発機能や企業を集積させる「フードバレー」を形成することにより県南地域の活性化を目指している。八代市は、工業都市からフードバレーの中核市へと発展していこうとしている。


(畑やハウスを眺めながら)


(ハウスの中のトマト)


(麦畑)


(道沿いで)


(川沿いに)


(道沿いで)

枯れても力強く。歩こう。


(道沿いで)

半分歩いた。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

流藻川沿いを歩く。


(流藻川)


(流藻川)


(流藻川)

4年前歩いたときもこの花を撮った記憶が。


(道沿いで)


(空を見上げると暑い)


(ハウスの中)

八代海に出た。みんな写真を撮りだした。


(八代海)


(遠くに雲仙の山並み)

海沿いを歩く。


(海沿いを)

万葉の里公園が第2チェックポイント。トマトが美味しい。


(万葉の里公園)


(トマトをいただく)

9年前、万葉集に関する本を読んでいたら八代市に万葉集で詠まれている地「水島」があることを知った。

場所を知りたくネットで検索していたら、「水島」に行くウォーキングがあるらしい。詳しく調べて、「九州国際スリーデーマーチ」の20Kコースで「水島」に行けることが判る。

早速、申込みをして参加した。ウォーキングを始めたのが、その前の年の秋だったので、20K歩くのに不安はあったけど、「水島に行こう。」が勝った。ウォーキング協会なるものがあるのもその時初めて知った。

万葉の里公園に万葉集巻三245の碑「如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋」が建っている。

長田王の筑紫に遣わされて水島に渡りし時の歌2首の一つで、
読み下し文は、「聞くが如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」、
口訳は、「聞いているとおりに、まことに貴く、ふしぎにも神々しくあることよ。この、水島よ」。


(如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋)

日本書紀巻第七に景行天皇が「海路から葦北の小島に泊まり、食事をされた。そのとき、山部阿弭古の祖である小左をよんで冷たい水を献上させた。このとき島の中に水がなかったので、致し方なく天を仰いで、天神地祇に祈った。するとたちまち冷たい水が、崖のそばから湧いてきた。それを汲んで献上した。それでその島を名づけて水島といった。」と書かれている。

万葉集巻三245は、長田王がそのことを想い詠った1首。


(水島)


(水島)

このあたりは江戸時代に干拓されて今では海岸から直ぐのところに水島がある。

万葉史跡水島説明板には、「江戸時代末の天保14年(1843)、水島新地が築造される際、水島は干拓地に取り込まれる計画でしたが、万葉の古蹟が失われるのを憂慮した国学者和田厳足の建議により、計画が変更されたことは、文化財保護の先駆けと言えます。」と記されている。


(八代海)

八代海から、球磨川沿いを歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いから金剛歩道橋)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

川沿いの道から下りて、球磨川河川敷の遊歩道を歩く。


(遊歩道)

9年前、ゴールまで後2キロ位の地点で不安が的中した。歩けなくなった。足に豆が出来て痛い。しばらく休んで、足を引きずりながら歩き出した。

今日はまだ軽快。


(球磨川)

その時のことを思い出しながら、ゴール。



ゴール後は、日奈久のサラダちくわと五家荘のイモ天でビール。

明日は起きれたら20Kを歩こう。

《参考本》
中西進『万葉集 全訳注原文付(一)』)講談社文庫、昭和62年第10刷
宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫、1992年第11刷

「会津鉄道」湯野上温泉駅から、「野岩鉄道」龍王峡駅へ【福島の旅4日目】

2016-05-03 | JWAウォーキング
2016年4月11日(月)

 福島の旅も4日目。朝、目覚めて民宿の廻りをブラブラ。


(民宿温泉「赤ひげ」)


(民宿の近くで)

 朝食も品数多く、手作りの料理が美味しかった。ご飯食べるところに貼ってあった時刻表を見ると間もなく列車が通過する時間のようなので、カメラを持って、民宿裏の線路へ。


(民宿裏で会津鉄道)

 会津鉄道の列車を撮って、民宿に戻って、駅へ送っていただく。
 民宿温泉「赤ひげ」は、料金が安かったけど、料理も充実していて楽しく過ごせた。福島3泊目を会津若松市内にするか、他の温泉地にするか、湯野上温泉ではどの宿にするか、迷ったけど、ここの民宿にして良かった。
 
 湯野上温泉駅(ゆのかみおんせんえき)は、茅葺屋根の駅舎として有名。近くの大内宿の街並みになぞらえ、1987(昭和62)年に完成している。赤ひげのおかみさんからは、ここまで来たら大内宿に行かないと、と勧められたけど、今回はパス。


(湯野上温泉駅)


(湯野上温泉駅)


(湯野上温泉駅入場券)


(湯野上温泉駅で)

 駅で写真を撮ろうとしたらカメラが無い。駅舎内を探したが無い。慌てて民宿に電話したら、ご主人が持って駅に向かっているとの事。ご迷惑をおかけしました。有難うございました。

 駅で写真を撮りながら待っていると、会津鉄道の東武日光行き快速が入線。この間、少しみぞれ模様。寒い。


(会津鉄道)

 月曜日なので乗客は少ない。右の窓に行ったり、左の窓に行ったりしながらカメラを構える。雪が積もる山の山肌は九州の山とは全く違う。全く緑がない。だいぶん前、ここの近くの只見に春先に行った宿で、たくさんの山菜料理が出て食べきらなかったことがある。山々を眺めていると「春」への思いは九州とは違うかも知れない。


(沿線)


(沿線)


(沿線)


(会津田島駅)


(沿線)

 列車は会津高原尾瀬口駅に着く。これから先は野岩鉄道(やがんてつどう)の路線になる。福島県に来て、5つ目の鉄道会社の路線。


(野岩鉄道会津高原尾瀬口駅)

 熊本から福島入るにはどうするか検討していたら幾つかの方法があった。いろいろと調べていると、福島県には旅客を乗せる鉄道会社が5社ある。その阿武隈急行、福島鉄道、JR東日本、会津鉄道、野岩鉄道の会社の路線に乗って帰れそうだというので、今度の旅の行程になった。

 列車は、湯野上温泉駅から乗った列車でそのまま走る。乗務員は野岩鉄道に代わられたと思う。
野岩鉄道は、福島県の会津高原尾瀬口駅と栃木県の新藤原駅間を結ぶ鉄道。栃木県の旧国名である「下野国」の「野」と、福島県会津地方の旧国名である「岩代国」の「岩」とからつけられた名前のようだ。新藤原駅から先は東武鉄道で浅草へ繋がっている。


(沿線)


(五十里ダム(いかりダム)?)


(川治湯元駅)

 新藤原駅一つ手前の龍王峡駅(りゅうおうきょうえき)で降りる。龍王峡駅はホームの半分はトンネル内にある。階段を上って駅を出ると、一本の桜が。


(龍王峡駅)


(龍王峡駅)


(龍王峡駅)


(龍王峡駅前)

 駅前の土産物屋さんにスーツケースを預けて龍王峡へ。龍王峡は2,200万年前、海底火山の活動によって噴出した火山岩が、鬼怒川の流れによって侵食され、険しい岩盤が露出し、さながら竜が暴れ回ったような形跡を残すことから龍王峡と名付けられた、という。残念なことに、2015(平成27)年の台風18号の影響で落石などがあり、コースの大半は通行止になっていた。
 駅から下って、虹見橋のところにある、虹見の滝、五龍王神社から渓谷沿いを水芭蕉群生地のあるむささび橋まで歩く。虹見橋、むささび橋の上に立つことは出来るが、橋を渡ってから向こうには行けない。橋の上からが見どころのようだが、橋の上は苦手だ。写真撮るのも怖い。むささび橋の上でようやく撮ったが怖かった。水芭蕉一部ではあるが綺麗に咲いていた。ここからは先へは行けない。


(龍王峡案内板)


(龍王峡へ下る)


(龍王峡虹見の滝)


(龍王峡五龍王神社)


(龍王峡虹見橋)


(龍王峡竪琴の滝)


(龍王峡)


(龍王峡)


(龍王峡水芭蕉)


(龍王峡水芭蕉)


(龍王峡むささび橋の上から)


(龍王峡ここまで)

 駅へ戻る。予定ではここで時間をとっていたが、通行禁止で時間に余裕が出来た。せっかくなので鬼怒川温泉に寄ろう。


(龍王峡駅付近)

 奥日光鬼怒川温泉の名前はよく聞くが行くのは初めて。野岩鉄道龍王峡駅の次ぎ新藤原駅からは東武鉄道になる。乗り換えは無し、そのまま進む。乗務員は代わったと思う。列車が駅に近づくと廃屋となったホテルがチラホラ目に入る。
駅近くの桜並木などを撮って、その桜並木のところにあるホテル三日月で温泉に入る。大浴場で、露天風呂も含めて、10種類ほどの浴槽がある。全部入ったかどうかはわからない。銀風呂もあった。金風呂もあるようだが、この時間は女性用になっていのかな。靴箱の使い方など従業員の方にも親切にしていただいた。


(鬼怒川温泉駅)


(鬼怒川)


(鬼怒川温泉桜並木)


(鬼怒川温泉ホテル三日月横)

 鬼怒川温泉は東武鉄道の駅で、SUGOCAが使える。栃木市まで下ると、桜の花は落ちてしまっている。福島でそして栃木で、九州とは少し違った桜の風景に出会った旅も終わりだなあ、と少し感傷的になる。


(鬼怒川温泉駅)


(栃木市内で)

 東武鉄道北千住駅で、東京メトロ千代田線に乗り換え、日暮里駅へ。日暮里からJR東京浜東北線で品川駅。品川駅で京浜急行に乗り換えで羽田空港へ。羽田から熊本空港へ。乗り継ぎ乗り継を無事に終えた。
福岡空港へ向かい、熊本空港から帰宅という「一筆書き」行程の旅も終わった。


 福島県は約2年半ぶりに訪れた。その時は震災と原子力被害の南相馬市、飯館村などを訪ね、その被害の大きさを実感した。そして皆さんの復興への意欲を強く感じて帰った。飯館村はまだ全村避難だ。

 帰宅して4日後、自分の住まう地が震災で大きな被害を被った。熊本もまた復興へ強く立ち上がらなければならない。

 温泉民宿「赤ひげ」のおかみさんから、地震後に心配の電話をいただいた。有難うございます。

「JR」で鶴ヶ城へ、それから「会津鉄道」に乗る【福島の旅3日目-②】

2016-04-30 | JWAウォーキング
2016年4月10日(日)

[記憶が徐々に薄れていきますが・・・。]

 2日目のウォーキングを終えて、JR福島駅新幹線ホームへ。
 東北新幹線「やまびこ」と山形新幹線「つばさ」の連結に出会う。


(新幹線の連結)

 福島へ来てから毎日テレビで地域のニュースを見ていたら、福島県各地の桜の開花状況と花見の模様が次々と報道されている。会津若松市の鶴ヶ城(若松城)も福島1日目はまだ満開前だったが、満開近しの報道。
 今日のウォーキングは20Kコースに参加を予定したが、それだと鶴ヶ城には寄れる時間的余裕がなさそうだったので、10Kコースに変更した。
 新幹線で郡山駅までは13分。郡山駅で駅弁を買う。ここからは快速電車で磐梯山を眺めながら会津若松駅へ向かう。


(磐越西線快速)


(快速列車内で駅弁食べる)


(磐梯山)

 会津若松駅からはタクシーで鶴ヶ城へ。「今、満開を迎えました。」と桜が迎えてくれた。そして人、人、人。嬉しそうな顔、顔、顔。
 春を迎える花もいろいろあるけど、桜は少し見上げて観るところがいいのだと思う。気持ちが前向きになれる。その先には青空やお城が似合う。
 熊本城の壁は黒色が多く撮りやすいが、鶴ヶ城は壁が白色なので難しい。
 天守閣の中には入らず周りをぐるりと一周し、城を後にする。


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城で)


(鶴ヶ城お堀)


(鶴ヶ城)


(鶴ヶ城御三階跡)


(御三階跡説明板)


(鶴ヶ城二の丸)

歩いて行ったのは、会津鉄道西若松駅。鶴ヶ城の最寄駅だが20分はかかる。


(西若松駅)

 福島県へ来て、阿武隈鉄道、福島交通飯坂電車、JR東日本の新幹線・在来線の列車に乗り、4つ目の鉄道会社「会津鉄道」で湯野上温泉駅へ向かう。


(会津鉄道)

 長いトンネルを幾つも通り、どんどんと高いところへと進んで行く。


(会津鉄道路線図)

 沿線の桜も満開から、7分咲き、5分咲きへと変わっていく。
 途中駅、芦ノ牧温泉駅では猫の名誉駅長の写真がお出迎えしている。引退した初代名誉駅長「ばす」は、4月22日に亡くなった。


(芦ノ牧温泉駅)


(芦ノ牧温泉駅)


(沿線)


(沿線大川ダム)

 30分程で湯野上温泉駅に着いた。満開の桜の駅から乗って、30分の列車の旅で、開花前の桜の駅に降りた。


(湯野上温泉駅舎内)


(湯野上温泉駅)


(湯野上温泉駅前)


(湯野上温泉駅前)

 今宵の宿は、民宿温泉「赤ひげ」。1日3組の小さな民宿。駅まで迎えに来てもらった。この日の宿泊は他に九州からの1組。お風呂に入り、本を読みながらいると夕食の時間に。
 民宿の大将、おかみさんも交えて、和気あいあいの夕食になった。アユの塩焼きや手作りの料理も美味しかった。馬刺しも出た。最近の熊本の馬刺しは霜降りの高級なものばかりだが、赤身でしつかり味わえて美味しかった。「男山」の冷酒一本。
 ぐっすり就寝。

今日も満開の桜と桃源郷-第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ2日目11K【福島の旅3日目-①】

2016-04-25 | JWAウォーキング
2016年4月10日(日)

 2日目は予定の21Kコースを変更して、11Kを歩くことにした。体調不良ではなく、ゴール後に予定に入れて無かった所に寄る時間をとることにしようと思う。


(福島駅前)


(地下歩道)

 スタート会場福島第一小学校には早く着いたので、お隣の福島県庁付近を散策した。


(福島第一小学校)


(福島県庁)


(板倉神社:震災後復元された)

 「つばくらめ ちちととびかい阿武隈の きしの桃のはな いまさかりなり」若山牧水は、1916(大正5)年福島に来てこの「阿武隈川のうた」を残した。


(若山牧水歌碑)

 さて、スタート。阿武隈川を渡って3K弱地点、標高142mの弁天山をめざす。上りも急ごう、と思うがやはり立ち止まって写真を撮る。撮っていると「九州とは花が違いますか?」と声かけられた。青森では違っていたけど、福島ではあまり違いは感じなかった。


(天神橋より阿武隈川。右より荒川が合流)


(弁天橋)


(弁天山)


(弁天山)


(弁天山)

 桜が山を覆っている。頂上からは福島の街が一望。


(弁天山)


(弁天山より)


(弁天山)

 下りは階段。花吹雪が舞う。


(弁天山)


(弁天山で花吹雪)

 少しゆっくりしていた感じがしたので、花見山公園へ急ぐ。
 「写真家 故 秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と毎年訪れていた場所で、 ウメ、数種類のサクラ、レンギョウ、ボケ、サンシュユ、モクレン、ハナモモなどの花々がいっせいに咲き競います。 まさに「桃源郷」の言葉がふさわしいスポットです。」(一般社団法人 福島市観光コンベンション協会公式ページより)とあるが、どこからどこまでが「花見山公園」と呼ばれるのかわからない。山一帯にさまざまな花が咲いている。この山全体なんだろう。この光景は、私では手に負えそうにない。人出も多い。この角度でと思ってカメラを構えても次から次へと人が入ってくる。


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)


(花見山公園)

 何日か通ったらいい写真が撮れるだろう、と負け惜しみを云いつつ、約5Kの帰りの道を急ぐことにした。


(花見山公園の帰り)


(花見山公園の帰り)


(花見山公園の帰り)

 阿武隈川を渡ったところの正面に福島競馬場のメインスタンドが見えた。川沿いを歩いてゴールに向かう。福島3日目、満開だった桜が散りだした。


(渡利大橋より阿武隈川)


(福島競馬場)


(桜も散る)

 地下歩道を通ってゴールへ。福島のメイン道路には歩道が少ない。その代わりに地下歩道が設置してある。エスカレーターがついている地下歩道も多い。


(地下道をくぐる)

 ゴールへ着いた。豚汁が用意してあったので、いただこうとしたら、「券」がいるという。そんなの貰ってないよ。どうもスタート前に券を貰わないといけないらしい。1日目は受付をした時に券を貰った。そしていただいたのはコースの途中。ゴールでいただくのであればゴールした人に券を配ればと思うけどそうは出来ない事情があるのだろう。九州のいくつかのコースで参加した時には券と引き換えにいただくということを経験したことが無い。自由に「おふるまい」をいただいた。2日目に受付をした経験もない。これまで参加した九州のコースとは勝手が違うようだ。


(ゴール福島第一小学校)

 お腹空いたが、次の目的地へ向かうことにし駅へ。福島の桜の旅3日目は続く。

「福島交通飯坂電車」に乗って、飯坂温泉に浸かった。-【福島の旅2日目-②】

2016-04-24 | JWAウォーキング
2016年4月9日(土)

[14日夜9時26分頃、震度7の地震に襲われました。浴槽からあがって浴室で身体を拭いている時でした。それから10日ほど経ちます。震度3以上の余震も少なくなりました。お風呂からあがったら投稿しようと整理していたブログを投稿します。]
 
 ウォーキングの1日目を終え、ホテルで汗を流し、福島駅へ。
 福島に入って二つ目の鉄道「福島交通飯坂電車」の窓口へ。「飯坂温泉ゆったり切符」1000円があったので買う。フリーの乗車券に旅館温泉の入浴券が付いている。お勧めも紹介してもらう。


(「福島交通飯坂電車」と「阿武隈急行」は同じ場所)

 電車は住宅街の中、道路沿いに進む。熊本でいえば菊池温泉まで運行していたころの菊池電車(青ガエルで有名になった熊本電鉄のこと)の雰囲気。飯坂電車は大正13年に運転開始し、飯坂温泉駅まで延びたのは昭和2年とのことで、菊池電車が10年程先輩になる。


(飯坂電車)


(沿線)

 24分で飯坂温泉駅に着いた。駅前では松尾芭蕉の像が迎えてくれる。1689(元禄2)年、芭蕉は飯坂を訪れ、医王寺で「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を残している。途中、医王寺前という電停があったが帰りも寄らなかった。


(飯坂温泉駅前)

 せっかくなので、少し散策しよう。


(広場)

 ぶらりと歩いて行ったのは飯坂町鎮守八幡神社。「創建古く年月は不詳であるが、社伝によれば平安時代後期の天喜4年(1056)、後三年の役で奥州に出陣した源義家がこの地にさしかかったとき空に長くたなびく八条の雲を見て、あたかも源氏の白旗が大空に翻るかの様に、義家は守護神の八幡大神が戦勝の験として示されたものと信じ、必勝祈願のために勧請したと伝えられている。」(八幡神社ホームページより)この時代の関東での戦の歴史には疎い。
 飯坂温泉は、東北地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれていたようで、境内には明治の大火まで、鯖湖湯側にあった「鯖湖碑」がある。「飽かずして別れし人の住む里は さはこの見ゆる山のあなたか」(拾遺和歌集巻第七)。
 足の守護神の小祀もある。


(八幡神社)


(鯖湖碑)


(わらじの奉納も)

 常泉寺境内には飯坂温泉の名湯の一つ「滝の湯」があった。


(常泉寺)

 旧堀切邸は、平成22年5月に開館した江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家を補修、復原、一部新築により整備しているので新しい建物という感じがする。


(旧堀切邸の蔵)
 
 鯖湖湯は平成5年に復元された共同浴場。横には鯖湖神社、お湯かけ薬師如来、大きな樽の形の貯湯塔がある。


(鯖湖湯)


(鯖湖神社)


(お湯かけ薬師如来)


(貯湯塔)


(福島へ来て目立つのは「しだれ桜」)

 駅へ戻り、近くの温泉に入ろうとパンフレットを見たら、お勧めしてもらった湯はどこも午後3時までが入浴時間だった。少しリッチに湯に浸かろうと思ったが、共同浴場入浴券とのセットの切符もあったようでそっちの方が良かったようだ。
 
 十綱橋を渡って直ぐの旅館のお風呂に入る。源泉かけ流しで結構熱めの湯と少し温めの湯の2つの湯壷があった。旅館の主人の話では少し温めの湯も管を通る過程で温くしているとのことだった。
 渡った十綱橋は、「歴史は古く、平安時代末期までさかのぼる。名前の由来は、この橋が藤(とう)綱の吊橋で、十(とう)の綱が張られたことによるといわれてきた。(中略)今日の十綱橋は、大正4(1915)年に建設された現存最古級の鋼橋である。」(土木学会選奨土木遺産ホームぺージより)


(十綱橋)

 橋の下を眺めると摺上川に堰がある。1618年(元和4年)、佐藤新右衛門という人が私財で築いたのが始まりのようである。


(摺上川堰)

 コンビニでビールを買い、駅前広場で飲んで、電車で福島駅へ帰る。


(ようやく・・・)


(飯坂温泉駅)

 駅前広場には、古関裕而のモニュメントがあった。古関裕而は福島市名誉市民第一号で平成21年に生誕100年を迎えるに合わせて設置されている。


(福島駅前広場)

 夜は、ホテル近くの少し高そうな居酒屋へ。福島牛の陶板焼きなどと地酒2杯。
 JR福島駅みどりの窓口で明日の行程の切符を買って、ホテルへ帰る。疲れた。就寝。

満開の桜と山の残雪-第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ1日目23K【福島の旅2日目-①】

2016-04-13 | JWAウォーキング
2016年4月9日(土)

 目覚めて部屋のカーテンを開けたら山には残雪が。遠くへ来たんだと感じる。体調は万全ではないようだが、20Kコースに参加しよう。写真撮りながら歩いていると良くなるだろう。


(朝ホテルより)


(メイン会場付近)

 メイン会場の福島県庁前福島市立第一小学校を8時30分過ぎにスタート。県庁の裏から阿武隈川へ出て、阿武隈川へ流れる荒川へと進む。荒川河畔を歩いて行くと川岸のいたるところに土筆がいっぱい芽を出している。摘む人がいないのだろうか。九州だと、こんなに目立つところにいつまでも芽を出したまま生えていることは無い。すぐに摘まれてしまう。


(開会式)


(河野広中銅像)


(阿武隈川)


(荒川で「ご苦労様です」)


(荒川沿い)


(いたるところ土筆)

 程なくして、満開の桜並木が目の前に広がり、「桜づつみ公園」に着く。そして山並みには残雪が。満開の桜と残雪。九州では見ることが無い光景にただ呆然と見つめる。「凄い」。


(桜づつみ公園)


(桜づつみ公園)


(桜づつみ公園)

 公園内は約220本の桜並木が続く。風で桜吹雪も舞う。1K程はあったろうか桜並木を通りぬけても残雪の吾妻連峰を眺めながら荒川沿いを歩く。


(桜吹雪)


(桜並木)


(桜と残雪)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)


(荒川沿い)

 途中、和光神社でトイレを借りる。


(和光神社で)


(荒川沿い)

 10K地点の荒川橋を渡り、帰りの途に。


(荒川橋より)


(山並みを背に戻る)

 福島市・民家園に立ち寄る。古い民家が移築保存されているようだ。一帯は「あづま総合運動公園」になっていて、家族連れで花見を楽しんでいる人たちでいっぱいだった。


(福島市・民家園の芝居小屋「広瀬座」)


(福島市・民家園)


(あづま総合運動公園)


(あづま総合運動公園)


(あづま総合運動公園ゲート)

 工業団地や住宅地をあるいてゴールをめざす。時折、強い風が吹いて体が飛ばされそうになる。残り5K地点の「吾妻学習センター」では豚汁をいただく。


(工業団地沿い)


(道沿いで)


(道沿いで)


(吾妻学習センター)

 住宅地の中のさして広くない真っ直ぐな道に出る。こういうところは以前鉄道が走っていたところが多いが、ここはどうなんだろう。抜けて、メインの大通り高湯街道に出る。新幹線と在来線をくぐり、13時45分頃に第一小学校にゴール。


(廃線跡?)


(道沿いで)


(駅前のホテル)


(ゴール第一小学校)

 ホテルへ戻り、次の目的地へ。

「阿武隈急行」は桜が満開だった。【福島の旅1日目】

2016-04-12 | JWAウォーキング
2016年4月8日(金)

 今度の福島の旅は「第18回ふくしま吾妻荒川花見山ツーデーマーチ」に参加するのが目的だ。
 どうやって福島へ行くか?調べていたらいろんなルートがあった。熊本から飛行機だと①熊本-羽田そして新幹線、②熊本-伊丹乗り継ぎ-福島の2つがある。福岡からでも飛行機の福島直行便は無く③福岡-仙台便はある。仙台から福島へはと調べたら、③-(1)JR東北本線あるいは新幹線で福島へ行くのと、③-(2)JR東北線槻木駅で「阿武隈急行」という鉄道に乗って行くのと2つのルートがあった。ここは乗ったこともないし、これからも乗る機会は無いだろう「阿武隈急行」に乗ろう、と行きは決まった。
 
 さて、当日。高速バスで福岡空港へ向かい、航空機で仙台空港へ。空港からは仙台空港鉄道仙台空港アクセス線に乗り名取駅でJR東北本線に乗換えて槻木駅に着く。槻木駅で「阿武隈急行」に乗り換え。運転手さんに仙台空港ではSUGOCAで改札したらことを話したら、「阿武隈急行」ではICカードは使えない、証明書を発行するのでJR福島駅で精算して下さいとのことだった。


(阿武隈急行)


(路線図)

 「阿武隈急行」は宮城県と福島県を結ぶ鉄道。沿線は、次から次へと満開の桜が目の前に迫ってくる。写真を撮っていたら運転手さんが、さくらの綺麗な公園があると教えてくれた。この時期のフリー切符があるので途中下車しても1,000円で乗れることも教えて貰った。


(行き交う)


(沿線の桜)


(沿線の桜)


(沿線の桜)


(まだ宮城県)


(福島県に入る)


(車内で桜フリー切符を発行してもらった)


 その駅「やながわ希望の森公園駅」で降りる。駅を出て直ぐの所に見事な桜並木が。どんどん進んで行くと、公園の入口。駅のすぐ近くからこの公園入口までSLが運行されているようだ。


(やながわ希望の森公園駅)


(駅前SL乗場)


(公園への道)


(SLの線路)


(公園入り口)


(公園入り口)

 「やながわ希望の森公園」は伊達市梁川町にある。2006年梁川町など6町が合併し伊達市となったようだ。園内の桜はほぼ満開。うきうきしながら写真を撮って廻る。熊本を出た頃は少し風邪気味であったが元気が出てきた。「四季桜」という桜はまだ満開まではなかった。


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(四季桜)


(四季桜)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(やながわ希望の森公園)


(放射能の測定)


(やながわ希望の森公園)

 満足したところで駅へ引き帰し、沿線の桜を見ながら、阿武隈急行福島駅へ。槻木-福島間はJRだと60分程だが、「阿武隈急行」では80分程かかる。JRの福島駅へ行き「阿武隈急行」の証明書を出してSUGOCAの精算をしてもらう。証明書を見せたらJRの駅員さんも慣れているようで、わざわざ「阿武隈急行」を利用する人も結構いるようだ。


(沿線の桜)

 駅前のホテルにチェックインし、夕食はホテル近くで探して、安そうな居酒屋へ。カツや丸ごとニンニクなどを食べ、風邪よ吹き飛んでくれと祈って就寝。


(夜の福島駅)

なごやんばるツーデーマーチ2日目辺野古サンライズコース-沖縄の旅3日目

2015-12-19 | JWAウォーキング
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12月13日(日)

 今日のスタートは7時。まだ暗いうちにメイン会場の21世紀の森屋内運動場へ。朝食は会場でパン。途中、お腹が空いた時のためパンを2個リュックに入れる。

 メイン会場~道の駅許田(きょだ)~久志(くし)公民館~辺野古公園~二見の里~世冨慶(よふけ)公民館~名護市営市場~メイン会場の31.2kmが今日のコース。


(21世紀の森屋内運動場)

 昨日歩いた21世紀の森ビーチから名護漁港、国道58号線へ出て名護湾の海岸沿いを歩く。湾の向こうに宿泊したホテル、21世紀の森ビーチ、屋部の海岸などが見える。


(21世紀の森ビーチ)


(名護湾)


(名護漁港)


(名護湾)


(名護湾岸)


(名護湾)


(名護湾)


(名護湾)

 5.9km地点の道の駅許田でトイレ休憩。朝の8時頃なので物産センターは開いていない。しばらく海岸線を歩いて山道へ入る。上りを歩いていると突如として大きなお寺「名護山平安寺」が現われた。人家が密集しているようなところでは無い。


(平安寺)

 トンネルを出てもしばらく上りが続いたがやがて下りに海が見えた。海に出て歩けるかな、と思ったら「蘇る大地の碑」があって左へ曲がる。左手に見えるのは久志岳か。このあたり一帯の高地は開墾されているので、「蘇る大地の碑」はこのことかも知れない。


(太平洋)


(蘇る大地の碑)


(久志岳(左)と辺野古岳(右)?)


(パイナップル畑?)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

 海の見えないところを歩いて、13.6km地点の久志公民館へ。チェックポイントのスタンプを押してもらう。


(久志公民館)


(久志公民館)


(道沿いで)

 公民館をすぐそばに「祝女殿内(のろどぅんち)」があった。「琉球では、神々を祭る役目は女性のものであった。一般にオナリ神信仰とよばれるが、オナリ(女性)は霊力が高く、エケリ(男性)を守護する力があると信じられていた。農耕儀礼を中心とする年間を通じてのさまざまな行事・祭礼があり、その場面で神々に豊作を祈願し、収穫のよろこびを感謝したのは女性たちであった。(高良倉吉著「琉球王国」岩波新書より)」琉球王国第二尚氏の時代、そのような女性たちを組織化した。王の妹を頂点の聞得大君職とし、地域にはのろを配置した。殿内はのろが住むや屋敷である。
そのすぐ傍には久志之若按司御位牌安置所がある。按司はグスクを居城とした地方の領主である。久志の若按司の「策謀術で敵同士を仲違いさせ、ついに主君の仇討を果たす」物語は組踊として上演されたりしている。


(祝女殿内)


(久志之若按司御位牌安置所)

 少し歩いたら海に出た。ここで、チェックポイントのスタンプを押してもらうマップを落としていることに気がつく。先ほどの公民館だろうと引き返すとあった。気を取り直して再び海の見えるところへ。歩いていても海が見えるは一瞬一瞬で、海の見えない道を歩く。


(道沿いで)


(一瞬海沿いを)


(海の見えない道を歩く)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(また少しの間海が見える)


(サトウキビ畑?)

 17km地点、辺野古公園に着く。ここでも海は眺めただけで先へ進む。


(辺野古公園)


(辺野古公園)

 海側には在日米軍海兵隊基地がある。普天間基地の移転先とされる所だ。道の反対側には基地移転反対派のテントがある。基地に沿って歩いていると、また一瞬海が見えるところがあった。


(米軍基地の道路反対側)


(米軍基地の道路反対側)


(一瞬海が見える)

 沖縄半島で東側と西側の海を持つ自治体は北端の国頭村、南端の糸満市の他は名護市だけである。西側名護湾沿いを歩いて山を越え東側太平洋に出たのだが太平洋の海はチラリチラリと見ただけで、海側には米軍基地もあるし海沿いを歩くことはなかった。残念な気持ちである。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

 22km地点の介護老人施設二見の里ではトイレ休憩だけで先へ進む。やがて世冨慶川に架かる長堂橋に出る。橋には名護親方・程順則(なごうぇーかた・ていじゅんそく)の像が置かれている。程順則は「近世の沖縄を代表する政治家で、66歳のとき、名護間切の総地頭(そうじとう:今でいう市長)となり、名護親方となのります。名護にいたのは7年間でしたが、その功績や人徳から人々に親しまれ、名護聖人(なごせいじん)とも呼ばれました。」(名護市ホームページより)


(道沿いで)


(道沿いで)


(ツーリングの集団)


(昨日見た嘉津宇岳)


(長堂橋)


(長堂橋)

 橋は長かった、1km程はあったろう。


(名護湾が見えた)


(長堂橋の終わり)

 橋を渡り終えしばらく歩くと世冨慶地区に着く。朝方通った海沿いの道が見える。5kmコースと合流したようで小さい子どもを連れた参加者たちと会う。


(世冨慶地区)


(世冨慶地区)

 わが国で最も大きいといわれる東江(あがりえ)のミフクラギを見て、昨日訪れた名護博物館、ひんぷんカジュマルへ出る。「「ひんぷん」とは屋敷の正門と母屋との間に設けられた屏風状の塀のことで、外からの目隠しや悪霊を防ぐものといわれます。乾隆15年(1750年)具志頭親方蔡温は、当時の運河開通論と王府の名護移遷論議を鎮圧するため、三府龍脈碑を建てました。この石碑がひんぷんのように見えることからヒンプンシーと名付けられ、その隣に生育するガジュマルもいつしかひんぷんがじまると呼ばれるようになりました。」(名護市ホームページより)


(東江のミフクラギ)


(名護博物館)


(ひんぷんカジュマル)

 名護の商店街を通って21世紀の森屋内運動場へ。ゴールして今日もオリオンビール。ウォーキング中に食べなかったパンがおつまみ。


(名護の商店街)


(道沿いで)


(ゴール)


(参加者数)

 2日間のウォーキングを終えて、名護バスセンターから高速バスで那覇へ。高速バスの停留所何カ所かはインターチェンジから出たところにあるのでその都度インターを出てまた入る。名護へ行くときも感じたが、ETCを使ってインターを通過する車が少ない。多くの車は直接支払の方に並んでいた。那覇バスセンターで降りたら山形県の遊佐でお会いした方に会う。同じバスだった。ご挨拶して、今日の宿泊先西鉄リゾートイン那覇へ。

 一休憩して、お肉を食べたいと思いフロントで紹介してもらう。地図に印をつけてもらったがなかなか見つからない。同じところを何度か行ったり来たりしてようやく気付いた。観光客用の大きな看板などがないお店「サウザンステーキ」は地元の人が利用するような小さなお店でカウンターがあった。お勧めは千円のサウザンステーキ200gということでその食券を買う。もちろんビールも。ライス、サラダ、スープもついてきた。赤身の肉で、とても美味しいとまではいかないが、千円で肉を食べたという満足感は得られる。

 コンビニでオリオンビール500mlとチョコレートを買ってホテルに帰る。
 今日もウォーキングとオリオンビールの一日になった。