鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

「六郷満山」に会う【JR九州宇佐駅 鉄卓のフォト・ウォーク2018-12】

2018-10-28 | JR九州ウォーキング
2018年10月14日(日)

JR九州ウォーキングは今日も大分県。別府駅から宇佐駅へ。


(今日のマップ)

「六郷満山(ろくごうまんざん)」は、大分県国東半島一帯にある寺院群を総称した呼び方で、六郷とは両子山を中心とした山稜の間に開かれた6つの郷で、満山は6つの郷に築かれた寺院群を指している。

六郷満山の寺院は、718(養老2)年に仁聞菩薩が開山したと伝えられ、神仏習合(日本固有の神の信仰と仏教信仰とを折衷して融合調和すること(広辞苑より))の山岳宗教文化を生みだした。昨年、開山1,300年を迎えている。

宇佐駅を10時に発車するシャトルバスに間に合った。バスが着いたのは六郷満山の代表的寺院の一つ「富貴寺(ふきじ)」。


(富貴寺)


(富貴寺)


(富貴寺)

富貴寺大堂は「平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総素木(榧)造りです。三間四間(柱の間が三つと四つ)の建物で、周囲に廻れり縁があります。」(パンフレットより)、昭和27年に国宝に指定される。本尊は阿弥陀如来坐像で、高さ約85cmの榧材寄木造り。壁面には浄土変相図、五十仏などの壁画が描かれている。

堂内に入ると、1300年の時を刻んだ、何と表現していいか分からないな不思議な空間を感じる。撮影禁止。


(富貴寺大堂)


(富貴寺)


(富貴寺)


(富貴寺)

外に出て大堂を眺めると、大堂と廻りの木々との一体感で気持ちがやすらぐ。いつまでもこの場に佇んでいたい。


(富貴寺大堂)

先がある。富貴寺で出迎えた案山子たちに別れを告げて真木大堂へ向かう。


(歓迎)


(山頭火?)

秋の日差を受けながらしばらく歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

六郷(武蔵(むさし)、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ)の6つの郷)は、1,300年の昔から、いやそれよりももっと前から、実り豊かな地だったのではと感じながら歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

50分ほど歩いて、「元宮間磨崖仏」に着く。室町時代に完成したと伝えられ、国史跡に指定されている。


(元宮間磨崖仏)

大門坊間磨崖仏。元宮間磨崖仏から少し歩いたところにあった。鎌倉期の作と推定されている。寄り所にはなっていなかったけど多くの人が見学に寄っていた。


(大門坊間磨崖仏)

秋の日差しと香りを感じながらまだまだ歩く。


(川の名前は?)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いから)

暑くなったので、上に着ているのを脱ごうと立ち止まったら、子どもの気配が。びっくりして見ると、案山子さん。


(案山子)

しばらく歩くと、また案山子。


(楽しそうな案山子たち)


(秋の空)

ようやく「真木大堂」。本堂は江戸時代のもの。収蔵庫内に、国の重要文化財に指定されている本尊阿弥陀如来坐像、不動明王立像、大威徳明王像、二童子立像、四天王立像の9体の平安仏が安置されている。(撮影禁止)


(真木大堂)


(真木大堂)


(真木大堂)


(真木大堂庚申塔)

国東塔は富貴寺にもあったが、一般の宝塔と比べて塔芯を台座に乗せた独特の様式をしており、塔芯を空洞にし、納経孔を持つのが最大の特徴とされている。


(真木大堂国東塔)


(真木大堂で)

真木大堂を後にする。


(歩く)

車道に出たところで、係りの方から「これから先、危険なところがあるので安全な方をお勧めします。」とアナウンス。危険と言われた方へ。


(その道沿いで)

この岩のところへ登らないといけないらしい。


(むむ、人影が。この上の岩まで)

岩陰に「朝日観音」。


(そこのアップ)

その前に、穴井戸観音に寄る。


(穴井戸観音)

岩のところへ登ってきたが、鎖を伝ってこの岩の間から向こう側に下りねばならない。高所恐怖症には無理。さっさと諦める。


(この高さから眺めるのも怖い)

岩の反対側の「夕日観音」には行けた。ここから夕日が見れる。「朝日観音」からは朝日が見れることからそれぞれその名がついている。いつ誰が作ったかは不明らしい。


(夕日観音)

夕日観音からの田染荘の眺め。


(夕日観音から)

下って先ほどの岩を眺める。


(朝日観音・夕日観音の岩)

少し歩いて、「世界農業遺産の里 田染荘」に着く。田染荘は宇佐神宮の根本荘園「本御荘18箇所」の中でも、もつとも近い荘園の一つであったため、中世を通じて重視された荘園であった、と説明板に書かれている。

案内の係りの方から「後、5分程でバスが出ます。」と教えていただく。


(田染荘の田で)


(ここでもかかしのお出迎え)


(稲刈りの催し)

ここからシャトルバスでの帰り、「昭和の町」に寄る。


(昭和の町で走っていたバス)

「昭和の町」はテーマパークも一部あったけど、豊後高田駅通り商店街がかなり広い範囲で昭和の雰囲気そのままで残っていた。歩いていると懐かしいし、楽しい。豊後高田駅はいつまであったのだろう。


(昭和の町)


(昭和の町)


(昭和の町)


(昭和の町)


(昭和の町)


(昭和の町)


(昭和の町)

試食をいただいたら懐かしい甘さが。買ってしまった。


(昭和の町で)

昭和の町からシャトルバスで10分程、ゴール宇佐駅へ。博多駅行き14時49分のソニックにぎりぎり間に合った。車内販売は無い。ビール無しで今日のウォーキングを終える。


(宇佐駅)

「『油屋熊八』ラグビーWカップ仕様」に会う【JR九州別府駅 鉄卓のフォト・ウォーク2018-11】

2018-10-23 | JR九州ウォーキング
2018年10月13日(土)

JR九州ウォーキング秋編にようやく参加。別府駅へ。


(今日のマップ)

別府駅西口を10時40分頃スタート。


(別府駅西口)


(岡本太郎)

別府公園では「農業祭」が開催され、多くの人出で賑わっている。


(農業祭会場)


(ラクテンチへの道)

会場を後にして、角を幾つか曲がって松原公園に着く。公園の日時計はお昼前。ここでロングコース(約13Km)とショートコース(約6.5Km)に別れる。「うみたまご」へのロングコースへ進む。


(松原公園の日時計)


(松原公園の時計)

松原公園から10分程で別大道路の海岸へ出て、30分ほど歩いたら大分マリーンパレス水族館「うみたまご」に着いた。


(海岸を歩く)


(海岸を歩く)


(別府市と大分市の境)


(別府市と大分市の境)


(日豊線普通列車)


(「うみたまご」はもうすぐ)


(大分マリーンパレス水族館「うみたまご」)

水族館には入らず、海を眺めながら一休みする。


(「うみたまご」前広場)


(左手の方は別府の街)


(右手は方は大分の工業地帯)


(橋を渡るとお猿の「高崎山」)

「うみたまご」を引き返す。


(戻ります。)


(海岸沿いを歩く)


(日豊本線「ソニック」)


(別府の街)


(大分市と別府市の境)


(真ん中は「別府湾ロイヤルホテル」。100キロウォークはここからの直線が長い)

帰り道、海岸と別れて直ぐにある「東別府駅」に寄り道した。風情のある駅舎が建っている。立ち拠り所になってなく、マップにも記載が無かったが、コースの寄りどころにいれて欲しいと思う。別府市の有形文化財にもなっているようだ。


(東別府駅)


(東別府駅)


(東別府駅)


(東別府駅)

13時15分頃、松原公園へ戻る。


(松原公園の日時計)

公園からは、アーケード街や路地裏を曲がりながら歩く。途中には別府市営の「竹瓦温泉」があった。竹瓦温泉は、1879(明治12)年創設で、建築された当初は竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったので竹瓦温泉の名がついたと伝えられている。現在の建物は1938(昭和13)年に建設されたもので正面は唐破風造になっている。

鼻の下を伸ばして入ったら、財布が心配になるようなお店(写真は撮ってません)もあるけど、今はお昼。黙々と歩く。


(竹瓦温泉)


(竹瓦温泉前)


(路地を歩く)


(路地を歩く)

最後は、線路の高架下にある別府駅前市場を通って、別府駅東口へ。


(別府駅前市場)

東口駅前の名物は、「油屋熊八」の像。亀の井ホテル、亀の井バスなどを設立し別府の観光開発に尽力された。ラグビーワールドカップが2019年に開催される。それを盛り上げるために尽力されている。インパクトあるなぁ。


(別府駅東口「油屋熊八像」)

別府駅のゴール受付でスタンプを押してもらう。

その後、何十年ぶりかで地獄巡りに。「海地獄」と「かまど地獄」に入った。観光客は多かったけど、まるで外国へ観光に行ったような言葉が行き交っていた。


(海地獄)


(海地獄の温室で。「甘~い」香りが。)


(かまど地獄)

久しぶりのウォーキングで疲れた躰に温泉は心地良い。ようやくビール。

「御所野遺跡(御所野縄文公園)」へ行った。【縄文を学ぶ-12】

2018-10-22 | 縄文を学ぶ
 2018年9月13日(木)

 朝、八戸駅の青い森鉄道のホームへ行くと、IRG岩手銀河鉄道の車両が待っている。今日は青い森鉄道の「八戸駅(青森県)」からIRG岩手銀河鉄道の「一戸駅(岩手県)」へと向かう。今は別々な県になっているが、「八戸」、「一戸」という地名からすると同じ地域であった時代があるのではなかろうか。


(青い森鉄道「八戸駅」でIRGいわて銀河鉄道の車両)

 列車は間もなく出発。ゆっくり座れた。旅人にとってはゆっくり座れるのはありがたいが、鉄道会社にとってはありがたいことではない。

 青森県の目時(めとき)駅(青森県三戸郡三戸町)が青い森鉄道とIRG岩手銀河鉄道の境になっている。目時駅からIRG岩手銀河鉄道の路線を走る。一戸駅は直ぐに着いた。


(IRGいわて銀河鉄道の路線図)


(IRGいわて銀河鉄道「一戸駅」)


(一戸駅ホームから階段を下りると「御所野縄文公園」)

 一戸駅から「御所野縄文公園」(岩手県二戸郡一戸町)へタクシーで向かう。タクシーを降りる時、運転手さんが領収書を渡しながら「これを見せれば助成金が出ます。帰りも出ます。」と教えてくれた。


(一戸駅タクシー乗り場案内)

 「きききのつりはし」を渡って、「御所野縄文博物館」へ入り、受付へ。入館料は300円。それよりもタクシー助成金の方が多かった。


(御所野縄文公園案内板)


(御所野縄文公園入口)


(「きききのつりはし」を渡る)


(御所野縄文博物館入口)

 御所野遺跡は[草創期][早期][前期]【中期】[後期][晩期]と区分される縄文時代の中期後半の大規模なムラの跡で、76,000㎡のほぼ全面に800棟以上の竪穴建物跡が見つかっている。

 1996年、西側の調査区で焼けた竪穴建物の調査が行われた。大型竪穴建物跡には、壁に沿って立ち並んだ割板、多量の炭化材や焼土、あるいは土が残っており、その埋まり方から土屋根であったことが明らかになっている。

 博物館の展示室に入ると、すぐに「焼けた住居の発見」コーナーになっていて、発掘された床面が足元のガラス面の下に復原されている。足を踏み入れていいかどうか迷ったが、ガラスの上に載っても大丈夫、安心して見れる。

 土屋根の竪穴建物を復元し、消失実験も行われている。実験の結果、土屋根は密閉性が高く、内部が酸欠状態となり、燃えにくいことから、意図的に火をつけて燃やした可能性があると考えられている。


(焼失竪穴建物発見のコーナー)


(焼失竪穴建物発見の説明パネル)


(ガラスの下に焼失竪穴建物発見の復原されている)

 縄文時代に使われていた道具を復原して竪穴建物の復原作業も行われている。その復原の手順、使われた道具などが展示してある。このような展示は初めて見るような気がする。

 復原に要した木は、14.44㎡(約9畳)の住居で40本近くが必要であった。組み立てて行くのに縄は1,400mの縄が使用された。材木としてはクリの木が中心であるが、縄として使えそうな木はシナの木が考えられている。それらの木が大量に必要である。1棟の竪穴建物を建てると周囲の風景も変わっていたかもしれない。木を伐り出した後には、植林も行われたであろう。


(堅穴住居の作り方の説明パネル)


(堅穴住居の作る材料の説明パネル)


(「くわ」や「すき」などの道具)


(樹皮をはぐ道具など)


(復原された道具や縄)

 「焼けた住居の発見」コーナーの次はプロジェクションマッピングで御所野むらの四季をスクリーンで上映し、縄文人の生活を紹介したり、出土した土器や石器が展示されている「御所野縄文ワールド」へ。


(御所野むらの四季の上映)

 縄文時代中期の東北北部から北海道南部にかけては「円筒式土器」が作られていたのは、2日前の行った「三内丸山遺跡」で学んだ。その頃、東北の南部では大木(だいぎ)式土器が作られている。御所野遺跡は東北地方の北と南の土器文化の接点にあたる。


(北の「円筒土器」(左側)、南の大木式土器(南側))


(大木式土器)


(円筒土器)

順番通りには回らなかったようで、写真の整理が上手くいってなくてすみません。


(石斧の復原)


(配石遺構で発券された石)


(穴にひもを通して壊れた土器の修復をしたと考えられている。)


(何なんだろう?)


(いろいろな土製品)


(トックリ型土器)


(石棒)

 スロープを上って2階への途中に展望所がある。


(博物館内展望所から公園)

 2階の展示室には、同じ一戸町の縄文時代晩期の蒔前(まくまえ)遺跡、山井遺跡などの出土品が展示してある。
 
 蒔前遺跡の鼻曲り土面(重要文化財)はパリへ出張中でレプリカが展示されていた。このような土面は縄文時代後期後半から晩期前半にかけて東北北部の太平洋側に分布している。


(鼻曲り土面-蒔前遺跡)


(鉢型土器-蒔前遺跡)


(皿型土器-蒔前遺跡)


(土偶-山井遺跡)


(浅鉢-山井遺跡)


(土偶「縄文ぼいん」-椛の木遺跡)

 階段を下りて、御所野遺跡公園内を散策に博物館から外へ。公園内は無料で誰でも散策できる。丁度、栗の季節で、熱心に栗拾いしている人たちもいる。


(御所野遺跡公園で実ったクリ)


(クリと掘立柱建物)

 石を一定の形で並べた配石遺構がむらの中央にある。配石遺構の周辺では人を葬った墓穴が見つかっており、むら全体の墓地と考えられている。掘立柱建物は配石遺構に対応するように建てられていることから墓に関連する施設と考えられている。


(配石遺構と掘立柱建物)


(掘立柱建物)


(配石遺構、盛り土遺構、掘立柱建物)


(配石遺構、盛り土遺構、掘立柱建物)


(掘立柱建物)

 竪穴建物は東むら、中央むら、西むらが復元されている。西むらで発見された焼失した竪穴建物は、調査で土屋根であったことが判明しているが、復原された竪穴建物を眺めていると土屋根が周囲の景観とはもっとも合っているように見える。


(竪穴建物-東むら)


(竪穴建物-中央むら)


(竪穴建物-中央むら)


(竪穴建物-西むら)

 竪穴建物のなかでは炭火が焚かれていたが、蒸し暑い。


(竪穴建物内)


(竪穴建物内)


(公園で)


(公園で)


(公園で)


(公園で)

 公園内には、案内板とかがほとんど無かった。写真と説明があっているか自信は無い。博物館に戻ってトイレに入ったら。張り紙が・・・。御所野遺跡を訪れる際は活用されることをお勧めする。


(平日は予約をしましょう)

 公園内を見学していたら、障害者就労継続支援B型事業所で働く皆さんが、竪穴建物などの清掃をされていた。縄文時代は、人びとが協力し合って働き始めた時代だと思う。竪穴建物に住み定住生活をするにも、人びとの協力で竪穴建物を建てることから始まる。人それぞれの力にあった「仕事の分かち合い」で建っていただろう。

 中央省庁の障害者雇用で雇用数の水増しがあった問題の調査結果の発表があったのは、この旅行の少し前で、呆れてしまった。1万数千年の間に、いつの間にか「障害者」という言葉を作りだし、雇用の差別化が進んできた。雇用率はその差別を無くして行くスタートでしかない。入口でつまずいているとは。

 御所野遺跡公園の取組みが、全国の縄文施設に拡がればと思う。それから一歩進んで、障害者と障害者とされていない人びとが共に働く場へと進んで行ってもらいたい。

 博物館でタクシーを呼んでもらい、タクシー代の補助券をいただいた。一戸駅でタクシーを降りる時に補助券の金額を差し引いて料金を払う。嬉しいシステムだ。

 IRG岩手銀河鉄道で一戸駅から二戸駅へ戻る。青い森鉄道、IRG岩手銀河鉄道は「Suica」などの交通系電子マネーは使えない。


(青い森鉄道、IRG岩手銀河鉄道ともに「きっぷ」を買った)

 JR二戸駅からJR東北新幹線で25分、盛岡駅へ。盛岡城址は駅から近かったけどタクシーに乗った。運転手さんは桜が綺麗だと熱心に自慢話をされた。熊本城の桜も綺麗ですよ、とは言いずらかった。桜山神社で烏帽子岩(兜岩)を見物。もりおか歴史文化館の歴史展示室には黒田官兵衛の兜が展示してある。東北で官兵衛さんに会うとは。


(盛岡城址の石垣と桜の木)


(桜山神社の兜岩)


(もりおか歴史文化館で黒田官兵衛の兜に会う)

 盛岡駅へ戻り、今度はJR東北本線で1時間25分程かけて平泉駅へ着いた。

 今日の宿泊は平泉温泉。「福香ビール」と「純米酒関山」で夕食。私より年配と思われる方々も働いておられる。元気をもらえる。関山は口に含んだとたん「辛口!」とつぶやいてしまった。

 3日間の東北縄文の旅を終わり、明日は平安から鎌倉にかけての平泉をまわる。温泉で温まりルートを頭に描きながら就寝。 

[参考本]
高田和徳著『縄文のイエとムラの風景・御所野遺跡(シリーズ「縄文を学ぶ」)』新泉社、2005年
『御所野縄文博物館 常設展示図録』一戸町教育委員会/御所野縄文博物館発行 2015年

「是川縄文館」へ行った。【縄文を学ぶ-11】

2018-10-07 | 縄文を学ぶ
2018年9月12日(水)

 新幹線が新たに開通すると、並行する在来線は地元自治体が中心の第三セクターに移管される。九州新幹線では、熊本県八代駅と鹿児島県川内駅間が、熊本県、鹿児島県及びそれぞれの沿線自治体が中心となって「肥薩おれんじ鉄道」一社を発足させ受け皿となった。東北新幹線では、東北本線の岩手県盛岡駅と青森県青森駅間が、岩手県側は岩手県、青森県側は青森県のそれぞれの県と沿線自治体が中心となって別々の会社「青い森鉄道」、「IGRいわて銀河鉄道」を発足させ受け皿となった。

 第三セクター鉄道は、税金による支援がされるので乗客の利用推移が話題となることが多いが、環境に配慮することや最近の人手不足に対応するものとして注目を集める鉄道貨物にとって重要な路線であることに関心を向ける人は少ない。第三セクター鉄道は、沿線の住民の足であるとともに、鉄道貨物の輸送を担うことが重要な役割になっっている。

 東北縄文の旅2日目は、青森県の第三セクター鉄道「青い森鉄道」にて浅虫温泉から八戸(青森県)へ向かう。陸奥湾が見えたり見えなくなったりする。海が見えなくなったと思い反対側を見ていると、実ったリンゴ木が。鉄道に乗って、美味しいリンゴが食べられる季節を実感するのは九州では経験無い。キョロキョロしているうちに八戸駅に着いた。


(浅虫温泉駅ホーム)


(浅虫温泉駅でモーリーが見送り)

 八戸市内のJRとバス(市営バス・南部バス)が1日乗り放題のフリーパス「八戸えんじょいカード」を買った。発売箇所はJRの「みどりの窓口」と「びゅうプラザ」のみ。市内のバスも乗り放題だけど販売がJRの窓口のみというのも珍しいと思う。切符がJRの発券機のものというのは旅行者からすると味気ない。


(八戸えんじょいカード)

 観光案内所で道順を尋ねて、駅からバスで20分程の市内中心部へ。丁寧に教えていただいた乗換場所から「是川縄文館」(青森県八戸市)を経由するバスに乗る。20分弱で着いた。本数は少ない。


(是川縄文館)

 2階の受付で利用料250円。高齢者割引(65歳以上)は八戸市内在住者のみとのこと。「ボランティアのガイドを受けられますか?」と聞かれたので「え、今から一人でも。」聞いたら「はい。」ということなのでお願いした。

 最初に、ボランティアの方から「案内の時間は約1時間です。」「是川縄文館の周囲にある4つの縄文遺跡のうち是川中居遺跡と風張1遺跡を中心に展示してあります。」との説明を受けた。

 縄文時代は、[草創期][早期][前期][中期]【後期】【晩期】と区分されている。風張1遺跡は後期(約3,500年前)、是川中居遺跡は晩期(約3,000年前)の遺跡になる。

 館内に入る。縄文の紋様を浴びる「縄文への道」は、違う世界の体験を予感させる演出がされている。「縄文くらしシアター」で縄文の暮らしを体感して、「縄文の美」室へ。

 入って直ぐは「漆の美」。眼にいきなり飛び込んでくるのは漆の作品の数々。眼をまん丸にして見入るばかり。縄文時代晩期には、こんな作品があったのかとビックリの連続。これらの作品は是川中井遺跡から出土している。

 縄文土器は写真で見る機会があるので、それほどの驚きはないけど、漆の作品は写真でも見る機会はあまり無いので、ただただ感心して見入る。縄文と漆にはこれまであまり関心を持って来なかった。というか、そこまでの余裕が無かった。興味津々。


(漆塗りの飾り太刀)


(木胎漆器)


(籃胎漆器)


(漆塗り台付土器)


(漆塗りの櫛や腕輪など)

 後日、四柳嘉章著『漆の文化史』(岩波新書)を読んだ。
 漆塗りは、縄文時代は赤色で弥生時代になると黒色が主になる。漆の工芸技術は縄文時代に揃っていた。などなど縄文時代の漆について興味深いことを学ぶことができる。

 隣りのコーナーは「是川の美」。是川中井遺跡から出土したものを中心に展示してある。「是川の美は、均整のとれた形と、精緻な装飾・文様が織りなす優美なデザインにあり、当時の人々の洗練された感性が表現されています。」(『図録』より)


(土器の数々)


(壺型土器)


(石皿や深鉢型土器)


(香炉型土器)


(装身具の数々)


(土偶)


(土偶)


(イモガイ状土製品)


(きのこ形土製品)


(箆型木製品)

 その隣は「風張の美」。「風張の美は、発想豊かな造形と制作技術にあり、この技術力が是川の美へ、一層洗練された形で受け継がれていきます。」(『図録』より)


(土偶)


(土偶)


(深鉢型土器)


(深鉢型土器)


(注口土器)


(土製品)


(装身具)


(玉)

 縄文時代は中期が最も盛んな時代といわれている。後期・晩期は遺跡数も減って停滞した時代ともいわれたりする。しかし、後期の風張1遺跡、晩期是川中居遺跡の出土品を目の前にすると、人口の減少はあったかもしれないけど、当時の人々は生き生きとした生活を送り、技術は洗練されてきていることを感じる。

 「縄文の謎」という室では、中井遺跡の調査から明らかになったことがテーマ別に展示してある。漆器の復元もされている。


(トチの実の貯蔵穴)


(ヤス軸家柄、握り棒、弓)


(鉢型土器。ペンガラ、漆の貯蔵用)


(漆器などの複製)

 「国宝展示室」には「合掌土偶」が大事に展示してある。といっても、本物はパリへ出張中。本物には国立東京博物館の「縄文展」でお目にかかっている。

 座った状態で腕を膝の上に置き、正面で手を合わせている形から「合掌土偶」と名づけられた。土偶は、竪穴住居の出入り口と反対側の窓際から、左足部分が欠けた状態で発見された。左足部分は同じ竪穴住居の2.5m離れた西側の床面から出土している。土偶が住居内から出土するのは珍しい。

 両足の付け根と膝、腕の部が割れており、アスファルトでついている。縄文の人たちが修復しながら使っていたと考えられている。頭部などには赤く塗られた痕跡があり、全身が赤く彩色されていたと考えられている。


(合掌土偶のレプリカ)


(合掌土偶のレプリカ)


(発掘された説明)

最後に、また、漆器が展示してあった。ほれぼれする。素晴らしい。


(漆塗り壺型土器)

 「合掌土偶」の複製が1Fアトリウムに置いてあって自由に扱うことができる。持って驚き。実に持ち易い形に作られている。持つことを意識しながら、この形に作られていることがわかる。


(誰でもさわれる)

 約1時間熱心な説明していただいた。ありがとうございました。「是川縄文館」はLED照明で、暗めの照明の中に作品が浮かび上がってくるような展示をしてあり、「美」を前面に押し出している。これまで観てきた博物館とは趣が違う感がする。


(展示室内)

 お昼は館内で縄文カレーとせんべい汁のセット。


(縄文カレーとせんべい汁のセット)

 歩いて数分の、是川縄文館分館「縄文学習館」には縄文時代の竪穴住居の復元もされているが、時間の都合で行かなかった。

 バスで八戸市内中心部へ戻りJR本八戸駅へ。JR八戸線で鮫駅まで。駅前から種差遊覧バス「うみねこ号」で三陸復興国立公園「種差海岸」へ行く。ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている「蕪島」はバスの中から眺める。種差海岸では太平洋の強い風と海の波。ブラブラ歩きながら熊本では経験できない体感を味わう。


(JR八戸線の列車-鮫駅で)


(種差海岸)


(種差海岸)

 帰りは、JR種差海岸駅から本八戸駅まで列車の旅。朝、八戸駅に下りてから今日一日の交通機関は「八戸えんじょいカード」を利用して済ませた。

 八戸市中心部のホテルに宿泊。「八戸えんじょいカード」のガイドブックで飲食店の協賛店を見たら、さば料理のお店があった。で、夕食はさばのコース料理(刺身は無かった)と地元のお酒。東北でこんなに美味しいさば料理を食べれるなんて、満足満足。帰りに「八戸えんじょいカード」を呈示してサービスのさばせんべいをいただいた。

 明日は「IGRいわて銀河鉄道」に乗る予定。よし就寝。

参考本
『是川縄文館 常設展示図録』(八戸市埋蔵文化センター是川縄文館編集・発行、2016年改定)