鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
(本ブログに掲載している写真の無断使用・転載を禁じます。)

再建が始まった-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-9【熊本の話題】

2020-10-10 | 横井小楠
2020年10月10日(土)

4年6か月前の熊本地震で損傷を受けた横井小楠旧居「四時軒」は解体されていましたが、再建工事が始まりました。

工事期間は令和2年7月31日から令和4年4月28日と書かれています。

四時軒の表札は外されています。



工事現場は囲われています。



覗いてみると。



裏に出ます。



工事車両の出入り口。建物は横井小楠記念館。



四時軒の裏は秋津川が流れています。



川の向う側は稲作地帯です。下の写真上の中央の建物は横井小楠記念館。間を秋津川が流れています。



熊本地震で田に水を引くポンプが壊れ、用水路も壊れたため米作りが出ませんでしたが、ようやく今年、実りの秋を迎えました。





秋津川沿いにある災害公営住宅では生活が始まっています。



公営住宅近くにあった秋津中央公園の仮設住宅は建物の撤去が終わり、再び公園として使用されるよう整備中です。



四時軒や災害公営住宅の近くにある中牟田熊野座神社の湧水汲み場も整備されています。





生活面の復興は進んでいます。文化財はこれからです。

「横井小楠記念館」再開-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-8【熊本の話題】

2019-09-26 | 横井小楠
2019年9月26日(木)

横井小楠記念館(熊本市東区沼山津)は、外壁改修工事のため4月1日より休館していましたが、9月20日から再開しました。


(横井小楠記念館門)


(横井小楠記念館玄関)


(入ってすぐに横井小楠像)


(2階)

隣接する横井小楠旧居「四時軒」(正確には「四時軒」に隣接して横井小楠記念館が建っている。)は、熊本地震で一部倒壊して、今は解体されています。

復旧工事の設計が終わり、年内には着工し、2021年度中の公開が予定されています。


(解体されている「四時軒」)

横井小楠記念館は当面は入館料無料です。
開館は午前9時半~午後4時半です。


(横井小楠記念館裏門)

横井小楠記念館裏門から出て数分歩くと、建設中だった熊本地震の災害復興住宅「秋津第二団地」が完成しています。
熊本市が整備する災害復興住宅は8カ所で、6カ所が完成しました。

10月1日から入居が始まります。
36戸ありますが、65歳以上の高齢者がいるのが28戸、そのうち11戸が一人暮らしのようです。


(災害公営住宅「秋津第二団地」)

そこから数分歩いたところに、中無田熊野座神社があります。
おいしい湧水が飲めます。
熊本県の名水百選に選ばれています。


(中無田熊野座神社の湧水)


(熊本県の名水百選に)

神社のすぐ横にある秋津三丁目公園は休息も出来るし、園内を歩くことも、走ることも出来ます。


(秋津三丁目公園)

公園のすぐ横に「秋津公民館」があります。


(秋津公民館)

秋津公民館のホームページでは「横井小楠」の紹介がされています。



(秋津公民館のホームページを紹介する貼り紙)

横井小楠に関する講演会などもあっています。
12月15日(日)には、「小楠暗殺事件の資料を読む」(講師:熊本市文化振興課 森内絵梨さん)が予定されています。


(秋津公民館内)

横井小楠記念館に関する前回のブログはこちらです。
「横井小楠記念館」しばらく休館に-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-7【熊本の話題】

秋津公民館のホームページは「秋津公民館」で検索してください。

「横井小楠記念館」しばらく休館に-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-7【熊本の話題】

2019-04-01 | 横井小楠
2019年4月1日(月)

横井小楠記念館は、熊本地震で被災し、その後復旧開館していましたが外壁改修工事のため休館になります。
休館期間は2019年4月1日~9月末頃までが予定されています。








横井小楠記念館周囲の桜を見ながら散策しました。

四時軒・横井小楠記念館の裏を流れる秋津川。上流は益城町で、木山神宮があります。(1月2日の投稿を見て下さい)



秋津川沿いにある秋津浄化センター内では災害公営住宅が建設中です。







川沿いを西へと歩くと中無田熊野座神社があります。



秋津3公園は歩いていくと中無田熊野座神社の手前にあり、すぐ横は秋津公民館です。





秋津公民館からバス通りへ歩くと仮設住宅がある秋津中央公園を通ります。



熊本地震からもうすぐ3年です。

2018年11月23日以来の散策をしました。その時のブログはこちらです。
「横井小楠記念館」復旧開館-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-6【熊本の話題】

「横井小楠とその時代展」へ行った。

2019-01-20 | 横井小楠
2019年1月9日(水)

「横井小楠とその時代展」は、熊本城二の丸広場にある熊本県立美術館で開催されています。





横井小楠と福井藩の交流を中心に、次の展示内容になっています。
第1章 横井小楠と福井藩の出会い
第2章 横井小楠の福井藩での活躍
第3章 横井小楠と松平春嶽
第4章 福井藩より帰熊、沼山津へ蟄居
終章  小楠、明治維新の参与となる

横井小楠記念館や永青文庫が所蔵しているものの他、福井県立図書館、福井県立歴史博物館、福井市立郷土歴史博物館、山中湖村教育委員会、山中湖文学の森、徳富蘇峰記念館などが収蔵している資料が数多く展示してあります。

横井小楠は①肥後・熊本藩へ他から登用の要請、②熊本藩が要請を断る、③再度の強い要請、④熊本藩しぶしぶ認める、というのを2度経験しています。

1度目は、福井藩主・松平春嶽が、嘉永6年のペリー艦隊の来航で対外情勢が緊迫するなか藩内の人材育成に藩校「明道館」を設立し、教官として横井小楠を招聘しようとします。

2度目は、明治新政府発足に当たり設けた総裁、議定、参与という三職の参与として岩倉具視が強く要請します。

福井藩との交流が中心の今回の展示では、松平春嶽が、義父である熊本藩主・細川斉護に送った2度の書簡を見ることができます。

1回目の書簡(安政4(1857)年8月12日付け)では、福井藩の事情を説明し、小楠はこれまでも福井藩で講義をしたことがあり、藩内では知られた人物なので、支障が無ければ小楠を貸してほしいとお願いしています。この時は松平春嶽が江戸の熊本藩邸に直接持参しますが、江戸詰の家老が留守だったため、翌日、藩用人を派遣し書簡を渡します。

細川斉護はこの要望を謝絶します。

諦めない松平春嶽は、2回目の書簡(安政4年12月25日付け)4mを超える長文で、小楠招聘を切望します。

ようやく細川斉護も横井小楠を貸し出すことを許可します。

他藩へ赴任する時も辞令書(安政5年2月29日付け)が出るんですね。

当時の辞令書はもともとこのような文章だったのかもかもしれませんが、経緯を知ると、迷惑そうな、しぶしぶとの気持も出ているように感じられます。

熊本を出発した横井小楠が信濃国・上田藩士の桜井純蔵に宛てた書簡(安政5年4月3日付け)では、京都で福井藩の橋本左内と会ったことなどが記されています。橋本左内は、安政6年10月7日、安政の大獄で刑死。偶然に会ったのでしょうか、どんな話をしたのでしょうか???

興味津々の展示が続きます。

酒好きの横井小楠が所用した盃や瓶子なども展示してあります。



本展示は3月24日まで開催。

球磨焼酎の高橋酒造が協賛しています。私の晩酌も敬意を表してこちらになった。



◇横井小楠については下記を見て下さい。
横井小楠ホームページ

「横井小楠記念館」復旧開館-震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-6【熊本の話題】

2018-11-23 | 横井小楠
2018年11月23日(金)

11月22日、2016年4月の熊本地震で被災し休館していた「横井小楠記念館」(熊本市東区沼山津1丁目)が復旧開館しました。


(「横井小楠記念館」・「四時軒」入口。門は閉まっているが横から入れる。)


(「横井小楠記念館」玄関)


(「横井小楠記念館」1階)


(「横井小楠記念館」2階)

記念館は、横井小楠旧居「四時軒」に隣接してありますが、「四時軒」は21年度中の復旧を目指して工事が進められています。


(「四時軒」は工事中)


(秋津川側からの入口)


(秋津川から。見えている「横井小楠記念館」の手前に「四時軒」は建っていた。)


(2016年4月22日。上の写真とほぼ同じ地点から。「横井小楠記念館」は「四時軒」の向こうにあり見えない。)


(秋津川の東側上流。益城町まで2キロ弱。)


(秋津川の西側下流へと歩く)

直ぐ近くでは、地震で被災して自宅再建が難しい人の恒久的な住まいになる災害公営住宅が建設されています。


(秋津浄化センター内に災害公営住宅が建設中)


(秋津浄化センターの北側入口から。このあたりには縄文時代の沼山津貝塚がある。)


(近くの中無田熊野座神社)


(中無田熊野座神社と湧水)

熊本県内の仮設住宅(建設型仮設住宅・借上型仮設住宅・公営住宅等)には、10月末現在、まだ約23,000人のひとたちが住まわれています。


(近くの秋津中央公園の仮設住宅)

熊本地震からの復興はまだまだ道半ばを実感する「四時軒」とその周辺です。

◇横井小楠については下記を見て下さい。
横井小楠ホームページ


震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-5【熊本の話題】

2017-12-17 | 横井小楠
2017年12月16日(土)

 久しぶりに横井小楠旧居「四時軒」(熊本市東区沼山津)に行きました。

 四時軒の裏は益城町方面からの秋津川が流れていて、堤防が道路になっています。

 その秋津川と道路は熊本地震の復興工事が進んでいます。道路が歩行者も通行止めになっているので、秋津川の方から四時軒の裏入口には近づけません。

 川と反対側の表の入口へ廻って見ると、熊本地震で倒れた四時軒の建物は片づけられ、1982年に復元された時の基礎が見えます。併設されている「横井小楠記念館」も休館中です。

 報道によれば、熊本市は2020年度を目標に再建する方針です。82年は現代工法で木造で復元されました。その復元時の外壁の一部はしっくい塗りでしたが、今回は復元前の板張りにするなど建築時の姿に近づけ、伝統工法を基本に再建する計画のようです。

 四時軒付近を歩くと、あっちこち更地になっています。風景が変わっているので、一瞬、この道を通れば良いかと不安になります。

 近くには、仮設住宅もあります。復興にはまだまだ時間がかかります。

 ◇横井小楠については下記を見て下さい。
横井小楠ホームページ


(秋津川沿いの道路は通行止め(西側))


(秋津川沿いの道路は通行止め(東側))


(秋津川の工事、右端の大きな建物は「横井小楠記念館」)


(川と反対側の表入口)


(表入口から。崩壊した「四時軒」は片づけられている。)


(バス停横のマンションも更地になっていた)


【2017年1月4日撮影の写真】


(裏の入口から崩壊した「四時軒」)


(秋津川沿いの道路から)


(表の入口)


(表入口から崩壊した「四時軒」)

戻ってきた横井小楠銅像

2017-02-04 | 横井小楠
2017年2月4日(土)

 熊本市電の健軍電停から益城町方面へ県道を進み、熊本市と益城町の境界の熊本市側に、近くの「四時軒」に住んでいた横井小楠を記念した「小楠公園」がある。

 公園には、小楠の銅像が建てられている。明治2年京都で暗殺された後、南禅寺の墓に葬られているが、遺髪がこの公園に埋葬されている。

 昨年4月の熊本地震で銅像は倒れ、上半身と下半身の二つに割れた。

 1月2日、公園に行ったときは、台座にブルーシートがかぶさった状態だったが、台座の上に無事に戻ってきていた。

 毎年2月15日には、小楠公園で墓前祭が開催される。


(戻って来た小楠銅像)


(1月2日の台座、一番手前のブルーシート)

坂本龍馬暗殺5日前の書簡と『経綸のとき 近代日本の財政を築いた逸材』

2017-01-15 | 横井小楠
2017年1月15日(日)

 正月早々、坂本龍馬が暗殺される5日前の書簡が発見された、という新聞報道があった。

 1867年10月の大政奉還・江戸幕府滅亡の翌月、11月15日坂本龍馬が暗殺される。その5日前11月10付になっている。

 「新国家」ということばが使われているのは、龍馬の手紙では初めてらしい。書簡は福井藩の中根雪江に宛てたもので、大政奉還後の財政担当に福井藩の三岡八郎を早く出してほしい、というようなことが書かれている。

 坂本龍馬と三岡八郎(後の由利公正)の出会いは、尾崎護著『経綸のとき 近代日本の財政を築いた逸材』(文春文庫、1998年)に、次のように書かれている。
 ----------------------------------------------------------------------------
 八郎は立ち上がって、戸外をのぞいて見ると、深夜だというのに確かに川の方角で人声がする。太刀を片手に足羽川の見える庭先に出た。月明かりのなかを小舟が岸に着こうとしていた。
 一人が、
「おおい、みついし、おるか」
 と叫んだ。今でも三石と呼ぶのは小楠に決まっている。酔っているようだった。
「この夜更けに舟とは危ないではないですか、先生」
 走り寄った八郎に小楠が言った。
「いや、土佐の坂本龍馬が来てな。飲んでいるうちにお前に会いたいというから、川をへだてて向こう側が三岡八郎の家だ といって、連れてきてやった」
 ご機嫌である。
「いや心配なさるな。わしは土佐の荒海で舟にはなれておる。軍艦でも動かせる」
 連れの大男が笑って、
「坂本龍馬でござる。勝先生の使いで参った」
 と会釈した。
 小楠は自分が先に立ってさっさと八郎の家に向かった。
 八郎の家で即席の宴会が始まった。
 (中略)
 三人は時局を論じてとどまるところがなかった。朝廷も幕府も、今のようなことなら国を滅ぼしてしまう。三人はこもごもに憂いた。
-----------------------------------------------------------------------------

 幕末の頃日本列島の海には多くの外国船が姿を現すようになる。米国ペリーの黒船は日本に開国を迫り、幕府も日米修好通商条約を結び鎖国から開国へと流れが変わっていく。

 勝海舟は、海防には海軍の増強が必要と幕府に働きかけ、神戸に海軍の操練所を建設することになったが、資金が乏しく、資金援助を福井藩に頼った。その時、勝海舟の使いで福井に赴いたのが坂本龍馬だった。

 福井藩では、藩に招かれていた横井小楠の助言などもあり、生糸を中心に外国と貿易を推進する物産総会所がつくられ、膨大な利益を得ていた。三岡八郎は、その物産総会所運営の中心にいた。

 福井に着いた坂本龍馬は、当地に滞在していた熊本藩の横井小楠と再会、小楠の紹介で三岡八郎に会い、三人で大いに飲み、将来の日本を論じた。1863年、坂本龍馬が暗殺される4年前のことである。

 龍馬が暗殺された頃、三岡八郎は福井で藩の主流と対立し蟄居・謹慎、横井小楠は熊本で士籍剥奪の処分を受けていた。二人が新政府の要職に就くには、福井・熊本の両藩でさまざまな葛藤があった。

 しかし、三岡八郎と横井小楠は両藩が処分を解除し、幕府打倒に活躍した小松帯刀、木戸孝允、後藤象二郎、大久保利通らと共に新政府に参与として迎えられる。

 新政府に出仕した三岡八郎と横井小楠は京都で再会した時、坂本龍馬について何を語り合ったであろうか。

 来年は、1868年の明治改元から150年になる。この機会に明治維新について勉強したいと思う。『経綸のとき』の再読もその一つにしたい。横井小楠に関しては『横井小楠 維新の青写真を描いた男』(徳永洋著、新潮新書、2005年)がある。

 横井小楠の「国是七条」、坂本龍馬の「船中八策」、三岡八郎が草案した「五箇条の御誓文」は、三人の関係をよく現している。

 このことについては、ブログ2016.4.24『「四時軒」と坂本龍馬【熊本の話題】』を見ていただきたい。

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-4【熊本の話題】

2017-01-14 | 横井小楠
2017年1月14日(土)

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」の今です。

四時軒の裏を流れる秋津川沿いから表入口へと歩きました。

横井小楠に関しては
横井小楠ホームページ」を見てください。

過去のブログより
■震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」【熊本の話題】(2016.4.22)
■震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-2【熊本の話題】(2016-07-07)
■震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-3【熊本の話題】(2016-09-07)
■「四時軒」と坂本龍馬【熊本の話題】(2016.4.24)


(秋津川沿いより横井小楠記念館)


(秋津川沿いより横井小楠記念館)


(秋津川沿いより四時軒)


(秋津川沿いより四時軒)


(秋津川沿いより四時軒)


(秋津川沿いより四時軒)


(横井小楠記念館)


(四時軒・横井小楠記念館表入口より)


(四時軒表・横井小楠記念館入口より)

震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-3【熊本の話題】

2016-09-07 | 横井小楠
2016年9月7日(水)

横井小楠旧居「四時軒」の今です。

横井小楠に関しては
横井小楠ホームページ」で。

過去のブログより
■震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」【熊本の話題】(2016.4.22)
■震災に遭った横井小楠旧居「四時軒」-2【熊本の話題】(2016-07-07)
■「四時軒」と坂本龍馬【熊本の話題】(2016.4.24)


(四時軒の表入口より)


(四時軒の裏入口より)


(四時軒)


(四時軒)


(四時軒)


(横井小楠記念館裏)


(四時軒の裏の道。土嚢袋は秋津川堤防の補強)