2018年5月27日(日)
(今日のマップ)
今日は玉名駅のウォーキングに2年ぶりに参加。
時刻表を調べたら、熊本駅での乗換えなしで、豊肥線から鹿児島本線玉名駅への列車があった。いつもの参加よりも一列車遅いがその列車で玉名駅へ。
受付を済ませて、目に入ってきたのは駅前に停まっている「ななつ星」専用バス。「え、今日は玉名。どこに行くんだろう。」と思いつつ、スタート。
(玉名駅前の「ななつ星」専用バス)
西南戦争時に官軍の本営が置かれた繁根木八幡宮(はねぎはちまんぐう)へ。
(繁根木八幡宮)
駅に着いて並んだ人も、スタートして向かっている人もいつもより少ない気がする。今日、熊本市内は小学校の運動会。朝から爆竹の音がしていた。
繁根木八幡宮でボランティアの説明の方も手持無沙汰のようす。
「どちらから。」「熊本市内から。」「いつも来られてます。」「だいたい毎年。」「じゃあご存知ですよね。私も熊本市出身です。」
ということから、説明写真にある10月開催の繁根木八幡宮秋季大祭の飾り馬の話に。
(ボランティアの方の説明板)
熊本市内では9月の藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)の秋季例大祭が開催され、飾り馬が奉納される。
藤崎八旛宮の飾り馬は馬を暴れさせるが、繁根木八幡宮の飾り馬はじっと(静かに立ち止まったまま)している。「境内で動かないんです。」「静かに立っているんです。」
藤崎八旛宮の飾り馬を見て育った人から見れば不思議な光景だったようで、そのほか祭りのいろんな話を聞きながら、二人で盛り上がってしまった。
先へ進む。繁根木川の橋を渡り少し歩いて右折。鹿児島本線の線路の下を通って、八重垣神社の裏から繁根木川に出る。
(八重垣神社)
(繁根木川沿い)
140年前、明治10年西南戦争。熊本城に籠城した官軍と包囲した薩軍の攻防の間、薩軍の一部部隊は北上する。率いるは西郷隆盛の末弟・小兵衛。小倉から、乃木希典率いる官軍の援軍が南下。高瀬(玉名)・木葉で激突する。
繁根木八幡宮に陣をとる官軍と繁根木川を挟んで激しい銃撃戦。2月27日、官軍の弾丸が小兵衛の胸を貫く。小兵衛、壮絶な戦死をとげる。享年31歳。その戦死地碑がのどかな風景の中にぽつんとある。
(西郷小兵衛戦死地碑)
何年か前、「西郷小兵衛戦死地碑」を後にして歩いているときに、ウォーキングに参加されている方から声をかけられた。
「西南戦争の全体像がわかる本ありますかね。」
熊本市内に住んでいると、熊本城の攻防、田原坂の戦いについて断片的な話は聞くことがあるけど、西南戦争全体の話は知らない。
その時は、「どうですかね。」とだけ答えて、すぐに熊本県立図書館に行き調べた。ありました。その数年前に小川原正道著「西南戦争」(中公新書)が出版されていた。新書なのでボリュームはそれほど無い。早速読んで、JR九州ウォーキングのホームページで紹介させてもらった。
私に聞かれた方が読まれたかどうかは分からないが、数人の方が図書館で借りて読んだと、コメントされていた。
声をかけられたあたりを過ぎて、また、少し歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
加藤清正が造り、細川家が拡張整備した「高瀬船着場跡」に着く。ここに、菊池川沿で収穫された米が集められ、大坂へと運ばれた。集積した米を蓄える米蔵(御蔵)は西南戦争で焼失している。
菊池川流域米「七城の米」は10年以上連続「特A」を獲得している。江戸時代も、菊池川沿いの米は名が通っていた
という
(「高瀬船着場跡」俵ころがし)
(俵ころがしの俵受けと鹿児島本線鉄橋)
(俵ころがしと揚場)
来年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公は1961(昭和37)年に玉名市の名誉市民になった日本マラソンの父・金栗四三(かなくり しそう)。出身は玉名市の隣、玉名郡春富村(旧三加和町、現和水町)。
1912年(明治45)年のストックホルムオリンピックに日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場した。「福岡国際マラソン」「箱根駅伝」などは金栗四三さんの発案。
「いだてん」のロケが、5月の上旬に、高瀬船着場跡で行われた。来年はこの場所が全国に放映される。地元エキストラも約70人が参加している。
鹿児島本線の鉄橋の下を通り、高瀬裏川へ。
(鹿児島本線鉄橋)
(萵苣の木)
高瀬裏川には、約700メートルにわたって66000本の花しょうぶが植えてある。今年は玉名市内、熊本市内の小学校が運動会で人出が少ない。
(高瀬裏川で)
(高瀬裏川花しょうぶ「秋丸眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ「秋丸眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ「高瀬眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
すげ笠にかすり着姿の女子高校生ら4人が、しぼんだ花を取り除く「花摘み」の実演もあっている。
「花摘み」の廻りに集まるカメラマンおじ(い)さんたちも例年より少ない。
(高瀬裏川花しょうぶ「花摘み」)
(高瀬裏川花しょうぶ「花摘み」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
高瀬蔵では、地元産の販売会があっている。高瀬飴を食べると、母乳が出ると言い伝えられている。
(高瀬蔵)
(高瀬飴)
高瀬の商店街に出て、すぐに向かったのは柳屋茶舗。ここの「抹茶ソフトクリーム」を食べないと、「花しょうぶまつり」のウォーキングに参加した気分になれない。濃厚で美味しい。ほっぺが緩む。
(柳屋茶舗)
(柳屋茶舗「抹茶ソフトクリーム」)
いつものコースを歩く。
(願行寺)
(高瀬官軍墓地)
「歴史博物館こころピア」では、「金栗四三すごろく」が販売されている。200円。
(歴史博物館こころピア)
(金栗四三すごろく)
(玉名市役所で)
玉名温泉の足湯のところで、歩友のJさんと会う。私より一つ後の列車で玉名駅に到着されたようで、「ななつ星」は駅に着いていたそうだ。専用バスは「山鹿」へ向かったと教えていただいた。
足湯には入らず疋野神社へ。
(疋野神社への矢印と幡)
2年前のウォーキングで訪れたときは鳥居の貫にヒビが入っていが修復されている。
(疋野神社鳥居)
(疋野神社)
疋野神社から蓮華院誕生寺本院への直線を歩く。長い。暑い。
(小学校の運動会は昼休み)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いから蓮華院誕生寺五重塔)
蓮華院誕生寺に着いて、凍らせたいちごのおご馳走。たまらない。
(蓮華院誕生寺五重塔)
(蓮華院誕生寺)
(蓮華院誕生寺)
(蓮華院誕生寺)
後は、ゴール玉名駅へ帰るのみ。後3km。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで。田植えはまだ。)
「ゴール。ビール。」、「ゴール。ビール。」頭の中を駆けめぐる。
ようやく玉名駅へ着くと・・・・・。
ガーン。駅構内にあったコンビニが無くなっている。駅周辺にビールを売っているようなお店も無い。ショックでうなだれ。
(玉名駅)
で、今日のウォーキングを終える。
(今日のマップ)
今日は玉名駅のウォーキングに2年ぶりに参加。
時刻表を調べたら、熊本駅での乗換えなしで、豊肥線から鹿児島本線玉名駅への列車があった。いつもの参加よりも一列車遅いがその列車で玉名駅へ。
受付を済ませて、目に入ってきたのは駅前に停まっている「ななつ星」専用バス。「え、今日は玉名。どこに行くんだろう。」と思いつつ、スタート。
(玉名駅前の「ななつ星」専用バス)
西南戦争時に官軍の本営が置かれた繁根木八幡宮(はねぎはちまんぐう)へ。
(繁根木八幡宮)
駅に着いて並んだ人も、スタートして向かっている人もいつもより少ない気がする。今日、熊本市内は小学校の運動会。朝から爆竹の音がしていた。
繁根木八幡宮でボランティアの説明の方も手持無沙汰のようす。
「どちらから。」「熊本市内から。」「いつも来られてます。」「だいたい毎年。」「じゃあご存知ですよね。私も熊本市出身です。」
ということから、説明写真にある10月開催の繁根木八幡宮秋季大祭の飾り馬の話に。
(ボランティアの方の説明板)
熊本市内では9月の藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)の秋季例大祭が開催され、飾り馬が奉納される。
藤崎八旛宮の飾り馬は馬を暴れさせるが、繁根木八幡宮の飾り馬はじっと(静かに立ち止まったまま)している。「境内で動かないんです。」「静かに立っているんです。」
藤崎八旛宮の飾り馬を見て育った人から見れば不思議な光景だったようで、そのほか祭りのいろんな話を聞きながら、二人で盛り上がってしまった。
先へ進む。繁根木川の橋を渡り少し歩いて右折。鹿児島本線の線路の下を通って、八重垣神社の裏から繁根木川に出る。
(八重垣神社)
(繁根木川沿い)
140年前、明治10年西南戦争。熊本城に籠城した官軍と包囲した薩軍の攻防の間、薩軍の一部部隊は北上する。率いるは西郷隆盛の末弟・小兵衛。小倉から、乃木希典率いる官軍の援軍が南下。高瀬(玉名)・木葉で激突する。
繁根木八幡宮に陣をとる官軍と繁根木川を挟んで激しい銃撃戦。2月27日、官軍の弾丸が小兵衛の胸を貫く。小兵衛、壮絶な戦死をとげる。享年31歳。その戦死地碑がのどかな風景の中にぽつんとある。
(西郷小兵衛戦死地碑)
何年か前、「西郷小兵衛戦死地碑」を後にして歩いているときに、ウォーキングに参加されている方から声をかけられた。
「西南戦争の全体像がわかる本ありますかね。」
熊本市内に住んでいると、熊本城の攻防、田原坂の戦いについて断片的な話は聞くことがあるけど、西南戦争全体の話は知らない。
その時は、「どうですかね。」とだけ答えて、すぐに熊本県立図書館に行き調べた。ありました。その数年前に小川原正道著「西南戦争」(中公新書)が出版されていた。新書なのでボリュームはそれほど無い。早速読んで、JR九州ウォーキングのホームページで紹介させてもらった。
私に聞かれた方が読まれたかどうかは分からないが、数人の方が図書館で借りて読んだと、コメントされていた。
声をかけられたあたりを過ぎて、また、少し歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
加藤清正が造り、細川家が拡張整備した「高瀬船着場跡」に着く。ここに、菊池川沿で収穫された米が集められ、大坂へと運ばれた。集積した米を蓄える米蔵(御蔵)は西南戦争で焼失している。
菊池川流域米「七城の米」は10年以上連続「特A」を獲得している。江戸時代も、菊池川沿いの米は名が通っていた
という
(「高瀬船着場跡」俵ころがし)
(俵ころがしの俵受けと鹿児島本線鉄橋)
(俵ころがしと揚場)
来年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公は1961(昭和37)年に玉名市の名誉市民になった日本マラソンの父・金栗四三(かなくり しそう)。出身は玉名市の隣、玉名郡春富村(旧三加和町、現和水町)。
1912年(明治45)年のストックホルムオリンピックに日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場した。「福岡国際マラソン」「箱根駅伝」などは金栗四三さんの発案。
「いだてん」のロケが、5月の上旬に、高瀬船着場跡で行われた。来年はこの場所が全国に放映される。地元エキストラも約70人が参加している。
鹿児島本線の鉄橋の下を通り、高瀬裏川へ。
(鹿児島本線鉄橋)
(萵苣の木)
高瀬裏川には、約700メートルにわたって66000本の花しょうぶが植えてある。今年は玉名市内、熊本市内の小学校が運動会で人出が少ない。
(高瀬裏川で)
(高瀬裏川花しょうぶ「秋丸眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ「秋丸眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ「高瀬眼鏡橋」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
すげ笠にかすり着姿の女子高校生ら4人が、しぼんだ花を取り除く「花摘み」の実演もあっている。
「花摘み」の廻りに集まるカメラマンおじ(い)さんたちも例年より少ない。
(高瀬裏川花しょうぶ「花摘み」)
(高瀬裏川花しょうぶ「花摘み」)
(高瀬裏川花しょうぶ)
(高瀬裏川花しょうぶ)
高瀬蔵では、地元産の販売会があっている。高瀬飴を食べると、母乳が出ると言い伝えられている。
(高瀬蔵)
(高瀬飴)
高瀬の商店街に出て、すぐに向かったのは柳屋茶舗。ここの「抹茶ソフトクリーム」を食べないと、「花しょうぶまつり」のウォーキングに参加した気分になれない。濃厚で美味しい。ほっぺが緩む。
(柳屋茶舗)
(柳屋茶舗「抹茶ソフトクリーム」)
いつものコースを歩く。
(願行寺)
(高瀬官軍墓地)
「歴史博物館こころピア」では、「金栗四三すごろく」が販売されている。200円。
(歴史博物館こころピア)
(金栗四三すごろく)
(玉名市役所で)
玉名温泉の足湯のところで、歩友のJさんと会う。私より一つ後の列車で玉名駅に到着されたようで、「ななつ星」は駅に着いていたそうだ。専用バスは「山鹿」へ向かったと教えていただいた。
足湯には入らず疋野神社へ。
(疋野神社への矢印と幡)
2年前のウォーキングで訪れたときは鳥居の貫にヒビが入っていが修復されている。
(疋野神社鳥居)
(疋野神社)
疋野神社から蓮華院誕生寺本院への直線を歩く。長い。暑い。
(小学校の運動会は昼休み)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いから蓮華院誕生寺五重塔)
蓮華院誕生寺に着いて、凍らせたいちごのおご馳走。たまらない。
(蓮華院誕生寺五重塔)
(蓮華院誕生寺)
(蓮華院誕生寺)
(蓮華院誕生寺)
後は、ゴール玉名駅へ帰るのみ。後3km。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで。田植えはまだ。)
「ゴール。ビール。」、「ゴール。ビール。」頭の中を駆けめぐる。
ようやく玉名駅へ着くと・・・・・。
ガーン。駅構内にあったコンビニが無くなっている。駅周辺にビールを売っているようなお店も無い。ショックでうなだれ。
(玉名駅)
で、今日のウォーキングを終える。