鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「弥生時代」に会う【JR九州春日駅・博多駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-8・9】

2017-05-30 | JR九州ウォーキング
2017年5月21日(日)

今日はJR九州のダブルウォーキング。


(今日のマップ「春日駅」)

先ずは、春日駅へ。


(春日駅)

春日駅には、時たま来ることがある。駅前にある福岡県総合福祉センター「クローバープラザ」には福岡県の福祉関係団体も入居していて、そこで団体の世話をしている知人を訪たりする。


(クローバープラザ)

9時過ぎにスタート。鹿児島本線沿いを歩いて、春日市役所を通り過ぎ、春日公園に入る。


(鹿児島本線沿いを歩く)


(春日市役所)

昭和47年頃までは列車から米軍基地を眺めていたが、公園に変貌した。のんびりと散歩する人、ゆっくりと運動をしている人々、広々とした公園内で新緑の息吹を感じながら思い思いに過ごしている。中を慌ただしく歩くのはウォーキングの参加者たち。


(春日公園)


(春日公園)


(春日公園)

公園内で久しぶりにSさんとお孫さんたちに会い挨拶。孫たちは遊具で遊ぶのに忙しい。


(春日公園)

公園を出たところで、Kさんに会い、それから最後までおつき合いしていただいた。


(道沿いで)


(人形の久月)


(今日は自衛隊の記念日)


(道沿いで)

先着200名様にプレゼントがある「お茶々万十本舗富貴」に寄るが、すでに終了。「奴国の丘歴史資料館」に向かう。

「奴国の丘歴史資料館」は国指定史跡で弥生時代中期から後期の大規模な遺跡群「須玖岡本遺跡」を一部とする「春日市奴国の丘歴史公園」の一角に建っている。

数年前にこのコースに参加した時には「奴国の丘歴史資料館」はコースに入っていなかったが、寄り道して見学した。それ以前にはコースに入っていた時期もあったようだが。今回またコースに組み込まれていた。


(春日市奴国の丘歴史公園入口)


(春日市奴国の丘歴史公園で)


(奴国の丘歴史資料館)

西暦57年、後漢の光武帝が「奴国」からの使者へ金印を賜った。その金印は江戸時代天明年間に志賀島で発見された。

弥生時代後期の280年~290年代終わりころに書かれた中国の歴史書「魏志倭人伝」には、「邪馬台国」へ至る行程に、伊都国(現在の福岡県糸島市あたり)から東南に100里進むと「奴国」に至る。2万余戸があることなどが書かれている。

王墓や青銅器などの生産工房が密集している「須玖岡本遺跡」とその周辺は「奴国」の中心地であったと推定されている。

資料館には青銅器生産工房のジオラマが展示してあり、弥生時代のテクノポリスと呼ぶにふさわしい地であると紹介されている。

明治32年、200mほど離れた地点から、およそ2100年前に中国で作られた鏡30面前後、銅剣、銅矛、ガラス璧、ガラス勾玉など多数の副葬品を伴った甕棺墓が発見されている。その甕棺墓の上石が幾度かの移転を経て公園内に展示してある。


(王墓の上石)

公園内の高台では2つのドーム(覆屋)が目立つ。甕棺墓などが発掘調査時の状態で展示してある。


(2つの覆屋)


(その一つの中)


(覆屋の一つ)


(その中)

一昨年だったか、プライベートで資料館を見学し、公園内も池や森があってゆっくり一周し、楽しんだ。平日だったと思うけど、資料館ではボランティアの方につきっきりで案内していただいた。

今日は、慌ただしく発つことにする。


(奴国の池)


(奴国の丘上空)

陸上自衛隊福岡駐屯地では記念の行事が行われていた。ここも慌ただしく見学。南福岡駅に向かう。


(陸上自衛隊福岡駐屯地パレード)

踏切でしばらく待たされて、南福岡駅にゴールする。


(南福岡駅相生踏切)

急いで、ホームに入り、南福岡駅から3つ目の博多駅へ移動。

ダブル2つ目、博多駅からのウォーキング。


(今日のマップ「博多駅」)

11時までの受付時間に間に合い、11時前にスタート。キャナルシティ博多の横を通り、「住吉神社」へ。


(博多駅)


(キャナルシティ博多)


(ビルの窓から覗いていた)

筑前國一の宮「住吉神社」にお詣りし、住吉通りを渡辺通り1丁目交差点で、左折。日赤通り歩く。暑い。お昼頃で太陽は真上。大きな通りの日陰のない歩道をひたすら歩く。


(住吉神社)


(住吉神社)


(住吉神社)


(住吉通りで)

那の川四つ角で左折。道が少し狭くなるだけでホッとする。と、那珂川。百年橋を渡って左折。すぐに階段があって河原に降りられるようになっている。


(那珂川百年橋)


(橋を渡って左折)


(階段を下りる。案内がなかった。)

何人かのウォーカーが降りて行った。涼むのかなと思っていたら、そうでなく、階段を降りて川沿いを歩くのがコースみたいだが、矢印も旗も無く、コース案内の人もいない。幾人かは通り過ぎて行った。

同行人がいなかったら、私も降りる事無く通り過ぎたと思う。Kさんが地図を見て、どうやらこちらの方だと教えてもらった。通り過ぎた人達も返ってきた。

川の水が綺麗で透き通っている。小さな魚も泳いでいる。川沿いを歩いていくと、大きな鯉がたくさん泳いでいる。これだけ大きな鯉が、こんなにいっぱい泳いでいる川は初めてだ。


(水が澄んだ那珂川)


(川沿いを歩く)


(川沿いで)


(大きな鯉がいっぱい泳いでいた)


(堰で下流も澄んだ川に)

も少し気温が低かったら気持ちのいいコースなのに、残念、残念。風も無い。

川沿いの公園「那珂川リバーフロントプレイス」の木陰で一休み。


(那珂川リバーフロントプレイスで)

また、暑い中を歩き出す。


(川沿いで)


(写真右側を歩いてきた)

遠くに綾杉(あやすぎ)酒造場の看板が見えた。「綾杉だぁ。」とついつい声を出す。


(綾杉酒造場)


(綾杉酒造場)


(綾杉酒造場)

綾杉酒造場は、1793(寛政5)年福岡市天神にて創業した蔵元。店主の祖先が香椎の出身者であったことから香椎宮の御神木「綾杉」からその名がつけられている。

香椎宮は弥生時代後期の西暦200年頃、香椎の地で亡くなった仲哀天皇を神功皇后が祭られたのが起源とされている。

綾杉は那珂川沿いにあるが、下っていくと中洲、天神の方へ流れている。上っていくと午前中に訪れた須玖岡本遺跡は川沿いから1、2キロ。さらに上っていくと佐賀県の吉野ケ里の方へ行く。奴国と呼ばれていた弥生の時代から重要な交通路だったのではなかろうか。

綾杉の純米酒はアルコール度17%でコクがあって、美味しかった。娘から酒蔵に行ったとき、お酒を買ってきてと頼まれていたので、本醸造、上撰と飲み比べ、上撰を買った。

綾杉酒造場には那珂川の橋を渡ってきた。店を出て、橋を渡って竹下駅裏側に出る。次の寄りどころは「山口油屋福太郎」。何のお店かと思っていたら、明太子とめんべえの福太郎だった。食用油が原点のようだ。福太郎の看板は新幹線からがよく見える。


(福太郎)


(福太郎)

福太郎を出て、竹下駅前で開催されている「竹下まつり2017」へ。ゴールは竹下駅構内ではなく、まつり会場の一角にあった。13時頃に到着。

竹下駅前には舞台が作られ催しがあっている。


(竹下駅近くの踏切で)


(竹下駅)


(駅前のまつり会場)

駅前の焼鳥屋さんが竹下まつりに合わせて開店していた。焼鳥とビールで弥生時代後期をたっぷり楽しんだダブルウォーキングを終えることにした。


(焼き鳥屋)


(竹下駅で。JR九州の初代特急)

「新日本三大夜景の昼景」に会う【JR九州スペースワールド駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-7】

2017-05-22 | JR九州ウォーキング
2017年5月14日(日)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキングスペースワールド駅コースに参加。と云っても、今日の主催は八幡東区などの実行委員会主催「第12回皿倉山健康ウオーク」。JRはタイアップ。

スタートもJRの駅ではなく、駅から数分の公園。8時30分から出発式があって、それからのスタートなので、前日は西小倉駅近くのホテルに宿泊して参加する。

出発式の挨拶では、この公園は八幡製鉄の敷地であったことなどの紹介もあった。


(スタート地点。東田第一高炉も見える)

公園周辺にはスペースワールドの他にも北九州市立いのちのたび博物館、ショッピングセンターなども整備されている。

直ぐ近くには、明治34(1901)年に火入れが行われた東田第一高炉公園もある。保存されている東田第一高炉は昭和37年に改修された高炉で北九州市の史跡に指定されている。

小倉から博多に通勤していたころは、鹿児島本線で小倉から博多方面へ向かうと、東田高炉は右手に見えていた。今は、左手に見える。八幡製鉄所敷地の外周に沿って鹿児島本線の線路はあったが、今は、八幡製鉄所の敷地内の製鉄所専用だった線路を鹿児島本線が走っている。

挨拶や注意などが終わって、8時45分頃にスタート。八幡東区の催しなのでこれまでは八幡東区内を歩くコースが設定されていたが、今年は旧八幡市制100周年記念事業も兼ねているので八幡西区の河内温泉折り返しの約26.5km「河内・長崎街道健脚コース」も設定されている。

先に、健脚コースがスタートし、私が参加した約12kmの「下りケーブルカーコース」が続いた。


(スタート会場からスペースワールド)


(スタート会場から皿倉山。手前の建物はいのちのたび博物館)


(スタートしてすぐ。東田第一高炉には「1901」が掲げてある。)   

八幡は洞海湾沿いの平らな地が八幡製鉄所の構内で、住宅は山沿いに拡がっている。公園を出てしばらくすると、もう上り道になる。前泊して、小倉のお酒「無法松」を少し飲み過ぎて、頭が重い身体ではきつい。


(山麓駅手前からの眺望)

皿倉山ケーブルカー山麓駅までフゥフゥしながらたどり着く。ここからが登山道。表登山道を上る。一合目の標識が。二合目、三合目、きついきついと思いながら上る。

昭和12年、完成した「皿倉山登山道」の景勝地として、当時の小学生によって15の地点が選ばれ、それぞれに石標が設置され、平成5年に名札が整備されている。説明を読みながら一休み一休みしながら登れるようになっている。

ときどき洞海湾と北九州の町並みも見える。ホットする。


(山麓駅のすぐ上)


(表登山道を上る)


(一合目の標識)


(何かな?)


(帆柱15景の一つ「力水」)


(下界を見下ろす)

四合目、まだまだ先は長い。


(四合目の標識)


(15景の石標)


(15景の説明板)

五合目、半分だ。その後、皿倉平だと思うけどジュースをいただいた。写真撮ってなかった。


(五合目の標識)


(下界を見下ろす)


(五合目の標識・説明板)


(六合目の標識)


(八合目。もう少し)

皿倉山ビジターセンターでは、もう少し頑張って、とスープのお振る舞いがある。さあ、もうひと踏ん張りと上りだす。


(皿倉山ビジターセンターからの眺め)


(スープのお振る舞い)


(ビジターセンターで)


(ビジターセンターから少し上ったら頂上が見え始めた)

ようやく、頂上標高622メートル。眺望抜群。北九州市は「100億ドルの夜景」と銘している。夜景愛好家らのインターネットコミュニティにおいて「新日本三大夜景」の一つに選定されている。


(もうすぐ頂上)


(頂上へ)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)

山頂でゆっくりとしたいけど、急ぎ下りることにする。

ケーブルカー山上駅まで下り、しばらく待って、下りケーブルカーに。何度か乗ったことがあるけど、一番前は初めて座る。意外と怖くなかった。山麓駅まで眺めを楽しみながら一気に下った。


(山上ケーブルカー駅)


(山上ケーブルカー駅から)


(山上ケーブルカー駅から)


(正規の参加者は無料)


(ケーブルカー出発)


(ケーブルカーからの眺め)


(上りケーブルカーと行き交う)


(皿倉山ケーブルカー山麓駅)

山麓駅からは下り道をスタート地点の公園まで急いで歩く。12時ごろゴール。ゴールではバザーも開かれていて、知的障害者が働く「太陽パン」が出店していて、お手伝いにはならないが、おつき合いをさせてもらうことにする。


(「太陽パン」の出店)

スタート地点では一緒だったAさんは、私より先に上って下りられ、伝言を残されていた。

スタートの時にはお会いしていなかったMさんは27.5kmに参加されて、パンが売り切れない内にと急いで歩いてきました、と寄っていただいた。その時、パンは実際残り少なくなっていた。

話を聞いた販売に携わっていたみんな感激していました。
ありがとうございました。

そうこうしているうちにパンは全部売り切れてしまった。

後は、おからクッキーのみ。しばらくして売り切れ。嬉しそうな顔をしている。

みんなは関係者や周囲に挨拶して廻って閉店。

私の今日のウォーキングも終える。

第12回皿倉山健康ウオークは、8時30分出発式の2つのコースの他に、9時30分出発式で約14kmの「河内温泉「あじさいの湯」コース」、約12kmの「上りケーブルカーコース」。10時30分出発式で約7.5kmの「八幡100年歴史探訪コース」、約3.5kmの「ファミリーコース」があった。

「"海ポチャ"した」に会う【JR九州西小倉駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-6】

2017-05-17 | JR九州ウォーキング
2017年5月13日(土)

JR九州ウォーキング西小倉駅コースに参加。


(今日のマップ)

今日はゆっくり10時50分頃スタート。


(西小倉駅)

室町を歩いて、常盤橋を渡る。江戸時代は長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つ街道の始点でも終点でもあった。


(常盤橋)

平成7年に現在の橋に代わっている。昔、常盤橋の袂の所には、ふぐを安く食べさせてくれるお店があったような記憶がある。


(橋を渡った所)


(リバーウォーク北九州)

渡ってJRの線路をくぐり海岸沿いへ出て右折。このあたりは初めて歩く。湾の向こう側に工場が見える。


(列車が通り過ぎる)

八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵が発足した。その新日本製鐵と住友金属が一緒になって新日鐵住金という会社になっているが、工場は何と呼ばれているのだろう。昔は「住金」とだけ云っていたような気がする。


(「住金」の工場)

海岸沿いには、小倉記念病院が移転している。TOTOの近く貴船町に移転新築の時も当時としては見上げる高さだったが、それ以上に見上げる高さがある。この地区には周りにも高層建築物があるので、貴船町にポツント建っていた時の方が目立っていたのではなかろうか。


(小倉記念病院)

あさの汐風公園から西日本総合展示場本館を通り、「ミクニワールドスタジアム北九州」へ。


(あさの汐風公園)


(あさの汐風公園)


(西日本総合展示場本館)

最近、公共施設の命名権が流行っていて、何の施設かよくわからないことがある。命名権付与前は「北九州スタジアム」でサッカーやラグビーの球技場。不動産会社が命名権を獲得している。

外周デッキを一周する。

2方面が海に面して建てられている。周回すると気持ちがいい。Jリーグの「ギラヴァンツ北九州」のホームグラウンドになっている。サッカーのことはよく知らないが、これだけ眺望のいい、しかもJRの小倉駅から歩いて来れて観戦できるという素晴らしい環境のホームグラウンドを持っているチームはあるのだろうか。今、「ギラヴァンツ北九州」はJ3に所属しているようだが、環境に恵まれすぎて???

スタジアムのバックスタンドはそんなに高くない。すぐ裏は海なので、スタンドを高くし、収容人員を増やすには、海上に拡張しなくてはならない。

今年2月18日のこけら落とし、ラグビーの「サンウルブズvsジャパンラグビートップリーグオールスター」の戦いでは選手がタッチキックしたボールがスタジアムを飛び越えて海に飛び込む「海ポチャ」があって、そのボールは回収された。

バックスタンドのデッキには「魚つり禁止」の注意書きもあったようだが気がつかなかった。


(スタジアムの案内)


(デッキからの眺め)


(デッキからの眺め・「住金」工場)


(フィ-ルド)


(バックスタンド)


(デッキからの眺め・下関方面)


(デッキからの眺め・下関方面)


(デッキからの眺め・バックスタンドのすぐ下)


(デッキからの眺め・小文字山方面)


(スタジアムの中で)


(スタジアムの中で)

そのような調査があるかどうか知らないが、アウェーのサポーターが観戦して、また行きたくなるスタジアムになるのではなかろうか。

スタジアムを出て、藍島・馬島航路の桟橋に出て、再び、JRの線路をくぐって、浅香通りを歩く。この角には三菱銀行があったよなぁ、と懐かしい。


(国際会議場)


(藍島・馬島航路)


(浅香通り西顕寺)

小文字通りに出て右折だが、左手には毎日新聞のビルが。昔、屋上のビアガーデンには通った。小文字通りは映画相棒のロケがあったが、映画は観にいく機会がなかった。相棒の映画はこれまでのは全部観ているのに残念。


(毎日西部会館)


(小文字通り)


(平和通りを走るモノレール)

平和通りに出る手前の道を左に曲がって、「菅原神社」へ。


(菅原神社)


(菅原神社)

菅原神社から小倉の台所といわれる「旦過市場」へと。古い市場なので今では観光名所になっていて、今日も、西欧系の観光客がチラホラ。


(旦過市場入口)

旦過市場はメインの通りよりも、横に入ったところが懐かしい。日本語が少したどたどしいホルモン焼きのお店、居酒屋、スナック、共同のトイレ、映画館。少し怪しい雰囲気があって、吸い寄せられてウロチョロしていた。


(懐かしい旦過市場の酒屋あかかべ・昔は朝から角打ちの客で賑わっていた)


(懐かしい旦過市場の鯨肉のお店・昔は賑わっていた)

そう思いながら歩いていると、「ヤギアイス」と書いた看板が。これはもう入る。北九州の大学生が運営するお店「大學堂」。ヤギアイスを注文。出てきた商品は大分県で作られているようだ。クセが無く美味しかった。けど、せっかくのヤギアイス、も少しクセがあった方が懐かしいと思う。その事をお手伝いの学生(?)さんに云ったけど、云った意味も分らないだろうな。小さい頃は牛乳ではなく、ヤギの乳を飲んでいた世代の懐かしさは。


(ヤギアイス看板)


(ヤギアイス)

旦過市場を抜けて、魚町銀天街を歩く。昔、入っていた書店、古書店などは無い。


(魚町銀天街)


(魚町銀天街の武蔵・開店時間は早い)


(京町・地下の天ぷらやふじしま)

さっさと歩いて、アーケード街を通り抜けて、小倉駅へ。12時半ごろゴールした。


(小倉駅ビルに入って行くモノレール)


(小倉祇園太鼓の像)


(小倉駅の階段)


(小倉駅改札口前の広場)

まだ、お腹は空いてなかった。新緑の季節なので小倉城あたりへ行くか。で、今日の僅か6Kのウォーキングを終える。

「昔」というのは青春時代を過ごした昭和50年を挟んだ十数年のことであります。

「菅原道真 天を拝ぐ頂き」に会う【JR九州二日市駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-5】

2017-05-02 | JR九州ウォーキング
2017年4月29日(土)

JR九州ウォーキング二日市駅コースに参加。


(今日のマップ)

今日のコースは武蔵寺(ぶぞうじ)の藤鑑賞がメインだが、以前参加した時は天拝山(てんぱいざん)駅スタートだった。

二日市駅を9時10分頃スタート。鹿児島本線の踏切を渡って、「筑紫野市歴史博物館」へ。春の企画展「武蔵寺と二日市温泉」が開催中。


(クリーンデー)


(子育て支援自販機は初めて見た)


(二日市駅を出た電車)


(筑紫野市歴史博物館)

二日市温泉の名は昭和25年からで、それ以前は武蔵(むさし)温泉、古代には次田温泉(すいたのゆ)などとも呼ばれていた、ことを知る。へぇへぇと思いながら観てまわる。

大正4(1915)年の武蔵温泉案内パンフレットは鉄道の時刻表もついて、鉄道と温泉はセットで宣伝されている。武蔵温泉、武蔵寺付近には遊園地もあったようだ。


(武蔵温泉パンフレット)


(武蔵温泉パンフレット)

常設展で、筑紫野市一帯の歴史を学んで歴史博物館を後にし、二日市温泉へ。「御前湯(ごぜんゆ)」は筑紫野市が運営する温泉施設。黒田藩が管理していた時から名が引き継がれている。入浴料250円が100円引きで入れるのだが、入らずに進む。


(道沿いで)


(二日市温泉)


(御前湯)

直ぐ傍に、万葉集に収められている、大友旅人が、次田(すきた)の温泉に宿りて、鶴の喧くを聞きて作る歌一首、「湯の原に 鳴く芦田鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く」の碑がある。

大友旅人は、728年頃、妻の大伴郎女を伴って、大宰府の長官・大宰帥(だざいのそち)として赴任する。60歳過ぎていた。間もなく妻を亡くし、その想いを歌った。


(大友旅人の歌碑)

温泉街を歩いていると爆竹が鳴った。天拝公園でのお祭りが始まったようだ。



(道沿いで)

歌碑があった。
「人ならぬ 草木にさへも わするなよ 忘れしとのみ いはれけるかな」
三条西季知は尊皇攘夷派公家の一人。


(三条西季知歌碑)

高取焼に寄る途中にも碑がある。「鴬や 破るる夢も 惜しからん 温泉に通ふ 下駄と雲雀の 声高し」、江戸末期黒田藩家老も勤めた立花秋水の作。


(立花秋水歌碑)

高取焼で折り返し、藤まつり会場の天拝公園へ。前を行く大勢の人たちの後について行ったが、後からマップを見ると、道が違っていたようだ。


(高取焼入口)


(高取焼入口)


(高取焼)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

天拝公園で少しのんびりして、武蔵寺の方へ向かおうとしたとき、天拝山に上って降りられてこられたKさんご夫妻と会った。「400段の階段を上ってきました。」と聞き、最近疲れ気味ではあるが、やっぱし上ろう。


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝山案内板さあ上ろう)

途中に、石楠花谷があって、写真を撮って、上り進む。


(道沿いで)


(道沿いで)


(石楠花谷)


(石楠花谷)


(石楠花谷)


(石楠花谷)

ウォーキングのコースではないのだけど、上ってといる参加者も多い、下ってくるお知り合いの方々ともお会いする。みんな上るんだなあ、と思いつつ上る。


(山上り道)


(山上り道)


(山上り道)


(山上り道)


(途中にある荒穂神社)


(荒穂神社からの眺め)

お祭りや武蔵寺の藤鑑賞に来た人たちも上っている。小さい子も上っている、もう下ってきている子もいる。3、4歳位と思える子どもたちだ。上るにつれ身体もしんどくなってくるが、すまして上ったり、下りたりしている子らに会うと癒され、口元もほころぶ。子らに「頑張るなぁ」など声をかけたりしながら上る。

8合目あたりから階段を上る。へばっている大人たちも増えてくる。


(階段を上りはじめる)

「さあ今から大変」と書いたある100段目の案内板がある。きつそうに上っている人に「まだ四分の一ですよ。」と声をかける。「え、まだ・・・。」

不思議なもので、他の人に声をかけるとこちらが元気になる。


(100段目)

階段200段目「まだ・まだ」


(200段目)

階段300段目「あと一息」


(300段目)

436段を上がって頂上へ。

頂上に、菅原道真が都の方を向かって祈祷したという「おつま立ちの岩」がある。


(おつま立ちの岩)

菅原道真は右大臣にまで昇進したが、当時の醍醐天皇と対立し、901(昌泰4)年、大宰府の長官よりも下の位になる大宰員外帥に左遷される。

失意の道真は、天拝山の頂にある岩に上がり都に向かって、無実の罪が晴れ都に戻れる日が来ること、国家安寧を祈った。

「山上に登った前右大臣菅原道真は七日間天の祈願して、天より大自在天満天神の神格を与えられ、自在神力を得たという、またそのおり菅公は天を謝して九拝しその跡を印した」と階段の上り口にあった案内板にある。

古くは天判(てんぱん)山と呼ばれて標高は258m。それほど高くないので眼下に市街地が広がる。あそこが、そこが、指差して話をしている人たちも多い。地元の人たちには人気のある山だろう。


(天拝山社)


(頂上)


(眺望)


(眺望)


(眺望)

菅原道真が上った時には、大宰府政庁もはっきりと見えたであろう。

山を下る。同じ道を下って、石楠花谷を過ぎたところにあった、地元の歌人松尾光淑の一首。
「此山に のぼりし君が 古へを 思へばかなし 見れば尊し」


(松尾光淑の歌碑)


(道沿いで)

天拝公園のところに戻って、「御自作天満宮」へ。菅原道真が武蔵寺に参籠した時に、自分の等身大の木像座像を刻んで納めたと伝えられ、それが御神体となっていることから、その名前がついている。

新緑の下で琴の演奏は、心を洗われる。


(御自作天満宮境内で)


(御自作天満宮で)

長居も出来ないので、すぐ隣の「武蔵寺」へ。「長者の藤」の前では太鼓の勇壮な響きが。静から一転して動の世界へ引きずり込まれる。


(長者の藤前で)

太鼓の演奏が終わっても人が多く、藤の写真も撮りづらい。玉出泉の樽酒と藤も撮りたかったけど結局撮れなかった。


(長者の藤)


(長者の藤)


(長者の藤)

武蔵寺の創建は飛鳥時代とも奈良時代ともいわれているが、はっきりしたことは判っていない。創建者と伝えられている藤原虎麿という長者が「堂塔の盛衰は、この藤の栄枯にあらん」と誓って植えたことから長者の藤といわれるようになった、といわれている。現在の樹は樹齢700年以上とされている。


(武蔵寺)


(武蔵寺)


(武蔵寺)

お腹も空いた。祭り会場でかしわ餅を買って食べる。

武蔵寺を後にする。


(道沿いで)

しばらく歩くと、またも、歌碑。
「ゆうまくれ しろきはゆきか それならて つきのすみかの かきのうのはな」
壬生基修は、幕末の尊皇攘夷派五卿の一人。


(壬生基修歌碑)

幕末、薩摩や長州とつながりを持った尊王攘夷派の公家は第一次長州征伐の後に太宰府に移された、三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修の5人が五卿とよばれている。彼らの歌碑がいたるところにある。

菅原道真は京都から左遷で大宰府に赴任したが、左遷すなわち大宰府行き、というの江戸時代の終わりまで続いていたのは興味深い。

しばらく歩いて二日市駅近くの「二日市八幡宮」へ。いつもは列車から眺めるだけで、初めて来た。新緑がまぶしい。


(二日市八幡宮)


(二日市八幡宮)


(二日市八幡宮)

ここで、鹿児島から参加されている女性の方とお会いする。網田のコースでもお会いした。JR九州ウォーキングに参加していると、特定の方と続けざまにお会いする機会がよくある。いつも会っていたけど最近は殆ど会わないなぁと思いだす方もいる。

網田のコースを終えてから、熊本城へ行かれたようだ。

このブログもよく読まれていて、網田コースの写真を褒めていただいたが、面映ゆい。それに、褒められる経験は余りないので何とこたえていいか言葉が出ない。照れるしかない。

ありがとうございました。この場で失礼します。

二日市駅をスタートするコースは初参加なので、この後の「ゑびす醤油」にも初めて行く。商品の醤油、出し汁、味噌などを使った料理の試食をさせていただく。並んでいただくがなかなか進まない。女性数人連れの後はあまりいいポジションではないと思いながら辛抱強く待つ。

いろいろ試食した後、吟上醤油を使ったかしわ飯のおにぎりを買った。その横に、しょう油餡をかけて食べるみたらしソフトクリームが。迷わず、これも。ソフトクリームはもちもちして、かけたしょう油餡との相性も良く、店員さんに「美味しかったぁ。」とお礼。


(ゑびす醤油)


(ゑびす醤油で試食)


(みたらしソフトクリーム)

大賀酒造では、ちょっぴり試飲しただけ。飲みすぎに注意しよう。


(大賀酒造)

二日市駅にゴールし、直ぐに来た下り列車で久留米駅へ。


(二日市駅ホームから天拝山?)

新幹線に乗り換え、かしわめしのお握りを食べて今日のウォーキングを終える。