鉄卓のブログ「きままに」

「写真」「ウォーキング」「旅」「縄文」をきままに楽しく。
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「新一号橋」に会う【JR九州三角駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-19】

2016-10-30 | JR九州ウォーキング
2016年10月29日(土)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング三角駅コースに参加。

三角は北に有明海、南に不知火海を望む宇土半島の西端の町。松橋駅からのウォーキングでは、宇土半島の付け根から不知火海沿いを少しだけ歩いた。三角へは有明海と雲仙の山並みを眺めながらJR九州三角線で行く。


(熊本駅0番A乗場から三角行)

三角線は今では列車が1時間に1本ほどしか走らないローカル線だが、明治に九州に鉄道が計画された当初は、門司-三角間が第一期の工事区間だった。

当時の鉄道路線は軍の意向が優先され、軍都熊本の軍隊の移動に最も適した路線でないと認められなかった事情もあるのではなかろうか。鉄道を維持する経済的な面からは何よりも石炭の移送がある。大牟田や荒尾で採掘される石炭を運ぶ港があるのも大きな理由であったろう。九州の鉄道網は軍と石炭によって発展して行った。

しかし、実際は熊本-八代間が先に着工され明治29年に運行開始され、三角線は遅れる事3年、明治32年に開通した。

海苔の養殖が行われている有明海、雲仙の山々を眺めながら列車は進むが、突然山の中を進みだす。そして、赤瀬と塩屋、二つのトンネルを通って、ようやく三角駅に着く。明治期に着工が遅れたのは、トンネル工事があったかもしれない。熊本-八代間にはトンネルは無い。


(雲仙の山並みと海苔の養殖)


(塩屋トンネル)


(三角駅)

三角駅の前は三角東港。かっては船で天草へ行く玄関でもあった。しかし、今その面影は薄い。世界遺産に登録された三角西港へ向かって歩く。

三角小学校から少し歩くと、天草五橋への入口交差点がある。今、工事中の新しい一号橋橋桁が「おぉ」と目に入る。


(道沿いで)


(三角小学校バス停)


(五橋入口交差点から)

天草五橋は三角から天草上島間を五つの橋で結んで、昭和41(1966)年に開通し、今年50周年を迎えた。熊本日日新聞は特集でその当時の熱狂を連載していた。9月25日には2~4号橋間を人々が指切りげんまんをして手と手をつなぐプロジェクト「天草五橋Hand in Hand」があり、1658人が手をつなぎギネス世界記録の更新に成功する催しも行われた。

左手に一号橋と工事中の新一号橋を眺めながら歩き、三角西港に着く。


(工事中の新しい一号橋)


(中神島と雲仙)


(工事中の新一号橋)


(新一号橋と現一号橋)


(道沿いで)


(三角西港に着く)

港へは向かわず、右手の山に上る。


(上り口で)


(上り口で)


(道沿いで)

明治35年に建築された旧宇土郡役所、現在は九州海技学院として使われている。また、明治23年に別の場所で開庁したが、大正9年に現在の場所に移された旧簡易裁判所は、今は法の館として法の精神に触れ、法との関わりを考える法の歴史館として公開され、重要資料展示室や子供法廷などがある。それぞれの建物は国の有形文化財に指定されている。中の見学もできるが、九州海技学院は講義があっているので静かに見てまわる。法の館はあこうの樹の会による陶芸や切り絵などの作品の展示などがあっていた。


(旧宇土郡役所、現九州海技学院)


(旧宇土郡役所、現九州海技学院)


(道沿いで)


(道沿いで)


(旧簡易裁判所、現法の館)

2つの建物を見学して、三角西港多目的保安林自然遊歩道に入り、山道を上る。三角西港が一望できる展望所にたどり着くが、目は自然と工事中の新一号橋に集中する。


(山道を上る)


(山道を上る)


(展望所から工事中の新一号橋と現一号橋)

また、遊歩道を歩く。道が別れているところがあり、一方は雲仙展望台、一方はウォーキングコースの矢印になっていたので、ウォーキングコースの道を選んで歩いた。少し歩くと、また、雲仙展望台の矢印があった。さっきの場所で、雲仙展望台へ行けば、ここで合流するんだ、雲仙展望台の方へ行けばよかった、と思って、ここから行こうと、寄り道を選ぶ。
さっきの地点でどちらへ行くか迷った時、ウォーキングの参加者ではなさそうな人がほぼ一緒に歩いていて、やはり同じように迷っていた。その人も一緒に来た。話を聞くと、新一号橋の工事関係の方で、休みの日に高台から写真を撮ろうと上られていたようだ。
雲仙展望台へ着くと、その方は、直ぐに新一号橋を眺め写真に収め、私は直ぐに雲仙を眺め写真に収めた。


(遊歩道で)


(雲仙展望所から雲仙)


(雲仙展望所から新・現一号橋)

ウォーキングコースに戻り、しばらく歩くと、Aコース、Bコースの別れるところに出た。Aコースは少しだけまわり道するコースになっていた。これくらいの差であれば別けることもなかったのにと思う。Aコースでは雲仙も眺められる。


(遊歩道で?)


(Aコースは橋を渡る)


(三角権現社お堂の横に鎮座)


(三角権現社)


(三角権現社から雲仙、手前は三角町の民家)


(三角権現社から中神島)


(急な階段が2つあり下からでもお参りできるようになっている。)

遊歩道を歩き終えて、港に出る。光で水面がキラキラ光っている。海岸沿いを歩いても気になるのは工事中の新一号橋。


(道沿いで)


(道沿いで)


(三角西港に出て、新・現一号橋)

三角西港はオランダ人技師の指導で、明治20(1887)年開港した。その後東港も開港し、鉄道は東港まで敷かれた。西港は使われなくなっていく。それが幸いし、当時の施設がほぼそのまま残ることになって、世界遺産にも登録された。明治時代をそのま残す港は日本国内でも珍しいのではなかろうか。世界遺産の範囲は、歩いてきた展望台を含む山の稜線から海に向かってすべての範囲で、三角西港の港湾、住宅地、そして背後の山すべてが世界遺産に登録された。

三角西港は、昭和58(1983)年ごろから、開港時の建造物復元や一帯の整備が行われてきた。世界遺産登録に向けて整備されてきたのではない。合併前の三角町という小さな町が少しずつ進めてきて今の姿がある。そこはもっと評価されていいのではないかと思う。


(旧高田回漕店、明治20年に建てられたものを平成11年に復元)


(港から新・現一号橋)


(旧三角海運倉庫・築港記念館(オランダカフェ)平成11年、海側にテラスを設けたレストランに改造されている。)


(側溝)


(アコウの木)


(釣りをする人)


(三角西港海岸)


(浦島屋は明治時代の三角の旅館、平成5年に復元)


(浦島屋のベランダから新・現一号橋)


(浦島屋入り口から)


(龍驤館は大正7年に明治天皇即位50周年記念に建てられた。)

まだ10時半頃、昼食には早いので三角駅へ戻ることにする。
来た道を戻り、三角小学校あたりから別の道を歩き、東港に出る。
西港よりも東港の方が釣り人も多いような感じがする。西港は観光地化していない頃は釣り人が行くところだった。観光客が多くなって、釣りをしている人も少なくなったように感じる。


(新・現一号橋ともお別れ)


(道沿いで)


(道沿いで)


(三角駅で待機中の列車)

三角港旅客船ターミナル(海のピラミッド)は、以前来たときは工事中だったが、完了した姿を現している。JR九州の観光列車「A列車で行こう」は熊本駅-三角駅間を走り、東港から出ている天草の本渡への定期航路と連携している。三角線には「あまくさみすみ線」と愛称がついている。


(三角港旅客船ターミナル(海のピラミッド)、展望台になっている。)


(三角東港からの眺め)

愛称といえば、天草五橋にはそれぞれ名前がついている。天門橋(一号橋)、大矢野橋(二号橋)、中の橋(三号橋)、前島橋(四号橋)、松島橋(五号橋)という名だけど、皆、一号橋、二号橋としか呼ばない。新しい一号橋も新天門橋という仮称がつけられているが、おそらくその名ではなく、「新一号橋」としか呼ばれないと思う。

さて、コースは三角駅前から海側に歩き、地元の山の幸・海の幸を販売する「サンサンうきっ子みすみ」に寄る。ここでみかんのプレゼントをいただく。お腹も空いてきたので、お弁当を買って、海辺で昼食。ビールは無し。


(みかんのプレゼント)


(海辺でお弁当、420円)

食後、海のピラミッドの途中まで上って、写真を撮る。上まで行くのは怖い。


(海のピラミッドから三角東港の眺望)


(海のピラミッドから三角駅)

ゴール三角駅へ戻る。今度の列車は待機していない。三角駅へ来る列車を待って、乗車口の位置に並ぶ。到着した列車の乗客が降りて、乗る。有明海側の座席に坐れた。


(三角駅)

帰りは有明海を眺め、熊本市から玉名へかけて有明海に沿った金峰の山並みを眺められる。有明海では貝を採っている人の姿も見える。


(三角線網田駅)


(有明海と金峰の山並み)

三角駅のウォーキングは、三角線を楽しむのを含めてあるといつも感じる。
列車から有明海が見えなくなる。ようやく今日のウォーキングを終える。

写真を整理していたら、工事中の新一号橋ばかり撮っていた。

「灯り」に会う【JR九州博多駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-18】

2016-10-24 | JR九州ウォーキング
2016年10月22日(土)

JR九州ウォーキング博多駅コースに参加。スタートは17時。テーマは「博多灯りの道ナイトウォーキング」。
今日は1日で2コースあるいは3コース参加できるようなコース設定になっていて、3コース参加も検討したけど孫の保育園の運動会と重なり断念。このコースのみ参加することに。運動会は雨で小学校の体育館であった。この時、カメラの望遠ズームレンズが故障。望遠側でアップの写真がとれないという大失態だった。


(今日のマップ)

博多駅に16時半過ぎに着いたときはすでに長蛇の列ができている。普段でも行き交う人が多い博多口は大混雑。「受付で止まらないで先に進んで下さい。」という係りの人の声に押されて、17時過ぎにスタート。


(博多駅)

「大博通り」を歩く。「祇園大通り」・「国体通り」との交差点も真っ直ぐに進む。
左折して「櫛田表参道」に入り、博多町屋ふるさと館の横を通り櫛田神社へ。


(櫛田表参道へ)


(参道で、灯りはまだ)


(櫛田神社)


(櫛田神社)


(櫛田神社)


(櫛田神社)

櫛田神社の通りは「博多通り」、ここから右折して冷泉公園へ。冷泉公園からは「土居通り」に路名が変わる。
冷泉公園ではビールの催しがあっているけど、まだ歩き始めたばかりでビールを飲むには早い。「歩くのが逆コースであれば帰りには飲めたのに。」と頭の中は愚痴りだす。


(冷泉公園の催し)

「土居通り」を進み、「明治通り」へ出て歩道を渡って左折。博多座の角で右折し「リバレイン通り」を歩く。


(土居通り)


(博多座)

「昭和通り」に出て、歩道を渡り右折。博多小学校で左折し「大博通り」へ。18時前、雨も降りはじめ、殆どの人が傘をさして歩いている。


(博多小学校)


(奈良屋幼稚園)


(大博通り)


(大博通り)

真っ直ぐ進むと、サンパレスホテルに着く。


(サンパレスホテル)


(参加者の傘傘傘)

右に曲がって、左に曲がる。ホテルと福岡国際会議場の間の道を通って、海へ出る。左に曲がってベイサイドプレイス博多へ。太鼓の演奏など催しがあっていた。


(ベイサイドへ。塔はポートタワー)


(ベイサイドで)


(ベイサイドで)


(マリンメッセ福岡)

博多ポートタワーには行かずに引き返す。ここでウォーキング仲間のMさんと会った。以後、お付き合いいただいた。
福岡国際会議場のところに戻り左折。「那の津通り」へ出る。御笠川で右折「大浜河畔通り」を歩く。「昭和通り」で右折。ウォーキング仲間のKさんが追い付いてこられて、一緒に。蔵本の交差点で左折し「大博通り」を歩き、呉服町の交差点で左折「明治通り」へ。


(御笠川と都市高速と三号線)


(御笠川の恵比須さん)


(呉服町交差点)

信号のある交差点を左に「東町筋」・「御供所通り」を歩く。聖福寺は真っ暗で門は閉じられている。


(聖福寺)

「辻の堂通り」の交差点を左に、直ぐに右に曲がり「承天寺通り」へ。承天禅寺の前ではようやく灯りの雰囲気にひたる。


(承天禅寺の前)


(承天禅寺の前)


(承天禅寺の前)

博多千年門をくぐり、博多バスターミナルへ出る、ここは「空港通り」。歩道を渡り右折し博多駅へ。駅前の通りは「住吉通り」。19時50分頃ゴールした。


(博多千年門)


(博多バスターミナル)


(空港通り)


(博多駅前)

博多の街を右折・左折しながら歩いて、「博多の灯り」の催し会場を巡るナイトウォーキングだったけど、残念ながら雨で中止となった会場もあったようだ。
田舎者には催しの灯りよりもビル、街燈、ネオン、車など街の灯りの方が気になってしまった。

道沿いで見かけた居酒屋やしゃれた飲食店にはついつい心が引き寄せられたが、誘惑に負けずになんとか今日のウォーキングを終える。

ビールはゴール後に駅内のお寿司屋さんで。

(本文中の通り名は後から調べ記述している。)

「まるぶん」のカッパ【熊本の話題】

2016-10-21 | 熊本の話題
10月20日(木)

 本屋さんの前を通ると「お入りください」と入口のカッパ像が迎える、熊本市上通りの金龍堂まるぶん店は、4月の熊本地震で被災し、営業再開に向けて工事中です。

 店の前を通ったらシャッターが開いていました。

 カッパさんは、静かに出番を待っているようです。


(10月20日)


(6月15日)

「江戸時代の杉」に会う【JR九州黒崎駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-17】

2016-10-19 | JR九州ウォーキング
2016年10月10日(月)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング黒崎駅コースに参加。

駅の改札を出て、跨線橋を渡り今日の受付北口へ。


(北口から黒崎駅)

階段を下りると安川電機YASUKAWAの森。ここの「みらい館」に入る。みらい館はロボットの 最新技術などを発信する展示・体感・学習施設で、通常は予約が必要。今日はウォーカーが押し寄せゆっくり見学する雰囲気ではない。また、ゆっくりこよう。歴史館も少し覗いて先へ進む。


(安川電機みらい館)


(安川電機みらい館)


(安川電機みらい館)


(YASUKAWAの森から黒崎駅)


木材市場や工場の煙突の煙などを見ながら、城山緑地公園の頂上めざして上る。少し息を切らし急な階段を上ったら一番上に出た。


(目指す城山緑地公園黒崎城址)


(工場群の中に木材市場が)


(工場の煙)


(上る)


(上る)

ここは黒崎城址。関ヶ原の戦い後、筑前の国を治めることになった黒田長政は福岡城の築造にとりかかり、ここの黒崎城をはじめ六つの城を国の守りとして築いたが、幕府の一国一城令により、わずか十数年で取り壊された。城の石垣は現在の黒崎駅付近の護岸工事に使用されて、頂上にわずかに残るのみとなった。今日のウォーキングはスタンプラリーもあって、ここでは二番目のスタンプをおしてもらう。そして眺望を楽しみ、下る。


(黒崎城址)


(頂上)


(皿倉山方面)


(スペースワールド方面)


(黒崎の工場方面)


(洞海湾方面)


(石垣の跡?)

三番目のスタンプは「黒崎宿東構口」。構口は番所のことで、熊手に西構口が設けられ、東口と西口間が黒崎の宿といわれている。同じ場所に海蔵庵というお寺もある。


(下りで)


(下りで)


(下りで)


(下りで)


(黒崎宿東構口案内板)


(海蔵庵)

踏切を渡って、商業地帯の方へ行く。黒田如水および黒田長政を祀ってある「春日神社」へ。江戸時代は、「黒田大明神」または長政の神号、「黒崎大明神」と称した。明治に春日宮と再称されるようになった。


(春日神社)


(春日神社の前)

春日神社を出て、左に曲がったところに「古本や檸檬depot」があったので入った。古書はAMAZONで買うのが殆どだが、古書店で探すのもいい。先日は、熊本の古書店が集まった古書即売会で一冊の本を見つけた。探していた本ではなく、知らなかった本だけど、そういうのが見つかるのがAMAZONとは違う店舗の魅力だと思う。さっと眺めただけだったが、また来る機会を作ろうと思う。


(古本や檸檬)

藤田、熊手をあるいて「岡田宮」へ行く。あまり目立たないところにあった御由緒には、神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まり給う由「古事記」にあり、199年神功皇后八所神を親祭する、940年小野好古三環鈴を奉納す、1194年源頼朝の御家人・宇都宮上野介重業当宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕せしむ、1559年麻生上総介元重社殿を再興せしむ、などが記され、1605年黒崎城築城の際に筑前六宿の起点となりて現在地に御遷座され、福岡藩祈祷社・黒崎宿の産土神と定めらたことが分かる。


(熊手商店街)


(熊手商店街)


(熊手商店街)


(岡田宮)


(岡田宮)

岡田宮の裏手から出て、JCHO九州病院(旧九州厚生年金病院)の周囲を、「曲里の松並木」へと歩く。江戸幕府は街道筋に松や杉を植えさせた。それが街道の松並木や杉並木として残っている。熊本では豊後街道の大津の杉並木が有名。曲里の松並木は長崎街道の一部だけど、ここは車道になっていないので昔の面影が残っている。残念ながら江戸時代からの松は2本だけになっているようだ。ここを歩くとタイムスリップした感じになる。


(道沿いで)


(曲里の松並木)


(曲里の松並木)


(曲里の松並木)


(江戸時代の杉)


(曲里の松並木の入口)

松並木を抜けて、曲里の松並木公園で開催されているイベント会場へ。会場では「秋のにぎわいウィーク」のいろんなイベントが一緒に開催されていた。「にぎわいマルシェ2016」、「黒崎BEERでフードファイッ!2016秋」、「八幡西区健康まつり」、そして「JR九州ウォーキング・黒崎宿おもしろ発見スタンプラリー」。最初に目に入ったのが「健康まつり」だったのでビールは無いかな、と思ったが、他のイベントコーナーでクラフトビールが販売されていた。チケット1000円を買ったので、500円のビールを2種類飲んでしまった。


(秋のにぎわいウィーク会場)


(1杯目京都醸造所黒潮の如く)


(2杯目門司港地ビール工房ペールエール)

2杯目を飲んでいるときに、ウォーキング仲間のUさんご夫妻と会ったので、歓談していると、同じテーブルにウォーキングに参加されていると思われる4人組の方々が座られた。持参した飲み物で楽しまれていたがお互いに話だし、下関から参加されたようで、ウォーキングや熊本地震の話で盛り上がり、チューハイなどをいただいたりしたので、すっかり酔っぱらってしまった。

残り1キロ、ゴールの黒崎駅南口までは酔った足でフラフラと歩いた。スタンプラリーの完歩賞ゴール先着1千名のマフラータオルは当然にもう無かった。


(黒崎駅南口)


(スタンプラリー)

直ぐに来た「特急きらめき」に乗って博多へ。博多から新幹線で熊本へ。寝てしまうことなく乗り過ごさずに降りた。もうホットし、北九州黒崎までウォーキングに行ったのか、酔っ払いに行ったのか分からないような今日のウォーキングを終えた。

「佐用姫」に会う【JR九州厳木駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-16】

2016-10-14 | JR九州ウォーキング
2016年10月9日(日)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング厳木駅(きゅうらぎえき)コースに参加。

「松浦県佐用比売の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ」(山上憶良、『万葉集』巻第五、868)

厳木町にいたとされる豪族の娘佐用姫は、537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と恋仲となった。出征のため別れる日が訪れた佐用姫は唐津の鏡山の頂上から領巾を振りながら舟を見送っていたが、別れに耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、七日七晩泣きはらして石になってしまった。という言い伝えがある。

佐賀駅から唐津線に乗り換え、厳木駅へ。9時20分過ぎにスタート。


(佐賀駅から唐津行に)


(厳木駅)

線路を渡って、駅前の大きな道を外れて田んぼの中を歩く。昨日とは打って変わって晴天の秋空。


(線路を渡る)


(田んぼ沿いを歩く)


(今日は晴天)


(田んぼ沿いで)


(道沿いで。何の建物だろう)


(道沿いで)

行き帰りが同じコースのところでは、もう帰りのウォーカーたちとすれ違う。一路「道の駅厳木」へ。大きな「佐用姫」像が迎える。地元の農産物などが販売されていた。


(道の駅の「佐用姫」像)


(道の駅厳木)

中島山笠祭会場へと向かう。会場の舞台ではまだ何も始まっていなかったが、山車の前では参加者の記念撮影があっていた。


(中島山笠祭会場)

10時ごろ、山車が動き出した。ついていくことにする。
中島山笠祭は、昭和初期頃から昭和28年まで疫病を鎮めるため若宮神社に奉納されていた祭りで、僅かな資料をもとに保存会の手作りによって平成10年に再興されている。山車には「佐用姫」が飾られている。


(山車)


(山車)


(山車)


(山車)


(山車)


(山車)


(山車)

若宮神社までついて行き、その後は、先へ歩む。


(若宮神社)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

暫く歩いて右へ曲がり「天山神社」へ。天山には上宮があり、この地にあるのは下宮。


(天山神社鳥居)


(道沿いで)


(厳木ダム)


(天山神社)


(社殿の天井)


(天山神社で)

天山・厳木川沿いを歩いて行くと、先ほど山笠祭会場へと向かった交差点に戻る。山笠祭会場を右手に真っ直ぐ進む。


(天山・厳木川沿い)


(天山・厳木川沿い)


(天山・厳木川沿い)


(天山・厳木川沿いで)


(道沿いで)

「きゅうらぎ温泉佐用姫の湯」があったので、温泉に浸かった。お風呂から上がって2階のレストランに行ったが、一般的な定食や丼物、うどん類しかなかった。「佐用姫定食」などがあったら、食事してビールも飲んだろうが止めた。ビールだけでも飲もうと思ったが、それも止めた。しかし、これで正解だったと後から思うことになる。


(佐用姫の湯)


(佐用姫の湯近くの川)

歩道橋を渡って、スタートして道の駅へ向かった時と同じ道に出て、駅の方へ向かう。駅からスタートしてきた人たちとも会う。


(道沿いで)

そして、室園神社へ。マップには室園神社(肥前鳥居)と記されている。肥前鳥居の特徴は、笠木の先端にかけて反り返る部分が大きな反りをみせて外方に跳ね上がることとされているが、柱のどっしり感も見応えがある。木立の中に見事な肥前鳥居がある。左右の柱は二本継、笠木は三本継で造られている、天正18年(1590年)に奉納されたと記されている。
社殿は階段の上。ええここを上るの、と思ったが、ここまで来たら上らんと、と200段以上はあるだろう階段を一段一段上った。上り切ったところで息切れ。ビール飲んでなくて良かった。呼吸をととのえるためしばらく休憩し、下る。


(室園神社)


(佐賀県重要文化財の肥前鳥居)


(案内板)


(室園神社)

駅まではもうすぐ。線路沿いを歩いていたら「唐津行き」の電車が通り過ぎた。すぐに「佐賀行き」の電車も通過した。あららである。


(唐津行列車)

厳木駅にゴールしたが、上り下りとも出たばかり。室園神社で階段を上らなければ間に合ったのに。駅の周辺には食事するところは無い。お腹すかしたまま次の列車を待つことになる。

厳木駅は鉄ちゃんには有名な駅である。明治32年に作られた煉瓦造りの給水塔がほぼ完全な形でホームの傍に建っている。給水塔や駅舎を撮りながらその場の雰囲気を味わい、佐賀行の列車を待った。


(厳木駅給水塔)


(厳木駅)


(厳木駅時刻表)

佐賀駅で乗換、14時過ぎ、新鳥栖駅で「かしはそば」と注文。ようやくお昼。
お腹が空くといろいろ考える。今日の反省と言うかJR九州ウォーキング担当へのお願いが頭の中を巡る。一つはマップに室園神社の階段の段数を書いて欲しかった。ゴールまでの時間が間違わずに計算できる。また、「帰り」ではなく「行き」に寄る設定であればまだ元気もあってあの階段を上る人も多いと思う。もう一つ、道の駅は「行で」はなく「帰り」に寄る設定にして欲しい。そうすれば道の駅で食事がとれる。実際に帰りの中島の交差点で本来のコース佐用姫の湯の方に向かわないで、再度道の駅に向かっていた人たちもいたなぁ。ああすれば良かったかな、などと考えながらそばを食べてしまい、今日のウォーキングを終える。

「フフッ!ウッフッ!」に会う【JR九州有田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-15】

2016-10-11 | JR九州ウォーキング
2016年10月8日(土)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング有田駅コースに参加。

佐賀・長崎で製作された磁器は伊万里港から各地へ運ばれ、消費地では伊万里焼と呼ばれていた。生産地名で呼ばれるようになったのは陸路で運ばれるようになってからようだ。

生産地の一つ有田焼の有田駅で降りたけど、駅から送迎のシャトルバスに乗って波佐見焼の波佐見町へ行く。バスに乗ったとたん強い雨が降り出した。先行き不安。

バスは波佐見町の「やきもの公園」に着く。ここからスタート。
小高い丘には「世界の窯広場」があり、古代から近世にかけての世界を代表する珍しい窯が12基再現されている。雨のせいかゆっくり見学する気も萎えて、先へ歩く。


(やきもの公園)


(やきもの公園)


(やきもの公園)


(町中で)

雨は強く降ったり、弱かったり。
中尾・鬼木三叉路で「シシ汁」のおふるまいがあった。100円材料代にカンパ。写真はありません。お茶や栗もいただいた。
波佐見焼の多くの窯元が集まる中尾山をめざして歩く。一瞬雨が止んだかと思えばすぐに降り出す。


(中尾山への道)


(中尾山への道)

中尾山の入口でまたもお茶や栗をいただいた。窯元が点在する坂道を歩く。


(陶芸の里)


(陶芸の里)


(陶芸の里)

一軒の窯元に入って見学。
波佐見焼は、ほとんどが日用品で厚手で素朴な製品が多い。熊本地震では薄手のものが割れた。


(輝峰窯)


(輝峰窯)


(輝峰窯)

道沿いにあるお店には入って見てまわりたいけど、雨でなんとなく、先へ先へと歩く。


(陶芸の里)


(陶芸の里)


(観音堂への階段)


(観音堂)


(陶芸の里)


(陶芸の里)


(陶芸の里)

陶芸の里を歩き終り、峠を越えて下る。


(峠を越えて)


(峠を越えて)

下ったところは鬼木の棚田の谷にあたる道に出る。例年、ユニークな案山子がウォーカーを楽しませてくれる。ゆっくりと楽しみたいのだが、ときおり強い雨になる。私が歩いた中では雨もこの通りでが一番強かった気がする。


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)


(案山子)

棚田の上りのところで、健脚コース約11.5kmと短縮コース約8.5kmとの分岐点がある。短縮コースは中尾・鬼木三叉路へ戻る。


(実りの秋)

やや急な坂を上り、棚田が眺望できる場所へ。雨も少し弱まった。


(鬼木の棚田)


(鬼木の棚田)


(鬼木の棚田)


(鬼木の棚田)


(道沿いで)


(鬼木の棚田)

棚田を過ぎ、茶畑を眺め、坂を下る途中の金屋神社に寄る。創建は天平4年(732年)大和国金峯山の神をここに遷した、とある。境内のおもてなしで、「お茶もお神酒もあります。」と言われたので、迷わずお神酒をと。お神酒を所望する人が少なかったのか、たっぷりと注いでもらった。


(茶畑)


(金屋神社)

神社の集会所を昼食会場に開放されていた。12時ころだったので、鬼木改善センターで販売されていた鬼木棚田米のおにぎりと饅頭を食べる。実りの棚田を観た後に食べるおにぎりは格別の味がする。お米を食べているという実感も湧く。創建は732年とあるが、それは「神社」としての記録で、その前文字のない時代からここにはこの地の「カミ」が祀られていたのではないだろうか。そこで人々は実りの感謝をしていたのではなかろうか。そんなことを感じながらのお昼はご馳走だ。


(お昼)


(金屋神社からの眺望)

金谷コスモス街道を下り、金谷公民館に着くと、ここでもお茶のおもてなしを受けた。今日もう何回目だろうか。ありがとうございます。


(コスモス街道)


(コスモス街道で)


(コスモス街道で)


(コスモス街道)


(コスモス街道)


(コスモス街道で清代溜池)


(コスモス街道で)


(コスモス街道)

その後、旧街道沿いにある今里酒造で試飲し、純米酒を買う。


(旧街道で)


(今里酒造)


(今里酒造)

そこから、多分旧街道を歩いたのだと思うけど、しばらく歩いて、1937年建造の旧中央小学校の講堂兼公会堂に。こういう古い建物は地震で崩壊する怖れがあるので残していくのは難しくなっていくのではと心配になる。。


(道沿いで)


(道沿いで)


(旧中央小学校)


(旧中央小学校)

雨の中のウォーキングも、ようやくゴールのやきもの公園に戻る。有田駅に帰る送迎のシャトルバスは、はさみ温泉「湯治楼」経由で入浴無料券ももらったが、温泉には入らず有田駅へ。有田駅から伊万里行きの鉄道は第三セクターの松浦鉄道が運行している。


(やきもの公園)


(有田駅名物「有田焼カレー」)


(有田駅前に出来ていた観光施設)


(有田駅)


(松浦鉄道伊万里駅行き)

旧街道あたりから地元の高校の多分野球部の部員だと思うが要所要所に立って挨拶してくれる。何年か前に参加した時もそうだったと思いだす。伝統として引き継がれているのだろう。地元ボランティアの皆さんも雨にも係らず要所要所に立って案内していただいた。数か所でお茶などの接待も受けた。傘をさしてのウォーキングだったけど気持ちよく歩けた。地元の熱心な皆さんに感謝し今日のウォーキングを終える。また、こよう。

「貝汁定食」に会う【JR九州松橋駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-14】

2016-10-05 | JR九州ウォーキング
2016年10月1日(土)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング松橋駅コースに2年ぶりに参加。前回は9月中旬だったけど、今年の方が暑い。

1日は、松橋駅の新駅舎が完成し、東西間の通路も出来て、完成式典が催された。ウォーキングもそれに合わせて「松橋駅新駅舎完成記念ウォーク」となっている。


(10月2日熊本日日新聞朝刊)

ウォーキングの受付を済ませてから、駅の1階にあるトイレに入る。改札口は2階。駅のトイレは改札口の中にある駅と、外にある駅がある。大きな駅以外の最近できた駅でトイレが改札口の外にあるのは地元自治体が整備した駅ではなかろうか。などと考えながら済ます。


(松橋駅)


(駅すぐ横の踏切。
駅の西側からこの踏切を渡らなくとも駅に入ることが出来るようになった。)

8時30分頃駅をスタート。宇土半島の不知火海側を歩く。5キロ程は道の駅不知火までひたすら歩くコースだけど、道路沿いの草花を撮りながら歩く。あまり目立たない小さい花が、種類も多く咲いている。あまり写真の被写体になることはなさそうな花を撮るのも好きだ。小さい花は風があるとゆらゆらとしてうまく撮れない。諦めて先へ進むこともある。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

しばらく歩くと道の左側が不知火海に。道の右側を歩く。宇土駅を起点に三角方面へ行くと右手に有明海が広がるが、松橋駅を起点に三角方面へ行くと左手に不知火海が広がる。


(不知火海)


(不知火海)

右側は山の斜面になっているところもある。熊本地震で地盤が緩み、少しの雨でも斜面が崩れやすくなっている。そのようなところには、土嚢袋が置かれている。後の列車で来た人たちからどんどん追い越される。


(崖崩れ対策の土嚢)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道の駅が見えてきた)


(道沿いで)

1時間ほどかかって、道の駅不知火に。トイレ休憩だけで歩き出す。また、ここへ戻ってくる。


(道の駅不知火)


(道の駅不知火で)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

しばらく歩くと、折り返してきた人たちと会いだす。皆さん歩く勢いがいい。

左手の永尾(えいのう)神社に。不知火を見る場所としても有名。神社の名の由来は、海道神(玉依姫命)が大きな「えい」の魚の背に乗って宇土半島を乗り越えようとして陸に上がり、そのまま鎮座し、その尾の部分に建立されたことから、といわれている。


(永尾神社)


(永尾神社海側)


(不知火海の永尾神社鳥居)


(永尾神社下から不知火海)


(道沿いで)

永尾神社を後にして、松合土蔵白壁の町並みに入る。松合地区は古くからの港町で、天草など近隣の特産品がこの地に集められ、賑やかな交易港として栄えた。火災から町を守るために白壁の家並みが出来た。
平成11年9月の台風で、松合の集落は高潮の被害にあい死者12名を出している。
今回の熊本地震の被害も出ている。


(松合土蔵白壁の町並み)


(松合土蔵白壁の町並み)


(案内板があったが)


(地震で・・・)


(松合土蔵白壁の町並み)


(屋根にはブルーシートも)


(仲西船溜り)


(松合土蔵白壁の町並み)


(松合土蔵白壁の町並み)


(眼鏡橋の松合橋)


(松合土蔵白壁の町並み)


(松合の町並み案内図)


(榕樹(あこう))

土蔵白壁の町並みを出てすぐ高台に、みそ・しょうゆの松合食品がある。ここまで9キロ程あるので、ここの坂は結構きつい。上るとお味噌汁の振舞いがある。
2年前来た時に買った「にんにくみそ」は、それ以来常備している。ここの一番人気の商品のようだ。食品スーパーとかには無いので、松合食品の熊本営業所に買いに行くが、聞いたところ直販のみで販売しているようだ。電話で宅配も依頼できるそうだ。


(松合食品の上り口)


(松合食品)


(いただいたチラシ
商品も手作り感いっぱい)

ゆずポン酢を買って、丸大豆しょうゆ入ソフトクリームを食べて、道の駅不知火へ折り返す。


(丸大豆しょうゆ入ソフトクリーム)


(松合食品の高台から不知火海)

今日は暑い。朝コンビニで買った冷えた缶コーヒーは温かい缶コーヒーになっている。


(暖かい缶コーヒーに)

3キロほど歩いて、到着。


(ようやく道の駅へ)

先ずは、「不知火温泉センター」へ。塩味のする温泉で汗を流す。
そして、レストランで人気の「貝汁定食」とビール。前回は売り切れていたが今年はのさった。


(「貝汁定食」)

満足、満足して、送迎バスでゴール松橋駅へ。13時半頃到着。
直ぐに来た列車に慌てて乗り、今年3月に開業した西熊本駅、熊本駅の高架に入るところなどを撮る。


(松橋駅階段)


(西熊本駅)


(熊本駅へ。列車は鳥栖行だったので左の線路高架ホームへ。
熊本駅までだったら右の線路で高架になっていないホームへ。)

久しぶりに10Kを超えて歩いて、あまり被写体にはならない草花の写真を撮り、美味しい食事とビール、それに鉄ちゃんもして今日のウォーキングを終えた。

「県境」に会う【JR九州門司港駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-13】

2016-10-02 | JR九州ウォーキング
2016年9月24日(土)


(今日のマップ)

門司港駅の駅舎は国の重要文化財に指定されているので鉄道ファンも多く訪れるが、現在は保存修理工事中で駅舎の全体像を見ることは出来ない。平成30年に工事は完了する予定となっている。


(門司港駅0哩標)


(駅舎の工事中を見学する台が設けられている)

昭和50年代、小倉-博多間を通勤していて、博多で飲んで列車に乗り寝過ごし、幾度か門司港駅まで乗ってしまった。冬程、列車内が暖かいので寝過ごす。寒い寒い潮風で酔いがいっぺんに醒め、震えながらなかなか来ないタクシーを待つ。私の門司港駅の思い出はそんなところ。その頃の門司港駅も、その周辺も寂しかった。今では、「門司港レトロ」として整備され、多くの観光客が訪れる街に変貌している。行く度に想い出と移り変わりを感じる。


(駅前にある旧門司三井倶楽部)

さて、今日のJR九州ウォーキング門司港駅コースで目指すは関門海峡の向こう側、下関の「火の山」頂上。


(門司港から見る火の山。目指すは頂上)

門司港レトロ地区を歩いて、門司港レトロ観光トロッコ列車「潮風号」の走る線路沿いに出る。「潮風号」は九州鉄道記念館駅と関門海峡めかり駅間を往復運転している。


(建築家・黒川紀章氏が設計した高層マンション『レトロハイマート』
31階には門司港レトロ展望室がある。)


(旧門司税関)


(はね橋「ブルーウイングもじ」全国で最大級の歩行者専用のはね橋)


(複合商業施設「海峡プラザ」)


(門司港レトロ観光トロッコ列車線路沿いを歩く)


(線路沿いで)


(線路沿いで)


(線路沿いで)


(線路沿いで)


(観光トロッコ列車「潮風号」)

ノーフォーク広場から関門橋の下を通って、「和布刈神社」へ。和布刈神社では「毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える和布刈神事が行われる。」また、松本清張の推理小説「時間の習俗」の舞台にもなっている。その小説を読んでから、和布刈神社・和布刈神事のことを知った。


(ノーフォーク広場から下関側)


(関門橋下)


(和布刈神社)


(和布刈神社前、和布刈神事はこのあたりでと思う)

門司から下関への歩いて渡れる、関門トンネルの人道入口は、和布刈神社から直ぐにある。トンネルは全長約780m。人道入口には、エレベーターがあり、門司側は地下約60m降りる。通行料は無料。ただし、軽車両(自転車・原付)は20円の通行料が必要で、押して歩く。今日トンネルを歩いているのはウォーカーが殆どだが、自転車や原付、個人でウォーキングやランニングの人も見かける。50年程前にデートで通ったことがあるが、その頃のトンネル内はほぼ二人だけの世界だった。


(関門人道トンネル)


(福岡・山口の県境)

トンネルを抜けて下関側に着く。下関側は地下約55m。ここから火の山に上る。歩いても上れるけど、ロープウェイで上る。ロープウェイは好きではないけど4分と短い。


(下関側トンネル入口)


(ロープウェイ)

山上駅から少し歩いて山頂まで行く。暑くて汗が落ちだす。山頂の売店でアイスモナカ。美味い。眺望写真を撮って、山頂付近を散策。火の山の由来はかつて山頂に敵の襲来を都に知らせるための狼煙台が設けられていたことにある。明治時代には砲台が置かれ、山頂は要塞で一般人は入山禁止だった。砲台跡が残っている。戦艦大和の弾丸も展示してある。


(石のお爺さんで、韓国の済州島に古くから伝わる守護神)


(ロープウェイ上駅あたりから)


(山頂展望台から)


(山頂展望台から)


(戦艦大和の砲弾)


(砲台跡)


(砲台跡)


(砲台跡)


(砲台跡)


(砲台跡あたりで)

ロープウェイで下山して、みもすそ川公園 へ。公園前の海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆の瀬戸といわれ、潮流も一番速い。


(ロープウェイで下山)

公園に松本清張文学碑がある。清張は一歳から八歳のころまで公園の近くに住んでいた。碑には「半生の記」から次の文が刻まれている。「現在火の山という山にケーブルカーがついて展望台が出来ているが、その場所が旧壇ノ浦といって平家滅亡の旧蹟地になっている。そこに一群の家が四、五軒街道に並んで建っていた。裏はすぐに海になっているので家の裏の半分は石垣からはみ出て海に打った杭の上に載っていた。私の家は下関から長府に向かって街道から二軒目の二階屋だった。」門司の和布刈神社は対岸にある。和布刈神事の松明など見ていたかも知れない。


(松本清張文学碑)

公園には源氏と平氏の戦いで最後の決戦となった壇ノ浦の戦いで双方の大将であった、源義経と平知盛像もある。


(源義経像)


(平知盛像)

また、この地は幕末長州藩が攘夷思想でもってイギリス等の艦隊に二度にわたって砲撃を行った所でもある。公園にはその当時使われていた長州砲の原寸大のレプリカ5門も展示されている。


(長州砲の原寸大のレプリカ)

関門海峡の海岸沿いを下関駅方面へ歩くと朱塗りの赤間神宮に着く。壇ノ浦の戦で入水した安徳天皇を祀ってある。赤間神宮の前身は阿弥陀寺で、明治初めの廃仏毀釈により神社となった。


(関門海峡)


(関門海峡)


(赤間神宮)


(赤間神宮)

赤間神宮の境内には、みみなし芳一の「芳一堂」、壇ノ浦に散った平家一門14名の墓「七盛塚」がある。
芳一は阿弥陀寺の盲目の僧で、「平家物語」の弾き語りで有名な琵琶の達人。しものせき観光ホームページによると「ある日、芳一は深夜外出を繰り返し、不信に感じた僧たちが芳一の行先を探したところ、七盛塚の前で平家物語を奏でていたところを発見されます。住職は怨霊を取り除くため、芳一の身体中に般若心経を書き綴りました。ところが芳一の両耳に経文が書かれていなかったため、怨霊がそれに気付き、その両耳をちぎって立ち去りました。以降は怨霊が現れることはなくなりましたが、いつからとなく「耳なし芳一」といわれるようになった」とある。


(七盛塚)


(芳一堂)

お腹が空いてきたので、赤間神宮を後にして、下関ふくで有名な唐戸市場へ急ぐ。市場では金土日と祝日に「活きいき馬関街」が開催されている。握りすしや海鮮丼、ふく汁、ふくの天ぷら、海老天など海鮮の揚げ物を、20軒程であろうか多くの店が競って販売している。人出も多く、お腹も空いて、一つ一つ選んで買う余裕がなかったので、セットで売ってある握りすしとビールを買って、海岸で関門海峡を眺めながら食べる。大満足のお昼。


(唐戸市場)


(唐戸市場)


(唐戸市場)


(唐戸市場から門司港側)


(唐戸市場)


(唐戸市場)

食べ終わったら、少しだけ歩いて門司への連絡船乗り場へ。ここからは巌流島観光の船も出ている。まだ乗ったことは無い。


(関門連絡船乗場)

5分程の船旅で、門司港に着く。


(船上から)


(船上から)


(船上から)


(船上から、はね橋が開いている)


門司港駅前を通って、九州鉄道記念館がゴール。何度か入ったことがあるのでパスした。


(カラスがウォーカーを冷やすように鳴いていた)


(九州鉄道記念館)

記念館にはいつか孫たちを連れて来よう、と思いながら今日のウォーキングを終える。